Dr.STONE ―石世界紀行―   作:科学知識に自信が無いのでAIに書かせた

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第四話 行先のない地図

 朝、目が覚めた。

 

 それだけのことが、星には少し嬉しかった。

 

 昨夜は獣に襲われることもなく、寒さで何度も目覚めることもなかった。寝床を移した効果は、どうやらあったらしい。

 

「……んんっ」

 

 身体を起こし、大きく伸びをする。

 全身が痛い。

 特に腕と肩、それから太腿の筋肉が悲鳴を上げていた。

 

「……筋肉痛かぁ」

 

 石化する前は、こんなに身体を動かす生活をしていなかった。

 体育の授業はあったし、友人と遊びに出かけることもあったけれど、木を切ったり石を運んだりする機会なんて、そうそうない。

 

 前世の記憶があっても、身体能力まで引き継いでいるわけではない。

 分かってはいた。

 分かってはいたのだが。

 

「……もうちょっと、こう……何とかならない?」

 

 誰にともなく問いかける。

 当然、返事はなかった。

 

 星はため息をつきながら寝床を抜け出した。

 空は薄曇り。木々の間から差し込む光も、昨日より幾分弱い。

 それでも、雨が降っていないだけありがたかった。

 

 今の寝床は、多少の雨ならしのげるだろうが、本格的な豪雨に耐えられるほど立派なものではない。いずれ、もっと頑丈な住居を用意する必要がある。

 

 もっとも、それより先に解決しなければならない問題があった。

 

「……ご飯、どうしようかな」

 

 昨日はサワガニを食べた。

 しかし、十分な量だったとは言い難い。

 

 今日も食べ物を探さなければならない。

 明日も、その次の日も。

 そして、それを毎日続けることになる。

 

「……うーん」

 

 星は腕を組んだ。

 

 前世では、旅の途中で野営することも多かった。

 それでも、食料のすべてを現地調達していたわけではない。

 

 街で保存食を買い、村で食材を分けてもらい、必要なら狩りや採集をする。

 そうやって旅を続けていたのだ。

 

 しかし、今は違う。

 街に行っても店はない。

 お金があっても使えない。

 そもそも、人間がいるかどうかさえ分からない。

 

 当然ながら、食料を手に入れるには自分で何とかするしかなかった。

 

「……毎日カニを探すのもなぁ」

 

 捕まえられる保証はないし、沢の生き物を根こそぎ取ってしまうのも困る。

 

 もっと効率のいい方法が必要だ。

 

 そこで、星は前世の記憶を探ってみることにした。

 旅をしていた頃、川沿いの集落で見たもの。

 漁師たちが使っていた道具。

 木の枝や蔓を編み、魚を捕まえるために作られた仕掛け。

 

「……ああ、そうだ」

 

 思い出した。

 

 罠を作ればいい。

 

 もっとも、捕まえた魚を食べられるかどうかは別問題だ。

 昨日も沢で魚を見つけたものの、種類までは分からなかった。

 だから、まずは魚をよく観察できる状態で捕まえてみよう。

 

「……うん。やってみようかな」

 

 星は道具を手に取り、沢へ向かった。

 

     ◇

 

 沢の流れは、昨日と変わらず穏やかだった。

 

 星は水辺にしゃがみ込み、川底を観察する。

 小魚はいる。

 数こそ多くないものの、流れの緩やかな場所や岩陰に、小さな影が見え隠れしていた。

 

 問題は、それをどう捕まえるかだ。

 

「……魚籠、かな」

 

 竹や蔓を編んで作る、魚を捕まえるための籠。

 前世でも似たものを使ったことがある。

 

 もちろん、今すぐ立派な漁具を作れるわけではない。

 加工のしやすい材料を選び、簡単な構造で仕上げる必要がある。

 

 星は近くの竹藪へ向かった。

 

 昨日、竹筒を作ったときに見つけた場所だ。

 細い竹を何本か選び、石器で切り出していく。

 続いて、使えそうな蔓も集めた。

 

 材料を揃えると、星は沢の近くに腰を下ろした。

 

「……さて、と」

 

