「どこ、ここ」
目が覚めたら見知らぬ場所にいた。そんな状況に置かれたら、どう思う?
例えば唖然としたり、逆に興味津々で探索をしたりするかもしれない。
俺の場合は……。
「とりあえず二度寝するかぁ」
そう、二度寝することにした。もしかしたら夢かもしれないしね。
しかしながら、1度目が覚めてしまえば意識がどんどんくっきりしてきて、寝たくても寝られない状況になっていく。
掛け布団も妙に薄くて肌触りも最悪。敷き布団も固い。
でも、慣れ親しんだ感覚がある。もう何年も使って自分の匂いが染み付いたお気に入りの毛布のうに。
……。
…………。
………………。
「無理!!」
二度寝はできませんでした。初夏の晴れた日の朝、青々とした若葉と澄んだ空気に包まれているのと同じくらい、意識が透き通っている。
掛け布団をはぐり、ベッドに腰かける。スリッパがあったのでそれを履く。底が薄いのか、足の裏がひんやりする。
「俺……俺は……ルクス・クレイブ」
無意識に口から出たのは俺の名前。
「違う……!」
確かにその名前は俺のもののはずなのに、強烈な違和感がある。別の名前があったような気がするが、ぽっかりと穴が空いたように思い出すことができない。
その場に立ち上がり、自分自身の体を入念にチェックする。
袖をまくって腕を観察する。こんなに逞しかったっけ?
シャツの裾をめくる。おかしい。俺はデブではなかったが、ここまで筋肉質ではなかった。もう少し余裕があった。
足も目に見えて筋肉がついている。触らなくてもわかるほどだ。
……我がムスコは……普通か。
とりあえず、体に異常はない。いや、ない訳じゃないけど、怪我とか病気はなさそうだ。
「で、ここは、どこの部屋だ?」
俺が今いる場所は個室だ。窓のくすんだガラスから陽光らしきものが差し込んで、室内を明るく照らしている。
ついさきほどまで俺が寝ていたベッドの他に家具は机と棚くらいしかない。
机の上には何も置かれていなくて、棚には几帳面畳まれた服が入れてある。
「昨日、俺が畳んだやつか。……いや違う」
昨日の俺は病院を退院し、帰宅したはずだ。
母の車で送迎してもらい帰宅。その後、飯食って、風呂入って、歯を磨いて寝たはずだ。そう記憶している。
「……母は……俺を産んですぐに……死んだ?」
送迎してくれた母とは別人の、父から聞かされた母の記憶がふと思い浮かんだ。
「父親? そうだ、俺はシングルマザーで育てられたのに……どうなっている?」
頭がこんがらがってくる。
俺の記憶には『父が亡くなり、シングルマザーの母に育てられた記憶』と『母が俺を産んですぐに亡くなり、シングルファザーの父に育てられた記憶』の2種類がある。
「意味がわからない」
不可思議な状況にいつまでも気を揉んでいる訳にもいかない。まずは現状の把握が必要だ。
「あぁ、喉が乾いたな」
こういうときも、家の裏手にある井戸で水を汲み飲むことができる──俺の頭に、ごく自然にどうしたらいいかが浮かんでくる。
何百、いや何千と繰り返してきたような、いや実際繰り返してきたという記憶はあるが……。
ひとまず、俺は棚から服を取り出して着替えると、個室から出ようとドアの前に立つ。
ドアには小さな鏡が掛かっている。毎日ここで身だしなみを整えていたと記憶が教えてくれる。
じゃあ今日もそうしようかと鏡を覗きこんで、俺は驚いた。驚きすぎて固まってしまっていた。
なぜなら、俺の顔がまったくの赤の他人になっていたからだ。
顔の構造まるごと違う。明らかに俺の記憶にある水で薄めたような無個性顔とは違う、俺基準でいえば明らかにカッコいいに分類される顔になっているではないか。
「……ば」
目元はキリッとしてるし、鼻も高めだ。頬に余計なお肉も付いていない。
そりゃあ世のイケメンたちと比べたら見劣りするだろうけど、昨日までの自分自身と比較すればイケメンなのは確かだ。
「ばんなそかなぁー!!」
再起動した俺は鏡の前でそう叫んだ。
どうやら俺は別の人間に転生してしまったようだった。
個室を出てすぐにリビングがあった。
