黒瀬夕子が救われて欲しかった…ただそれだけ。
俺が不良に憧れたのは、小三の時に読んだ流行りの漫画がきっかけだった。
あんな風に、喧嘩に明け暮れつつも、恋や家族との対立を通して青春を謳歌してみたかった。俺の家はそこそこ裕福だったが、半分厳格で半分寛容、おまけに半分放任主義という、すべてにおいて中途半端な環境だった。だからこそ、俺が不良を演じることは奇妙なほどすんなり許された。
こんなことを考えてはいるが、俺は馬鹿じゃない。
不良に終身雇用なんて概念はないし、大人になっても不良なんて名乗る輩は、ただの世間知らずの三流だ。精々が、学生までの特権に決まっている。
だから俺は、その学生の身分を存分に不良として過ごすことにした。だが、ただの不良じゃ意味がない。未来を見据えた不良だ。勉学は怠らないし、単位だって絶対に落とさない。要は、俺は「元ヤンのエリート」になりたいのだ。学生時代を不良としてアグレッシブに過ごす──それが、俺の青春構想だった。
幸い、小六にしてはやけに体格には恵まれていたし、腕っぷしも強かった。
ただ、漫画の主人公は群れないいわゆる一匹狼ってやつだったから、俺もそれに倣って集団を率いるような真似はしなかったが、それでも同学年トップの不良として君臨していた自負はある。
舎弟になりたいという声もなかったわけではないが、その件に関してはあまり思い出したくもないので今は置いておく。
とにかく、不良というか、小学生というのもあってガキ大将の方が近かったかもしれないが、少なくとも、東京にいるうちは、すべてが計算通りに上手くいっていた。
あの日、調子に乗って絡んできた地元の暴走族を半泣きにして返り討ちにするまでは。
その事件のせいで色んな方面から叱られて、順調に不良と学生の生活を両立していたというのに、成績は落とされるわ、学校に族が乱入してくるわで、大変な目にあった。
その時、俺は初めて自分の行いを悔いた。
学校に迷惑がかかったからではない。
族の奴らの執念深さを舐めていた過去の自分に対してだ。
経験上、不良──特に不良グループは一度シメれば二度と歯向かうことはなかったのだが、それは小学校までの話だった。
中学生になったとはいえ、相手は高校生の暴走族で、それまでの相手とは訳が違った。
奴らはメンツを大切にする。なぜなら周りに幅を利かせられるからだ。
ともかく、奴らは自分たちがたった一人に、それも中坊にやられたとなっては他の族からも舐められ、最悪内部分裂にまで発展するかもしれない。
それなりの族で頭を張ってるだけあって、リーダーはその起こり得る未来が見えていたのだ。
その結果、学校に乗り込んできた族はしばらくして帰ったものの、去り際に一人が俺の名前を高々に叫んだため、一瞬で騒動の元凶として教師たちから完全に目をつけられ、謹慎までさせられるという散々な目に遭った。
もちろん、報復として放課後真っ先に奴らのアジトに乗り込み、リーダーを含む十五人の暴走族をボコボコにしたが、その後、学校から連絡が入ったのか、放任主義の親父からも拳骨を喰らう羽目になり、勝負に勝って戦いに負けた俺は苦い屈辱を味わった。
挙げ句の果てに、腹の虫がおさまらなかった親父から、「しばらく頭を冷やしてこい」とばかりに九州の片田舎にいる親戚の家に放り投げられた──つまり転校させられた、という訳だ。
どうやら、メンツを気にするのは俺の親も同じだったようだ。
中二の七月に、これである。
せっかく中学生になり、ガキ大将から本物の不良に近づいたと思っていたのに出鼻をくじかれた気分だ。
だが俺は、内心でほくそ笑んでいた。
これぞまさしく、
手に負えなくなった不良息子が田舎に厄介払いされる。
一体何を憂うことがあるのか。
