五歳になった当日、朝から一階は慌ただしかった。
訓練も授業も休みだというのに、台所へ近づけばゼニスに追い出され、物置を覗こうとすればパウロが立ちはだかる。リーリャさんだけが普段どおり朝食を運んできたが、何を聞いても「夜までお待ちください」としか答えなかった。
何があるのか感づいていないと思っているのだろう。
兄は落ち着かない様子で、何度も窓の外を見た。
「まだ明るいな」
「見れば分かりますよ」
「別に早く夜になってほしいわけじゃないぞ」
「そうですか。では兄さまの分のお料理は私がいただきますね」
「それは別の話だろ」
昨夜と同じ反応である。
日が沈み、窓の外が暗くなった頃、ようやくリーリャさんが私たちを呼びに来た。
一階へ下りると、普段の食卓が別物になっていた。焼いた肉、丸ごとのパン、野菜を煮込んだ鍋。中央には果物まで置かれ、蝋燭の火が皿の縁で揺れている。
昨夜から続いていた物音はこのためだったらしい。
「ルディ、ターニャ。五歳のお誕生日、おめでとう!」
ゼニスが両腕を広げた。
パウロはその横で胸を張り、リーリャさんは少し後ろへ控えている。ロキシーもいつものローブではなく、よそ行きらしい服を着ていた。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
私たちが答えると、ゼニスは二人まとめて抱き締めた。
「もう五歳なのね。二人とも、こんなに大きくなって……」
「ゼニス。泣くのはまだ早いぞ」
「泣いてないわよ!」
この国では、誕生日を毎年祝う習慣はない。五歳、十歳、十五歳。成長の節目を迎えた子供へ、家族が贈り物をする。
昨夜の物音はほとんど台所からだった。この量を用意していたのか。
ゼニスに席へ促されるまで、私は皿の間を見渡していた。
食事が終わると、パウロが待ちかねたように席を立った。
「よし。まずは俺からだ」
物置から運んできた包みを、兄の前へ置く。
中にあったのは二本の剣だった。一本は兄の身体には長く、重い実剣。もう一本は短めの木剣である。
「男は心の中に一本の剣を持たねばならん。大切な者を守るには力だけでなく――」
パウロの演説が始まった。
兄は笑顔で頷いているが視線は剣へ吸い寄せられている。
「長い!」
ゼニスの一言で、ようやく話が止まった。
「……とにかく、必要なとき以外はしまっておけ。刃もついているからな」
「はい、父様。ありがとうございます」
兄は木剣を持ち上げ、重さを確かめた。実剣は手に取らず、脇へよけている。
ゼニスからは分厚い植物辞典が贈られた。
「ルディは本が好きでしょう?」
「ありがとうございます、母様。こういう本が欲しかったんです!」
パウロが微妙な顔で頬を掻いている。哀れ。
挿絵を入れ、一つ一つ手で書き写した本のようだ。家にある五冊とは比べものにならない値段だろう。
兄が本を抱えると、ゼニスも兄を抱え込んだ。
最後に、ロキシーが細長い包みを差し出す。
「先日作ったものです。ルディは最初から魔術を使えたので失念していましたが、師は初級魔術を使えるようになった弟子へ杖を贈るものなのです」
包みの中から、先端に小さな赤い石をつけた簡素なロッドが現れた。
兄は両手でそれを受け取り、ロキシーを見上げる。
「ありがとうございます、師匠。大切にします!」
ロキシーは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「その呼び方はやめてくださいと言ったでしょう」
「でも師匠が弟子に杖をくれたんですよね?」
「慣習の話です。呼び方とは別です」
兄は返事の代わりに、満面の笑みでロッドを大事そうに胸へ抱いた。
呼称を変える気はないらしい。
「次はターニャだ」
パウロが私の前へ置いたのは、革の長靴と手袋だった。
「剣はいらないって言いそうだからな。走っても滑りにくい靴と訓練用の手袋にした。手の大きさはリーリャに測ってもらったから、合うはずだ」
手袋へ指を通す。
少し余裕はあるが握れば革が掌へ馴染んだ。
長靴の底には細かな凹凸が刻まれている。
「ありがとう、お父様。大切に使います」
「おう。すぐぼろぼろにしてくれていいぞ。そのための物だからな」
ゼニスからは革紐で綴じた白紙の束と、細い筆記具を渡された。
「ターニャはいつも蝋板が埋まるまで小さな字を刻んでいるでしょう。これなら消さずに残しておけるわ」
一枚めくる。
紙質は均一ではないが表面は丁寧にならされていた。
蝋板ならば、表面をならせば何度でも使える。その代わり、新しい記録を残すたびに古い記録を消さなければならない。
