Dr.STONE ―石世界紀行―   作:科学知識に自信が無いのでAIに書かせた

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第八話 秋を拾う

「……栗が食べたい」

 

 朝。

 寝床から這い出した星は、唐突にそんなことを呟いた。

 

 特に理由があるわけではない。

 ただ、目が覚めた瞬間、何故か栗のことが頭に浮かんだのだ。

 

「……栗ご飯とか、いいよねぇ」

 

 ほくほくとした栗。

 程よい塩気のあるご飯。

 炊きたての湯気。

 想像した途端、腹が鳴った。

 

「…………」

 

 星は自分の腹を見下ろした。

 

「……そうだよねぇ」

 

 残念ながら、米はない。

 栗もない。

 塩すらない。

 

 あるのは、昨日までと変わらない柑橘類の果実だけだった。

 もっとも、一昨日は川魚を、昨日はアワビの仲間と思われる貝を食べることができた。

 食料の種類は、少しずつ増えている。

 それでも、十分とは言い難かった。

 

「……主食、欲しいなぁ」

 

 星は小さく溜息をついた。

 

 魚や貝は、蛋白質を確保する手段になる。

 けれど、それだけで日々の活動に必要なエネルギーを賄おうとするのは難しい。

 

 今の星に必要なのは、まとまった量を確保できる食べ物だった。

 

 芋。

 穀物。

 木の実。

 そうした、腹持ちのいい食料が欲しい。

 

「……まあ、ないものねだりしても仕方ないか」

 

 星は背負い籠を引き寄せた。

 

 今日は、昨日発見した海岸へもう一度行くつもりだった。

 特に気になっているのは、遠くに見えた石積みの構造物だ。

 

 防波堤か、それに似た何か。

 もしも、あそこに人間の生活の痕跡が残っているのなら、周辺にも何か見つかるかもしれない。

 

「……ついでに、食べ物も探そうかな」

 

 星はそう呟き、残っていた果実を一つ手に取った。

 皮を剥き、口に運ぶ。

 

「……すっぱぁ」

 

 相変わらずの味だった。

 

     ◇

 

 出発する前に、星は一つだけ道具を作ることにした。

 

 小さな採集袋だ。

 背負い籠は便利だが、魚籠や竹筒などを入れていると、思ったほど余裕がない。

 それに、食料を見つけたとき、道具と混ざらないよう分けて持ち帰りたかった。

 

「……もう一つ、袋が欲しいよね」

 

 星は以前の工作で余った竹の薄い皮と、乾燥させていた植物の繊維を取り出した。

 これらを編み合わせ、簡単な袋にするつもりだった。

 

 前世では、旅先でこうした道具を作ったことがある。

 もちろん、今の身体で同じようにできるかどうかは別問題だ。

 それでも、基本的な編み方は覚えている。

 

「……よいしょ」

 

 繊維を揃え、底の部分から編み始める。

 途中、何度か編み目が緩んでしまった。

 そのたびに戻し、締め直す。

 細かな作業は、どうにも苦手だった。

 

「……うーん」

 

 星は編みかけの袋を見つめた。

 

 前世なら、もう少し早く作れただろうか。

 いや、あの頃もこうした作業は得意ではなかった気がする。

 そもそも、旅人だったからといって、何でも上手に作れるわけではない。

 

「……まあ、使えればいいよね」

 

 そう言って、再び手を動かした。

 

 結局、完成まで一時間半ほどかかった。

 

「……できたぁ」

 

 星は袋を持ち上げた。

 

 小ぶりだが、口が広く、木の実や貝などを入れるには十分そうだった。

 重いものを入れると編み目が広がりそうなので、あまり欲張らない方がいいだろう。

 

「……うん。いい感じ」

 

 星は満足そうに頷いた。

 これで、採集用の道具も一つ増えた。

 

 出発の準備を整え、寝床の周囲を確認する。

 火は完全に消えている。

 使わない道具も、雨に濡れにくい場所へまとめてある。

 

「……よし」

 

 星は背負い籠を担ぎ、森へと歩き出した。

 

     ◇

 

 昨日と同じ道を歩いているはずなのに、今日は随分と景色が違って見えた。

 

