棟梁と別れた俺は、スターティグのメインストリートを南側に下っていく。数えるのをやめるくらいには通った勝手知ったる道なりだ。
メインストリートを北上すると商店や行政機関があって、反対に南側には飲食店が多く立ち並ぶ。
さらに南下すれば怪しくも妖艶な歓楽街もある。行かないけど……行かないけどね。
さて、各々の店から提供されている料理は様々だ。いろんな国の伝統料理から地場料理、メジャーなものからマニアックなものまで。
数多の商人が利用し、人・モノ・カネなどが毎日たくさん動くこの街だからこそ、ここまで多種多様な店が増えたのだろう。
その分、同業他社との競争も激しそうだ。
以前あそこの角にあった揚げ菓子屋がなくなって、代わりに氷菓を扱う店に変わっていた。悲しくはない。ここではよくあることだ。
「食おう食おうと思っているうちに潰れちゃったか」
飲食店あるある、だと俺は思っている。
人混みに混じって道なりに進んでいると、俺のいきつけの飯屋が見えてきた。
ピカピカの新店舗という訳ではないが、思わず入店を躊躇してしまうようなボロ屋でもない。よく手入れが行き届いているいい店構えだ。
定期的に修繕なり補修してるのは棟梁と俺なんですがね。えへ。
店先の立て看板を拭いているウェイトレスの姿もある。彼女は俺の知り合いだ。そして幼馴染みでもある。
どうやら彼女は機嫌がいいようで、鼻唄を歌いながら立て看板にメニューの売り切れを書き込んでいる。
名前はララカ・バーンハート。
彼女とは幼い頃に父親に連れてこられた以来の知り合いだ。幼馴染みというには付き合いが長い気がする。腐れ縁とも呼べる関係かもしれない。
今日のララカは髪をポニーテールにしている。グレーに青を混ぜたような薄鈍色がふわりふわりと揺れている。
ポニーテールに顔をうずめてみたいと思った変態紳士諸君が俺の他にもきっといるはずだ。
しゃがんで書き込んでいたララカは、
「よし、綺麗になった」
と小さくつぶやいて立ち上がり、手に付いたチョークを払っている。
満足げな表情で綺麗に書き終えた看板を眺めているララカの後ろ姿はどこか誇らしそうだ。一仕事終えた感がひしひしと伝わってくる。
このまま観察しているのも暇潰しになりそうだが、あいにく俺は腹が減っていてね。声をかけるとしよう。
……あ、でも俺に気付いてないみたいだし、俺の数少ない特技である声真似でちょっと驚かせてみるかヒヒヒ。
ララカはリアクションが大変に素晴らしく、からかいがいがある。
俺は息を吸い、喉に意識を集中させてこれから発する声のイメージを脳内で作り上げる。
今回は彼女がウェイトレスをする店の店主メテルさんの真似しよう。
「んんっ、あー、あー……」
母のいない俺にとっては母親代わりともいえるし、彼女にとってもだ。長い付き合いだから、それなりに声質もわかる。
『ララカっ! いつまでやってるの! 早く手伝いなさい!』
「ッ!? あッ、は、はい!! 今行きますッ!!」
背後から聞こえた声にララカは背筋をぴしゃりと伸ばし、一瞬の静寂の後、キョロキョロと辺りを見渡している。
イッヒッヒ、いやぁ相変わらずいいリアクションをするねぇ。これだからやめらんねぇぜ!
