Dr.STONE ―石世界紀行― 作:科学知識に自信が無いのでAIに書かせた
がさり。
草を踏み分ける音がした。
月明かりの届かない森の中、星は息を潜めていた。
木の枝を組み、葉を重ねただけの簡素な寝床。その入口から数歩も離れていない場所に、何かがいる。
低い鼻息が聞こえた。
続いて、地面を引っ掻くような音。
(……イノシシ?)
真っ先に思い浮かんだのは、日本に生息する大型の野生動物だった。
もっとも、石化前に山歩きを趣味としていたわけではない。実物のイノシシを間近で見たことなど、一度もなかった。
一方で、別の記憶が警鐘を鳴らしている。
森で夜を過ごすときは、獣道を避けること。食べ物の匂いを残さないこと。そして、不用意に動かないこと。
旅人として長年生きてきた自分なら、当然知っているはずの基本だった。
(分かってたのに……)
星は心の中で呻いた。
今さら後悔しても仕方がない。まずは相手を確かめる必要がある。
葉の隙間から、そっと外を覗き込んだ。
木々の間に、二つの光が見えた。
低い位置。地面からそう離れていない。
月光を反射する、獣の目だった。
(……犬?)
暗闇に慣れ始めた目が、相手の輪郭を捉える。
尖った耳。細長い鼻先。四本の脚。
毛並みは荒れ、身体つきも石化前に見慣れた飼い犬とは随分違っている。しかし、犬によく似た獣であることは間違いなさそうだった。
(野犬……なのかな)
石化からどれほどの年月が過ぎたのかは分からない。
それでも、かつて人間のそばにいた犬の子孫が野生化していたとして、不思議ではない。
そもそも、現代日本に存在していた動物が、どれだけ生き残っているのかさえ分からないのだ。
問題は、その獣がこちらをどう思っているかだった。
空腹なのか。縄張りに入り込んだ侵入者を警戒しているのか。それとも、単に見慣れない匂いが気になっただけなのか。
星は慎重に身体を引いた。
そのときだった。
ぱきんっ。
「……っ!」
肘が触れた枝が折れた。
乾いた音が夜の森に響く。
しまった、と思ったときには遅かった。
獣の耳がぴんと立ち、顔がこちらへ向けられる。
「……グルル」
低い唸り声。
星の背中を冷たいものが走った。
(ああ、もう……!)
最悪だ。
今の身体では走って逃げられる自信がない。木に登るにしても、相手が飛びかかってくる方が早いだろう。
何より、周囲は真っ暗だ。逃げた先に何があるかも分からない。
それなら。
(……落ち着こう)
ゆっくり息を吐く。
獣はまだ飛びかかってこない。唸ってはいるが、こちらの様子を窺っているようだった。
少なくとも、今すぐ襲いかかってくる気配はない。
星は急な動きを避け、相手を刺激しないようにした。
目を睨み返さず、背中も見せない。
そのまま、じっと様子を窺う。
何も持っていない手が、ひどく心許なかった。
前世なら、腰に剣があった。魔法も使えた。
だが、今は違う。
ここには武器も魔法もない。十五歳の少年と、一頭の野生動物がいるだけだった。
時間だけが過ぎていく。
実際には、数十秒ほどだったのかもしれない。
やがて獣は鼻を鳴らし、少しだけ首を傾げた。
そして、興味を失ったように身体の向きを変える。
がさ、がさ。
草を踏み分ける音が遠ざかっていった。
「…………」
星は、すぐには動かなかった。
耳を澄ませる。
何も聞こえない。
もういなくなったのだろうか。それとも、まだ近くにいるのだろうか。
判断がつかない。
それでも、ひとまず襲われずに済んだらしい。
「……はぁぁ……」
張り詰めていた緊張が解け、思わず長い息を吐く。
手のひらが汗で湿っていた。
前世では、もっと危険な魔物にも遭遇したことがある。
けれど、それとこれとは話が別だ。
何しろ、今の自分には頼れる道具も、十分な体力もない。
(……明日、寝床を移そう)
そう決意したものの、すぐに眠れるはずもなかった。
結局、星は夜が明けるまで、寝床の奥で膝を抱えていた。
◇
「……眠い」
翌朝。
木漏れ日を浴びながら、星は盛大に欠伸をした。
結局、ほとんど眠れなかった。
寒さもあった。空腹もあった。けれど何より、あの獣が戻ってくるのではないかという不安が大きかった。
「……寝床、失敗したなぁ」
改めて周囲を確認すると、昨夜の獣道は実にはっきりしていた。
踏み固められた地面。折れた草。ところどころに残る足跡。
昼間のうちに注意深く観察していれば、気づけたはずだった。
前世の経験があっても、疲れ果てていては判断を誤る。
当たり前のことだ。
「……反省」
誰も聞いていないのに、口に出してしまった。
それから、星は改めて自分の身体を見下ろした。
昨日作った簡易衣服は、どうにか原形を留めている。とはいえ、葉の一部が萎れ、紐も緩み始めていた。
「これも作り直しかぁ……」
必要なものは山積みだった。
食べ物。飲み水。衣服。道具。安全な寝床。
それから、できればまともな靴も欲しい。裸足で歩き続けた足の裏は、すでに細かな傷だらけになっている。
