夕食の片づけを終えてリビングに戻ると、巳緒はソファの前のラグでとぐろを巻いていた。
太い蛇身はローテーブルの脇を回り、尾先だけがソファの前まで伸びている。俺が腰を下ろすと、尾先の鱗が靴下越しに足の甲をひと撫でした。
その冷たさが、なんとも心地いい。
巳緒はテーブルの向こうのカップに手を伸ばしていた。少し身体を寄せた拍子に、太い胴がテーブルの脚をかすめそうになった。
「巳緒、カップこっちに寄せるぞ」
俺は彼女の手元へカップを滑らせた。
「ありがと。届いたのに」
「テーブルまで動かしそうだったぞ」
「そんなに動かないよ」
巳緒が笑う。尾先が俺の靴下をとんと叩いた。
俺はマグのお茶を一口飲んで、読みかけの本を開いた。尾先はまだ足に触れている。
「その本、面白い?」
しばらくして、カップを両手で包んだ巳緒が尋ねてきた。
「ああ。結構当たりだった」
「へえ」
「ゼミの子に勧められたんだ」
「誰に?」
「同じゼミの女の子。俺が好きそうだからって」
巳緒はカップを口元へ運びかけて、止めた。
「……ふうん。勉の好み、分かるんだ」
「本の話を何度かしてるからな」
「そっか」
巳緒はカップを置き、それきり黙った。
俺もページへ目を戻す。
数行先まで読んでから、足元が静かなことに気づいた。さっきまで靴下を撫でていた尾先が、ラグのほうへ引いている。
……なんだか、寂しい。
「巳緒?」
「なあに?」
顔を上げると、巳緒は普段と変わらない笑顔を向けてきた。
「……いや、なんでもない」
本へ視線を戻したが、同じ行を読み直すことになった。
何ページか進めたところで、マグが空になった。
「お茶、もう一杯入れてくる」
マグをテーブルへ置き、膝の本を片手に持って腰を浮かせかける。
足首を冷たいものが滑った。
引いていた尾先が戻ってきて、靴下の上に輪を作る。顔を上げると、巳緒は長い胴をラグに残したまま、ソファの斜め前へ上半身を寄せていた。
「……今、行くの?」
「すぐ戻るよ」
「うん。分かってる」
巳緒は微笑んだ。
「でも、もう少しだけ、ここにいて」
軽く足を引くと、鱗が靴下の上を滑り、足首の輪がぴたりとついてきた。ラグの上の胴が、わずかに動く。
痛くはない。けれど、ほどける気配もなかった。
顔は笑っているのに、足元だけは俺を離してくれない。
「巳緒。足、少し緩めてくれる?」
巳緒が俺の足元を見た。
「……うん」
少し遅れて、巻きついていた輪が緩んだ。
俺はそこから足を抜いた。
その瞬間、尾先がほんの少し追ってきたような気がした。
立ち上がる代わりに、ソファへ深く座り直す。本を膝へ下ろすと、俺の足元を見ていた巳緒が顔を上げた。
「……行かないの?」
「お茶はあとでいいよ」
「……そう」
俺はソファの縁に置かれた巳緒の手に、自分の手を重ねた。
巳緒の指先が、俺の手をそっと握り返した。
「巳緒。何かしてほしいことある?」
巳緒はすぐには答えなかった。膝の本へちらりと目をやり、それから俺を見上げた。
「……いつもより抱きついててもいい?」
「いいよ」
俺は彼女の手を離して本にしおりを挟み、テーブルへ置いた。巳緒へ向き直って、腕を開く。
巳緒は一瞬だけ俺の顔を見つめ、それから身を寄せてきた。
背中に彼女の両腕が回る。
俺も巳緒の腰に腕を回した。
巳緒の指が俺のシャツをきゅっとつかんだ。
俺も腰に回した手で、ラベンダー色のカーディガンをそっと握った。
長い茶色の髪が頬に触れ、巳緒の頬が肩口に重なる。
鱗の冷たさとは違う。こっちの温かさも、俺は好きだ。
足元では、添えられた尾先が、とん、とん、と靴下を叩いている。
巳緒はしばらく腕を緩めず、俺も腰に回した腕をほどかずにいた。
「……ねえ、勉」
「ん?」
巳緒は肩口に頬を寄せたまま、小さく囁いた。
「……その本を勧めた子より、私のことを考えててね」