「へ?」
言葉の意味が飲み込めず、変な声を出してしまった。
特級守護者に散々舐めた態度を取っていたのに、任せると言ったか。
返事も忘れてぽかんとしていると、みっちゃんさんは額に手を当ててため息をついた。
「と言うか、引き受けてくれるとものすごく助かる。ナギがこんなに懐いてるの、初めてだし」
偉い身分のようなのに、琴平のせいでずいぶん苦労しているようだ。
「懐くって、犬じゃないんだからさあ」
琴平は服をハンガーにかける作業を再開しながら口を尖らせている。犬の方がまだ言うことを聞いてくれそうな気がする。
「ま、これで五十嵐が俺のサポートに入ってくれるってことだよな」
「でも僕、本当に多少家事ができるくらいで、他には何も」
その家事だって、覚えれば誰にでもできるようなことばかりなのに。だがみっちゃんさんは首を振った。
「今日の働きぶりを見ただけでもじゅうぶん過ぎるくらいよ。前のハウスキーパーなんて、ひと月いてもシノくんの半分の作業もできずに『自分には無理です』って泣きながら辞めたんだから」
初耳のエピソードにドン引きしながら琴平を見る。本人はよくわかっていない顔で首を傾げた。
僕は半ば自分のために遠慮なく掃除したけど、特級守護者の肩書きに気を遣いながらちまちまとやっていたら、たぶん片付けるよりも散らかるスピードの方が早い。そのハウスキーパーさんは悪くない。
「ひと月……ってことは、その前は?」
真剣にニュースを追っていたわけではないから時系列があやふやだけど、ナギのファンクラブが発足したのは半年くらい前だったはずだ。
その時の声明でストーカー被害についても触れられていた。つまりこの高級マンションに引っ越したのはその頃のはず。
なら少なくとも、辞めたハウスキーパーさんには前任者がいたはずだ。
すると今度はきーやんさんが答えた。
「一人はこいつの見てくれに惚れて、寝込みを襲おうとして返り討ちに遭って全治三ヶ月。一人はこいつが気付かないのをいいことに、金目の物を勝手に売り払って塀の中」
「うわあ……」
どいつもこいつも。【庭】が手配したということはきっと異能者だろうから、自分の力を過信したに違いない。
「ね? 同性で常識があって物欲が薄くて、安全な異能しか持ってなくて、家事が得意で、何よりナギが言うことを聞くんだもの。シノくんはサポーターとして最適解だと思わない?」
「思うー!」
僕が何か言う前に琴平が挙手した。豚汁で餌付けされただけのくせに調子のいい奴め。
結局、もう少し詳しい話を聞いてから、ひとまず試用期間として一ヶ月だけの短期契約を結ぶことになった。
勤務は週に三日。月曜日、水曜日、土曜日で、平日は放課後に三、四時間程度、土曜と祝日は昼から夕方まで。これで支援プログラムで貰える生活費よりも高いのだから、高校生ができるアルバイトと考えるとかなり割が良い。
「契約書はこれで大丈夫。あとは社員登録とか備品の支給とかの手続きのために、一度本社に来てもらいたいんだけど。都合の良い日はある?」
「僕は放課後か土日ならいつでも……」
部活はしていないし、遊びに行くような友達もいないから、予定はどうとでもなる。すると琴平がスマートフォンを見ながら口を挟んだ。
「土曜日は? 俺も本部行くから一緒に行こ」
「ああ、そうしてくれると迎えに行く手間が省けて助かる。シノくん、それでいい?」
「はい、大丈夫です」
一人で【庭】の本社ビルに乗り込むのは勇気がいるから、琴平が一緒に来てくれるのは助かる。二つ返事で頷いた。
「それにしても、ナギと同い年なのに家事が得意なんてすごいじゃない」
「大したことないですよ。実家で妹の世話とかしてるうちに自然と覚えただけで……」
「妹いんの?」
しばらく連絡をしていないけど元気かなと思いを馳せていたら、琴平が突然スマートフォンから顔を上げた。
「うん。妹も弟も二人ずつ」
「ずつ!? 四人ってこと!?」
何十回と見たお馴染みの反応だった。この少子化のご時世に珍しいのはわかる。
「そんなに? 歳は離れてるの?」
みっちゃんさんも驚いていた。
「ええと、上から十二、十、七、五です。共働きだから、僕が世話しなくちゃいけなくて」
子ども五人を食わせていくには仕方ないとは言え、おかげで放課後も週末も、誰かと遊んだ記憶はない。一人部屋すらなかったから、受験勉強はちょっと大変だった。
「大変だったのね。一人暮らしなんて始めて、ご実家は大丈夫だったの? 反対されなかった?」
「上の二人も家事を手伝える歳になったし、【庭】の支援があれば僕一人分の生活費と学費が浮くって説得しました。両親的にはプラマイゼロじゃないですかね」
「ふーん……」
話している僕の顔を、琴平がじっと見てくる。
「何?」
「別に?」
目を合わせたらすぐに逸らされた。何なんだ。
帰る二人を見送るために地上階に下り、来客用の駐車場まで付いていくと、黒いバンが停まっていた。きーやんさんが運転席に、みっちゃんさんが助手席に乗り込む。
「普通の車だ……」
うっかり声が漏れた。それを聞いて、いかにも高級車に乗っていそうな美女はくすくすと笑った。
「いろいろ載せる物が多いのよ。珍しい車は現場で悪目立ちするしね」
「それもそうですね……」
事件現場につやつやの高級車が急に乗り付けたりしたら、怪しいことこの上ない。治安を守る仕事は気を遣うことが多そうだ。
バンが駐車場を出ていくまで見送り、再び警備員さんに会釈をしてマンションに入る。静かなエレベーターの中で、ふと気になって訊ねた。
「琴平、土曜日も仕事なの?」
昨日ゴミ置き場に落ちていたのは、連続出勤の疲れからだと言っていた。場合によっては夜通しで任務に当たることもありそうだ。決まった休みはないのだろうか。
「仕事っていうか、レッスン?」
「レッスンって?」
「ボイトレ。一応配信者だからねえ」
そういえばこいつ、今をときめく人気者だった。学校の授業は真面目に受けているのを見たことがないから、地道な練習をきちんとやっているのは意外だ。
「昨日できなかったし、今日は配信もやんないとなあ。そうだ、五十嵐も出る?」
「出るわけないじゃん!?」
特級守護者の配信にただの一般人が出て何が面白いんだ。ぎょっとして後ずさると、琴平は八重歯を見せて無邪気に笑った。
いつもこんな風に笑っていたら、クラスでも浮かないのに。