「あんだよ。やっと気付いたかよ」
琴平は軽く首を振って再び顔を隠すと、パンの袋を開けて大きな口でまふっと食らいついた。一瞬見えた八重歯にも見覚えがある。
「嘘。髪の色とか全然違うじゃん」
周りに聞こえないように小声で抗議する。今の琴平の髪は、真っ黒と言って差し支えない。前髪の隙間から見える目も、平均的な日本人より少し明るい程度の茶色だった。
「異能使うと、しばらくああなるんだよ。なんだ、それで俺だって気付かなかったわけね」
琴平は小声で答えながらも、にやにや笑っている。昨日、僕が名前を知らないと言ったら不思議そうにしていたのはそのせいか。
「気付くわけないって。
僕のような一般人からすると、守護者は華やかで有能な、別世界の住人だ。
「……しかも、よりによって特級とか」
ナギは活動開始からまだ一年足らずだけど、その成績と人気は他の追随を許さない。
まず守護者としてデビューした当時から、端麗な顔立ちに白髪赤目という常人離れした容姿が注目を浴びた。
本名も年齢も経歴も一切不明というミステリアスな雰囲気とは裏腹に、配信で見せる明るく親しみやすい人柄がウケて、熱狂的なファンを生み出した。
流行りに疎く、写真と見比べるまで気付かなかった僕でさえ、肩書きと噂は知っている浮草市一の有名人。
それが目の前にいる地味なクラスメイトだなどと、誰が思うだろう。
「黙っといてね。騒がれんのやだし」
「はあ……」
じゃあどうして僕には簡単に教えたのかと訝しんだ。
「せめて何かの異能が使えるってことにしとけば、あんな酷いこと言われなくて済むのに……」
「言ったろ? 異能使うと色が変わんだよ。説明すんのも面倒だから、使えないってことにしてんの」
琴平は何でもないことのように首を振り、焼きそばパンの最後の欠片を口に放り込んだ。と思ったら今度はメロンパンを取り出す。
もしかして、こいつの昼食は惣菜パンと菓子パンだけなのか。呆れると同時に少し心配になった。
「……その実力隠してる系男子が、なんで昨日はゴミ置き場に落ちてたわけ?」
特級守護者が異能犯罪者を追っている最中に居眠りとは。もしナギを追っているゴシップ配信者にでも見つかっていたら、今頃広告収入の足しにされていたところだ。
「よく覚えてないんだよなあ。たぶん腹減りすぎて、あと眠くて、ぶっ倒れたんだと思うんだけど」
異能犯罪が多い浮草市では、ほとんど毎日守護者が出動している。特に昨晩の被疑者は派手に暴れており、レベル三ということもあって、先に対応していた守護者だけでは手に余った。
そこで自分に出動要請が来たものの、連日の業務で限界が来ていた身体がとうとう強制シャットダウンした、という感じのことを、琴平は大きなメロンパンを齧りながらたどたどしく説明した。
「はあ、なるほど……」
昼間ずっと寝ているのは、単に夜働いていて寝不足だからというわけだ。
「でさあ、見ず知らずの怪しい男を助けてくれた善良な市民の五十嵐に、ちょっと相談なんだけど」
琴平は、ぶりっこをするように首を傾げながら満面の笑みを浮かべる。
「何?」
僕は嫌な予感がして身構えた。
「【庭】で仕事しない? 俺のサポート役として」
「はあ?」
遊びに誘うような軽いノリに思わず声が大きくなり、他のクラスメイトがちらりとこちらを見た。
ボリュームを落とし、改めて訊ねる。
「何言ってんの? 仕事? サポート?」
「そのまんまの意味だよ。俺がスムーズに仕事できるように手伝ってほしいわけ。もちろん給料は出る」
琴平はメロンパンを食べ終わると、炭酸飲料のボトルを開けた。
空きっ腹に炭水化物と糖分に次ぐ糖分。きっとこいつは午後も寝る。
「……本気で言ってる?」
「本気本気。いやさ、俺にサポートを付けようって話は前から出てたんだよ。でも同僚も上司も全員年上でさあ。嫌じゃん、大人に見張られんのって」
「まあ、確かに?」
大人の目がない解放感は、一人暮らしを始めた僕にはよくわかる。
納得はしたけど、さすがにそれだけの説明でやりますとはならない。
「そもそも、なんで僕?」
自慢じゃないけど、僕には知能的にも身体的にも、人より優れていると言えることは何もない。ちょっとした異能を持っている以外、胸を張って普通と言えるのが長所だとさえ思っていた。
方や、【庭】と言えば浮草市民が就職したい企業ナンバーワンだ。その看板である特級守護者からスカウトされる要素なんて、あるわけがない。
ろくに話したこともなかったクラスメイトに、昨日の今日であっさりと自分の正体を明かし、協力させようとしてくる理由もわからない。
何か裏があると勘ぐるのは当然だと思う。
ところが、琴平はあっけらかんと言った。
「豚汁が美味かったから?」
「……」
きょとんと首を傾げる表情は、冗談やお世辞を言っているようには見えなかった。
「まあ、ここで詳しい話をするのはアレだ。今日の放課後空いてる?」
「一応……」
「じゃ、ウチで話そ。それが一番安全」
特級守護者の正体と言えば、機密の多い【庭】の中でもトップシークレットだ。いくらざわついているとは言え、誰が聞いているかわからない教室でこれ以上話すわけにはいかない。
「わかった……」
僕だって、善良な浮草市民として、【庭】の仕事に興味がないわけではない。話を聞くくらいならと頷いた。
それが全ての間違いだった。