この紙は違う。魔術の条件と結果を、失敗した記録ごと残しておける。
白紙をこれだけ揃えるのに、いくら掛かったのだろう。
細かな字まで見られていたとは。記録帳を閉じるのが惜しくて、もう一枚だけめくった。
「ありがとうございます、お母様」
ロキシーの包みには兄のものより短い杖が入っていた。先端の石も小さい。
「ターニャは細かな制御を好みますから、取り回しを優先しました。杖そのものに特別な力はありません。ただ魔力の向きを定める助けにはなるはずです」
握ってみると、指先を伸ばした先へ、そのまま魔力の経路が続くような感覚がある。
「ありがとうございます、ロキシーさん。ちょっと試してもいいですか?」
「家の中ではだめです」
「冗談ですよ」
手袋、長靴、紙の記録帳、私の手に合わせた杖。
剣を覚えてほしい父も、転ばずに走れる靴を選んでくれた。母は私が毎日消していた記録を覚えていた。
何を求められるか考えていたのに、どれも私が使いたかった物ばかりだ。
手袋をはめたまま、記録帳と杖を膝に揃えた。まだ礼を言い足りない。
「お父様、お母様、リーリャさん。それに、ロキシーさん。ありがとうございます」
顔を上げる。
「私、とても嬉しいです」
笑うつもりはなかったのに、頬が言うことを聞かなかった。
食卓が静まり返る。
何か失言しただろうか。
「……あなた」
「見た」
「今の見たわよね?」
「あ、ああ……笑った。ターニャが笑ったぞ!」
私は普段から必要に応じて笑っていると思うが、何を珍しがっているのか。
「ターニャ!」
ゼニスに抱き締められた。
抵抗する間もなく、頬へ頬を擦り寄せられる。
「あぁもう!可愛い!もう一回笑って!」
「お母様、要求されてするものでは――」
「母さんそっくりだったぞ、ターニャ!」
今度はパウロの大きな手が私の頭を容赦なく撫で回した。
「ちょっ、お父様……!」
「いいじゃないか。今日ぐらい!」
「やめてください! 髪がぐちゃぐちゃになります!」
まったく、人の頭を何だと思っているのか。
その手を払いのけようと腕を上げたが、父の手に重ねるだけになった。
「もう、乱暴ですよ……」
抗議しているというのに、先ほど浮かんだ笑みまで引っ込んではくれない。
そんな私を見て、パウロはますます嬉しそうに笑った。
「二人ともよく聞け」
頭へ手を置いたまま、パウロが兄と私を見る。
「父さんも母さんも、お前たち二人が大事だ。剣が得意でも、魔術が得意でも、そんなこととは関係なくな」
「当たり前でしょう。ルディもターニャも私たちの大切な子供よ」
ゼニスの腕が私と兄をもう一度まとめて抱いた。
兄は照れたように笑い、それから私を見た。
「俺もターニャの兄だからな」
「その宣言は今必要ですか?」
「必要だろ」
何の根拠もない自信である。
だが訂正する気にはならなかった。
「旦那様。そのあたりで」
リーリャさんの静かな声に、ようやくパウロの手が離れた。
彼女は私の前へ膝をつき、乱れきった髪へそっと指を通す。
「せっかくのお祝いですから。髪を整えましょう、ターニャ様」
「……お願いします、リーリャさん」
櫛が髪を梳く。
髪を梳き終えた彼女の手が離れる前に一度だけ頭を撫でた気がした。
振り返ると、リーリャさんは既にいつもの顔へ戻っていた。
「これで大丈夫です、ターニャ様」
「ありがとうございます」
櫛をしまう彼女を見上げると、もう一度だけ目が合った。
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三歳からの二年間、私たちが繰り返したのは基礎体力と身体操作である。
そして今日から、本格的な剣術訓練が始まった。
「始める前に二人へ教えておく。この世界には三つの大きな剣術流派がある」
剣神流は、先手を取り、速度と攻撃によって相手の反撃そのものを許さない。
水神流は、相手の攻撃を受け流し、反撃することを重んじる。
北神流は、負傷した状態での戦闘や応急手当、周囲の物を利用した戦い方まで含む実戦的な流派だという。
「話を聞く限り、北神流が一番いろんな状況に対応できそうですが」
兄が尋ねると、パウロは露骨に顔をしかめた。
「ルディ。あれは剣を使って戦っているだけで、剣術じゃない」
偏見である。
武器も地形も選べない戦場で生き残るなら、北神流が一番役に立つように思えた。
「お父様は使えないのですか?」
「使える。上級だ」
「では教えていただけますか?」
「まずは剣神流と水神流だ。北神流は基礎ができてからにしろ」