 まず、竹を細く割る。

 太いものは籠の骨組みに。

 細いものは編み込むための材料に。

 

 それらを組み合わせ、魚が入り込める程度の隙間を残しながら形を整えていく。

 

 途中、竹の繊維がささくれて指に刺さりそうになった。

 石器では細かな加工が難しく、思ったような形にならない部分もある。

 

 それでも、作業そのものは順調だった。

 

 前世で覚えた編み方は、今でも記憶に残っている。

 

「……こうして、ここを通して……」

 

 手を動かしながら、星は小さく鼻歌を歌い始めた。

 

 石化する前によく聴いていた曲だ。

 歌詞は曖昧なところもあるけれど、旋律は覚えている。

 誰かに聴かせるわけではない。ただ、黙々と作業していると、何となく歌いたくなっただけだった。

 

 そうして、一時間半ほどが経過した頃。

 

「……完成!」

 

 星は編み上げた籠を持ち上げた。

 

 細長い筒状の籠。

 片側には、内側へ向かって狭くなる入口を設けてある。

 魚が入り込みやすく、出にくい構造だ。

 

 もちろん、これで必ず魚が捕まるわけではない。

 仕掛ける場所が悪ければ、一匹も入らない可能性だってある。

 

 星は沢の流れを観察し、岩の間にできた狭い水路を選んだ。

 そこへ籠を固定し、周囲の石を並べて流れを誘導する。

 

 籠が流されないことを確認してから、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……よし」

 

 あとは待つだけだ。

 

 運がよければ、魚が捕まる。

 そして、捕まえた魚の特徴を詳しく確認できる。

 

「……便利だねぇ」

 

 自分で作った仕掛けを眺めながら、星は満足げに頷いた。

 

 もっと早く作ればよかった。

 

     ◇

 

 魚が捕まるのを待つ間、星は昨日見つけた旧道を調べることにした。

 

 目当ては、地名の分かるものだった。

 

 道路標識。

 石碑。

 建物の跡。

 

 何でもいい。

 

 ここが日本のどこなのか、少しでも手掛かりが欲しかった。

 

 もっとも、石化からどれほどの年月が経過したのかも分からない。

 標識が残っている保証など、当然なかった。

 

「……地図、欲しいなぁ」

 

 しみじみと呟く。

 

 スマートフォンがあれば、現在地くらい簡単に分かっただろう。

 いや、通信が途絶えていても、保存していた地図データが使えたかもしれない。

 

 しかし、そのスマートフォンは今どこにあるのかも分からない。

 仮に見つかったところで、電源が入るとは思えなかった。

 

「……便利だったなぁ、GPS」

 

 改めて、文明のありがたみを実感する。

 

 それでも、道を探す方法はある。

 

 前世では、地図のない土地を何度も歩いた。

 太陽の位置を確かめ、山の形を覚え、川の流れを辿る。

 

 そうやって少しずつ周囲の地形を把握していけば、道に迷う危険は減らせる。

 

 もっとも、ここは初めて訪れた土地だ。

 現代日本の道路地図を思い出したところで、目印となる建物はほとんど残っていない。

 

 星は慎重に歩き始めた。

 

 草木に覆われた道路。

 崩れたコンクリート。

 地面から突き出た錆びた金属片。

 

 かつての文明の痕跡は、至るところに残っていた。

 けれど、どれも何のために使われていたのか分からないものばかりだった。

 

「……これ、何の建物だったんだろ」

 

 星は崩れた壁の前で足を止めた。

 

 石とコンクリートの塊。

 その間から、太い木が生えている。

 建物の形は、もうほとんど残っていなかった。

 

 店舗だったのか。

 民家だったのか。

 それとも、まったく別の施設だったのか。

 

 判断できない。

 

 周囲を調べても、看板らしきものは見当たらなかった。

 

「……うーん、分かんない」

 

 残念ながら、ここから得られる情報はなさそうだった。

 

 星は先へ進む。

 

 しばらく歩くと、道路が二つに分かれている場所へ出た。

 

 片方は緩やかな上り坂。

 もう片方は、木々の間を下る道だった。

 