 木々の間から差し込む光。

 岩の表面を覆う苔。

 沢を流れる水。

 どれも昨日と変わらないものだ。

 けれど、一度通った場所だと分かっているだけで、不思議と安心感があった。

 

「……なるほどねぇ」

 

 星は足元の石を避けながら歩いた。

 

 昨日は、途中で川を見失ってしまった。

 けれど、帰り道では目印を確かめながら歩いている。

 それらを逆に辿れば、海へ向かう道も分かるはずだった。

 実際、今日はそれほど迷わなかった。

 

 倒木を回り込み、特徴的な岩の脇を通る。

 そこから緩やかな斜面を進めば、昨日聞いた波の音が近づいてくる。

 

「……うん、覚えてる」

 

 星は小さく笑った。

 

 道を覚えるのは、旅人にとって大切なことだ。

 特に、今のように地図も案内板もない場所では、地形そのものが道標になる。

 やがて、森の向こうが明るくなってきた。

 潮の香りがする。

 

「……着いた」

 

 星は木々の間から海を覗き込んだ。

 

 昨日と同じ、青い水面。

 ただし、空には薄い雲が広がっていた。

 それでも、海は十分に明るかった。

 

「……ふふ」

 

 昨日ほどの感動はない。

 けれど、やはり嬉しい。

 星は少しだけ景色を楽しんでから、海岸へ下り始めた。

 

     ◇

 

 昨日見つけた石積みは、近づいてみると随分と大きかった。

 

「……おお」

 

 星は足を止めた。

 海岸の端から海へ向かって、石の構造物が伸びている。

 もっとも、元の形を保っている部分は少ない。

 

 大きな石が崩れ落ち、隙間には砂や小石が詰まっていた。

 場所によっては木の根が入り込み、陸側の一部は草に覆われている。

 

「……やっぱり、人工物だよね」

 

 星は近くの石を観察した。

 

 自然の岩にしては、形が整っている。

 しかも、似た大きさの石が一定の方向に並んでいた。

 近くには、石段のようなものも残っている。

 

「……へぇ」

 

 星は目を輝かせた。

 

 階段だ。

 

 海へ向かって下りるように、平らな石が何段か並んでいる。

 もっとも、下の方は崩れてしまっており、今では、どこまで続いていたのかも分からない。

 

「……船着き場、かな?」

 

 星は首を傾げた。

 

 かつて、ここには船が出入りしていたのかもしれない。

 それなら、海岸沿いに集落があった可能性も高い。

 

 星は周囲を見渡した。

 

 森。

 岩場。

 海。

 人間の生活を感じさせるものは、ほとんど残っていなかった。

 

 それでも、この石段だけは、誰かがここで暮らしていた証だった。

 

「……すごいねぇ」

 

 星はそっと石の表面に触れた。

 

 ざらついた感触。

 海風に晒された石の冷たさ。

 表面に残る、細かな傷。

 どれほど昔に造られたのだろう。

 石化から、どれほどの時間が過ぎたのだろう。

 

「……何百年、経ってるんだろ」

 

 思わず呟く。

 

 石化した人間が、簡単に元に戻れるものではないことは分かっている。

 もしも復活が容易なら、もっと多くの人間が活動していてもおかしくないはずだからだ。

 けれど、今のところ、その痕跡は見つかっていない。

 少なくとも、この海岸は長い間、人間の手が入っていないように見えた。

 

「……うーん」

 

 星は考え込んだ。

 

 八日間。

 自分が目覚めてから、まだそれだけしか経っていない。

 それでも、世界の変化を考えるには十分すぎるほどのものを見てきた。

 

 森に埋もれた道路。

 崩れた神社。

 古い果樹園。

 川沿いの護岸設備。

 そして、この船着き場らしい石積み。

 

「……やっぱり、随分経ってるんだろうなぁ」

 

 正確な年数は分からない。

 けれど、世界は間違いなく変わってしまっている。

 

 星は石段の先へ目を向けた。

 そこには、海が広がっていた。

 

「……昔は、どんな船が来てたんだろ」

 

 漁船だろうか。

 観光船だろうか。

 あるいは、もっと小さな舟だったのかもしれない。

 想像するだけでも、少し楽しかった。

 

     ◇

 

「……ん?」

 

