四月の残りは、思ったより早く過ぎていった。
彰の日常は、かなり単純だった。
授業を受ける。
放課後は遊ぶ。
暗記科目では露骨に死ぬ。
読解や初見の思考問題だけ妙に強い。
休み時間には清隆と適当に話す。
たまに池や山内や須藤に絡まれる。
櫛田や平田とは普通に話す。
他のクラスメイトともある程度は話す。
そして合間合間で堀北に刺される、精神的に。
そして――数日に一度、坂柳とチェスを指した。
最初の一局以降、坂柳から声がかかることもあれば、彰から今日暇?と送ることもあった。
「今日は勝つ」
「前回は引き分けでしたよ?」
「だから今日は勝つ」
「ふふっ。随分と自信がおありで」
結果は――彰の負け。
「……クソ」
盤を睨む彰に、坂柳が楽しそうに笑う。
「来栖くん、最後のナイトは少々欲張りましたね」
「分かってる。言わなくていい」
「負けず嫌いですね」
「坂柳にだけは言われたくねえ」
次局。
今度は彰が勝った。坂柳が盤面をじっと見る。彰は勝ち誇るでもなく、ただ満足そうだった。
「よし」
「嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいよ」
坂柳は悔しがる様子を大きく表には出さない。ただ――彰には分かる。笑顔の奥で、明らかに次を考えている。
(ほら、やっぱ戦闘民族じゃん)
口には出さなかった。二人の対戦成績は少しずつ積み上がり、勝ったり負けたり、引き分けたり。大きな差はつかない。それが、どちらにとっても心地よかった。
そして定期的に本をおすすめしてもらった。読み終わった次の対局で感想を語り合いながらチェスを打つ。…たまに感想の話に気を取られ読み落とし、それをお互いにいじり合った。それも含めて楽しい時間だった。
一方、Dクラス。こちらは、少しずつ酷くなっていた。
授業中の私語
居眠り
遅刻
スマホ
須藤などは露骨に授業へ興味を失っている。池や山内も似たようなものだった。教師たちは注意こそするが、強く叱るわけではない。彰はその状況を数日見たところで、清隆へ小声で言った。
「これ、やっぱ変だよな」
「何がだ?」
「教師」
清隆が彰を見る、彰は前を向いたまま続ける。
「普通もうちょい怒るだろ。特に茶柱先生」
「確かにな」
「注意はする。でも、それで終わり」
「何か意図があると思うのか?」
彰は少し考える。
「ポイントと繋がってる可能性高いと思う」
清隆も否定しなかった。ただ、二人ともクラスへ警告しようとはしない。
彰にはまだ確証がない。そして、確証がないものを大声で言う気はなかった。
何より一番の理由は――。
(言っても聞かねえだろうな)
池たちは十万ポイントにすっかり慣れていた。
放課後に遊ぶ
好きなものを買う
食事も少し豪華になる
彰自身は必要最低限しか使わなかった。一度、池に聞かれる。
「来栖、お前全然金使ってなくね?」
「使ってるよ。飯とか」
「そうじゃなくて! 服とかゲームとか!」
「今いらねえし」
「十万あるんだぞ?」
「来月また十万入るって保証どこにあるの?」
池は笑った。
「先生言ってただろ?」
「“毎月十万入る”とは言ってない」
「細けえなあ」
彰もそれ以上言わなかった。その頃、清隆の周辺では櫛田が堀北と仲良くなろうと動いていた。彰も何度かその様子を見る。
ある日の休み時間、櫛田が堀北の席へ行く。
「堀北さん、今日お昼一緒に食べない?」
「結構よ」
「じゃあ放課後は?」
「必要ないわ」
「……そっか」
櫛田は笑顔を崩さない、彰はそれを横目に見る。
(頑張るねえ)
清隆も少し巻き込まれているようだった、ただし彰は首を突っ込まない。堀北自身が関わりを望んでいないなら、それを無理に変えようとは思わない。だが、いつの日か見せた櫛田から堀北への敵意の目…あれだけは彰の中で引っかかっていた。
一方。坂柳との会話では、ポイント制度について時々情報交換をするようになっていた。
