「ちなみに、学校に通い始めるのは夏休み明けになるぞ」
「……は?」
「もうすぐ夏休みに入るからな。今から一か月半ほどは休みだ。なんだ、お前の親父から聞いてなかったのか?」
「嘘やん」
叔父の家で告げられたその一言に、俺は思わず盛大に脱力した。
転校早々、突っかかってくる学校の不良を放課後片っ端からシメて、華々しい「都会人不良デビュー」を飾るという俺の青春構想は、見事に夏休みというカレンダーの壁に阻まれて初日から粉砕されたわけだ。
一ヶ月半も自宅待機とか、独房暮らしと大して変わらねぇじゃねぇか。
とはいえ、おっさんの家でエアコンの効いた部屋でじっとしているのも、俺の性に合わない。だらだらと腐っていても仕方がないので、とりあえずはこの退屈な町の生態系を把握することに決めた。
暇を持て余した俺は、町をあちこち歩き回ることにした。
夏休みも近いとあって、昼前だと言うのにアスファルトから立ち上る陽炎が眩しいほどの暑さである。商店街を中心に、町の施設や人通りをじっくりと観察して回る。都会のような刺激的なビル風なんてものは一切なく、どこを向いても緑の山と色あせた看板ばかりだ。
歩いているうちに、この町にも「それなりの溜まり場」があることに気づいた。
商店街の片隅にある古臭い喫茶店には、昼間からリーゼントに短ランを着た不良らしき連中がたむろして煙草を吹かしている。
また、町外れまでしばらく歩くと、田んぼに囲まれてポツンとあった廃屋のまわりにも、バイクの音がチラホラと聞こえ、どうやらあそこもここの不良連中の溜まり場らしいことがうかがえた。
東京の荒波に比べれば規模は小さいし、やっていることも所詮は地方の井の中の蛙といったところだが、どうやらこの町にも独自の不良文化はしっかりと根付いているらしい。
まあ、完全に無法地帯というわけでもないが、退屈しのぎの相手くらいにはなりそうだ。もちろん、俺はこの段階ではまだ深入りせず、あくまで外から観察するに留めておいた。
そんな散策を始めて何日目かのことだった。
商店街から少し外れた、人通りの少ない裏路地を通りかかったとき、聞き捨てならない声が耳に飛び込んできた。
「おら、もっと出せや。これっぽっちの金じゃ、なんもできんわ」
「……っ、今はこれしかないです……」
「あぁん? 嘘つくなや。お前最近羽振りいいって聞いたけん、もっと持ってるやろ?」
見ると、派手な染め髪をした不良らしき男が数人、俺と同年代だろう少年を取り囲んでカツアゲの真っ最中だった。
俺は足を止め、やれやれと呆れたように息を吐く。自分よりあきらかに弱そうな奴を数人がかりで囲み、みみっちく小銭を巻き上げる。
ああいう惨めな輩は、田舎でもやる事のスケールが小さすぎて、見ていて虫酸が走る光景だ。
最初は「関わるだけ時間の無駄か」と通り過ぎようとした。だが、どうにも腑に落ちない。
俺が目指す元ヤンエリートの美学からすれば、あんなものは不良でも何でもない、ただのクズだ。
気がついたときには、俺はわざわざ連中の輪へと足を踏み入れていた。
「なあ、お前ら。それ楽しいの?」
不意に投げかけた俺の声に、不良たちがビクリと動きを止め、一斉にこちらを振り返った。
「だれやお前、ここらじゃ見ない顔やな」
「そんなこと、今はどうでもいいだろ。それよりも聞きたいのは、自分より弱い奴を囲って、金を巻き上げる。そんなことして何が面白いんだ?ってことだ。到底、俺には理解できなくてな」
「はぁ? ハハッ。お前、何言うとるん?」
向こうの一人がこちらへ体を向ける。
「んなもん、面白いに決まってるやろ。自分より弱い奴が自ら頭下げて金を差し出す…まさしくヤンキーの醍醐味ってやつや」
時折方言を使いながら、男は声高々に言った。
「ふーん。にしては、こんな路地裏に連れ込んでる見たいだけど、もっと人通りの多いところではやらないんだな」
周りを見渡しながら冷ややかに言い放つと、案の定不良たちの顔にみるみる怒りの色が浮かび上がってきた。当然の反応だ。
「おい、お前。さっきからなんなんや。俺らがやってることになんか文句でもあるんか? あ゛ぁん?」
「そもそも、お前誰や。どこ中か言うてみぃっ!」