 星は足元を見下ろした。

 

 石段の脇に、比較的平らな場所があった。

 そこから先へ進めば、石積みの反対側を調べられそうだった。

 

「……行けるかな」

 

 星は慎重に足を踏み出した。

 

 最初の一歩は問題なかった。

 次の一歩も、特に変わったことはない。

 けれど、三歩目。

 

 ごりっ。

 

「……え?」

 

 足元で、石が動いた。

 

 星は慌てて立ち止まった。

 

 小さな石が、隙間へ転がり落ちていく。

 その音に続いて、足元の大きな石がわずかに傾いた。

 

「……っ!」

 

 星は咄嗟に後ろへ身体を引いた。

 

 ごろっ。

 

 先ほどまで足を乗せていた石が、斜めに沈み込む。

 

「…………」

 

 星は息を止めた。

 

 もしも、もう一歩進んでいたら。

 

 足を石の隙間に取られ、そのまま転んでいたかもしれない。

 

「……危なかったぁ」

 

 星はゆっくりと息を吐いた。

 

 石積みは古い。

 表面がしっかりして見えても、内部まで安定しているとは限らない。

 しかも、ここは海岸だ。

 波や潮の流れによって、石の下の砂が流されている可能性もある。

 

「……やっぱり、無理しちゃ駄目だね」

 

 星は後退し、安定した場所まで戻った。

 

 向こう側は気になる。

 けれど、今は諦めた方がよさそうだった。

 怪我をして動けなくなれば、それこそ取り返しがつかない。

 

「……今日は、遠くから眺めるだけにしようかな」

 

 星は石積みから離れ、そして、陸側へ向かって歩き始めた。

 

     ◇

 

 旧船着き場の背後には、緩やかな斜面が広がっていた。

 今は木々に覆われているものの、ところどころに平らな場所が残っている。

 

「……ん?」

 

 星は周囲を見渡した。

 斜面の一部に、低い石垣があった。

 果樹園で見たものと、少し似ている。

 

「……ここも、畑だったのかな」

 

 石垣の上には、樹木が生えていた。

 

 ただし、果樹園で見つけた柑橘類とは違う。

 もっと背が高く、枝を大きく広げた木だった。

 

 星は慎重に近づいた。

 木の根元には、落ち葉が積もっている。

 その間に、小さな茶色いものがいくつも転がっていた。

 

「……あれ?」

 

 星はしゃがみ込んだ。

 

 何かの実だろうか。

 手に取ろうとして、ふと気づく。

 近くに、棘だらけの丸いものが落ちていた。

 

「…………」

 

 星は目を瞬かせた。

 そして、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……え?」

 

 もう一度、地面を見る。

 

 茶色い実。

 棘だらけの殻。

 その中に収まっている、艶のある木の実。

 

「……栗?」

 

 思わず声が漏れた。

 星は立ち上がり、木の枝を見上げた。

 

 葉は細長く、縁には細かな鋸歯が並んでいる。

 枝先には、まだいくつかのイガが残っていた。

 

「……栗だ!」

 

 今度は、はっきりと声が出た。

 

 栗。

 今朝、食べたいと思っていたばかりの栗だった。

 

「……え、嘘。ほんとに?」

 

 星は思わず笑ってしまった。

 朝、何となく食べたいと思ったものが、まさかこんな場所で見つかるなんて。

 

 しかも、一つや二つではない。

 足元には、いくつものイガが転がっている。

 その中には、熟して口を開いたものもあった。

 

「……すごい、すごい!」

 

 星はしゃがみ込んだ。

 

 栗の実は、石化前にも何度も見たことがある。

 家族で栗拾いをしたこともあった。

 

 あの鋭いイガ。

 艶のある茶色い皮。

 先端が少し尖った、特徴的な形。

 それらは、今目の前にあるものとよく一致していた。

 

「……よかったぁ」

 

 星は安堵の息を吐いた。

 

 昨日まで、食べられる植物を探しては諦めていた。

 けれど、栗なら話は別だ。

 名前も、食べ方も知っている。

 しかも、何度も食べたことがある。

 

「……ふふ」

 

 星は笑みを浮かべた。

 

 ようやく、まとまった炭水化物を確保できるかもしれない。

 

     ◇

 