確かに普通の人なら眉を顰めて嫌がるだろうし、はたから見れば転落劇と捉えられてもおかしくはない。
だが俺は不良だ。
勉学を怠る気はないが、放課後に喧嘩だってするし、売られた喧嘩は基本買うような不良だ。決して優等生というわけではない。
つまり、周りがどう思おうが、大事なのは俺の気持ちの問題なのだ。
ともすれば、この流刑は俺の目指す不良像としてはむしろ名誉ある左遷と言えるだろう。
恐れることはない、堂々としていればいい。
そう思っていた。
だが、そんな浅はかな気持ちは引っ越し初日であっさり打ち砕かれた。
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開いたドアからカビ臭い匂いのエアコンで満たされたバスを降りた瞬間、カンカン照りの太陽が頭を直撃した。
東京で流行している、スタイリッシュに手入れをしたヘアスタイルと、都会の空気感をそのまま引きずったラフな私服が、こののどかな田舎の風景の中で浮きまくっていた。
「……はぁ。クソ暑ぃ…最悪だな、おい」
バス停から降りて親戚の家へ向かう道を歩きながら、俺こと
降りる場所を一個間違えて町から離れたところで降りてしまったから、というのもある。
だが、俺の吐いたため息は大半がこの町の空気感に対してのものだった。
東京にいた頃は、毎日何かしらの刺激やトラブルに満ちていたというのに、この町はどうだ。視界を埋め尽くすのはうっとうしいほどの青空と、どこまでも続く山、そして圧倒的な退屈感。
確かに厄介払いされるなら田舎ではあろうが、ここまで田舎臭いとなると俺という存在が浮いてしまう。
小学校の頃のように一匹狼として浮くとかではなく、幕末のペリーのような…そう、宇宙人のような未知の存在のように扱われそうだ。
そう思うくらい、ここはあまりにも田舎すぎる。新宿の摩天楼が恋しくなる思いだ。
駅すらないこの一帯は、走っているのは一本の国道だけで、商業施設は中心街にしかなく、無駄に自然ばかりが豊かだった。この閉塞しきった空気のなかにいるだけで、肺のあたりが締め付けられるような窮屈さを覚える。
「まあ、この田舎の不良どもがどれくらいのレベルなのかは気になるな。東京の奴らの足元にも及ばねぇガキどもばっかだったら、マジでする事なくて干からびそうだぜ」
斜に構えて悪態をつきながら、俺は時間つぶしを兼ねて、そのへんの町並みをダラダラと歩いてみることにした。
──途中、地図を片手に歩いていると、やけに陰鬱とした雰囲気を漂わせる、柵で囲まれた深い谷底のような場所に行き当たった。
(あそこか。昔、親戚のおっさんがやけに気味の悪いトーンで語っていた場所は)
『俺の地元に「情死ヶ淵」っていってな、昔から心中する奴が絶えない呪われた場所があるんよ。遼も来たらええ……』とか言ってたような。
東京の親戚の集まりの場で、田舎者特有の湿ったオカルト話を聞かされた記憶が蘇る。
まあ十中八九、小さかった俺を怖がらせて揶揄うためのものだろうが、何分幼かった俺はそれなりに震え上がったものだ。
柵の向こうを覗き込み、澱んだ水面と鬱蒼と茂る木々を見下ろしながら、俺は鼻で笑った。
「……はっ。自分で命を投げ出す奴らの言い訳を土地のせいにしただけのただの川だろうが、くだらねぇ」
青木ヶ原、東尋坊、どれもこれも胡散臭いったらありゃしない。
本当に死を願う奴がそんなところでわざわざ死ぬわけないだろうが。
興味を失った俺は、すぐにその場を後にした。
そのすぐ近くにあった、どこかのんびりとした佇まいの警察署を鼻で笑いながら通り過ぎ、いよいよこの町で一番栄えているという商店街へと足を踏み入れた。
「……ここが、この街で一番栄えている……か」
案の定、道ゆく人は俺を物珍しそうに見てくるが、そんなことは気にも留めず、商店街を見渡す。
