年明け初戦、条件戦でハンデを貰って惨敗した。
「ま、まあ休み明け初戦だから、まだ調子が上がってなかったんだよ……」
トレーナーがそういうならそうなのかもって思った。
ならレース始まる前に言って欲しかった。
練習中に調子上がってきてないのに気付いてたなら、言って欲しかった。
だって、せっかく休んだのに負けたら、才能無いのかもって思っちゃうじゃん。
次走は逃げて勝った。
逃げて勝ったから、その次も逃げてみた。
「ハァ……ハァ……っ! まーーまって……っ!」
抜かれる。
抜かれる抜かれる抜かれる……!
さっきまで先頭だったのに。あとちょっとで、一着だったのに。
「まって……まってよ……」
だれも待たない。待ってくれるわけがない。
現実は残酷で、レースは無情だ。
このレースの屈辱をレースで返そうとして、一ヶ月に2回レースに出たら両方負けた。
痛すぎる脚がむかついたので、潰すつもりで練習したら脚をひねってケガをした。
仕事に戻るべく病室を後にするトレーナーを「社畜うぇーい!」と見送って、枕の下に隠したノートを取り出した。
捨てちゃおっかな、とか思ってると。
ふありと。
吹き込む風でぺらりとページがめくれて。
目標 ゼッタイ!G1で勝つ!
「……そもそも、出る資格満たしてないっつの、ばーか」
なにが『ゼッタイ』だ。
なにが『G1』だ。
なにが『勝つ』だ。
なにが、なにが、なにが。
ーーーーなにが。
「なんで…………勝てないんだよ………………」
勝つウマは、強い。
というか、勝ったウマは強かったから、勝ったわけで。
だからたくさん勝ったウマはすごく強くて……。
だから勝てないウマはーー弱い。
「そんなわけない…………」
弱いウマは走る価値がない。
「そんなわけ……ない……っ」
走らないウマは生きる意味が無い。
「そんなわけない……っ!!!!!」
そんなわけはある。
なぜならウマ娘はーー走るために生まれたのだから。
「ぁ……ぁ……」
怖かった。
だから死ぬ気でリハビリして、退院してから死ぬ気で練習して、死ぬ気で走った。
トレーナーには心配されたくないから。
練習が終わってから一人でこっそり練習した。
次走は勝てた。
誰かを視界に映すのが怖かったから逃げ続けた。
ワタシは勝てる!
ワタシは速い!
ワタシには才能がある!
はじめてG2に出た。
逃げたら負けた。
自分の全部が否定された。
「はぁ……………………はぁ……………………」
見上げたゴール板に、ワタシが背負ったウマ番はない。
「あぁ……そっかぁ…………」
現実という名の長い長い直線は。
そう簡単に、ワタシを見逃してくれない。
***
忘れ物をしてもどったマッサージ室。
ぽたり、と。
スプマンテの頬を伝った水滴がノートに落ちたとき、私は思わず扉を開けていた。
「スプマンテ……」
ばっ!と、スプマンテは雷に打たれたようなスピードでこちらを見た。
まるでなにか、”見られてはいけないモノを見られた”ように……。
「あの、スプマンテ」
「ーーちょいちょい、ノックはしてよトレーナー」
「……ごめん。それじゃあーー」
「待って」
瞬間、ピンと張り詰めた空気が、二人きりの室内に満ちる。
その空気の中心で、スプマンテはマッサージ台に腰掛けてうつむいている。
視線の先にはーーすり切れたノートが開かれていた。
練習カリキュラムを書き込み、改善箇所をメモし、何度も見返し、今日までの練習のすべての汗と涙を吸い込んだノート。
その、最初のページ。
目標 ゼッタイ!G1で勝つ!
「へへ……見られちゃったね……」
…………。
「そうだよ。案外向上心高いじゃんって思った? 同級生がアリマで勝ってるの見て、憧れちゃったんだよ。そうそう。だから、そのまま勘違いしてくれるとありがたいな」
「…………」
「すごい同級生見て、すごい先輩を見て、すごい後輩が後ろから来てて。だから、ワタシもいっちょがんばったろーって、そう思ったわけ」
「……スプマンテ」
「なんて、ウソ」
明るい声音につられるように名前を呼ぶと、ちょきんと垂らされた糸をちょん切られた。
「ウマ娘の生存本能っていうのかな。負けた夜は眠れないし、連敗中なんて生きてる心地がしないんだよ」
「…………」
「だから、そんな勝ち負けとかどーでも良くなるくらいバカでかい夢を追ってたら、現状が目に入らなくなるかなーと思ったら、目標に対する自分の小ささで、逆に苦しくなっちゃった」
えっへっへ、と。いつものようなおとぼけた笑い声も、今は空虚に響く。
「……ねえトレーナー」
空っぽな声が、部屋にこだまする。
「ワタシ、もう引退で良いよ」