 栗拾いは、思ったよりも楽しかった。

 

「……あった!」

 

 星は足元に転がっていた実を拾い上げた。

 

 艶のある茶色い皮。

 ずっしりとした重み。

 

 いかにも美味しそうな栗だった。

 ただし、何でも拾えばいいというわけではない。

 

 地面には、虫に食われたような穴のある実も落ちている。

 皮が黒ずんでいるものや、妙に軽いものもあった。

 そうしたものは、ひとまず避けることにした。

 

「……これも大丈夫そう」

 

 星は拾った栗を採集袋へ入れた。

 

 イガから取り出すのは少々厄介だったが、時間が経つにつれて、袋の中に茶色い実が増えていった。

 

「……痛そうだねぇ」

 

 星は棘だらけのイガを見つめた。

 

 素手で触る気にはなれない。

 

 そこで、落ちていた枝を二本使い、イガの両側を押さえることにした。

 少しずつ開き、露出した栗だけを取り出していく。

 

 最初は上手くいかなかった。

 けれど、何度か繰り返すうちに、少しずつ要領が分かってきた。

 

「……ふふ」

 

 楽しい。

 食料を集めているというのに、何だか遊んでいるような気分だった。

 それも、石化前の日本で何度か経験したことのある遊びだ。

 栗拾い。

 あの頃は、拾った栗を家に持ち帰れば、誰かが調理してくれた。

 

 今は違う。

 自分で拾い、自分で調理しなければならない。

 

 それでも。

 

「……いいねぇ、こういうの」

 

 星は小さく笑った。

 

 採集袋は、少しずつ重くなっていった。

 さらに周囲を調べてみると、似たような木が何本か見つかった。

 どうやら、一か所だけではないらしい。

 

 偶然生えた木なのか。

 それとも、かつて人間が植えたものなのか。

 そこまでは分からなかった。

 けれど、少なくとも今は、複数の栗の木が実をつけている。

 

「……これなら、しばらく食べられるかも」

 

 星は袋の中を覗き込んだ。

 

 もちろん、栗だけで生活できるわけではない。

 それに、生の栗を長期間保存するのは簡単ではなかった。

 

 虫に食われることもあるだろうし、傷んでしまう可能性もある。

 乾燥させたり、加工したりする方法を考える必要がありそうだった。

 それでも、今の星にとっては十分すぎるほどの収穫だった。

 

「……ありがたいねぇ」

 

 星は木を見上げた。

 秋の風が、枝を揺らしている。

 

     ◇

 

 かさり。

 

「…………ん?」

 

 星は手を止めた。

 

 何か、音がした。

 風が落ち葉を揺らした音ではない。

 もっと重いものが、地面を踏みしめるような音だった。

 

 かさ、かさ。

 

 星はゆっくりと顔を上げた。

 音のする方角は、少し離れた藪の向こう。

 

「…………」

 

 耳を澄ませる。

 

 がさっ。

 

 今度は、はっきりと聞こえた。

 何かが、藪の中を動いている。

 

「……動物?」

 

 星は小さく呟いた。

 

 この辺りには、栗がたくさん落ちている。

 人間にとって食料になるものは、ほかの動物にとっても食料になるはずだ。

 つまり、ここに食べ物があると知っているのは、自分だけではない。

 

「……うーん」

 

 星は慎重に周囲を見渡した。

 

 足元には栗。

 近くには木々。

 そして、音のする藪。

 

 今のところ、動物の姿は見えない。

 けれど、気配は確かにあった。

 

 ふごっ。

 

「…………」

 

 星は固まった。

 

「……猪?」

 

 鼻を鳴らすような音だった。

 

 確証はない。

 けれど、もしも猪だったなら、今の星ではまともに相手をすることなどできない。

 

 前世では、野生動物に遭遇したことが何度もある。

 だが、それは今の身体で戦えるという意味ではなかった。

 何より、わざわざ危険を冒す理由がない。

 

「……帰ろっか」

 

 星は小さく呟いた。

 

 採集袋は、すでに十分な重さになっている。

 これ以上欲張る必要はなかった。

 

 星は動物のいるらしい方向へ背を向けないよう注意しながら、ゆっくりと距離を取った。

 