 どちらにも、かつて人が通ったらしい痕跡がある。

 

「……さて、どっちだろ」

 

 星は周囲を見渡した。

 

 地形から判断するなら、下り坂は沢の方角へ続いているように思える。

 しかし、その先に何があるのかまでは分からない。

 

 上り坂の方も、途中から木々に隠れてしまっていた。

 

「……上から見た方が分かるかな」

 

 高い場所へ行けば、周囲の地形を見渡せるかもしれない。

 

 そう考え、星は上り坂を選んだ。

 

     ◇

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 結論から言えば、その判断はあまり良くなかった。

 

 道は途中で崩れていた。

 

 しかも、斜面には倒木がいくつも横たわっており、その先へ進むには大きく迂回しなければならなかった。

 

「……行き止まりかぁ」

 

 星は倒木に腰を下ろした。

 

 無理をすれば進めないこともない。

 しかし、その先に何があるのか分からない以上、危険を冒す必要はなかった。

 

 何より、今の身体は疲れやすい。

 昨夜は十分に眠れたものの、筋肉痛が完全に治ったわけではないのだ。

 

「……地図、地図ねぇ」

 

 小さく呟きながら、周囲を見渡す。

 

 見えるのは木々ばかりだった。

 

 わずかに空が開けている場所もあるが、遠くの景色までは分からない。

 

 結局、現在地を特定できるような情報は何も得られなかった。

 

「……まあ、そう簡単にはいかないよね」

 

 星は苦笑した。

 

 前世でも、こんなことは何度もあった。

 道を間違え、引き返し、また別の道を探す。

 

 旅とは、そういうものだ。

 

 知らない土地を歩く以上、すべてが予定どおりに進むわけではない。

 そもそも、今は予定そのものがないのだから。

 

「……ん?」

 

 そこで、星はふと考えた。

 

 自分は、どこへ向かおうとしているのだろう。

 

 誰かを探したい。

 世界を見て回りたい。

 知らない景色を見つけたい。

 

 それは確かだ。

 

 けれど、具体的な目的地があるわけではない。

 

「……ああ、そっか」

 

 星は小さく笑った。

 

「僕、どこに行きたいのか決めてないんだ」

 

 当たり前のことだった。

 

 前世でも、最初から世界中を巡る予定があったわけではない。

 気になる街があれば訪ねた。

 面白そうな話を聞けば、そこへ向かった。

 

 そうして、次の目的地が決まっていった。

 

 ならば、今回も同じでいい。

 

 まずは、この辺りを調べよう。

 それから、行きたい場所を決めればいい。

 

 星は立ち上がった。

 

 そのとき、ふと耳に入ったのは、遠くから響く水の音だった。

 

 沢の流れだろうか。

 いや、今いる場所からでは、どの方角なのかはっきりしない。

 

 ただ、その音を聞いているうちに、一つの考えが浮かんだ。

 

「……川を下ってみようかな」

 

 川は、いずれ海へ続く。

 もちろん、途中で別の川と合流したり、滝や険しい地形に阻まれたりすることもあるだろう。

 

 けれど、流れを辿れば、少なくとも一つの方向へ進むことができる。

 

 それに、日本は海に囲まれた島国だ。

 いつかは海へたどり着けるはずだった。

 

「……海、かぁ」

 

 石化前に見た海を思い出す。

 

 砂浜。

 波の音。

 潮の香り。

 

 前世でも、海沿いの街を訪れるのは好きだった。

 

 そして、もう一つ。

 

「……塩も欲しいしね」

 

 食事をするたびに、調味料がないことを思い知らされる。

 海水から塩を作れれば、料理の幅も広がるだろう。

 

 もちろん、それには容器や燃料などが必要になる。

 

 けれど、今はそこまで考えなくてもいい。

 

 まずは海を目指してみよう。

 

 星はそう決めた。

 

 そして、来た道を引き返そうとした、そのときだった。

 

「……ん?」

 

 風に乗って、かすかな香りが漂ってきた。

 

 草木の青い匂いとは違う。

 どこか甘く、少し酸っぱいような香り。

 