どれも、今すぐ欲しいものばかりだった。
(……まずは火だね)
昨日は材料を揃えきれず、諦めてしまった。しかし、今日も同じことを繰り返すわけにはいかない。
水を加熱するにも、食べ物を調理するにも、火は必要だ。
それに、昨夜のような獣との遭遇を考えれば、焚き火は多少なりとも安心材料になる。
もちろん、火があれば絶対に安全というわけではないけれど。
「よしっ」
星は立ち上がった。
今日こそは、火を起こそう。
◇
問題は材料だった。
辺りの森は湿っている。地面に落ちている枝は腐っていたり、水分を含んでいたりするものが多い。
摩擦で火を起こすには、適切な木材と乾いた火口が欲しい。
星は時間をかけて材料を探し始めた。
倒木の内部。立ち枯れた枝。樹皮の内側。
比較的乾燥した場所を選び、使えそうなものを集めていく。
もちろん、前世で使っていた木材と、今ここに生えている木々は違う。
それでも、木の硬さや繊維の状態を確かめれば、ある程度の見当はつけられた。
問題は、身体の方だった。
しゃがんだり立ち上がったりするだけでも、思った以上に疲れる。木材を削ろうにも、握力が足りず、すぐに手が痛くなった。
「……うーん、やっぱり不便」
前世の自分なら、こんな作業はもっと手際よくできたはずだ。
もっとも、当時は便利な道具も使っていたし、必要なら魔法に頼ることもできた。
今は、文字どおり一からの出発である。
それでも、作業をやめるつもりはなかった。
前世でも、最初から何でも上手くできたわけではない。何度も試行錯誤を繰り返しながら覚えたのだ。
ならば、今回も同じことをすればいい。
「……よし」
適当な石を打ち欠き、鋭い縁を持つ石片を作る。
それを使って木材を削り、摩擦式の火起こし道具を用意した。
乾いた植物繊維も細かくほぐしておく。
あとは、ひたすら作業を続けるだけだった。
ごし、ごし、ごし。
木が擦れる音。
腕が疲れる。肩が痛い。汗が額を伝う。
「……っ、はぁ……!」
途中で休憩を挟み、再び作業を続ける。
やがて、木の削り屑が黒ずみ始めた。
細い煙が上がる。
「……おっ」
慎重に作業を続けると、小さな火種が生まれた。
それを乾いた繊維へ移し、両手で包み込むようにして息を吹きかける。
ふう。
ふうっ。
赤い光が広がる。
次の瞬間。
ぼっ。
「……っ!」
炎が上がった。
「やった!」
思わず声が弾んだ。
慌てて用意していた小枝をくべる。火が消えないように、少しずつ燃料を追加していく。
やがて、小さな焚き火が完成した。
「……ふふ」
自然と笑みが浮かぶ。
ただの火だ。
現代日本なら、ライター一つあれば簡単に手に入るもの。
けれど、今は違う。
この小さな炎を得るために、随分と苦労した。
星は焚き火の前に座り、しばらく炎を眺めていた。
「……便利だったんだなぁ、文明って」
しみじみと呟く。
思えば、石化する前の生活は随分と恵まれていた。
蛇口を捻れば水が出る。スイッチを押せば明かりがつく。コンビニに行けば、食べ物が買える。
スマートフォン一つで、世界中の人間と繋がることさえできた。
それらが、全部なくなっている。
「……ゲームもできないし」
そう言ってから、星は少しだけ肩を落とした。
これは結構、いや、かなり辛い。
前世で剣と魔法の世界を生きたとはいえ、現世の趣味まで失ったわけではない。
むしろ、どちらの人生にも愛着があった。
異世界の冒険も好きだ。
現代日本の娯楽も好きだ。
それは、別に矛盾しない。
「……いつか、また遊べるかな」
返事はない。
焚き火の中で、枝がぱちりと弾けた。
◇
火を確保したところで、次の問題が待っていた。
容器である。
近くに水場はあるものの、持ち運ぶ道具がない。そのまま飲むのは避けたいし、煮沸するにも何かしらの器が必要だった。
「……竹とかないかな」
星は周囲を見渡した。
竹なら中が空洞になっている。節を残して切り出せば、簡単な水筒として使えるはずだ。
何より、金属製の道具がなくても、工夫次第で加工できる。
しばらく森を歩いていると、細い竹がまとまって生えている場所を発見した。
「……あった」
幸運だった。
星は使いやすそうな一本を選び、先ほど作った石器を使って切り出した。
竹の表面は思った以上に硬く、すぐには切れなかったものの、繰り返し傷をつけ、少しずつ削っていく。
節を残して片側を開き、縁のささくれを削って手を傷つけないように整える。
それだけで、簡易的な容器ができあがった。
「……うん。いい感じ」
水場へ戻り、容器に水を汲む。
漏れはない。
少なくとも、短時間の運搬には使えそうだった。
焚き火のそばへ戻ると、今度は水を沸かす準備に取りかかった。
竹筒を直接火にかける方法もある。しかし、今ある容器は薄く、加熱の加減を誤れば焦がしてしまいそうだった。
そこで星は、火で熱した石を水に入れる方法を選んだ。
もちろん、どんな石でもいいわけではない。
