入学して一週間ほど経った昼休み。午後に水泳があるというだけで、朝から池や山内のテンションは妙に高かった。
「水泳って最高だよな」
「授業なのに合法的に女子の水着が見られるんだぞ?」
聞こえてくる会話に、彰は顔を上げた。
「お前らは本当に元気だな」
「来栖、お前興味ねえのかよ!」
池に当然のように聞かれ、彰は少し考える。
「あるけど、そんな堂々と言う?」
「ほらある!恥ずかしがるなって!」
「恥ずかしいだろその声のボリュームは」
彰は笑いながら、ひとつ後ろの清隆を見る。
「清隆は?」
「何がだ」
「水着」
「急に雑な質問をするな」
「興味ある?」
清隆は少しだけ考えてから、普通にはと返した。
「ほら!」
池が勝ち誇ったように指差す、彰は笑う。
「親友も男の子でした」
「親友ではない」
入学してまだ一週間。それでも、このやり取りだけは少しずつ日常になり始めていた。
午後。屋内プールへ移動すると、彰は軽く辺りを見渡した。まだ学校自体に慣れていないせいか、クラスメイト同士の距離感にも微妙な差がある。既に集団を作り始めている者もいれば、一人でいる者もいる。
「おー」
彰は何となく声を漏らす、隣の清隆を見る。
「清隆」
「なんだ」
「お前、思ったより身体すごいな」
「そうか?」
「そうだろ、てかアスリートレベルじゃねえのこれ」
細身に見えるが、無駄がない。ただ細いだけじゃない。彰は目を少し細めた。筋肉の付き方、立ち方、重心。
中学まで野球をやっていた彰には、運動していない人間の身体には見えなかった。そこへ堀北も清隆の体つきに気づいたらしく、運動経験について聞いている。清隆は遺伝のようなものだと流した。
彰は横からじっと見る。
「……嘘くさ」
清隆がこちらを見る。
「何がだ」
「いや、別に」
まだ証拠はない、だから追わない。ただ覚えておく。
「来栖くん!」
今度は明るい声が飛んできた。
「お、桔梗ちゃん」
「桔梗ちゃん!?」
「そろそろ仲を進展させたいなと」
「雑だしびっくりしたよっ」
櫛田がこちらへ来て、自然な笑顔で話しかけてくる。そのまま堀北にも声をかけるが、堀北の反応は相変わらず冷たい。
彰は二人を交互に見る。
「堀北、もうちょい優しくしたら?」
「あなたには関係ないでしょう」
「はい」
即撤退する、櫛田が苦笑した。
「来栖くん、諦めるの早いね」
「勝てない戦はしない主義なので」
やがて教師から準備運動の指示が出て、最後には男女別の50メートル自由形を競うことになった。夏に向けて泳げることが重要になる、というような説明も入る。
「競争か」
彰は軽く腕を回す、水泳は得意でも苦手でもない。野球部時代に体力はあったが、本格的に泳ぎを習ったことはなかった。
まず女子、彰はプールサイドから眺める。
「速っ」
一際速い女子がいる、小野寺だった。続いて堀北、櫛田もかなり健闘している。最終的には小野寺が女子全体で最速、堀北が2位、櫛田が4位となった。
戻ってきた堀北に、彰が軽く声をかける。
「堀北、普通に速いじゃん」
「普通ではないと思うけれど」
「そこ自信あるんだ」
「事実を言っただけよ」
「はいはい」
次は男子。彰はスタート台の近くで、他の男子を見る。須藤、見るからに強い。平田も運動能力は高そうだ。
そして、
「……あの人何?」
高円寺を見て彰が呟く、清隆が横から答える。
「高円寺だ」
「名前聞いてない。なんであんなやばい身体なの」
「高円寺だから」
「ああ、確かに」
もうそれで納得できるほど、高円寺は高円寺だった。
レースが始まる、彰自身も泳ぐ。飛び込み、水を掴む。脚を打つ。悪くない。ただ、水泳特有の身体の使い方にはまだ慣れていない。
(腕だけ強く回しても駄目だな。抵抗増えてる)
途中で自分のフォームの無駄に気づく、次の瞬間。少しだけ身体の位置を変える、水面に対して身体を浮かせる、蹴るというより、流れを切らさない。
「……なるほど」
上がってから、彰は自分の腕を見る。一回泳いだだけで改善点はいくつも見えた。面白い。だが、その興味はすぐ別のところへ移った。
高円寺の泳ぎ。
「は?」
明らかに速い、須藤より速い。力任せですらない、余裕がある。
結果、俺は真ん中より少し上。高円寺が1位。須藤が2位、平田が3位。そして清隆は10位だった。
彰は順位を聞いて、清隆を見る。
「……10位?」
「ああ」
「ふーん」
「なんだ」
「いや?」
彰は笑っている、清隆も表情は変わらない。でも、彰の頭には、情報が整理されていた。あの身体、あれで10位。もちろん、水泳が得意とは限らない。だから、まだ何も断定できない。
「清隆」
「なんだ」
「お前、本気で泳いだ?」
「普通に泳いだ」
彰は数秒見る。
「質問変えるわ、本気で勝とうとした?」
一瞬。ほんの一瞬だけ、清隆が彰を見る。
「そこに違いがあるのか?」
「あるでしょ」
彰は笑った、それ以上は聞かない。まだ知り合って一週間、今ここで問い詰めるほどの材料でもない。けれど、ひとつだけ。清隆という人間に対する小さな違和感が、彰の中に残った。
一方で、須藤は高円寺に負けたことがかなり不満らしい。
「クソッ……なんなんだよあいつ」
「一人だけ漫画のキャラみたいだったな」
彰が言うと須藤が振り返る。
「何言ってんだお前」
「いや、なんか余裕だったから」
少し離れたところでは、高円寺が自分の肉体美に満足そうな顔をしている。
「……やっぱ変な学校だな」
「まだ一週間だぞ」
清隆が言う、彰は笑う。
「一週間で充分変だよ」
やがて授業も終わり、彰は更衣室へ向かいながらもう一度だけ振り返る。
綾小路清隆。無表情で何を考えてるかわからないが、頭が切れて、引き締まった身体、そしてそれに見合わない結果。
入学して一週間。
この頃の来栖彰はまだ、自分がこれから三年間、目の前の無表情な親友を追いかけ続けることになるなど知る由もなかった。