無人島試験を終えて豪華客船へ戻ったのも束の間、一年生には新たな特別試験が告げられた。説明を最後まで読み終えた彰は、端末を机へ置いて小さく笑った。
「……無人島よりこっちの方が俺好きかも」
隣にいた清隆が視線だけを向ける。
「そうなのか?」
「体力いらない。見る、聞く、嘘つく、探る。で、情報をどこまで出すかで結果が変わる。親父の仕事見て育った人間には、だいぶ刺さるルールしてる」
今回、一年生は十二支の名を冠した複数のグループへ分けられる。各グループには一人だけ『優待者』が存在し、誰がその優待者なのかを巡ってクラスを跨いだ駆け引きが行われる。最後まで正体を秘匿するのか、全員で共有するのか、あるいは他クラスが途中で見抜いて回答するのか。それによって獲得できるプライベートポイントやクラスポイントが大きく変動する。
彰はルールをもう一度スクロールした。
「これさ、優待者本人の演技だけ見てたら多分負けるな」
「どういう意味だ?」
「優待者じゃない奴にも、優待者っぽく振る舞う理由がある」
清隆が僅かに目を向ける。
「囮か」
「それもある、でも逆もあるよ。本物を探してる奴が、わざと『俺はもう分かってます』って態度取るとか。本物がそれ見て反応すれば儲けもの。つまり――」
彰は端末を指先で軽く叩いた。
「見える反応と、その反応をする理由を分けないと駄目」
清隆は短くそうだなと返す。
彰は横目で見る。
「……お前こういうの得意そう」
「なぜだ?」
「顔」
「顔?」
「何考えてるか分かんねえから。優待者でも違っても同じ顔してそう」
「来栖にだけは言われたくないな」
「俺は出るよ、割と」
「坂柳の話をする時は特にな」
彰の動きが止まった。
「…そんな露骨か?」
「分かりやすいからな」
「無表情マシーンのくせに、人の余計なところばっか覚えやがって」
清隆は否定しなかった。
───
グループ分けが発表され、彰は指定された部屋へ向かった。当然ながら同じ場所に集められたのはDクラスだけではない。A、B、C、D。それぞれのクラスから複数の生徒が集まり、表面上は平静を装いながら互いを観察している。
彰は部屋へ入った瞬間、誰が怪しいかを考えなかった。代わりに、全員の『普通』を見る。
最初に誰へ視線を向けたか。知人の隣へ座るのか、それとも他クラスとの距離を均等に取るのか。端末を机へ置く者、伏せたまま触らない者、会話を始める者。逆に、話しかけられるまで待つ者。
優待者通知は既に届いている。つまり、この部屋に入ってきた瞬間から全員が演技をしている可能性がある。
(……最高じゃん)
彰はそんなことを思いながら、普段通りの軽い調子で椅子へ腰を下ろした。
「よろしくー」
返事をする者、軽く会釈だけする者、無視する者。彰は全部覚えておく。ただし、この段階では何一つ意味づけしない。
父親から何度も言われていた。
――違和感は証拠じゃない。先に答えを決めると、人は答えに合うものしか見なくなる。
だから、まず基準を作る。
最初の会合は予想通りまとまらなかった。Bクラス側からは全員で協力して優待者を守る案が出る。Cクラス側は即座に信用できないと反発し、Aクラスも安易な情報開示には慎重だった。誰も間違ったことは言っていない、全員協力が成立すればグループとしては利益を得られる。しかしクラス単位で見れば、裏切ることでそれ以上の利益を得られる可能性がある。
しばらく黙っていた彰へ、参加者の一人が声を飛ばした。
「来栖、お前さっきから全然喋ってねえな」
「聞いてるよ」
「意見は?」
彰は少し考えるふりをしてから言った。
「今のところ、全員信用できないなって」
空気が僅かに固まった。
彰はすぐ笑う。
「別に悪口じゃないって。むしろこの試験で、会ったばっかの他クラスを信用できる方がおかしいだろ?」
否定する者はいない。
「じゃあどうすんだよ」
「話す」
「さっきと同じじゃねえか」
「違うよ。優待者を教えてもらうために話すんじゃない」
彰は部屋にいる一人一人を見た。
「普段どんな奴なのか知るために話す」
何人かの表情が変わる。
「優待者だから黙ってるのか、元々無口なのか。嘘ついて喋りすぎてるのか、元々よく喋るのか。最初が分かんないと比較できないだろ?」
一拍置いて、彰は笑った。
「だから雑談しようぜ。出身とか部活とか、好きな食い物でもいい」
一見、試験とは無関係な提案。
だが彰にとっては、そこからが試験だった。
好きなスポーツの話をした時には饒舌だった人間が、クラスの話になると急に短くなる。普段は人の話を遮る者が、優待者の話題だけ妙に最後まで聞く。逆に、「自分は何も知らない」と強調する者ほど周囲の反応を細かく確認している。
彰は表情だけを見ない。その人間が、何を見せようとしているかを見る。二度目の会合では、さらに一歩踏み込んだ。
「例えばさ」
彰は全員へ向けて軽く言った。
「俺が優待者だったら、多分今みたいに喋るよ」
数人の視線が彰へ集まる。
「なんでそんなこと言うんだ?」
「今から黙ったら怪しいじゃん」
「じゃあお前が優待者ってことか?」
「そう思うなら回答すれば?」
彰は笑った。そこで一人が端末へ視線を落とした。ほんの一瞬、だが彰は見逃さない。ただし、そいつを優待者だとは考えない。
(俺が優待者かどうかじゃなくて、“今回答した場合の得点”を確認した?)
