一夜明け、僕は欠伸を噛み殺しながら通学路を歩いていた。
ニュース記事によると、昨晩大暴れした異能者はあの後すぐ、特級守護者の手で捕まえられたらしい。
「本当にあいつがそうだったのかな……」
見た目は似ていたけど、未だに半信半疑だ。豚汁とおにぎりが減っていなければ、夢だと思ったことだろう。
僕のクラスでのポジションは、無害で地味なただのモブだ。似たような立場のクラスメイトと挨拶を交わすことはあれど、教室ではほとんど喋らず、大人しく本を読むことにしている。
本当は他のクラスメイトと同じようにスマートフォンで動画を見たりゲームをしたりしたい。でも仕送りに頼らない一人暮らしをしている都合上、通信量をケチるために、ニュースと天気予報を見る以外のことには極力使わないようにしていた。
そうすると話題も合わないから、周りもあまり話しかけてこない。たまに気まぐれで『何読んでんの』とちょっかいをかけられるくらいだった。
始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきて出席を取る。
「――琴平。琴平?」
僕のすぐ前の席の主を呼ぶが、そこには誰も座っていない。クラスメイトが一人足りないことを、誰も気にしない。
「いませーん」
仕方なく、僕がかわりに返事をしてやる。
「またか……」
担任はため息をつき、出席簿にチェックを付けた。
休み時間になると、教室のあちこちから動画や音楽を流す音が聞こえる。
「昨日のナギの配信さあ、なんか暴れた異能者がいたせいで潰れたんでしょ?」
「マジ最悪。せっかく急いで帰ったのに」
女子たちの会話の内容が聞こえてきて、思わずビクッとしてしまった。何とか取り繕うも、本の内容はもう頭に入ってこない。
「稼いでそうだし、もう守護者辞めてもよくない?」
「一応、特級守護者っていうのがキャラ付けなんじゃん?」
守護者の本業は異能犯罪の取り締まりだけど、同時に【庭】の広告塔でもある。
彼らは異能者のイメージアップと地位向上、あと単に収入を増やすための副業として、任務のない時間に各自でライブ配信や芸能活動を行っていた。
中でもナギは浮草市のみならず、全国的にアイドルまがいの人気があるらしい。
何しろ、市民の生活を守ってくれる身近なヒーローなのだ。その上で顔良し声良し喋り良しとなれば、好感度が高くて当然だ。
女子が今流している動画だって、ナギが流行りの曲をカバーしたものだ。歌手でもないのに普通に上手いのが不思議だった。
今まで気にも留めなかったけど、意識してみると周囲にはナギの情報が溢れていた。
そんな、今一番アツいと言ってもいい有名人が、ゴミ置き場で行き倒れていたなんて考えられない。
やっぱりコスプレをした別人か、他人の姿を偽るような能力を持った異能者だったに違いないと、僕は無理矢理自分を納得させた。
そんなヤバい異能、聞いたことないけど。
不在だった琴平は、二限目が終わった後にようやく現れた。目深に被ったニット帽も、誰とも挨拶を交わさずのろのろと座ってすぐに突っ伏すところも、彼の通常営業だ。
「琴平、せめて帽子は外せー」
「ぁーい……」
いつものことすぎて、三限目の数学教師は叱りもしない。琴平もずるりとニット帽を外して寝続けた。
「琴平、邪魔ー」
「あー、ごめん……」
起きていてものっそりと動く琴平は、クラスメイトからよく邪険に扱われている。
「ただでさえ『無能者』なのに、歩くのすらまともにできないとか、終わってない?」
本来なら差別めいた呼び方をされるのは、少数派である異能者の方だ。しかし浮草市に限っては、その常識が通用しない。
何故なら【庭】が自分たちの事業に協力することを条件として、異能者の市内移住を推奨し、生活費や学費の支援を行っているからだ。
異能者の存在が公に認められると共に設立されたその制度と、【庭】による熱心な誘致活動によって、今では日本にいる異能者の数十パーセントが浮草市に集まっているとまで言われている。
インターネットで簡単に移住申請ができるため、若者ほど身軽に移住してくる。おかげで、この浮草高校の生徒は大半を異能者が占める状況になっていた。
「ずっと寝てるし、何しに学校来てんの?」
「マジでそれ」
移住してきた異能者は、市外では迫害されていたり、窮屈な暮らしを強いられた経験を持つ者が多い。
おかげでマジョリティとマイノリティが逆転した瞬間から、異能を持たない者を『無能者』と呼んで下に見る風潮が広まっていた。
琴平が虐げられているのはそのせいだ。
とは言え、危険度レベル一と診断された僕の能力は、本当に大したことがない。ただ異能を持っているというだけで偉そうにしようとは思えなかった。
かと言って、積極的に庇うわけでもない。自分の立場を守るだけで精一杯の小心者だ。
だから悪意の籠もった声で笑われても特に傷ついた様子もなく、ただ影を薄めて聞き流す琴平のことは、少しだけかっこいいとすら思っていた。
昼休みになり、僕は鞄からいそいそと本日の弁当を取り出す。もちろん主食はレイコさんのおにぎりだ。
「いただきます」
誰に言うでもなく小さく呟いてから、おにぎりのラップを剥がす。うだつの上がらない学校生活も、お弁当の楽しみがあるだけでテンションが上がるというものだ。
「いいなあ。それも美味かったよなあ」
一口齧ったところで、不意に正面から声をかけられた。
「ん?」
声の主は、ようやく起きた琴平だった。椅子に横向きに座り、僕の方を向くその手には焼きそばパンを持っている。
「でもやっぱ豚汁だなあ」
その言葉を聞いて、僕は二口目を食べかけた半開きの口で固まってしまった。
入学以来まともに喋ったことがなかった遅刻常習犯から、何故か昨日の自称特級守護者と同じ声がする。
もう一度その顔をまじまじと見て、そろりと顔に手を伸ばした。琴平は抵抗しない。
長い前髪を暖簾のように少し分けると、そこには昨日拾った男と同じ顔がニヤニヤと笑っていた。