そして今、見知らぬ白髪の男は僕の部屋で大人しく豚汁を食べている。
「何これ、めっちゃウマ」
「そりゃどうも」
はぐはぐと一心不乱に豚汁を掻き込む姿は、体格から想定できる見た目よりも幼く見えた。
箸の持ち方が少し変わっているのがいっそう子どもっぽい。矯正してもなかなか直らなかった、歳の離れた弟を思い出す。
僕は常備している麦茶を持ってきて座卓の対面に座り、男をぼんやりと眺めた。
見れば見るほど整った顔だ。顔が小さくて、僕とは等身から違いそうな気がする。
でもさっき肩を貸した時には骨と皮しかなさそうな軽さだった。手首や指もガリガリと言っていいくらい細い。
肌も白いし病弱なのかと思いきや、猫っぽい大きな釣り目と無邪気な表情には、むしろ活発でやんちゃそうな雰囲気がある。
何より食いっぷりが僕よりよっぽど良いので、単に燃費が悪いタイプなのかもしれない。
「おかわり!」
どこかで見たことがある気がする。もしかして芸能人か。そんなことを考えている間に、男は空になった器を元気に突き出した。笑うと八重歯が見える。
「ダメ。残りは僕の朝ご飯。元気になったなら、後は帰って自分ちで食え」
「ええー!」
不満の声を無視して、器と箸を取り上げる。既に豚汁を二杯、炊き込みご飯のおにぎりを一個平らげているくせに、まだたかる気か。
「今日はたまたま作りすぎた豚汁と貰い物のおにぎりがあっただけで、他人にご馳走するような裕福な暮らしはしてないんだよ」
「じゃあ金払うからあ」
男は床に転がり、やだやだと長い手足をばたつかせた。狭い部屋なんだから暴れないでほしい。
「そういう問題でもない。名前も知らない奴を助けてやっただけでもありがたく思えよ」
「名前?」
僕の言葉の何が引っかかったのか、男はきょとんとした顔で赤い目をぱちぱちと瞬かせる。
「え、知らずに食わせてくれたの?」
「知るわけないじゃん。ゴミ置き場に落ちてた不審者の名前なんか」
自分の足で帰れなそうなふらつき具合だったから、渋々食料を分けてやっただけだ。
「ふーん。知らないんだ」
「何? やっぱり有名人なの?」
自分のことを知っていて当然と言わんばかりの態度に、僕は少し怖じ気づいた。
「アンタが誰でも、これ以上居座るなら警察呼ぶからな」
「待って待って。えーと……」
男はスウェットパンツからおもむろにスマートフォンを取り出すと、もう片手で白い髪をわしわしと掻きながら操作した。すぐに何かのウェブページを見せてくる。
「俺、これ。知らない?」
「何?」
それは、浮草市の情報をまとめているニュースサイトだった。記事の見出しを読み上げ、僕は眉間に皺を寄せる。
「……【
【庭】というのは、浮草市に本社を構えている大企業だ。異能の研究と活用を謳い、国内の異能者を管理していると言っても過言ではない。
国と提携しているため、異能者警戒警報は【庭】の情報アプリから送られてくるものが一番早くて正確だ。
「もっと下見て」
言われるままに画面をスワイプすると、写真が掲載されていた。『【庭】唯一の特級守護者・NAGI』と注釈が振られた画像に、白髪の男が写っている。
「ほら、俺」
「ええ……?」
写真と目の前の男を改めてまじまじと見比べたら、確かに同じ顔をしていた。いかにも仕事ができそうなきりっとした顔と、腑抜けた眠そうな顔という違いはあるけど。
「さすがに、浮草市に住んでて
もちろん知っている。守護者と言えば、【庭】の顔だ。
【庭】は警察への前面協力を表明しており、異能犯罪を取り締まる権限を持つ独自の警備部隊を持っている。
守護者はその警備部隊に所属する人材の中でもごく一部、その能力が治安維持に役立つと認められた異能者に与えられる肩書きだ。
強い異能を持っていることは当たり前。その上で過酷な訓練を優秀な成績で修めた者だけがなれると言われるエリート職だった。
「道理で、なんか見たことあると思った……」
特級守護者はその最上位、検挙率トップの称号だというのはもはや一般常識と言っていい。つまり異能犯罪のニュースを見ていれば、一度くらいは目にしている顔だ。
「身元がわかって安心したろ? もう一杯おかわり――」
「お帰りください!」
やっぱり警察でも救急車でも呼んでおくべきだった。
「器半分でもいいからあ」
なおも粘ろうとする自称特級守護者をどうやって追い出そうか考えていると、不意に記事を表示していたスマートフォンが鳴った。有名なサメ映画の、まさにサメが迫ってくるシーンのBGMだ。
「うっ!」
途端に、それまでへらへらとしていたナギの顔が凍り付いた。嫌そうな顔で電話に出る。
『オイコラクソエリート! サボッてんじゃねーぞ早く来い! 十秒!』
「は!? 十秒は無理!」
スピーカーモードでもないのに、男性の怒鳴り声が僕にもはっきり聞こえた。
ナギは一方的に切れた電話の画面を見た後、スンとした顔で僕を見る。少し泣きそうにも見えた。
「くっそー、俺の豚汁が……」
「アンタのじゃない」
電話の相手は相当恐ろしい人物らしい。ナギは『パワハラだ』とか何とか不満を漏らしながらも立ち上がり、とぼとぼと玄関に向かった。
「メシ食わせてくれてありがと。まじで美味かった」
サンダルを突っかけ、手を合わせて深々と頭を下げる。
「この借りは必ず! じゃあな、五十嵐」
「あ、うん。気をつけて……」
最後にひらりと手を振って、奇妙な白髪の男は僕の部屋を出ていった。
外階段を降りるカンカンという足音が聞こえなくなったところで、僕の脳裏にふと疑問が過る。
「ん? なんで名前……」
どうしてあいつは僕の名前を知っていたんだろう。名乗っていないし、表札も出していないのに。