「……何だろ」

 

 星は鼻をひくつかせた。

 

 もう一度、風が吹く。

 

 今度は、はっきりと感じられた。

 

「……果物?」

 

 そう思った瞬間、腹が鳴った。

 

「…………」

 

 どうやら、身体は随分と正直らしい。

 

 星は苦笑しながら、香りのする方角へ目を向けた。

 

 道路から少し外れた斜面。

 そこには木々が密集していたが、よく見ると地面に不自然な段差がある。

 

 石を積み上げたような、低い壁。

 

「……石垣?」

 

 近づいてみると、斜面には同じような段差がいくつも並んでいた。

 

 今では木々に覆われているものの、かつては人の手で整えられた土地だったらしい。

 

 星はその光景を見上げた。

 

「……畑、だったのかな」

 

 段々畑。

 あるいは、果樹園。

 

 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 

 そして、ふと視線を上げたとき。

 

「……あ」

 

 葉の間に、橙色のものが見えた。

 

     ◇

 

「……ミカン?」

 

 星は思わず声を漏らした。

 

 木の枝に、丸い果実がいくつも実っている。

 

 大きさは不揃いだった。

 石化前にスーパーで売られていたものより小さく、形もいびつなものが多い。

 

 それでも、その姿には見覚えがあった。

 

「……いや、でも」

 

 星はすぐに手を伸ばすことをためらった。

 

 第三話で見つけたノビルらしい植物。

 あのときは、食用と断定できなかったため、採集を諦めた。

 

 今回も同じだ。

 

 果物に見えるからといって、何でも食べていいわけではない。

 

 星はまず、木の全体を観察した。

 

 葉の形。

 枝の様子。

 果実の付き方。

 

 続いて、地面に落ちていた実を拾い上げる。

 

 表面は橙色で、細かな凹凸がある。

 皮を傷つけると、柑橘類特有の香りが広がった。

 

「……ああ、これ」

 

 随分と懐かしい匂いだった。

 

 星はさらに皮の内側や果肉の構造を確かめた。

 白い内皮。

 薄い膜に包まれた房。

 房の中には、小さな果汁の粒が並んでいる。

 

 ミカンやオレンジで見慣れた構造だった。

 

「……柑橘類、だよね」

 

 少なくとも、星が知っている柑橘類の特徴と一致している。

 

 ただし、品種までは分からなかった。

 もともと何という果物だったのかも、今となっては知る由もない。

 

 何より、果実の形が現代のミカンとは少し違っている。

 

「……野生化したのかな」

 

 そう考えて、星は周囲を見渡した。

 

 段々に整えられた斜面。

 崩れかけた石垣。

 その間に生える、何本もの木。

 

 ここは、昔の果樹園だったのかもしれない。

 

 もしそうなら、人間がいなくなった後も、種から新しい木が育った可能性はある。

 

 今目の前にある木が、かつて栽培されていた木そのものとは限らない。

 何世代も経た子孫なのかもしれなかった。

 

「……すごいねぇ」

 

 星は感心したように呟いた。

 

 人間がいなくなっても、植物は生き続ける。

 畑が森に変わっても、そこで育っていた果樹の子孫が残っていることだってある。

 

 そう考えると、何だか不思議だった。

 

 星はもう一度、果実を観察した。

 

 見覚えのある柑橘類の特徴が揃っている。

 食用になるものとして、自分が知っている種類の果物だと判断できそうだった。

 

「……うん」

 

 今度は、木になっている実の中から、傷みの少ないものを選んだ。

 

 手の届く高さにある果実を、慎重に一つもぎ取る。

 

「……いただきます」

 

 皮を剥く。

 

 橙色の皮は、思っていたより厚かった。

 白い筋も多い。

 

 房を一つ取り分け、口に運ぶ。

 

「…………っ!」

 

 思わず目を見開いた。

 

「すっぱ!」

 

 予想以上の酸味だった。

 

 口の中いっぱいに、強い酸っぱさが広がる。

 

「……うぅ、すっぱい……!」

 