 大声を出さず。

 急に走り出さず。

 できるだけ相手を刺激しないように。

 そして、少しずつ木々の間を離れていく。

 幸い、動物が追ってくる気配はなかった。

 

「……ふぅ」

 

 星は安全そうな場所まで戻り、ようやく息を吐いた。

 

「……危なかったかな」

 

 実際に何がいたのかは分からない。

 けれど、確認する必要もないだろう。

 少なくとも、あの場所は自分以外の動物も利用している。

 今後、栗を採集するときには注意した方がよさそうだった。

 

「……覚えておこう」

 

 星は小さく頷いた。

 

     ◇

 

 帰り道では、昨日作った川の仕掛けにも立ち寄った。

 

「……どうかな」

 

 星は川岸にしゃがみ込んだ。

 

 石の堰は、まだ形を保っている。

 昨日設置したときと比べても、大きく崩れた様子はなかった。

 もっとも、魚籠は昨日持ち帰っている。

 そのため、今日は持参した魚籠をもう一度仕掛け、しばらく様子を見ることにした。

 

 星は水の流れを確かめ、魚籠の位置を調整する。

 

「……お願いします」

 

 いつものように、両手を合わせる。

 

 もちろん、魚が入るかどうかは運次第だ。

 それでも、せっかく作った仕掛けなのだから、利用しない手はない。

 

 星は少し離れた場所で休憩した。

 

 背負い籠の中には、今日拾った栗が入っている。

 小さな採集袋は、思っていた以上に役に立った。

 

「……ふふ」

 

 星は袋を眺めた。

 これだけあれば、今日は久しぶりに腹を満たせるかもしれない。

 魚まで捕まえられたら、なお嬉しい。

 

「……贅沢かなぁ」

 

 そう呟いて、星は小さく笑った。

 しばらくしてから、魚籠を引き上げる。

 

 ちゃぷっ。

 

 水が落ちる。

 

「……あ」

 

 籠の中で、小さな影が動いた。

 

「……やった!」

 

 星は目を輝かせた。

 

 小さな魚が二匹、入っていた。

 昨日捕まえた魚ほど大きくはない。

 けれど、食料としては十分ありがたかった。

 

 星は魚の身体を観察した。

 

 細長い体形。

 鱗の並び。

 口や鰭の形。

 

 昨日捕まえた魚と、よく似ている。

 

「……うん」

 

 星は小さく頷いた。

 

 少なくとも、昨日食べた魚と同じような仲間だと判断できそうだった。

 もちろん、だからといって生で食べるつもりはない。

 今日も、十分に火を通してから食べよう。

 

「……ふふ」

 

 星は魚籠を持ち上げた。

 今日は、随分といい日になりそうだった。

 

     ◇

 

 拠点へ戻る頃には、太陽が随分と傾いていた。

 

「……疲れたぁ」

 

 星は背負い籠を下ろし、地面に座り込んだ。

 

 今日は、いつも以上に荷物が重かった。

 特に栗は、思った以上にずっしりとしている。

 それでも、嬉しい重さだった。

 

 星は採集袋を開き、栗を取り出した。

 茶色い実が、次々と現れる。

 

「……おお」

 

 思わず笑みが浮かんだ。

 

 これまでの食料と比べれば、随分とまとまった量だった。

 何より、栗は炭水化物を多く含んでいる。

 魚や貝とは違う形で、身体を動かすためのエネルギーを補給できるはずだった。

 

「……よし」

 

 星は立ち上がった。

 

「……栗、焼こうかな」

 

 今朝から、ずっと食べたかったのだ。

 ようやく、それが叶いそうだった。

 

     ◇

 

 栗を焼く前に、星は一つだけ思い出した。

 

「……あ、そうだ」

 

 栗は、そのまま火に入れてはいけなかったはずだ。

 殻の中に水蒸気が溜まり、破裂することがある。

 

「……危ない危ない」

 

 星は小さく呟いた。

 

 石化前に、そんな話を聞いたことがある。

 確か、焼く前に殻へ切れ目を入れる必要があったはずだ。

 

 星は石器を手に取った。

 栗の硬い皮に刃を当て、慎重に切り込みを入れていく。

 ただ、思っていた以上に硬かった。

 

「……うーん」

 