ある日の帰り。
「D、結構酷くなってきたよ」
彰が言う。
「授業態度ですか?」
「うん、遅刻とか寝る奴とか増えてる」
「先生方は?」
「ほぼ放置」
有栖は少し考える。
「それ自体が評価対象なのでしょうね」
「やっぱそう見る?」
「少なくとも、学校側に止める理由がないのなら」
彰は頷く。
「そうなるよな」
「Aは全然なんでしょ?」
「ええ、比較的真面目な方が多いですね」
「一之瀬も同じこと言ってたし、やっぱクラス差あるよなー」
坂柳が横目で彰を見る。
「来栖くんは、クラスメイトへ伝えないのですか?」
「確証ないし」
「それだけですか?」
彰は少し黙る。
「……言っても聞かないと思う」
「なるほど」
「それに、本人が選んでることまで全部止める気はねえよ」
彰はそう言った、坂柳は何も否定しなかった。
そして、四月末。
十万ポイント、上級生の会話、やけに怒らない教員、クラスによる差。彰の違和感は、もうほぼ確信へ変わっていた。
翌月のポイント支給日前夜、彰は寮のベッドに横になりながら端末を見る。残高はまだかなり残っている。
「さて」
十万入るのか。
───
翌朝、五月一日。
彰が目を覚まして最初にやったことは、端末の確認だった。
ポイント残高、変化なし。
「……やっぱり」
驚きはなかった、むしろ少しだけ納得した。
学校へ向かう。Dクラスの教室に入ると、すでに騒ぎになっていた。
「ポイント入ってねえんだけど!」
「俺もだ!」
池と山内。須藤も不機嫌そうに端末を見ている。軽井沢たち女子の間でもざわめきが広がっている。
彰は自分の席へ鞄を置く、後ろを見る。清隆も堀北もいた、目が合う。
彰は言う。
「入ってないな」
「ああ」
「予想通り?」
「ある程度は」
「俺も」
二人とも、周囲ほど驚いていない。堀北は黙ってそれを見つめていた。
やがて茶柱が教室へ入ってくる、騒ぎは収まらない。
池が真っ先に聞く。
「先生! ポイント入ってないんですけど!」
茶柱は教卓に立つ。
「そうか」
「そうかって! 毎月十万なんじゃないんですか!?」
茶柱の目が、生徒たちをゆっくり見渡した。
「誰が、毎月必ず十万ポイント支給されると言った?」
教室が静かになる。彰は机に肘をつきながら、茶柱を見る。
(来た)
茶柱は説明を始める。この学校では、生徒たちの行動が評価される。
授業態度
遅刻
欠席
成績
そして、クラスとしての総合評価。
それらがクラスのポイントに反映される。
「お前たちDクラスの今月のクラスポイントは――0だ」
沈黙、数秒後に、教室が爆発した。
「ゼロ!?」
「嘘だろ!?」
「じゃあ今月ポイントなし!?」
茶柱は冷静に続ける。
Aクラス
Bクラス
Cクラス
それぞれにはポイントが残っている
そしてDだけが――0
彰は目を細める。
(個人じゃなくてクラス単位)
予想の一つが当たった、そしてもう一つ。茶柱はDクラスが何なのかを告げる。
能力の低い生徒
問題を抱える生徒
学校側から“欠陥”を持つと判断された生徒が集められたクラス
Dクラス
彰の表情が少しだけ変わる、周囲では須藤たちが教師へ食ってかかっている。だが彰は別のところを考えていた。
(なるほどな)
自分がDにいる理由、勉強ができない。そして中学時代のーー。そこだけ考えれば、十分だ。
(そりゃDだわ)
不思議と腹は立たなかった、むしろ納得した。茶柱は続ける。そして、今後の試験で赤点を取れば――
「退学だ」
空気が変わる、彰の眉が動く。今度は流石に少し重い。
須藤
池
山内
そして――自分
(……俺も普通にヤバくね?)
国語の読解ならいい、思考問題なら問題ない。だが、暗記科目。英語、歴史、公式が必要な数学。
彰は机に視線を落とす。
(……これ、勉強しないと退学するやつじゃん)
高校生活が始まって一か月、来栖彰は初めて、本気で――勉強をしなければならない可能性と向き合うことになった。