 星は思わず顔をしかめた。

 

 スーパーで売られていた甘いミカンとは、随分と違う。

 甘味がまったくないわけではないものの、酸味の方が圧倒的に強かった。

 

「……品種が変わっちゃったのかなぁ」

 

 もちろん、原因など分からない。

 

 もともと酸味の強い柑橘類だったのかもしれないし、野生化したことで果実の性質が変わったのかもしれない。

 

 ただ、一つだけ確かなことがあった。

 

 今の自分にとって、これは貴重な食料だ。

 

「……ふふ」

 

 星は小さく笑った。

 

 酸っぱい。

 けれど、美味しい。

 

 何より、久しぶりに果物を食べられたことが嬉しかった。

 

「……これ、ありがたいなぁ」

 

 星は木を見上げた。

 

 まだいくつか実が残っている。

 ほかの木にも、同じような果実がついていた。

 

 とはいえ、今の自分が全部持って帰れるわけではない。

 

 運ぶための鞄もなければ、長期間保存する方法も知らない。

 

「……とりあえず、場所を覚えておこう」

 

 星は周囲の地形を確認した。

 

 旧道から少し外れた斜面。

 崩れた石垣。

 特徴的な形をした大きな岩。

 

 これなら、もう一度来ることもできそうだ。

 

 星は食べる分とは別に、傷みの少ない果実を数個だけ持ち帰ることにした。

 

 そして、ふと思う。

 

「……そういえば」

 

 果樹園があったということは、昔はこの辺りに人が暮らしていたのだろう。

 

 もしかすると、近くには集落があったのかもしれない。

 今では森に埋もれているけれど、ほかにも何か残っている可能性がある。

 

 それに。

 

「……ほかにも、果物があるかも」

 

 ミカン。

 柿。

 梨。

 栗。

 

 石化前の日本では、色々な果物が育てられていた。

 

 もちろん、それらが今も残っている保証はない。

 季節によっては、実がついていないことだってあるだろう。

 

 けれど、探してみる価値はありそうだった。

 

「……いいこと見つけちゃった」

 

 星は嬉しそうに笑った。

 

 現在地を知るための探索だったはずなのに、思いがけず食料を見つけてしまった。

 

 旅とは、どうやらこういうものらしい。

 

     ◇

 

 拠点へ戻った頃には、太陽がかなり傾いていた。

 

 星は持ち帰った果実を寝床の近くへ置くと、真っ先に沢へ向かった。

 

 今朝仕掛けた魚籠の様子を確認するためだ。

 

「……さてさて」

 

 水の中へ手を伸ばし、固定していた石を外す。

 籠をゆっくりと持ち上げた。

 

 中で、何かが動いた。

 

「……おっ?」

 

 小さな魚だった。

 

 一匹。

 二匹。

 

 さらに、もう一匹。

 

「……やった!」

 

 思わず声が弾んだ。

 

 小魚が三匹。

 どれも大きくはないが、罠が機能したことは間違いなかった。

 

「……ふふ、いいねぇ」

 

 星は満足げに籠を眺めた。

 

 もっとも、ここからが問題だった。

 

 魚を捕まえること。

 その魚を食べられるか判断すること。

 

 この二つは、まったく別の話なのだから。

 

 星は魚を水の入った容器へ移し、一匹ずつ観察してみた。

 

 身体の形。

 鱗の様子。

 鰭の位置。

 口の形。

 

 しかし、結論は芳しくなかった。

 

「……分かんないなぁ」

 

 現世の星は、魚に詳しいわけではない。

 

 石化する前も、釣りを趣味にしていたわけではなかった。

 スーパーで売られている魚ならともかく、沢を泳ぐ小魚の種類を見分ける自信はない。

 

 前世でも川魚を食べたことはある。

 けれど、あちらの世界で覚えた魚の名前が、日本の魚に通用するはずもなかった。

 

「……うーん」

 

 星は腕を組んだ。

 

 見た目からすると、どれも日本の淡水魚として珍しくない姿をしている。

 

 しかし、それだけでは種類を特定できない。

 