上級ならば教わる機会はある。先に基礎を済ませるしかなさそうだ。
兄は剣神流と水神流を学ぶことになった。
私も同じ型を習うが目的は剣士になることではない。剣を持たない時にも、身を守れる動きを覚えたい。
「踏み込め、ルディ!」
「はい!」
兄の木剣が木人を打つ。
「遅い! 相手がお前を待ってくれると思うな!」
「待ってくれないなら遠くから魔術を撃ちます!」
「剣の稽古中に正論を言うな!」
無茶な要求である。
私の番になる。
木人へ打ち込もうとして、横木が気になった。
相手が動けば、こちらも打たれる。そう考えた途端、足が止まった。
「そこだ、ターニャ。考えるな!」
「考えずに突っ込めと?」
「斬ると決めたら迷うな。先に斬ればいい!」
会話が成立しない。
打ち込んだ木剣が木人の肩で乾いた音を立てた。
「構えはきれいだ。足運びも悪くない。でも斬る瞬間に迷ってるな」
「相手の反撃を想定しています」
「剣神流は先に斬って、反撃させない」
思想としては理解できる。だが常に先手を取れるという前提は楽観的すぎる。
何日か続けた後、パウロは困ったように頭をかいた。
「ターニャは剣士には向いてないかもな」
「問題ありません。剣士になる予定はありませんので」
「父親としてはもう少し残念がってほしいところだがな……」
落ち込む理由が分からない。剣士に向いていなくても、走って逃げられれば助かる場面はあるだろう。
兄は剣より魔術を好んでいるが、それでも稽古を投げ出さなかった。
パウロに「剣術は嫌か」と聞かれれば、魔術と同じぐらい上手になりたいと答える。そのたび、父親は分かりやすく機嫌をよくした。
兄はそのまま、次の打ち込みに戻った。私も自分の足元へ向き直る。
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ある日、パウロは庭の端に置かれた岩へ歩いた。
「二人ともよく見てろ」
腰の剣を抜く。
「力だけで斬ろうとするな。踏み込みと、腰と、剣を一つにする」
身体が沈む。
次の瞬間、岩が二つに割れた。
踏み込みから斬撃までの一瞬だけ、パウロの身体の輪郭が変わったように感じた。
単に早いだけか?それとも魔力だろうか。
もう、いつもの父に戻っている。よく分からなかった。
「すごい……」
兄が割れた岩へ駆け寄った。
「父様、今のって魔力を使いましたか?」
「魔力? 使ってないぞ」
「でも普通に振っただけで岩は斬れないと思いますよ?」
「普通じゃない。クッと踏み込んで、ザンだ」
予想どおりの回答である。
「ターニャも何か感じた?」
「違和感がありました。明らかに身体能力以上の力が出せているように感じます」
「だよな。魔力で身体を強くしてるんじゃないか?」
私もそう思った。だが本人に心当たりがないのでは聞きようがない。
「父様。もう一度お願いします」
「いいぞ。次はもっとゆっくり見せてやる」
パウロは機嫌よく剣を構えた。
何度見ても分からなかった。
その日から、兄は魔力を身体へ流そうと試みた。
「ハァァァァ!!」
放出された魔力が兄の周囲で揺らいでいる。
相変わらず無駄に多い。
「どう?」
「ただ魔力を放出しているだけですね」
「足がちょっと速くなった気がする」
「昨日と変わりませんよ」
庭を走る姿を見比べても速くなったようには見えなかった。
「ターニャはできた?」
「だめですね」
私もうまくいかなかった。何日試しても、魔力を使おうとするたびに身体が重苦しくなるばかりだ。
数日後、パウロとの打ち込みで、それは起きた。
「来い、ターニャ!」
パウロが木剣を構える。
私は距離を測り、右足を踏み出した。
届かない。
そう判断した瞬間、もっと前へ出ろと身体へ命じる。
脚へ流した魔力がどこかへ抜けた。
地面が後ろへ飛ぶ。
パウロの顔が一瞬で眼前へ迫った。
「なっ――」
木剣を振る余裕はない。
受け身を取ることもできず、肩から地面へ転がった。視界が回る。
「ターニャ!」
パウロが木剣を投げ出し、私を抱き起こした。
「どこを打った!?」
「右肩です……」
「足は?」
「少し……痛みます」
右足首へ体重をかけると、鈍い痛みが走った。
「今日は終わりだ」
「だいじょうぶです……」
「駄目だ」
有無を言わせず抱き上げられた。
「お父様、自分で戻れますよ……」
「それでも駄目だ。無茶をするな」
声が低い。足をかばって座り直そうとすると、抱える腕に力がこもった。
「今の何だったんだ?急に速くなってたぞ」
兄が後ろからついてくる。
「わかりません。もう一度できるかどうかも……」