「……ってルクスじゃないの! ねぇ、メテルさん見なかった?」
「え? いやぁ、見てないなぁ」
俺は首を振りながら答える。嘘はついてない。
「…………あれぇ? 確かに聞こえた気がしたんだけど……ねぇルクス──」
そうして店主であるメテルを探してキョロキョロと視線をさ迷わせていたララカに呼び掛けられ、俺は咄嗟に視線をそらした。
……そういえば隠し事があるときは目をそらす癖があるとララカに言われたことがあったなぁ──なんていつかも覚えていない昔の雑談をぼんやりと、しかし突発的に思い出した。
その記憶は、きっと俺の本能が無意識に警告を伝えてくれようとしたに違いない。
俺は慌てて視線を戻す。しかし、遅かったようだ。
ララカは何もかも合点がいったと言わんばかりににっこりと笑みを浮かべている。
「お、とてもいい笑顔だなララカ。よっ、さすがは看板娘!」
……あ、今、額に青筋がビキビキって浮かんだような、いや俺は何も見なかった、うん。
「…………うふふ、ねぇル・ク・ス」
ララカは俺の両肩をそれはもうがっしりと掴むと重圧を感じさせる笑みのまま、
「ちょっと店内で“お話”しよっか。ね?」
と言うのだ。
ララカの肩を掴む力がめちゃくちゃ強い。無理に逃げたら肩がもげてしまいそうだ。
ふっ、雉も鳴かずば撃たれまいとはこのことか。
う~ん……どうやって謝ろうかな。
「あっ、はい。すいませんでしたっ!」
「うふふ。はーい、一名様、ごあんな~い!」
俺はララカに腕を引かれて食事処兼酒場『ベルオブドア』へ入店することになった。
店内はカウンターとテーブル席があって、カウンター席の場合はすぐ目の前が厨房になっている。調理の様子を見ながら待てるんだ。
料理してる女の人ってなんか魅力的に見えると俺は思う。
カウンターは直接手渡してもらえるし、テーブル席だとララカを含めた給仕係が配膳をしてくれる。これはこれでいいよね。ウェイトレス最高。
出入口からもっとも遠い奥のテーブル席に通されていた。
もっとも逃げにくい席に通すとは、ララカもやりおる。
昼間は食事処として、夜は酒場として営業している。昼と夜の営業の合間に一度店を閉めて材料の仕込みをするというのだからなんとも大変な仕事だと思う。俺には無理そう。
酒を提供するのは夜だけ。店主いわく『酒は一日の仕事終わりに飲むのが一番うまいから』だそうだ。
「チキンのデミグラスソース煮込みランチ、お待たせニャ」
俺がお冷やを飲みながらぼうっと待っていると、おぼんに載った料理が目の前に置かれた。
給仕してくれたのはニェコだ。彼女もここで働き始めてだいぶ経つ。ベテランウェイトレスだ。
「いい香りだ。うまそうだな」
よく煮詰められたデミグラスソースの香りが鼻腔をくすぐり、腹の虫を呼び覚まし、デデンという脳内効果音を勝手に流させてくる。
ランチの内容は、まだほんのり温かいパン2つに主食の鳥モモ肉のデミグラスソース煮込み、副菜はサラダと果物だ。
美味しそうでしょ、実際うまいんだなこれが。
値段はやや高めだけど、鳥モモ肉が一枚ドンと入ってるのはオススメポイントだな、食べごたえもあってね、控えめに言って最高です。
「ねーねー、ルクスまた何かやったニャ?」
「うん」
フォークとナイフを手にいざ食事!となろうとしたとき、ニェコが興味ありげに尋ねてくる。
「またからかったニャ? でも、ララカが青筋浮かべるなんてよっぽどのことニャ。何したの?」
軽く紹介すると、ニェコは猫型の獣人族だ。キャラ作りなのか素なのかはわからないが語尾に『ニャ』が付く。
人懐っこく、裏のないその可愛さから老若男女に人気がある。とくに子供たちには大人気だ。猫耳はピコピコと動いているし、猫しっぽはふりふりと感情豊かだ。