 淡水魚は寄生虫にも注意が必要だし、魚種によっては別の危険もある。

 

 もちろん、十分に加熱すれば防げる危険もある。

 けれど、それだけですべての問題が解決するわけではなかった。

 

「……やっぱり、やめとこうかな」

 

 星は小さく息を吐いた。

 

 食料が欲しい。

 それは間違いない。

 

 けれど、今日は果物を見つけられた。

 

 少なくとも、何も食べられない状況ではない。

 

 ならば、種類の分からない魚を無理に食べる必要はなかった。

 

「……ごめんね」

 

 星は魚を一匹ずつ、沢へ戻した。

 

 小さな影が水の中へ消えていく。

 

 それを見届けてから、星は立ち上がった。

 

「……魚の勉強も、必要だねぇ」

 

 もっとも、図鑑もなければ、教えてくれる人もいない。

 

 そう簡単に知識を増やせるわけではなさそうだった。

 

 星は魚籠を確認し、再び沢に仕掛けた。

 

 次に捕まえたときは、もう少し詳しく観察してみよう。

 食べられなくても、記録を残しておくことには意味があるはずだ。

 

「……よし」

 

 ひとまず、今日の漁はこれで終わりだ。

 

 星は果実を置いてある寝床へ戻った。

 

     ◇

 

「……すっぱぁ」

 

 夕食。

 

 星は焚き火の前に座り、持ち帰った果実を食べていた。

 

 相変わらず酸味が強い。

 食べるたびに顔がしかめられる。

 

 それでも、不思議と手が止まらなかった。

 

「……こういうのも、悪くないね」

 

 調味料もない。

 料理らしい料理もできない。

 

 けれど、今は食べられるものがあるだけありがたかった。

 

 もちろん、柑橘類の果実だけでは十分な栄養を得られない。

 特に、身体を動かすためのエネルギーや筋肉を維持するための栄養は足りないままだ。

 

 それでも、食料を得る手段が一つ増えたことは大きい。

 

 星は果実の皮を眺めながら、今日の出来事を思い返した。

 

 魚籠を作った。

 旧道を探索した。

 道に迷いかけた。

 

 そして、古い果樹園の跡を見つけた。

 

「……海も行きたいけど」

 

 星は小さく呟いた。

 

「……あの辺り、もう少し調べたいなぁ」

 

 果樹園の跡。

 段々に整えられた土地。

 

 あそこには、昔の人間の生活があった。

 

 今は森に埋もれてしまっているけれど、果樹以外にも何か残っているかもしれない。

 

 それに、もし食べられる植物がほかにも見つかれば、旅の準備がもっと進むだろう。

 

 もちろん、識別できなければ意味がない。

 

「……やっぱり、知識って大事だね」

 

 星は苦笑した。

 

 前世で何十年も旅をしてきた。

 色々な土地を歩き、様々な生き物を見てきた。

 

 けれど、それだけでは今の世界を生き抜くには足りない。

 

 知っていることと、知らないこと。

 できることと、できないこと。

 

 その境目を、しっかり見極めなければならなかった。

 

「……まあ、少しずつ覚えていけばいいか」

 

 星は最後の一房を口に運んだ。

 

「……んーっ、すっぱい!」

 

 そして、また顔をしかめた。

 

     ◇

 

 食事を終えると、星は昨日持ち帰った樹皮を取り出した。

 

 そこには、炭で書いた文字が残っていた。

 

 石世界紀行。

 

 そして、昨日見つけた神社の記録。

 

 しかし、指で軽く触れるだけでも文字が滲む。

 このままでは、長く保存できそうにない。

 

「……やっぱり、もうちょっと何とかしたいよね」

 

 紙が作れればいい。

 けれど、今の自分には製法が分からない。

 

 墨やインクがあれば、多少は書きやすくなるだろう。

 しかし、それも作り方を詳しく知っているわけではなかった。

 

 ならば、今できることをするしかない。

 

 星は木の枝を一本、手に取った。

 

 表面の樹皮を削り、平らな部分を作る。

 そこへ石器の尖った部分を押し当て、細い溝を刻んでいく。

 