 力を入れすぎれば、刃が滑って指を傷つけてしまう。

 そこで星は栗を安定した場所へ置き、少しずつ皮を削るようにして切れ目を入れることにした。

 

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 

 途中で、どうしても上手く切れないものもあった。

 そうした栗は無理に焼かず、後で別の方法を考えることにする。

 

「……これくらいかな」

 

 星は切れ目を入れた栗を並べた。

 

 その後、焚き火を起こす。

 炎が落ち着き、赤い熾火ができるまで待つ。

 そこへ、栗を慎重に置いていく。

 ただし、火に近づきすぎないよう注意する。

 万が一破裂しても、顔や手を近づけていなければ危険を減らせるはずだった。

 

「……さて」

 

 星は少し離れた場所に座り、栗が焼けるのを待った。

 

 ぱちぱち。

 

 枝が燃える音。

 やがて、栗の皮が少しずつ黒くなり始めた。

 

「……おお」

 

 星は目を細めた。

 懐かしい匂いがする。

 焼き栗の香ばしい匂い。

 

「……ああ、いい匂い」

 

 思わず笑みがこぼれた。

 

 これまでの食事とは、また違う。

 魚の焼ける匂い。

 貝の磯の香り。

 どちらも美味しそうだったけれど、栗の香りには独特の温かみがあった。

 

 しばらくして、栗の皮が少し開き始めた。

 

「……そろそろかな」

 

 星は木の枝を使い、栗を火から離した。

 

 十分に冷めるまで待つ。

 そして、一つ手に取った。

 

「……熱っ」

 

 まだ、少し熱かった。

 

「……あはは」

 

 星は苦笑した。

 

 もう少し冷ましてから、改めて皮を剥く。

 硬い鬼皮。

 その内側にある渋皮。

 どちらも簡単には剥けなかったが、少しずつ取り除いていく。

 

 やがて、中から黄色っぽい栗の実が現れた。

 

「……おお!」

 

 星は目を輝かせた。

 

 ほくほくとした栗。

 石化前には、何度も食べたことのあるものだった。

 

「……いただきます」

 

 一口。

 

「…………」

 

 星はゆっくりと噛んだ。

 

 甘い。

 ほんのりとした、優しい甘味だった。

 

 それに、少し粉っぽい食感。

 噛むほどに、栗らしい風味が広がっていく。

 

「……おいしい」

 

 思わず呟いた。

 

 もう一口。

 

 ほくほく。

 

 口の中で、栗が崩れていく。

 

「……ふふ」

 

 星は小さく笑った。

 

「……栗だぁ」

 

 当たり前のことを言ってしまった。

 けれど、それ以外に言葉が思いつかなかった。

 石化して、目覚めて。

 森の中で生活するようになってから、初めて食べる栗。

 

 今朝、何となく食べたいと思ったもの。

 それが、今こうして手の中にある。

 

「……幸せだねぇ」

 

 星は小さく呟いた。

 そして、もう一つ栗を手に取った。

 

     ◇

 

 夕食には、川で捕まえた魚も焼いた。

 

 小さな魚が二匹。

 栗と一緒に食べれば、今までより随分とまともな食事になる。

 星は魚を処理し、十分に加熱してから口へ運んだ。

 

「……うん、美味しい」

 

 昨日までとは違い、少しだけ食事らしい組み合わせになった。

 

 栗。

 魚。

 それから、柑橘類の果実。

 

 これだけで栄養が完全に足りるわけではない。

 けれど、今日の食事は、これまでで一番充実していたかもしれない。

 

「……ふぅ」

 

 星は満足そうに息を吐いた。

 

 久しぶりに、腹の中に食べ物が入っている感覚がある。

 それだけで、随分と安心できた。

 もっとも、明日以降のことも考えなければならない。

 

 栗の木は、まだ実をつけていた。

 川には魚がいる。

 果樹園には柑橘類もある。

 

 これらを利用すれば、しばらくは食料を確保できるかもしれない。

 ただし、いずれ季節は変わる。

 

 栗が採れなくなる時期も来る。

 果実だって、いつまでも実っているわけではない。

 魚も、同じ場所でずっと捕まえられる保証はなかった。

 

「……保存食、考えないとね」

 