水分を含んだ石は、加熱によって割れる危険がある。
以前の世界でも、それで痛い目を見た旅人を知っていた。
だから、石の状態を確かめ、割れやすそうなものを避けて選ぶ。
それでも危険がなくなるわけではないため、火の中で加熱している間は距離を取った。
十分に熱した石を、木の枝で作った道具を使って慎重に水の中へ移していく。
じゅっ。
水が音を立てた。
「……よし」
何度か石を交換しながら、水を沸騰させる。
時間はかかったものの、どうにか目的を果たすことができた。
星は容器を火から離れた場所に置いた。
あとは冷めるまで待てばいい。
「……ようやく水が飲める」
思わず、安堵の息が漏れた。
ここまで来るのに、随分と苦労した。
水を飲む。ただそれだけのことが、こんなにも大変だったとは。
もっとも、これで安心というわけでもない。
腹は減っているし、今夜の寝床も考えなければならない。
「……やること、いっぱいだなぁ」
星は苦笑した。
けれど、その表情は昨日よりも幾分明るかった。
何も持たずに目覚めた世界で、少しずつ生活に必要なものが揃っていく。
その感覚は、前世で初めて一人旅に出た頃を思い出させた。
まだ何も知らなかった頃。
初めて自分で火を起こし、食事を作り、野宿した夜。
あの頃も、不便なことばかりだった。
それでも、毎日が新鮮だった。
(……そういえば、最初の旅もこんな感じだったっけ)
懐かしさに、口元が緩む。
ひとまず、水が冷めるまでの間に周囲を調べてみることにした。
◇
森の中を歩きながら、星は考えていた。
ここが日本であることは、おそらく間違いない。
植物の種類。地形。気候。そして、あの舗装道路。
少なくとも、日本に似た環境であることは確かだった。
しかし、具体的な場所は分からない。
道路標識でも残っていればいいのだが。
「……何年なんだろう」
ふと、呟く。
実際に経過した年月など、分かるはずがない。
石化中の夢は、一つの人生を丸ごと経験するほど長かった。けれど、体感した時間と現実の時間が一致している保証はない。
「……百年とか?」
いや、それ以上かもしれない。
今の景色を見る限り、少なくとも数年や数十年という話ではないだろう。
だが、考えても答えは出なかった。
星は空を見上げた。
太陽は、当たり前のようにそこにあった。
「……ま、いっか」
分からないことを、今すぐ全部解決する必要はない。
今は生き延びることが先だ。
そう考えながら歩いていると、不意に足が止まった。
「……ん?」
木々の間に、何かが見えた。
自然の岩とは違う。
角がある。直線がある。
人間の手で加工された石だった。
星はそちらへ近づき、落ち葉を払って苔を指で拭った。
現れたのは、平らに整えられた石の表面だった。
さらに周囲を見る。
同じような石が、斜面に沿って並んでいる。
一段。二段。三段。
「……階段?」
そう気づいた瞬間、胸が少し高鳴った。
石段だ。
古びてはいるが、人間が造ったものに違いない。
しかも、その先へと道が続いている。
木の根が絡み、土砂に埋もれ、途中からはほとんど判別できなくなっているものの、確かに道だった。
「……神社、とか?」
日本で山の中に石段がある場所。
もちろん、神社とは限らない。寺院の跡かもしれないし、別の施設だった可能性もある。
けれど、星はその先が気になった。
石段を見上げる。
木々の向こうは暗く、何があるのか分からない。
「…………」
少し迷ってから、星は来た道を振り返った。
焚き火はまだ燃えている。飲み水も、冷ましている途中だった。
それに、今の身体ではあまり長く歩き回れない。
ここで無理をする必要はない。
「……明日にしよう」
場所だけ覚えておけばいい。
何も、今日中にすべてを調べる必要はないのだから。
星は石段の脇に目印となる石を置き、来た道を引き返そうとした。
その途中、ふと足を止める。
「……そういえば」
神社。日本の神様。そして、異世界の魔法。
以前なら、それらをまったく別のものとして考えていただろう。
けれど、今は違う。
少なくとも、魔法が実在する世界を経験した記憶がある。
ならば、日本にだって、何か知らないものが存在しているのかもしれない。
「……神様、いるのかな」
ぽつりと呟いた。
誰もいない森に、その声が消える。
星はしばらく石段を眺めていた。
それから、少しだけ微笑む。
「……いたら、面白いね」
別に、奇跡を期待しているわけではない。
ただ、気になっただけだ。
まだ見たことのないもの。
まだ知らない世界。
そういうものに惹かれる性分は、どうやら前世でも現世でも変わらないらしい。
星は踵を返した。
まずは、冷ましておいた水を飲もう。
それから食べ物を探して、できれば靴を作る。
明日は、あの石段の先へ行ってみよう。
そんなことを考えながら、少年は森の中を歩いていった。
八百年の時を経てなお、そこに残されたものが何なのか。
まだ、彼は知らない。