琴平の居城は、浮草市の中でも屈指の富裕層が住む駅近高層マンションだった。
「ひぇ……」
真下からでは最上階が見えない高さにぞっとして、思わず喉の奥から変な声が出る。
しかし琴平は、オートロックのエントランスに筋骨隆々の警備員が立っているという状況でも、『あーっす』と適当な挨拶をしてさっさと中に入っていった。
突き当たりのエレベーターに乗り込んだら、階を指定するボタンがなかった。かわりに黒いパネルがあり、琴平が入り口で使った鍵をかざすと勝手に動き出す。
登録された階にしか行けないようになっているのだそうだ。ジムや会議室といった共用スペースに行く場合は別の鍵を使うらしい。住民専用のジムがあるというのがもう僕の常識の外だ。ホテルじゃないのか。
「宅配の人とかはどうしてんの?」
ふと気になって訊ねた。まさか、貴族みたいな暮らしをしている人間がいちいち一階まで取りにくるわけがない。
「コンシェルジュの人が受け取って、届けてくれる」
「コンシェルジュ」
思わず復唱する。外階段で誰でも玄関ドアに辿り着き放題、よく変なチラシがポストに突っ込まれている二階建て安アパート暮らしには、もはやファンタジーの世界の話だった。
「まあ、俺は住めって言われてるから住んでるだけ」
「へえ……?」
わざわざこんな高そうな物件を借りるなんてと思ったけど、特級守護者のプライバシーを守るためなら安いのかもしれない。
そんなことを考えながら、何階かもわからないまま、ただドアが開いた階で降りる。
貧富で言えば間違いなく貧寄りの一般市民は、堂々と廊下の真ん中を歩いていくクラスメイトの背中をそそくさと追うしかなかった。
広い廊下をしばらく歩いた琴平は、見るからに分厚いドアの前で立ち止まった。脇のパネルにまた鍵をかざすと、ガチャンと鍵が開く音が鳴る。
「厳重すぎてウケるっしょ。なんか、前にストーカーみたいな奴が出てさあ。面倒だからヤダって言ったんだけど、無理矢理引っ越しさせられた」
「笑い事じゃないよ……」
何しろ、派手な活動の割に謎の多い特級守護者だ。厄介なファン以外にも、様々な理由で正体を暴こうとする輩が後を絶たないらしい。
他にも様々な権利を無視した営利目的の海賊版グッズが蔓延ったり、本人を映像に収めるために【庭】の本部に押しかけた迷惑配信者が逮捕されたりと、騒ぎになっていたことは記憶に新しい。
終いには【庭】によって守護者の人権を保護するための声明が出され、非公式な団体を排除するために公式ファンクラブが設立されたほどだ。
というのが、ナギの特集記事に書いてあった内容だった。
僕は呆れも驚きもとっくに通り越して、どんな反応を返せばいいのかわからなくなっていた。
「ま、駅前だし、出前とか届くのは早くていいけどね」
と言って琴平がドアを開けた瞬間、僕は本日一番の大声を上げてしまった。
「きっっっっっったな!!!!」
「うわ、びっくりした」
廊下に響き渡ってしまったけど、万全の防音設備を備えた壁の前では近所迷惑にもならなかった。
「びっくりしたのはこっちだよ! よくこんなとこにクラスメイト上げようと思ったな!」
ここまでのゴージャスな仕様から、僕は部屋の中も、芸能人のルームツアー動画に出てくるような空間を想像していた。
具体的には、いい感じの間接照明の下、広々とした廊下の両側に天井まであるシューズクロークと、ダンスでもするのかという巨大な鏡がある玄関とか。
いや、本来はそのとおりの空間のはずだ。――しかしそこは無残にも、脱ぎ捨てられた靴と大量のゴミ袋で埋め尽くされていた。
「そこまで言う? とりあえず中入って。ドア閉めらんない」
ゴミ袋の隙間には点々と服が落ちており、それらを避けながらようやく辿り着いたリビングにも、やっぱり服の残骸とゴミ袋。
そして空のペットボトルとカップ麺やテイクアウト料理の器が大量に転がっている。
加えてあちこちで通販の段ボール箱が箱形のまま場所を取り、一部は開封すらされずに積み上がっていた。
「部屋に対する冒涜だ……」
崩れ落ちて膝をつくスペースもない。顔を覆うしかなかった。
「大げさだなあ。まあ、適当に座って。何か食べる? ピザでいい?」
琴平はというと、リビングの中心に鎮座する布の塊――かつてはソファーだった物に大量の服が掛けられて埋まっている――の、野良猫の巣のような窪んだ部分に腰かけ、スマートフォンを弄り始めた。いつもそこで寝ていることがありありとわかる。
「座れる場所もピザ広げる場所もないだろ! まず掃除だ掃除!」
「ええー? 話は?」
「話しながら掃除!」
こんな場所にいられるか。僕はこの時、自分が割と綺麗好きだったことに初めて気付いた。
まずは大量のゴミ袋をなんとかしなければならない。
「ゴミの収集日っていつ?」
「外出て左の突き当たりに、二十四時間いつでも出せるゴミ置き場があってえ」
階ごとに、プライバシーへの配慮と臭い対策がされた収集スペースがあるという。
「なんでそれで家の中に溜まるんだよ……」
「持ってくのめんどくない?」
ものぐさここに極まれり。いくらこのマンションが広くても、コンビニに行くよりは近いはずなのに。段々悲しさがこみ上げてきた。
「……さすがにいきなりこの量持っていったら迷惑になるから、まず四つ」
「四つ?」
「一人二つずつ」
ゴミ袋を両手に持って、琴平に差し出した。琴平は思いきり顔を歪めた。昨日も思ったけど、かなり表情が豊かだ。
「やらないなら僕は帰る。話は聞かない」
「うー」
この程度もできない相手と仕事なぞできるわけがない。頑なな態度を表すと、琴平は肩を落としながらもゴミ袋を受け取った。