 星は小さく呟いた。

 

 食べ物が手に入るときに、少しずつ蓄えておく。

 旅人にとって、それは大切なことだった。

 

 前世でも、長旅に出る前には食料を用意していた。

 乾燥させた肉や魚。

 保存の利く穀物。

 硬く焼いたパン。

 

 ただし、今の星には塩も、十分な調理道具もない。

 それに、食材を安全に保存する方法も、まだ確立できていなかった。

 

「……やること、いっぱいだねぇ」

 

 星は小さく笑った。

 けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。

 むしろ、少し楽しかった。

 これから、何を作ろう。

 どんな方法を試そう。

 

 そう考えるだけで、次の日が楽しみになる。

 

     ◇

 

 夜。

 

 星は焚き火の前で、今日の記録を刻んでいた。

 

『八日目』

 

『昨日発見した海岸を再訪』

 

『石積みの構造物を調査。石段を確認。旧船着き場の可能性あり』

 

『一部の石積みは不安定。崩落の危険あり』

 

『海岸の背後に栗の木を発見』

 

『複数の木を確認。食料として採集』

 

『近くに大型動物の気配。猪の可能性あり』

 

『川の魚籠で魚二匹を捕獲』

 

『栗と魚を調理して食べた』

 

 そこまで書いて、星は手を止めた。

 

「……ふふ」

 

 今日は、随分と色々なことがあった。

 

 旧船着き場の調査。

 栗の発見。

 動物の気配。

 魚の捕獲。

 

 そして、久しぶりに腹を満たすことができた。

 

「……いい日だったなぁ」

 

 星は小さく呟いた。

 

 最初に目覚めたときは、何も持っていなかった。

 水を飲むことさえ、簡単ではなかった。

 火を起こすにも、何度も失敗した。

 食料を見つけても、安全に食べられるかどうか分からなかった。

 

 けれど、少しずつ変わっている。

 

 今は、食べられるものをいくつか知っている。

 水を確保する方法も覚えた。

 道具も、少しずつ増えてきた。

 

 そして、旅を続けるための準備が、少しずつ整っている。

 

「……うん」

 

 星は木札を眺めた。

 

 そこには、今日の発見が刻まれている。

 ふと、今朝のことを思い出した。

 栗が食べたい。

 何となく、そう思っただけだった。

 それが、まさか本当に見つかるなんて。

 

「……ふふ」

 

 星は小さく笑った。

 

 今日は、運が良かったのかもしれない。

 それなら、明日も何かいいことがあるだろうか。

 

「……楽しみだね」

 

 星は木札を重ね、紐を通した。

 

 石世界紀行。

 

 少しずつ増えていく、自分だけの旅の記録。

 

 これから、どれほどの景色を見られるのだろう。

 どれほどの場所を歩けるのだろう。

 

 想像すると、胸が弾んだ。

 

 星は空を見上げた。

 

 夜空には、いくつもの星が輝いている。

 

 その向こうには、まだ知らない世界が広がっている。

 

「……明日は、何しようかなぁ」

 

 小さく呟く。

 

 保存食を作るための道具を考えるのもいい。

 もう少し海岸を調べてみるのも楽しそうだ。

 

 それに、そろそろ拠点を移すことも考えた方がいいかもしれない。

 いつまでも、今の場所に留まるつもりはないのだから。

 

「……うん」

 

 星は小さく頷いた。

 

 まずは、今ある食料を無駄にしないようにしよう。

 それから、旅の続きを考えればいい。

 

 焚き火の始末を確かめ、星は寝床へ潜り込んだ。

 

 今日は随分と歩いた。

 身体は疲れている。

 けれど、昨日までとは少し違う。

 

 腹の中には、久しぶりにまとまった食事が入っていた。

 

「……おやすみなさい」

 

 星は静かに目を閉じた。

 石の世界で迎える、八度目の夜。

 

 人間がいなくなっても、秋は訪れる。

 木々は実をつけ、動物たちは食料を探して森を歩く。

 そこには、人間の文明とは関係のない営みが続いていた。

 

 星は今日、その恵みの一つを手に入れた。

 

 ――石世界紀行、第八日。

 

 秋の森で、栗を拾った。

 久しぶりに、腹を満たすことができた。

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