~ルーデウス視点~
俺とターニャは六歳になった。
午前は父様との剣術訓練。
午後になると、俺は丘へ向かう。ターニャは家や庭に残り、魔術やら身体強化やらの実験を続けていた。
剣術の方は相変わらず上達している気がしない。
俺が考えているのは風で踏み込みを速くできないか、足元を泥へ変えれば父様の動きを止められないか、そんなことばかりだ。
父様にはまず剣を振れと言われる。
いや、振ってますよ。振った上で、剣だけじゃ勝てないと思ってるんですが。
一方で魔術の方には新しい生徒ができた。
シルフが丘の大樹まで走ってくる。
「ごめん。待った?」
「今来たところだよ」
と、まるでカップルのようなやり取りから始まる。
知り合った頃より表情が明るくなった。例の三人組は何度か仕返しに来たが、そのたびに追い返しているうち、こちらへ近づかなくなった。
最初のうちは人数を増やしてきたこともある。
俺は泥や水で怪我をさせないように追い返した。そのたびにソマルの母親が家へ乗り込み、父様が応対したらしい。
実は父様に会いに来てるだけだったりして。
父様は今度こそ、俺たち双方から事情を聞いた。
そしてソマルたちへもシルフへ謝るよう話をした。
道で会っても互いに無視する。シルフも俺の隣を歩くようになって、あいつらを見ても籠を抱え直さなくなった。
父様から家へ連れてきてよいとは言われている。
何度か誘ったがシルフは決まって首を横へ振った。
「丘の方が落ち着くから」
本人がそう言うなら、無理に連れていくこともない。
おかげでターニャとはまだ顔を合わせていなかった。
俺が午後の支度をしていると、ターニャが蝋板を覗き込むことがある。
「今日もそのシルフという方へ魔術を?」
「うん。昨日は風の初級までできたから、今日は土を試そうと思ってる」
「ずいぶん熱心ですね」
「本人が覚えたがってるからね、ターニャにもいずれ紹介するよ」
「本人が来たがらないのでは?」
「まあ、そうなんだけど。無理に連れてくるつもりはないよ」
「それがいいですね。来る気になったら挨拶しますよ」
会うこと自体は嫌ではないらしい。
ぜひともターニャもシルフと仲良くなってほしいところだ。
俺たちは丘で遊び、魔術を練習した。
最初の頃は教本に載っている初級魔術を詠唱で教えた。読めない文字は、家で蝋板へ書き写して持ってきた。
初めの頃、シルフは五、六回も魔術を使えば息を切らしていた。
それが今では午後いっぱい練習しても倒れない。
魔力は限界まで使うほど、総量が増えるようだ。
ターニャも似たようなことを考えていたはずだ。やはり俺たちの予想は間違ってないのかもしれない。
シルフは水と風の魔術を覚えるのが早かった。
反対に、火は苦手だった。
土の初級魔術も時間をかければ問題なく使えた。
俺が刻んだ文字を指で追い、詠唱を一つずつ読んでいく。
「ここはなんて読むの?」
「『なだれ』だよ。前にも書いたけど形が少し違うんだ」
「どういう意味?」
「そうだなぁ……山とか急な斜面にたくさん雪が積もったら、すごく重たくなって崩れ落ちてくるんだ。それを雪崩って言うのさ」
「ふーん……ルディは見たことあるの?」
「ないよ。村から出たことないからね」
魔術を教えることは読み書きを教えることでもあった。
シルフは細い棒で間違えた文字を削っては書き直す。覚える速さは俺ほどではないが、投げ出さない。
同じ説明を三回繰り返しても伝わらず、俺は板の空いたところへ絵を描いた。これで伝わるだろうか。
ロキシー先生は俺が分からないと言うたびにやり直してくれたんだよな。
「シルフは火が怖いの?」
「怖くないよ」
シルフはそう言って、右手のひらを見せた。
小さな手に火傷の痕が残っている。三歳の頃、暖炉で熱くなった鉄串を握ってしまったらしい。
「でももう平気。今は怖くないよ」
「そっか。無理はしなくていいからね」
本当に平気なのか、聞き直すのも変な気がした。今日は水の方を練習しよう。
「できた!」
パキパキという音と、シルフの喜ぶ声が聞こえた。
水属性の中級魔術『アイスピラー』に成功していた。
「お見事! かなり上達してきたな」
「うん! でもこの前ルディが使ってたの、この本には書いてないね」
シルフが本をめくりながら首をかしげている。
俺は手の上に出した水を少しずつ温めた。
「見て。こうすれば、お湯は作れる。こっちは温かい風」
「それ、教えて」
「ここに書いてる『ウォーターフォール』と『ヒートハンド』っていう二つの魔術を同時に使うから、少し難しいよ」
「どうやって同時に詠唱するの?」
しまった。
俺は無詠唱だから二属性を同時に使えるんだった。
「えっと……こうやって……」
シルフの視線が俺の手へ釘づけになっている。
「それ、ボクもやりたい」
「うーん……」
無詠唱を人へ教えたことはない。
ターニャは俺が教えるまでもなく勝手に身につけていた。あいつなら、どう教えるんだろう。
