「今日はここまでだ」
父が木剣を肩へ担いだ。
私は構えを解き、息を整える。兄は少し離れた場所で、そのまま地面へ腰を下ろす。
ロキシーさんが旅立ってから、魔術の講義に使っていた午前は剣術の訓練へ変わった。
父はこれで存分に鍛えられると喜んでいる。私も基礎体力と近接戦闘の訓練に異論はないが、兄は露骨に迷惑そうだ。
「ルディ、最後の一振りは悪くなかったぞ」
「ありがとうございます。父様」
「だが、もう少し腰を入れろ。剣は腕だけで振るもんじゃない」
「はい……」
返事に張りがない。
魔術の訓練なら、放っておいても日が暮れるまで続ける男である。適性以前に、好みの問題が大きいのだろう。
昼食を終えると、兄は植物辞典を抱えて父の前へ立った。腰にはロキシーさんから譲られた杖を差している。
「父様、午後から村を見て回ってもいいですか?」
「庭じゃなくて、村へか?」
「はい。辞典に載っている植物を自分で確かめたいんです」
父は一瞬だけ目を丸くした。
兄が自分から外へ出たいと言ったのが、よほど意外だったらしい。
「もちろん構わないぞ。暗くなる前には戻れよ」
「はい。出かける前には必ず家の誰かに伝えます。森の奥や危険な場所には近づきません。午前の訓練も休みません」
「お、おう」
許可を出す側より、申請する側のほうが細かい。
「ターニャも一緒に行くか?」
父が私を見る。
「私は午後に魔術で試したいことがあります」
「ターニャ。遠慮しなくていいんだぞ?」
「してないですよ。兄さま一人でも問題ないでしょう」
脚へ魔力を流したときの、あの踏み込みを確かめたい。今度は転ばずに止まれるだろうか。
兄はもう辞典を抱え直し、門の方を見ていた。返事を待ちきれないらしい。
見つけた植物の話は帰ってから聞くとしよう。
「そうか。ルディ、女の子には優しくするんだぞ」
「植物を調べに行くんですが」
「せっかく村へ行くんだ。友達の一人くらい作ってこい」
「善処します」
兄がちらりとこちらを見た。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、兄さま」
「気をつけてな、ルディ!」
門をくぐる足に迷いはなかった。
---
~ルーデウス視点~
外へ出るようになって数日が経った。
午前中は父様にしごかれ、昼飯を食べたら植物辞典を持って村を歩く。
初日はすれ違う人の視線が気になった。二日目には挨拶ができた。三日目には向こうから俺の名前を呼ばれた。
どうやら俺は自分が思っていたより知られているらしい。
パウロとゼニスの息子。ロキシー先生の弟子。
村の中を一通り見た後は植物辞典と実物を見比べて歩いた。
畑にはアスラン麦。少し離れた場所には、薄紫色のバティルスの花。見覚えのない草を見つけるたびに立ち止まり、食用、薬用、毒物の区別を覚えていく。
この草が食べられるなら、いざというとき助かる。いや、家を追い出されるつもりはないけど。
辞典で食用の印を確かめてから、次の草を探した。
行動範囲は少しずつ広がり、その日は森の手前にある丘へ向かった。
丘の上には大きな木が一本立っている。あそこなら村の道も見渡せるし、木の種類も調べられる。
斜面へ差しかかったところで、子供の声が聞こえた。
「魔族は村から出てけよな!」
「村から出てけー!」
声のする方を見る。
道の脇にある休耕地で、三人の子供が泥を投げていた。
狙われているのは一人。頭を抱えて逃げるのではなく、胸に籠を抱え、背中を丸めている。
うっわ。いじめか?
いじめだな。
ああいう奴らは群れて一人を攻撃する。
一人の男として見逃せんな。
「なんか持ってるぞ!」
「「魔族の宝かも⁉」」
「あれにも当てようぜ!」
一人が少し大きな石を手に持ったのが見えた。
あれは不味い!