子供だけじゃなく、常連客の一部にもファンがいる。時間が掛かってもいいからニェコに給仕してほしいとオーダーが入るほどなのだ。
彼女の仕草や語尾をキャラ作りだろなんて思ったこともあったが、頭部の猫耳はちゃんと本物で感覚もきちんとあるそうだ。
触らせてもらったから間違いない、反応もわざとらしくなかったし──あくまで知的好奇心による神秘の解明のためなので、決して触ってみたかっただけとかじゃないので、ここ大事ですよテストに出ますん。
「ん? メテルさんの声真似をしただけ」
「あー、あれねぇ。ニェコも初めてやられたときびっくりしたのを覚えてるニャ」
「うにゃぁぁぁぁぁ!?って全身の毛が逆立ってたもんな。面白かったぞ?」
「そこまでじゃない……とは言いきれないニャ。あれは心臓に悪いよ、ほんとに。あと面白がるな」
なお、本当に驚いたり焦ったりすると語尾の『ニャ』は出ないらしい。
『えー、そんなにかニャ?』
俺はニェコの声を真似して返事をしてみる。かなり上手くできたと自信がある。
「そう、それ! そっくり過ぎてもうなんかこう、ただただキモいニャ!」
数少ない俺の特技がボロクソに言われている。ひどい、悲しい。泣いちゃいそう。年に一回あるかないかくらいで役に立つのに……。
「ひどいこと言うなぁ」
「あまりにも似ていて背筋がゾワっと──」
「ゾワっと?」
「ファッ!?」
「ンニャッ!?」
突然ララカの声が背後から割って入ってきて俺とニェコの肩がびくんと跳ねる。
「あらあら二人とも? なんだか楽しそうね? 私も混ぜて欲しいな」
さきほどよりはだいぶ圧が抜けてきたけれど、まだ完全には抜けきってないララカが気付けば俺の隣に立っていた。
メニュー表を大切そうに胸に抱えて。
「ニャニャ、ニェコは退散するニャ~……」
あの猫危機を察して逃げたな? さすがは猫型の獣人。なんという危機察知能力だ。
「いやー、そんな、あはは……」
これはきっと追加注文のお願いだな。
「うふふ、ところでお客様、デザートなんていかがですか?」
「えっと、まだ食べてる途中というか……」
「お食事が終わましたらお持ちします♪」
にっこり笑顔でメニュー表のデザートのページを開くララカ。
早く頼め、そうすれば許してやろう。慈悲であるぞ──と彼女の眼が語っている。
「……じゃ、じゃあ」
ここは無難にアイスクリームにでもしようかな。値段も手頃だし、あとはもちろんうまいから。
「アイスク……」
「ん?」
もっと高いものを頼めとガンダムが、いや違うララカが言っている。
あとの候補は高い順に、マウンテンパフェ、チーズタルト、フルーツタルト、プリンアラモード…………よし君に決めた!
「……フルーツ、タルト?」
ちらちらとララカの顔色を伺いながら注文してみる。
「はぁい、フルーツタルトですね! かしこまりました!」
どうやら及第点は取れたらしい。
フルーツタルト結構高いんだけどなぁ、まあ美味しいからいいか。
過去に何度か食べているからその味は保証できるし、何より女将の自信作の一つだ。今日の給金もあるし、ちょっとくらいなら奮発しても問題ないだろう。
そうして俺はナイフでチキンを1口サイズに切り出し、ソースを付けるようにすくって口に運ぶ。
ほろりと崩れる鶏肉とこってりしながらも口当たりの良いソースのバランスが絶妙で、俺の手は綺麗に食べ終えるまで止まらなかった。
14時。
お昼の営業が終わり、店内を満たしていた騒がしさは嘘のように静まり、その雰囲気も哀愁さえ感じてしまえるほどにがらりと変わっている。
「ほら手を止めないで。まだまだたっくさんあるんだから」
がらんとした客席を見渡していると、俺の隣で皿洗いをするララカに催促され、手を止めていた作業、つまり皿洗いを再開する。
「うっす」
俺の目の前にはうず高く積まれた皿、皿、皿。俺は一番上の皿を取り手順通りに洗っていく。洗剤を付けたスポンジで皿の表面、次に裏面、最後に縁を綺麗にしてシンクに置く。