男たちが睨みながら詰め寄ってくる。
「西中。と言っても、東京から越してきたばかりだからまだ生徒ですらないけど」
「東京ぅ? お前東京から来たんか」
「ハハハッ。どうりで変な喋り方してるわけや」
「変な喋り方ぁ?」
「なんや、自分が浮いてることに気づいてないんか?」
「こいつは驚いた、おめでたいやっちゃ」
「東京の奴らは随分遅れてるんやなぁ、ハハッ」
口々に俺を見て笑う男たち。
だが、俺はポケットに手を突っ込んだまま、余裕の笑みを崩さずに言い放った。
「都会から来た俺からすれば、お前らの喋り方の方が方言きつくて田舎臭いけどな。将来東京に行く時までに直しといた方がいいぞ。ま、そんな機会多分一生ないだろうけど」
カチン、と何かが切れる音がした。
不良のひとりが怒声とともに胸ぐらを掴みにかかってくる。
待ってましたとばかりに、俺は男の一人が拳を振り上げて飛びかかってくるのをかわして、横顔に重い一発をくらわせた。
そのまま男が倒れ込んだのを皮切りに、残りも怒声と共に向かってくる。
喧嘩の始まりだった。
正直、相手の動きは完全に読めていた。東京で暴走族を相手に立ち回っていた俺からすれば、喧嘩慣れしていない不良のパンチなど、スローモーションのようにすら見える。
ただし、ここは完全にアウェイの土地だ。人数も向こうが上だし、地元の地形や裏事情も分かっていない。正面から力任せに突っ込んでくる奴をいなすだけでなく、不意の横やりを予測しながら立ち回る必要があった。
それでも、数分後。
アスファルトの上に転がっていたのは、見事に沈められた地元の不良たちだった。
「ゔぅ……」
「くそ…痛ぇ……」
痛みに悶える奴らを一瞥し、俺は軽く肩の埃を払う。流石に無傷とはいかなかったが、決定的なダメージはない。
ふと辺りを見渡すが、先ほどまでいた学生は消えていた。どうやら隙を見て路地裏から逃げたらしい。
まあ、初戦としてはこんなものだろう。
この一件が終わると、案の定というか何というか、町の不良たちの間で俺の存在が妙な形で噂になり始めることになった。
「東京からヤンキーが来た」
「北中の連中と派手に揉めたらしい」
「しかも、喧嘩がバカみたいに強いらしいぞ」
そんな噂が、狭い田舎町らしく一瞬で、学生の間やヤンキーたちの耳に届いていく。だが、俺自身は自分の名前が面白おかしく知られていくことに対して、「あいつら北中? の奴らだったのか」と、特になんとも思っていなかった。
それから数日後。
またしても暇を持て余していた俺は、午後の日差しのなかしみったれた町を飴を咥えながらブラブラと散策していた。
夏休みに入り、日中のアスファルトはジリジリと肌を焼くように暑い。どこかで涼しいものにでもありつこうかと思っていた矢先、少し開けた公園の脇の道で、嫌なものを見かけた。
数人の男たちが、一人の女子中学生を取り囲んで何やら絡んでいる。制服の色からして、この前シメた学校──「北中」の不良どもだった。
(また北中かよ。ほんと、この町のクズどもは年中無休で暇を持て余してんな)
最初は、面倒事に首を突っ込む気なんてさらさらなかった。俺はあくまで一匹狼の不良だ。見知らぬ奴らのいざこざにわざわざ割って入る義理はない。
だが、近づくにつれて、その中心にいる女子中学生の姿がはっきりと見えて、俺の足が自然と止まった。
──あれは、あの日の商店街ですれ違った、黒髪のポニーテールの少女だ。
北中の不良たちは、怯えるでもなく冷めた目を向ける彼女に対して、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら執拗にまとわりついている。
(……ほんとダセェな)
脳裏に浮かんだのは、その一言だった。
数人がかりで、しかも女子一人を囲んで絡む。見ているこっちが恥ずかしくなるほどに、絵に描いたような三流のクズの所業だ。
ため息をつきながら、俺はポケットに片手を突っ込んだまま、面倒くさそうに連中の背後へと歩み寄った。
「おい、お前ら……って、なんだ。この前のやつらかよ」
気の抜けた声で声をかけると、絡まれていた少女と、北中の不良たちが一斉にこちらを振り返った。