考えるより先に足が動いた。
走りながら、混合魔術で手の中へ泥を作る。射程に入ったところで腕を振り抜いた。
泥玉が一番大きな子供の顔へぶつかる。
「ぶわっ!」
「なんだお前!」
「関係ねぇ奴が入ってくんなよな!」
三人の目が一斉にこちらを向いた。
胃が縮む。足の裏が地面へ貼りついた。
人数を連れて戻ってきたらどうする。
殴られたら。囲まれたら。
うるさい。
今の俺には逃げる足も身を守る術もある。
「いじめはしちゃダメだって親に教わらなかったんですか?ましてや三人で一人を攻撃するなんて最低です!」
早口でまくし立てる。
「かっこつけてんじゃねーよ!」
「こいつ、騎士んところのやつだ!」
「魔族の味方をするのかよ!」
魔族かどうかなんて知らない。
顔も髪も泥で見えない。
ただ三人で一人へ泥を投げるのが気に入らなかった。
「魔族の味方じゃない。弱い者の味方だ!」
ドヤ顔で父様の受け売りを口にすると、少しだけ足の震えが収まった。
三人が泥を投げてくる。
父様に教わった動きで避けると、泥玉は俺をかすめ、次々と道へ落ちた。
当たらなければどうという事はない。
父様、午前中のしごきに今日だけは感謝します。
「おまえら当てろよ!」
「動いてんじゃねーよ!」
いや、投げられたら普通に避けるだろ。
俺も泥玉を投げ返した。
狙ったつもりはなかったが一発が最初の子供の目元をかすめる。
しばらくすると、向こうが先に飽きたらしい。
「チッ!あーあ、もう飽きた!」
「もう行こうぜ!」
「お前んちが魔族の味方だってみんなに言ってやるからな!」
三人は捨て台詞を残し、畑の向こうへ走っていった。
追いかける気にはならない。
殴り合いにならずに済んで、心底ほっとした。
「君、大丈夫かい?」
泥だらけの子供へ近づく。
うわーぉ……超絶美形じゃん……
「えっと、荷物は無事?」
「……た、だいじょうぶ」
小さな声だった。
籠の布をめくり、中身を確認している。どうやら昼食らしい。
「ちょっと洗うから、そこでしゃがんで目を閉じて」
「え……?え……?」
「すぐ終わるよ」
水と火を混ぜ、ぬるい湯を作る。
頭から少しずつ流すと、泥の下から尖った耳と、鮮やかな緑色の髪が現れた。
手が止まる。
緑の髪。
ロキシー先生の警告が頭をよぎった。
額を見る。
赤い宝石はない。
よし、よし。違う。
彼は危ないスペルド族なんかじゃない。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない。服は家で洗ったほうがよさそうだね」
温風で髪を乾かす。
泥を落としてみれば、同い年とは思えないくらい整った顔をしていた。
「あ、ありがとう……」
「君ね。ああいう時は少しでもやり返したほうがいい。抵抗しないとまた狙われるよ?」
「でもいつもはもっと大きい子もいるし……痛いのは嫌だよ…」
それでは下手に抵抗すれば余計に酷くなるのかもしれない。
俺が以前いた場所と、どこも変わらない。
「髪の色で、魔族だと思われてるの?」
こくりと頷いた。
「そっか……大変だね。髪色がスペルド族に似てるってだけなのに。」
「き、きみは、平気なの……?」
「先生がミグルド族っていう魔族だったからね。君はなんていう種族なの?」
彼もそんな種族なのかもしれない。
と、思って聞いたのだが、少年は首を振った。
「わかんない……」
ふーん?詳しく教えられてないのかな。
「……親の種族は?」
「お父さんは半分だけ長耳族で、半分は人族。お母さんは人族だけど獣族の血も少し入ってるって……」
半長耳族と、クォーターの獣人の子でこんな髪になるのか……?