これを終わるまで繰り返す。
よりにもよってソース系じゃないか、これ。きちんと洗わないと汚れが落ちないんだよね。まぁ、うだうだ文句を言っても減る訳じゃないし、さっさと手を動かして済ませてしまおう。
なぜ昼食を食べに来ていたはずの俺が皿洗いなんぞをやっているのか。
それはこの店の店主であるメテルさんが、
『ルクス、午後予定ないんだって? 今日ウェイトレスが一人体調不良で休んでるから皿洗い手伝って』
と言い、
『いいよね、ルクス?』
とララカがにっこり笑顔でコンボを決めてきたからだ。
おそらくはララカがさらっとメテルさんに俺の午後がフリーだと吹き込んだのだろう。
これは回避も防御もできないコンボだ。もしかしたら防御力無視も付与されているおそれもある。
メテルさんには今までさんざん世話になっているから断りきれるはずもなく、俺は二つ返事で了承した。
ぶっちゃけ、ここで皿洗いを手伝うのは今回が初めてじゃない。なんならちょくちょくある。先週もやった。
洗い物の量は毎度のことながら多くて面倒くさいと感じるときはあるものの、きちんと手伝い分の給金は頂けるし、なんなら夕食の弁当まで持たせてもらえるから損はしない。
入店した時の直感で手伝いを頼まれるかどうかわかる──俺の数少ない特技のうちの一つだ。使いどころがピンポイント過ぎるのが玉に瑕。
「今日はとくに多いな」
なんだか洗い物の量がいつもよりさらに多い気がして、俺は独りごつ。
「新しく出したメニューが好評でね。噂が広がって最近は来店者数も増えてるんだ」
泡だらけの手で洗い物を続ける俺に、ララカと同じくウェイトレスのアズサがカウンター席の清掃をしながら答える。
高身長、赤みがかった長い茶髪、巨乳、お姉さん枠、八重歯にアホ毛と属性が多めだ。誰とでも仲良くなれる明るく元気なアズサお姉さんは今年で27歳。
「それって今日俺が食べた鶏肉の?」
「そ」
「にしても多すぎでは」
「今回は女性客が多いんだよ。普段からこってりしたものが食べたいけど体型に響きそうでつい足踏みしてしまう、そんな女性客に鶏肉を使ったこのメニューがハマったみたいでね」
「まぁ鶏肉は豚や牛よりはあっさりしてるイメージありますから」
「そういうこと」
カウンター席の清掃をちょうど終えたアズサは腰をそらすように背を伸ばす。
この店に在籍するウェイトレスたちの中でもっとも大きいおっぱいが遠慮なく、堂々とその存在を主張する。
俺の視線はそこにがっちりと固定された。
これは仕方のないことなんだ。不可抗力であり、見ないことはおっぱいへの冒涜にも等しい。
「ちょっとルクス、さっきから見すぎ」
思わず視線を奪われてしまった。
「すいません」
「ふふーん、まぁルクスも男の子だもんね?」
「まぁ、その……えへへ☆」
その避けられない事実に俺は適当に濁さざるを得なかった。なんて答えればいいのかわからなかったし、ララカの凄まじく冷たいまなざしがそれはもうグサリグサリと俺に突き刺さってたから。
ただ1つ答えを明示するならば、男ですから、となる。
「ちょっと。手が止まってるんだけど?」
「うっす」
若干怒り気味のララカから催促されて俺は再び洗い物に戻る。
俺の皿の残りは半分くらい。ララカは手慣れているから残り3分の1くらい。このペースなら夜の営業前には終わって帰れそうだ。
清掃を終えたアズサは各テーブルに設置してある調味料の継ぎ足しをしている。
「あ、そういえばアズサさん。先週のお見合いはどうだったんですか?」
俺が何気なく振った話題に俺以外のウェイトレスたちが凍りついた。
あっ、これなんか、ヤバいんか……?
空気の変化は肌ですぐに感じた。
これは俗にいう『地雷を踏んだ』という状況だと。