目の前に続く商店街は、人通りは多いものの、実際は夜はあまり栄えていないようで、見たところスナックが一軒あるくらいで、バーやクラブのような高尚な店は無いようだった。
俺の親じゃないが、まさしく中途半端と言ったところか。
渋谷の人混みや、夜のネオンの眩しさに慣れた俺の基準からすれば、笑うしかないほどの栄え様の差に、俺は思わず馬鹿にするように鼻でフッ、と笑った。
そのときだった。
なんとはなしに通り過ぎようとした俺の視界の端に、一人の少女の姿が見えたのは。
向こうから、同級生らしき集団と一緒に歩いているその少女をちらりと横目で見て、すぐに同中の人間だと分かったのは、その少女が、俺がこれから通うことになる中学校の制服に身を包んでいたからである。
綺麗な黒髪がサラリとポニーテールにまとめられ、おまけに整いすぎた容姿をしていた。東京にいた頃のスクールカーストの最上位にいてもおかしくない、いや、それ以上のレベルの美少女だ。
(……ふーん。こんな田舎にも、一応こういうタマがいるわけだ)
最初は、どうせこの閉塞した田舎町で、周りの男どもからチヤホヤされて舞い上がる、そんなタイプなのだろうと勝手に推測した。
──だが、よく見れば、それはまったくの勘違いだと気づく。
少女は、同級生たちを安心させるような「活発で明るい笑顔」を浮かべていた。いや、貼り付けていたと言った方が正しいか。
しかし、東京にいた頃は頻繁に夜の街に繰り出していた俺のセンサーが強烈な違和感をキャッチする。
違う。あれはそんな単純な笑顔じゃない。
いや、純粋ではあるのだろうが、笑顔の理由に根本的な歪さを感じるのだ。
あの笑顔は不細工だと、俺の直感が、そう告げていた。
ふと、すれ違いざまにその少女と一瞬目が合うが、すぐ逸らされた。
やはり、間違いない。
一見して明るく見えるその表情の裏側で、彼女の目は完全に死んでいた。まるで、生きるための気力を保つために、自分の心や尊厳をすり減らし、何かをすり潰し続けなければ立っていられない人間特有の──底無しの闇を孕んだ、一歩間違えればこっちまで引き摺り込まれそうな目。
東京で散々見てきた奴らと、全く同じだった。
(……マジか。ってことは、周りの奴らもすでにあいつに引き摺り込まれているのか?それともわかっていて一緒にいるのか?いや、おそらくそれは無いだろう。普通の人間は気づかない)
頭の中で、様々な想像が行き交うが、俺は足を止め、遠ざかっていくその背中を少し離れた場所から見つめた。
(……まあ、全部俺の勝手な想像にすぎない。あいつが本当は何を考えていたのかなんて、俺に分かるはずもない)
東京の喧騒とは違う、もっと陰湿で、逃げ場のないこのドロドロとした田舎町。その澱みの中で、自分と歳の変わらない少女が、あんな深刻な闇を抱えている。
胸の奥で、カチリと何かが噛み合ったような音がした。
退屈な田舎だと吐き捨てたばかりの脳内で、先ほどまでの田舎の鬱陶しさが嘘のように消え去っていく。
「……まあ、よくよく考えれば、これだけ閉鎖的な環境なら、この年でそれなりの闇を抱えてる人間もいるわな」
俺は口の端をニヤリと歪め、誰に聞かせることもなく小さく呟いた。
「どっちにしろ、先ほどの前言は撤回しないとな」
この町、想定していたよりは退屈はしなさそうだ。
そんなことを思い、俺は親戚の家に向かって再び歩き始めた。
〜親戚の家にて〜
「ちなみに、学校に通い始めるのは夏休み明けになるぞ」
「……は?」
「もうすぐ夏休みだからな。今から一か月半ほどは休みだ。なんだ、お前の親父から聞いてなかったのか?」
「嘘やん」
この町での華々しい都会人不良デビューは、どうやらもう少し先になりそうだった。
なんで少年のアビスの二次創作無いんですかね?
不思議すぎる。