「魔族じゃないってお父さんは言うけど……。でもお父さんもお母さんもこんな色じゃない……」
少年の目に涙が浮かぶ。
生まれついたものは本人にはどうしようもない。
「大丈夫、大丈夫。よしよし」
こういう時、どんな顔をすればいいか分からないの。
とりあえず頭を撫でる。
おぉ……サラサラだ……
「ところで、その籠どこへ持っていくの?」
「お父さんにお昼を……」
「じゃあ送るよ。またあいつらが戻ってくるかもしれない」
少年は戸惑いながら俺を見上げた。
「どうして、助けてくれたの?」
「父様に弱い者を守れと言われてるんだ」
言ってから、少し格好をつけすぎた気がした。
ターニャがいなくてよかった。あいつなら、たぶん何も言わずに目だけで笑う。
「でも君まで仲間外れにされるかも……」
「その時は君が俺と遊んでくれればいい。今日から友達ってことで」
彼は目を見開き、それから小さく頷いた。
「そういえば名前聞いてもいい?俺はルーデウス。ルディでいいよ」
「し、シル…フ―――」
声が小さくて後半が聞き取りにくかったが、シルフという名前らしい。
「いい名前だね。まるで風の精霊みたいだ」
そう言うと、シルフは顔を赤くして頷いた。
今度の人生で初めての友達。仲良くできたらいいな。
---
シルフの父親はロールズといった。
森の脇にある櫓で、弓を持って見張りをしている。お互いの父親同士も、見回りの仕事で顔見知りらしい。
「お父さん、お昼……」
「ありがとう、ルフィ。今日は何もされなかったか?」
シルフが俺を見る。
「助けてもらったんだ」
事情を聞いたロールズは俺へ何度も礼を言った。
「この子は先祖返りでね。見た目だけで怖がられることが多いんだ。よければ仲良くしてやってほしい」
「もちろんです。見かけだけで人を判断しないようにと常々意識していますから」
「ハハ……しっかりした子だなぁ、パウロが親としての自信を失いそうになるのも分かるよ」
ロールズは止めるでもなく、困った顔で二人を見ていた。
ロキシー先生も初めは両親に子供扱いされていた。俺だって人のことは言えないが、髪の色で相手を決めつける連中と一緒にはなりたくない。
シルフが俺の服の裾をつまむ。
まだ帰りたくないらしい。
「ロールズさん。丘の大樹のところで遊んでもいいですか? 暗くなる前には責任を持って送り届けます。
帰りに丘の方を見て、家に帰ってもいなければ、なんらかの事件に巻き込まれた可能性が高いので、捜索をお願いします。」
「あ、ああ。森には入らないようにな」
許可をもらい、二人で丘へ戻った。
「じゃあ、何をして遊ぼうか」
「分からない。友達と遊んだことないから……」
俺も似たようなものだ。子供同士で何をして遊べばいいのかなんて、前世を含めても分からない。
結局俺は魔術を見せることにした。
小さな水弾を宙へ浮かべ、形を変える。シルフは目を輝かせ、もっと見たいと言った。
その反応が嬉しくて、土で小さな人形を作り、水で踊らせた。
「ルディ、すごい!」
「このくらいならシルフにもできるようになると思うよ。多分……」
「ほんと?じゃあ手からあったかいお水が出るのと暖かい風が出るのがやりたい!」
「あれはちょっと難しいけど……俺が教えてあげるよ」
胸を張る。
ターニャには教える前に追いつかれたが、今度こそ兄弟子らしいところを見せられるかもしれない。
日が傾く前にシルフを家へ送り、俺も帰路についた。
---
家に着いたら門の前には父様が立っていた。
腕を組み、険しい顔をしている。
「ルディ。俺がなんで怒っているか、わかってるか?」
挨拶より先にそれだった。
「えっと……?」
本当にわからない。
も、もしかしてパン……い、いや絶対にバレないところに隠してあるはずだ。大丈夫。
「ソマル坊は目の脇を腫らしていた!お前は魔術まで使えるんだ。自分より弱い相手へ力を振るうなと昼に言ったばかりだろう」
「今日の話ですか?」
「そうだ」
はて、今日の話?ソマル……?あの三人組の内の誰かだろうか。
適当なことを言って、そいつの親が乗り込んできたのか?