俺の場合はもっと感覚的だ。
父様のことはバカにできなくなってしまった。
一年前から詠唱を繰り返している分、今さら手順を変えるのは難しいかもしれない。
でも俺たちだって六歳だ。そんなに頑固な癖じゃない、はず。
「詠唱している時、身体の中から魔力が手へ集まる感じがするだろ?」
「うん」
「それを言葉にしないでやる。魔力が集まったら、使いたい魔術の形を思い浮かべて、手から出すんだ」
「……やってみる」
シルフは目を閉じた。
小さく唸り、手を握ったり開いたりする。
伝わっただろうか。
シルフはくねくねと身体を揺らしながら唸ってる。
「できた!」
シルフの手の上に、小さな水弾が浮かんだ。
「できたよ、ルディ!」
一度だけではない。
形を崩し、もう一度作る。今度は先ほどより早い。
「すごい!できてるよ、シルフ!」
「うん!」
シルフが跳ねるように喜んだ。
俺も嬉しくなり、次は風、その次は水の形を変える方法と、時間を忘れて教え続けた。
シルフがもう一度見せてと言えば、いくらでも見せたくなった。次はもう少し難しい形にしてみよう。
そうやって手を動かしているうちに、空まで暗くなっていた。
頬へ冷たいものが当たる。
「あれ?」
見上げると、黒い雲が空を覆っていた。
一滴、二滴と落ちた直後、雨が一気に強くなる。
「うわっ!」
「すごい降ってきちゃったね……魔術でやませられないの?」
「うーん、できるけど……雨は天からの恵みだからね。どうしてもって時以外は天候の操作はしないように師匠に教わったんだ」
「ふーん……?」
大樹の下へ入っても横から吹き込む雨は防げない。
シルフの家より、俺の家の方が近い。
「うちへ行こう! 走って!」
「う、うん!」
二人で丘を駆け下りた。
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玄関へ着いた時には下着まで水が染みていた。
「ただいまー!」
「お、お邪魔します……」
扉を開けると、リーリャさんが大きな布を抱えて待っていた。
「おかえりなさいませ、ルーデウス様。そして、お友達の方……ですね?」
「はい! この子がシルフです!」
廊下の奥からターニャが顔を出した。
「おかえりなさい兄さま、この子がお友達ですか?」
俺たちを見て、足を止める。
シルフの緑色の髪へ視線が向き、次に額を確かめるように少しだけ目が動いた。
「うん。シルフ、妹のターニャだ」
「は、初めまして……」
「初めまして。ターニャ・グレイラットです」
シルフは緊張したように俺の後ろへ半歩隠れた。
ターニャは少し考えてから、シルフへ向き直った。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。兄さまから話は聞いています」
「俺、何か変なこと言ってた?」
「友達ができた、としか聞いていませんよ」
それならそういう目で見るのはやめてほしい。
「ターニャは魔術が上手なんだ」
兄らしいところを見せるつもりが、なぜか妹の紹介になった。
「兄さまほどではありませんよ」
「そうなの?」
「得意なことが違うんだ。俺は大きな魔術で、ターニャは細かい調整が得意」
シルフは俺の後ろから顔を出し、ターニャの手元を見た。
「今度、見せてほしいな……」
「機会があれば」
よし、断られなかった。あいつの「機会があれば」は、少なくとも駄目ではない。たぶん。
「お二人とも濡れたままでは風邪を引いてしまいます。まず身体を拭いてください。二階にお湯を用意しております」
リーリャさんから布を受け取る。
頭と足を簡単に拭き、シルフと一緒に二階へ上がった。
部屋には大きな桶と湯が用意されていた。
濡れた服を脱いで身体を拭く。俺が先に上着を脱いでも、シルフは布を抱えたまま動かない。
「どうしたの? 脱がないと風邪を引くよ」
「えっと……」
顔が赤い。
人前で着替えるのが恥ずかしいのだろうか。
「後ろを向いてようか?」
「う、うん」
背を向けて待つ。
だが衣擦れの音はしない。
振り返ると、シルフはまだ同じ格好をしていた。唇が少し震えている。
「もしかして、一人で脱げないの?」
「ち、違うよ?」
「手伝うから、腕を上げて」
濡れたままでは本当に身体を冷やしてしまう。
「うぅ……」
シルフがためらいながら腕を上げたので、上着を引き抜いた。
「あとは自分でできる?」
「で、できる……できるから、あっち向いててよぉ……」
そう言われて手を離した。
けれど、俺だけ裸に近い格好で待たされているのも、少しだけ面白くない。
何よりシルフはまだ濡れた服を脱ごうとしなかった。
「早くしないと風邪を引くって」
「自分でやるから!」
こんなに強く拒まれたのは初めてだった。
「分かったよ」
一度は離れる。
それでも布を握ったまま動かないシルフを見ているうち、ほんの少し悪戯をしてやろうという気になった。