そこに置かれた四人がけのテーブルに座りながら、俺は干し肉を噛み千切り、よく咀嚼してから飲み込む。その勢いのままコップの水も飲み干した。
「さっきはどうしたんだ? いきなり大声をあげて。何かあったのか」
テーブルの向かい側に座る父が尋ねてくる。
「え、いや……、さ、その、変な虫がドアノブのところにいて、それが手に飛び乗ってきたから驚いただけだよ」
「そうか。平気で虫を鷲掴みにするお前でも驚くことがあるんだな」
「掴むと決めているときと、突発的に飛び乗ってくるのとじゃ、心持ちが違うんだ」
父──ファクス・クレイブは「そうか」とだけ返事をしてからからと笑う。
何笑ってんだクソ親父。
「何笑ってんだクソ親父」
あ、やべ。本音が漏れちゃった。
「ひどい言いぐさだな。お前にもまだ可愛いところがあったと思っただけだ」
からかうように言った父は、パサパサのパンをかじる。
「ちゃんと食わないと治らないぞ」
「わかってる」
父はちぎったパンを口へと運ぶ。なんとか咀嚼してゆっくりと飲み込む。
最近の父は、ますます食欲が落ちてきているらしい。
おそらくこの体の元の持ち主のものであろう記憶によれば、ファクスは病気なのだという。
発見された時点ですでに末期だったらしく、時間が経つにつれて病状は悪化し、食欲は反比例するように減ってきている。
今は症状が強くでたときに飲む痛み止めを服用しながら、その時が訪れるのを待っている状態だ。
「……ングッ!! ゴホッゲホッ……!?」
父が突然むせた。口元を押さえる指の間から血がぽたりぽたりと漏れて滴り落ちる。
「……! 大丈夫か!?」
「……あ、あぁ、大丈夫だ。……悪いが痛み止めをくれ」
俺は急いで竈の横にある棚から痛み止めの薬を取る。蓋を開け、よく見慣れた錠剤というよりは飴玉のような丸い形をしている薬を父へと渡す。
口へと含んだ父は水で押し込むように飲み込んだ。
背中をさすりながら、
「落ち着いた?」
と尋ねる。
「……もう大丈夫だ。……悪いが、少し横になる」
「わかった。片付けとく」
「すまないな」
父はよろよろと立ち上がると、自室へと戻っていった。その背中は前よりも小さくなっているように見えた。
「痛み止めの効きが悪くなってきてる」
記憶を探る。
以前は1粒飲めば数日は効いていたようだし、それに起きていられる時間もどんどん短くなってきている。
1日起きていられたのが、半日に、そして朝昼晩の食事のときだけになってきている。
もし、俺の前世──ひとまず前世で統一しておこう──が医者ならば、前世の知識を使って診察し治すこともできたかもしれない。
残念ながら、それができる知識はない。
「…………」
俺は台ふきで、テーブルに落ちた血を拭いた。
なんとなく家の中にいるのが気まずくて、俺は外に出た。
すると、家の前にある道路をちょうど幌馬車がガタガタと音を立てながら通っていく。御者は人間ではなく、オークが務めている。おそらく商人だろう。
この道を、道なりに進めば東部最大の都市スターティグがある。目的地としてはそこが最有力だ。
俺は幌馬車を見送り、家のそばにあった椅子に座って空を眺める。
そこには空高くに白くぼんやりと浮かび上がる2つの月がある。
不思議、というよりあり得ない光景なのにどこか見慣れてしまっている自分がいる。
「どうなってんだ俺は」
どうやら今の俺は転生し、記憶が2つあるらしい。前世の記憶と、この異世界で過ごしてきた昨日までの記憶。
転生だと完全に断定できた訳ではない、が、これは漫画やアニメ、ラノベでよく見た転生だと考えるのがしっくり来た。だから、たぶんだけど転生したのだ。
いったいどっちが俺の本来の記憶なのか。俺にはさっぱりわからない。わかるときは来るのだろうか。
「今のこの人格は誰なんだ? 俺はいったい……」
前世の記憶の持ち主? あるいはこの体の元の持ち主? もしかしたら混ざっている可能性もなきにしもあらず。
「あぁー……訳がわからないよ」
そもそも、なぜ俺は転生したのだろうか。誰か首謀者がいるのだろうか?
理由は?
父親の世話をさせるためだろうか? いや、それならわざわざ転生させる意味はない。ならば別の目的があるのだろうか?