不良たちの顔が、一瞬で驚愕と恐怖に歪む。俺の姿を認めた瞬間、奴らの血の気がサーッと引いていくのがよく分かった。
「っ! てめぇは……!」
「なんだよ。またやるか?」
俺が不敵に笑いながら首を鳴らしてみせると、北中の不良たちから同様の声が上がる。
「チッ……!なんなんだよ。お前は関係ねぇやろが!」
「あぁ? 関係大ありだわ。お前らさ、俺だけじゃなくて他の奴らにとっても目障りだってこと、いい加減気づけよ。それとも…ほんとにまたやりたいのか?」
ハッタリを混ぜて凄みを利かせると、奴らはビクリと肩を震わせた。これ以上このヤバそううな都会人とやり合うのはヤバいとでも思ったのだろう。
「ちっ……! 覚えとけよ!」
負け惜しみの捨て台詞を吐き捨てると、北中の不良たちは蜘蛛の子を散らすように慌ててその場から逃げ出していった。
あっけない幕引きだった。
やれやれと肩をすくめ、その場に残された少女の方に視線を向ける。
彼女は少しだけ目を丸くしていたが、すぐにいつもの、あの完璧な「作り笑い」の仮面を貼り付けた。
「あの……助けてくれて、ありがとね」
落ち着いた声で、礼を言われる。
だが、俺は大したことをしたつもりもなければ、正義の味方面をする気もない。
「ん、別に。見てて恥ずかしかったから止めただけだ。気にするな」
「恥ずかしかった…って?」
「女子一人を数人がかりで囲むような奴らだぜ? そりゃ見てて情けなくもなるだろ」
「…ぷっ、あははははは!!! た、確かにそうだね」
軽く手を振って受け流すと、少女は目をパチクリとさせたかと思うと、次の瞬間には腹を抱えて笑っていた。そして、俺の顔をまじまじと見つめながら、何かを思い当たったように呟く。
「……ところで、もしかして君、最近噂になってる……東京から来たっていう……」
「ああ。遠山遼だ。あんたは……この前、商店街ですれ違ったよな」
「うん。私、黒瀬夕子。……遠山くん、でいい?」
「あぁ」
こうして、俺たちはちゃんとした言葉を交わし、互いの名前を知ることになった。
そこから、少し立ち話をしたが、どうやら夕子は東京に対して興味があるらしく、しきりに東京について聞いてきた。
俺はそれに丁寧に答え、時折冗談を交えて話すと、夕子はそれを真に受けるので、その度に揶揄って笑ったりした。
その笑みから、嘘は感じられなかった。
やはり、この前商店街ですれ違ったときに感じたものは、勘違いだったのだろうか。
そう思った矢先だった。
ふと、夕子の顔を見ていると、一瞬、ほんと一瞬だったが、表情の印象が変わった。
何が変わったのか。そう思って彼女の顔を見つめていると、やがて俺の視線はその目に吸い寄せられた。
普通の目に見えるが、底の知れない澱みと、自分で自分をすり減らしているような、奇妙な冷たさを感じさせた。
なぜ彼女がそんな目をしているのか、何に怯え、何を隠しているのか。
その理由までは、流石に今の俺には分からない。
分からないが、ただ「こいつの笑い方は、どこか歪んでいる」という引っかかりだけが、脳裏の片隅に残った。
「ごめん、私、そろそろ行かないと。また話そ!」
ふとこちらを向いたかと思うと、夕子は踵を返した。まるで、それ以上踏み込ませないようにするかのようだった。
「おう。気をつけて帰れよ」
「うん! って言っても、すぐそこなんだけどね!」
そうなのか、と思っていると、そのまま軽やかな足取りで近くのスナックの方へと走っていった。
家がスナックなのだろうか?
そんなことを思いながら、俺は小さく息を吐き、自分の帰路へと歩き出す。
途中、さっきの一件を思い出したが、また思考の隅に追いやった。
同級生の少女──黒瀬夕子
名前を知って少し話したくらいで、彼女のことを分かった気になったわけじゃない。
むしろ、話せば話すほど、あの笑顔の裏側に何かが隠されているような気がしてならなかった。もっとも、今の俺にそれを確かめる術はないし、わざわざ首を突っ込む理由もない。
この町には、来たばかりなのだ。まだまだ知らないことは多い。まずはこの町に慣れるのが先だ。学校にすら行けてないのだから。
そう自分に言い聞かせ、俺は再び歩き出した。