「隙あり!」
背後から手を伸ばし、濡れた下衣を一気に引き下ろす。
「いやあっ!」
悲鳴が響いた。
「…………えぇ?」
シルフは床へしゃがみ込み、両手で身体を隠した。
俺は動けなかった。
男の子だと思っていた。
一年間、疑ったことさえなかった。
でも、違う。
……シルフは女の子だった。
「ルーデウス。何をやっているんだ……」
頭上から父様の声がした。
顔を上げる。
開いた扉の前で、父様が固まっていた。その背後ではターニャも目を見開いて固まっていた。
頭が真っ白になる。
俺の手から、濡れた服が落ちた。
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~ターニャ視点~
父の背後から部屋を覗くと、兄の友人が床へうずくまって泣いていた。そのそばでは、兄が顔面を蒼白にして立ち尽くしている。
何が起きたかはおおよそ察した。
初めて家へ招いた友人に何をしているのだ、あの馬鹿は。
こちらを見た兄を、軽蔑の目で睨みつける。兄の肩が跳ねた。
父は扉を閉め、廊下にいる私へ向き直った。
「ターニャ。ゼニスとリーリャを呼んできてくれ」
「分かりました」
母がまだ帰っていなかったのでリーリャさんに事情を伝えた。
「ルーデウス様が?」
リーリャさんの眉がわずかに動いた。
彼女は替えの布と私の服を持って二階へ向かった。
私は階段の下で待つ。
しばらくして父が兄を連れて下りてきた。
兄は肩を落とし、濡れた髪を額へ貼りつかせている。
「座れ、ルディ」
「はい……」
父は兄の隣に座って髪を拭き始めた。
一度、大きく息を吸う。
「どうして、あんなことをした?」
怒鳴らなかった。穏やかな声だ。
前回とは違い、父は兄が話し始めるまで待っていた。
二階へ耳を澄ます。彼女の声は、ここまでは聞こえない。
「濡れたままだと風邪を引くと思って……服を脱がせようとしました」
「嫌がっていたんだろう?」
「はい」
「ならそこで手を止めるべきだったな」
「……はい。ごめんなさい」
兄は一度も顔を上げなかった。
「父さんに謝るんじゃない。謝る相手は分かるな?」
「……はい」
父は布を折り返し、兄の額に貼りついた髪を拭った。
「それと相手が男でも女でも同じだ。嫌がることを無理にするな」
「はい……ごめんなさい」
「心配だった、という理由は分かる。だが心配していれば何をしてもいいわけじゃない」
兄の肩がさらに落ちた。
「分かったなら顔を上げろ。謝る時に自分ばかり可哀想な顔をするな」
兄が顔を上げた。返事はないが、父から目を逸らすこともなかった。
やがて二階からリーリャさんが下りてきた。
「お着替えが済みました」
その後ろから、私の服を着た少女が姿を見せる。
袖も裾も少し短い。頬には泣いた跡が残っていた。
兄からは男児だと聞いていた。
確かに短い髪と普段の服装だけなら間違える余地はある。
一年近く、ほとんど毎日のように顔を合わせて気づかないのは別問題だが。
兄は素早く立ち上がって少女の前で頭を下げた。
「ごめん。髪も短かったしずっと男の子だと思い込んでた!嫌がっているのに無理に脱がせて本当にごめんなさい!」
少女はリーリャさんの後ろへ半分隠れた。
「……ボクも、ちゃんと言わなかったから」
「でも悪いのは僕です。ごめんなさい……」
「ルディのばか」
「うん」
「ずっと男の子だと思ってたの?」
「……はい」
「ずっと一緒にいたのに?」
「申し開きもございません」
兄の言葉遣いがおかしくなっている。
シルフィも同じことを思ったのか、涙の跡が残る顔で、ほんの少しだけ笑った。
しばらく黙っていた少女が服の裾を握り直した。
「シルフィエット」
「え?」
「ボクの名前。お父さんとお母さんはルフィって呼ぶけど……シルフィって呼んで」
兄が聞き慣れない名を繰り返すように、口を動かした。
「シルフィ……」
「うん」
少女――シルフィが今度は私を見た。
「さっきはちゃんと挨拶できなくて、ごめんなさい」
「気にしなくて大丈夫ですよ」
椅子から立って彼女の前へ行く。
「改めまして、ターニャ・グレイラットです」
「シルフィエットです。シルフィでいいよ」
「分かりました。私のこともターニャと呼んでください、シルフィ」
シルフィは少しだけ笑った。
雨が弱まるまで家で待ち、父が彼女をロールズさんの家まで送ることになった。
玄関で見送った後、兄はその場から動かなかった。
「……兄さま」
「……何?」
「嫌がっていたんでしょう。だったら、そこで手を止めるべきでしたね」
「はい……」
兄はまだ顔を上げなかった。父にも言われていたからこれ以上は言わなくて良いだろう。
濡れた床には二人分の足跡が残っていた。
私は拭くものを取りに台所へ向かう。
「兄さまも手伝ってください」
「うん」
兄は今度はすぐに後ろからついてきた。