ふざけやがって。
「少し話を聞いてもらえますか?」
「言い訳をしようとするな!」
「……分かりました。じゃあいいです」
カチンときた。
「なに?」
「だからもういいです」
「悪いことをしたら、まずはごめんなさいだろう!」
「ハハッ、良いですね大人という生き物は。子供が何か言う前に怒鳴りつけて謝らせる。手っ取り早くて羨ましいです。」
父様の顔が歪む。
一切話を聞こうとしないんだ。このくらい言わせてもらってもいいだろう。
「ルディ!」
手が上がった。
頬に衝撃が走り、身体が傾く。転ばずに済んだのは、訓練のおかげだろう。
玄関の奥で、足音が聞こえた。
見ると、ターニャが立っていた。
目が合う。助けを求めようかと一瞬考えたが、やめた。
ターニャが参戦したら、きっと父様はボコボコに言い負かされて泣かされる。
それは駄目だと思う。俺が分からせるほうが良い。
幸いにもターニャは口を挟まなかった。
ただ父様へ向けた目だけが、ひどく冷たかった。
「父様。僕は父様や母様に信用してもらえるように行動してきたつもりです。言いつけを破ったこともありません」
「それと今の話は別だ」
「別ではありません。僕は、父様に安心してもらえるように、信頼してもらえるようにこれまで頑張ってきたんです。
父様は、僕が何をしたのか尋ねる前に、知らない相手の言葉だけで僕を悪いと決めつけ、あまつさえ手まで上げたんです。」
父様の勢いが鈍る。
「ちょっと待ってくれ……何があった?」
「言い訳は聞かないのでは?」
「それはっ……」
「安心してください。次からは三人で一人を囲んで攻撃していても無視します。父様に教えられたことより、先に訴えた人の話を信じるのが、この家の決まりなんですよね。反吐が出ます」
しばらく睨み合った。
先に目を逸らしたのは父様だった。
「……………すまなかった。父さんが悪かった。最初から話してくれ」
頭を下げられると、握っていた拳をようやく開けた。
三人の子供が一人へ泥を投げていたこと。
籠の中の昼食まで狙おうとしたこと。
俺は泥玉を投げ、相手も投げ返してきたこと。
多少の言い合いはしたが殴ってはいないこと。
順番に説明する。
「そうだったのか……」
「泥玉を当てたことは否定しません。そのことを謝れというのであれば、謝りましょう。
でも、先に謝るのは僕ではなく、まずは三人をシルフへ謝らせてください」
「分かった。向こうの親とは父さんが話す」
父様はもう一度、俺の頬を見た。
「痛かったか?」
「痛かったですよ。痛くないと言ったら、もう一度叩きますか?」
「叩かない。もう二度と話も聞かずに手を上げないと誓う」
「でしたら、そのうち出来る僕の弟か妹を叱る時の教訓にしてください」
「そうさせてもらうよ……」
まだ腹は立っていた。頬をさすりながら、門の外を見た。シルフは今日のことを、親にどう話すのだろう。
「父様」
「なんだ?」
「今度、シルフを家へ連れてきてもいいですか?」
父様は驚いた後、少しだけ笑った。
「ん、もちろんだ。……しかし、シルフ? ロールズの所のこの名は確か………」
---
~ターニャ視点~
夕食の席で、兄の頬には薄く赤みが残っていた。
父は気まずそうに何度も兄を見ている。母は事情を聞いたらしく、笑顔のまま父の脇腹をつねっていた。
自業自得である。
「それで、その子とは友達になったの?」
母が尋ねる。
「はい!シルフといいます。今度、家へ呼んでもいいって父様が」
「まあ!ルディにお友達ができたのね」
母が嬉しそうに手を合わせる。
リーリャさんも給仕の手を止め、兄へ小さく頭を下げた。
「おめでとうございます、ルーデウス様」
「そこまでのことですか?」
「そこまでのことよ。ねえ、ターニャ?」
話を振られた。私まで祝辞を述べるのか?
「まぁ、そうですね」
兄を見る。
「今度また紹介してください、兄さま」
「もちろんさ」
兄は少し照れたように笑い、シルフと見に行った丘の話を始めた。
食卓を片づける時間になっても、まだ大樹まで辿り着かない。