 試しに、一本の線を引く。

 

「……うん」

 

 悪くない。

 

 炭で書くより時間はかかるが、文字が擦れて消える心配は少なくなる。

 

 もっとも、木材そのものが腐る可能性はある。

 数百年、数千年と残せる方法ではないだろう。

 

 それでも、今すぐ使う記録媒体としては十分だった。

 

 星は適当な木片をいくつか加工し、文字を刻みやすい板を作り始めた。

 

 薄い木片を削る。

 表面を整える。

 割れそうな部分を取り除く。

 

 単純な作業だが、なかなか時間がかかった。

 

 それでも、星は途中でやめなかった。

 今度は、旅の記録をちゃんと残したかったからだ。

 

 やがて、日が暮れる頃。

 

「……できたぁ」

 

 星は完成した木の板を並べた。

 

 大きさは不揃い。

 表面も、ところどころ凸凹している。

 

 けれど、文字を刻むには十分だった。

 

 星はそのうちの一枚を手に取り、ゆっくりと文字を刻み始めた。

 

 まずは、題名。

 

『石世界紀行』

 

 続いて、今の状況。

 

『日付不明。場所不明。周囲は森。人間の姿は見当たらず』

 

 そこまで書いて、星は少し考えた。

 

 日付が分からないのは仕方がない。

 場所も、いずれ分かるだろう。

 

 ただ、何も記録していないよりはいい。

 

 そこで、復活してからの日数を書き加えることにした。

 

『目覚めてから四日目』

 

 それから、今日の出来事。

 

『魚を捕獲する罠を製作。小魚三匹を捕獲するも、種類を識別できず放流』

 

『旧道を探索するも、現在地は判明せず』

 

『古い果樹園の跡らしき場所を発見。柑橘類と思われる果実を確認』

 

『次の目的地は海』

 

 最後の一文を刻み終えると、星は板を持ち上げた。

 

「……ふふ」

 

 自然と笑みが浮かぶ。

 

 たったこれだけの記録。

 誰が読むわけでもない、個人的な日記。

 

 それでも、何だか嬉しかった。

 

 前世で旅をしていた頃にも、こんなことがあった。

 

 初めて訪れた街の名前を書いたり、珍しい料理について記録したり。

 何年も経ってから読み返すと、そのときの景色や匂いまで思い出せた。

 

 あの感覚が、好きだった。

 

 だから、今度も書き残したい。

 

 たとえ、自分以外に誰もいなかったとしても。

 

 星は木の板を重ね、雨に濡れないよう寝床の奥へしまった。

 

 そして、焚き火の前に座り込む。

 

 夜空には、雲の切れ間から星が覗いていた。

 

「……海、かぁ」

 

 明日も、まだ準備が必要だろう。

 

 保存食も欲しい。

 水を運ぶ容器も増やしたい。

 道具をまとめて持ち運ぶ方法も考えなければならない。

 

 それに、今日見つけた果樹園も気になる。

 

 やることは山ほどある。

 

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 むしろ、何から手をつけようかと考えている時間が楽しかった。

 

 かつて、異世界を旅し始めた頃もそうだった。

 

 知らない土地へ向かう前夜。

 荷物を整理し、地図を広げ、明日の道程を考える。

 

 あの、胸が少しだけ弾むような感覚。

 

 今の星は、確かにそれを感じていた。

 

「……さて」

 

 星は小さく欠伸をした。

 

「明日も頑張ろうかな」

 

 火の始末を確かめ、寝床へ潜り込む。

 

 そして、目を閉じた。

 

 石の世界で迎える、四度目の夜。

 

 文明は失われた。

 人間は見つからない。

 自分がどうして目覚めたのかも分からない。

 

 それでも、少年には一つだけ確かなことがあった。

 

 この世界には、まだ見たことのない景色がある。

 

 ならば、歩いてみよう。

 

 かつての旅人が、そうしたように。

 

 今度は、星として。

 

 ――石世界紀行、第四日。

 

 最初の目的地は、海に決まった。

 

 そして、その道中には、まだ知らない発見が待っているらしい。

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