何か使命がある? 現時点じゃそんなのわからないし……もし誰かに呼び出されていたら、そのうち訪ねてくるかもしれない。
「そういえば、なんかアイテム的なのあったっけ?」
転生といえばチートスキルなりチートアイテムなりあるかもしれないと期待するのは、俺がそれなりに転生ものに触れてきた故の思考かもしれない。
ということで、とりあえず身ぐるみまさぐってみるも、やはり何もない。
あ、椅子の下にお金落ちてるじゃん。……銅貨か、まぁ前世でいう100円玉みたいなものだ。お菓子1個分、いや消費税入れたら足りないな。そもそもこの国に消費税はなかったわ。
「なんもねぇ」
拾ってポケットにしまった銅貨以外何もなかった。
「そうだ、どうせならいろいろ試してみるか」
そう思い立った俺は、一通り試してみることにした。漫画、アニメ、ラノベ……今まで触れたあらゆる作品の知識を記憶から絞り出す。
椅子から立ち上がり、それっぽいポーズをして、まずはこれだ。
「ステータス、オープン!」
……シーン。不発。
「スキルポイント!」
反応なし。
「レベル! ならステータスカード! ブック! 経験値ィ!」
何も起こらない。そのまま、数分ポーズを決めたまま思い付く限り試してみたが、どれも不発だった。
俺は椅子にドカッと座り、ため息をつく。
「やっぱ、ダメか」
この異世界の記憶を頼りにすれば、ステータスもレベルもスキルポイントも経験値も存在しないのはわかっていた。まぁ、ダメでもともとってやつだ。
「魔法……は無理か。無能者だもんな、俺」
俺は魔法も使えない。
今のところ、イイトコまったくなし。
「まぁ、わからないことがわかった、ということで棚上げしておくしかないな」
さて、今日は仕事もないし、何しようかな。裏の庭の家庭菜園の手入れでもするか。
「ふあぁ~、なんか眠くなってきた……な」
暖かな日差しを浴びているうちにだんだんと眠気が襲ってきて、大きなあくびが出た。
ゆっくりと瞼が重くなってきて、開けようとふんばるものの、やがて耐えきれなくなって完全に閉じてしまった。
◇◇◇
「……い」
声が聞こえる。
「ル……、お……い」
まただ。誰かが俺を呼んでいる。
「んう…………zzz」
重さを感じていた瞼が羽のように軽い。
ガタン! 尻の真下から突き上げるような衝撃を喰らってぼやけていた意識が明瞭になった。
「うおッ! なんだッ!?」
「道端の石ころに乗り上げちまったみたいだな」
声がしたので、その方向へ顔を向けるとズドがいた。
「よ、起きたか。可愛い顔してぐっすり寝てたなぁ?」
そうだった。街へ行く途中でばったり会って乗せてもらったんだった。荷台には俺の顔よりも太い木材が何本も積まれている。
「寝起きに見る顔がオークなんて……」
「お、やる気か? 俺のパンチは岩をも砕くぜ?」
「……参った。俺の負けだ」
オークのパンチは岩を砕くほどの威力のがある。喰らえば俺の骨など一瞬で折れてしまうだろう。
ズドは勝ち誇るように高笑いをあげる。
このオーク族の男はズド・ウッドロックという。
彼は俺のボロ家からさらに東に進んだ山脈の麓、国境近くに村を構えるオーク族の一人だ。家族構成は、奥さんと娘さんの三人で暮らしている。
彼、というよりその村のオークたちは、多くが林業で生計を立てている。今は木材の配達のため街へと向かっている途中だ。
いわゆる創作の中に登場するオークは野蛮で凶暴、汚ならしく、女を捕らえて犯す邪悪のように描かれている。
しかし、それはこの世界のオークたちとは全然違う。ちゃんと服も着てる。もちろん上下。
ズドを含めて、みんなとても紳士的で薄い本のような展開にはならない。少なくとも男性のオークは。……女性オークのほうは性的に凄まじく苛烈だと聞いている。
「それにしても、この馬車の揺れの中でも寝ちまうなんて疲れてんのか? なんかうなされてたけど」
「そういう訳じゃないよ。夢を見ていたんだ。父がまだ生きていた頃のな」
「そうか」
ズドの表情に影が落ちる。
俺の父はあれから──そう、ちょうど夢で見ていた転生した最初の日から──約3ヶ月後、夏の暑さが本格的になり始める頃に亡くなった。
病気の進行により、食欲はますます落ち、ついには水を飲むことすら難しくなった。痛み止めも効きにくくなった。体は痩せて、ますます小さくなっていき、最後は眠るように息をするのを止めた。
俺は結局何もしてやれなかったし、前世の知識もまったくと言っていいほど役に立たなかった。唯一してやれたのは、その最後の瞬間を看取ることができたくらいだ。
「なんでお前がそんな悲しそうな顔をするんだよ」
「俺、ルクスの親父さんにはたっくさん世話になったからよ」
ズドの声に震えが混じる。彼は涙もろいんだ。
彼いわく、俺の父は大工や建築業者、家具職人といった木材を必要とする職業の知り合いを紹介していたらしい。
「泣くなよ。馬車の操作間違えるぞ」
「お前はけろっとしてるよな」
「俺にとってはいきなり背負い投げしてくるヤバい親父だったから」
護身術の訓練と称していきなり背負い投げとか足払いとかしてくるのだ、父は。
「そのおかげでここまで逞しく育ったんだろ」
「それは間違いない」
涙を拭ったズドは馬車を進めていく。
転生したあの日からもう1年になろうとしている。
父が亡くなり、特に誰も俺を訪ねてくることもなく、その後も何1つ特別な出来事が起こることもなく、平和でちょっぴり騒がしい日常を過ごしてきた。
もしかしたら、俺はこうしてスローライフを送るために転生したのかもしれない。最近はそう思うようになってきた。
どこの誰だか知らないが、こうしてなんやかんや楽しく過ごせているのは感謝しかない。
やがて馬車はなだらかな丘を上り始める。
「馬車、増えてきたな」
カタカタと音がして俺が振り向くと、いつの間にか後ろにも馬車が数台走っている。
「ああ、街が近くなってきたんだな。お、見えてきたぞ。スターティグだ」
ズドの言葉で正面を見据えると、丘を越えた先に東部最大の都市スターティグがその雄大で堂々たる街並みの姿を表したのだった。