「それは後でいいよ。足は大丈夫?」
「軽い捻挫でしょう」
「痛そうだな……」
家へ戻ると、ゼニスが私の足へ治癒魔術を使った。痛みが治まるまで、パウロはすぐ隣から動かなかった。
今日は絶対安静と診断され、予定していた訓練はすべてなくなってしまった。
記録帳へ手を伸ばしかけると、三人が揃ってこちらを見た。
足をさすっている母の手がまだ離れない。私は記録帳から手を戻した。
今日の記録は、後にしよう。
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魔術の授業は複数の術を組み合わせる段階へ進んだ。
「『ウォーターフォール』、『ヒートアイランド』、『アイシクルフィールド』。この順に使うとどうなりますか?」
「霧が発生します」
兄が答えると、ロキシーは頷いた。
「ではその霧を晴らすには?」
「もう一度『ヒートアイランド』を使って、地面を温めます」
「そのとおりです。やってみせてください」
兄が順番に術を発動する。
水が落ち、熱せられ、冷気に触れて白い霧となった。最後の熱が地面を温めると、霧は薄くなっていく。
複数の系統を順番に使い、一つの現象を起こす。混合魔術というらしい。
私も試すと、白い霧が狭い範囲へ濃く残った。兄のものとは、ずいぶん大きさが違う。
「ターニャはまた随分と小さくしましたね」
「必要な範囲がこの程度でしたので」
「二人を足して割れれば、ちょうどよさそうですね」
ロキシーは本気で言っているらしい。
兄と顔を見合わせた。
「魔術は何でもできるんですね」
兄が霧の消えた庭を見ながら言う。
「何でもはできません。過信してはいけませんよ。自分にできることとやるべきことを冷静に見極めてください。それに何でもできると言って回れば、できない仕事まで押しつけられます」
「先生の経験ですか?」
「経験です」
私は自分の短杖を見下ろした。無詠唱を披露するのは、やはり当分やめておこう。
ロキシーは戦える者の中でも魔術師は多くなく、上級まで体系的に学んだ者はさらに少ないと説明した。混合魔術まで扱える上級魔術師には仕事が集まり、家庭教師も上級以上でなければ務まらないという。
「魔術を学ぶ学校もあるんですか?」
「ええ。大国ならどこにでもあります。中でも最も規模が大きいのはラノア魔法大学でしょう」
設備と教師が揃い、身分や種族より、理論と成果を重く見る。各種族に伝わる独自の魔術も研究され、魔族であるロキシーもそこで学んだ。
研究機関としては魅力的だ。
組織に所属する不利益を差し引いても、個人では得られない資料と設備には価値がある。
「ルディが魔術の道へ進みたいならラノア魔法大学を勧めます。もちろん剣か魔術のどちらか一方だけを選ぶ必要はありません。騎士となってから留学した者もいますから」
「まだ決めるには早くないですか?」
「ルディにとっては、そうですね」
ロキシーが微笑んだ。
いつもの、少し呆れたような笑みとは違う。
「ですが、わたしが教えられることも少なくなりました。卒業も近いですから、こういう話をしてもよいでしょう」
兄の顔から笑みが消えた。
私もすぐには言葉が出なかった。
卒業。もう、そこまで来ていたのか。
午前中が空く。好きなだけ研究できる。待ち望んでいたはずだが、何から始めるかが出てこなかった。
窓の外へ視線を向ける。
いつも彼女が杖を立てかけている壁際が見えた。
授業が終わっても、明日はまたあそこに杖がある。ずっと、そう思っていた。
闘気の概念を出すのが早すぎる気もしましたが、ターニャが居るならあり得るのか……?と思い、出しました。解釈不一致だったらすいません。
漫画版の幼女戦記で、ターニャがベジットブレードみたいなやつを出すシーンがありましたが、無職転生の世界であれを再現させるのはなぁ……
幼女戦記の世界の術式すべてが再現出来たら、、強すぎないか……?
爆裂術式だって、再現可能だと考えています。
ストーンキャノンに仕込めば、着弾と同時に炸裂させることも可能ですよね。
防殻術式は、結界魔術の応用で再現できそうですし。
飛行術式は、重力魔術と風魔術の混合魔術で再現可能に感じています。
ただ、魔術理論を考えれば考えるほど、無職転生の世界では、手から魔術を出すんだよなぁ……あれを捻じ曲げて飛行術式再現してもいいのかなぁ……世界観が……となっています。でも、爆裂術式と飛行術式の再現はさせたい。
空間爆裂術式の再現は……ターニャが強くなりすぎるので、あまり気乗りしません。
脳内を開示しすぎました。お目汚し失礼しました。