彰はそのまま一年Aクラスのある方へ向かった。放課後の廊下は、昼間より少し騒がしい。部活見学に向かう生徒、寮へ戻る生徒、まだ教室に残って話している生徒。入学して二日目とはいえ、もうそれぞれの過ごし方が分かれ始めている。
Aクラスの前まで来た彰は、いきなり中へ入ることはせず、まず開いた扉の横から教室内を軽く見る。昨日より人は少ない。ツルツルの周辺には数人が残っていて、何やら真面目な話をしている。
そして、少し離れた席。ーーいた。
杖を傍らに置いた少女、彰は一瞬だけ足を止めた。
(やっぱめちゃくちゃタイプだな)
昨日は遠目だった、今日はもう少し近い。
小柄な体格、白銀に近い髪、落ち着いた佇まい。周囲の同年代よりも妙に完成された雰囲気がある。
「……」
彰は数秒見てから、自分で少し呆れる。
(何しに来たんだ俺)
名前を知りたい、できれば話したい。それだけだったはずだ。それでも微妙に緊張する、帰りたい。
とはいえ、ここまで来て廊下から眺めて帰るのも気持ち悪い。彰は覚悟を決めて扉を軽くノックした。教室内の数人が振り返る。
当然だ。入学二日目で他クラスの生徒がAクラスの教室へ来れば、多少は目立つ。彰はその視線を気にせず、中へ半歩だけ入った。
「すみません」
近くにいた男子生徒が彰を見る。
「何か用か?」
「ちょっと人探し」
彰はそう答えてから、あの子の方を見る。その視線を追った男子の表情がほんの少し変わる。
「坂柳さん?」
彰の耳が反応した、坂柳って言うのか。
「そう、その子」
坂柳本人もこちらへ顔を向ける、目が合う。昨日の廊下以来、二度目。
彼女は彰を数秒観察した。
「私に何か御用でしょうか?」
柔らかい口調。ただし、親しげというより丁寧に距離を測っている。彰は坂柳の席の少し手前で止まった。近づきすぎない。
「いや、大した用じゃないんだけど」
「では、どのような?」
「昨日、廊下から見かけてさ。ちょっと気になったから名前くらい知りたいなと思って」
周囲の何人かが微妙な顔をする、かなり率直だった。坂柳は一度だけ瞬きをする。
「それだけのために、わざわざこちらまで?」
「うん」
「随分と行動的なのですね」
「興味あることにだけは」
彰は軽く笑った。坂柳はその返答を聞き、ほんの僅かに口元を緩める。
「来栖彰、1年Dクラス」
「坂柳有栖と申します。来栖くん、ですね」
雰囲気だけではなく話し方も落ち着いている。
(見た目だけじゃなくて喋り方も好きだな、これ)
ただし、その感情を顔に全部出すほど素直でもない。
「よろしく、坂柳」
彰が言う。
「ええ。よろしくお願いします」
坂柳は、彰を見てから。
「昨日も、私たちの教室を見ていましたね?」
彰の眉が少し上がる。
「覚えてた?」
「ええ。廊下から随分と注意深くこちらを見ていましたから」
「そんな見てたかな」
「ご自身ではお気づきでないのですか?」
「癖なんだよ。人とか場所とか、割と見る」
「なるほど」
有栖の視線が少し鋭くなる、露骨ではない。だが彰には分かる。今、少し評価の仕方が変わった。
(この子も人見るタイプか。しかもだいぶ怖い感じ、見下すとは違うけど、絶対的な自信が見える)
彰の興味がもう一段上がる。
「坂柳ってさ」
「はい?」
「チェスやる?」
唐突だった。坂柳の反応が、初めて明確に変わった。
僅かに目を細める。
「……ええ。嗜む程度には」
その答え方、彰は少し笑った。
「その言い方する奴、大体強いんだよな」
「そうでしょうか」
「俺も好きなんだよ、チェス」
「まあ。ところで、なぜチェスをすると分かったのですか?」
「なんとなく。チェスする姿似合いそうだなって」
その言葉に偽りはなかった、彼女がチェスをする姿を考えると妙にしっくりきた。ただそれだけ、できれば同じ趣味があると嬉しいなとか思ってない。
それを聞いて坂柳は少しだけ微笑んだ。今度の笑みは、先ほどより少しだけはっきりしている。ただし、それは恋愛的な好意でも親しみでもない。
純粋に話題への興味。
「来栖くんは、どれほど?」
彰は少し考える。自分で自分を強いと言うのも妙だし、変に謙遜するのも違う。それに正確な強さの位置はわからない。
「結構?」
「随分曖昧なのですね」
「比較する相手があんまりいなかったから」
「では、いずれ対局してみますか?」
彰の目が少しだけ開く、想定より早い。
「いいの?」
「チェスがお好きなのでしょう?」
「好き」
「でしたら、強さを確かめるには対局が一番です」
坂柳は静かに微笑んだ、彰も笑う。
「それは確かに」
そこで、彰はふと思う。
初対面。
Aクラス。
Dクラス。
普通なら、もう少し警戒されてもいい。だが坂柳は拒絶しない。
だからといって、信用されたとも思わない。
むしろ――。
(この子、俺に興味持ったってより、ただの遊び相手として見てるな。しかも蹂躙するための、そういう目だ)
そう判断する、それで十分だった。
「じゃあ連絡先交換しよ」
「ええ、構いませんよ」
彰は軽く手を上げて、Aクラスを出る。廊下へ戻ってから、少し歩いたところで小さく息を吐く。
「……当たりだな」
見た目。
雰囲気。
喋り方。
しかもチェスまでやる、かなり刺さっている。
ただ、好きになるにはまだ早い。相手がどういう人間かも知らない。彰はその辺りを混同しない。
それでも――。
(早めに対局したいな)
一番楽しみな予定ができた。