推理の対象は優待者だけではない。誰が既に誰を疑っているか、誰が回答する気でいるか、誰が他クラスの誤答を待っているか、人間関係そのものが盤面だった。
───
会合を終えた夜。彰は参加者たちの反応を頭の中で整理しながら船内を歩いていた。
(あいつは通知の話になった時だけ発言が減る。でも、優待者だからとは限らない、自分のクラスの優待者を知ってる可能性もある。こっちは逆に喋りすぎ。でも俺の質問に答えるより、周りへ聞かせることを優先してる)
一つの反応に、一つの理由を割り当てない。仮説を二つ、三つ残しておく。その途中、廊下の先に見覚えのある杖が見えた。
「あ」
坂柳有栖。
無人島試験には参加していなかった彼女も、今は客船へ戻っている。彰は自然に歩み寄った。
「坂柳」
坂柳が振り返る。
「来栖くん。どうやら無人島から無事に帰還されたようですね」
「ギリ生還」
「随分と元気そうですが」
「チェスとお土産話の約束残ってたから死ねなかった」
「私が生命維持装置になっていたとは知りませんでした」
「大事だろ?」
坂柳がふふっと小さく笑った。まだ、何でも話すほど近いわけではない。けれど盤を挟んでから、高頻度で話すようになってから、彰にとって有栖は明確に「もう一度話したい相手」になっていた。そして恐らく、坂柳の側も彰という人間への興味を失ってはいない。
彰は隣へ並ぶ。
「今回の試験、めっちゃ面白くない?」
「来栖くんなら、そう仰ると思っていました」
「なんで?」
「人を観察することがお好きでしょう?」
彰が少し止まる。
「好きっていうか……癖」
「似たようなものではありませんか?」
「いや、なんか嫌だな。趣味・人間観察って書くと急にヤバいやつじゃん」
「既に十分その気質はあると思いますよ」
「酷い」
坂柳は楽しそうに笑う、彰は何気なく聞いた。
「坂柳、どのグループ?」
坂柳の視線がすぐ彰へ向いた。
「それを聞いて、どうなさるおつもりです?」
「あ、警戒された」
「当然でしょう、来栖くんは他クラスなのですから」
「友達なのに」
「それとこれとは別です」
即答だった、彰は思わず笑う。
「だよなあ」
妙に嬉しかった。仲が良いから情報を渡す、好意があるから手加減する。やはり坂柳はそういう人間ではない。
「そういうとこ好きだわ」
何気なく出た、坂柳の目が一瞬だけ止まる。ただ、彰はあくびをしていて気づいていない。
「友達だから教えるとかされたらつまんないし。俺が優待者でも坂柳には言わない」
「それで結構です。私が優待者であっても、来栖くんに教えるつもりはありませんから」
「よし。じゃあ今は敵」
「ええ」
坂柳は微笑んだ。
「ところで、もう優待者は分かりましたか?」
彰は一瞬だけ坂柳を見る。質問自体は自然。だが、答えれば自分のグループがどこまで進んでいるかを渡すことになる。
「さあ?」
「ふふっ」
「何?」
「いえ。答えないのですね」
「そっちこそ。雑談っぽく聞いたじゃん」
「何のことでしょう?」
彰は笑った。
「やっぱ怖いな坂柳」
「随分な言い草ですね」
彰はそのまま少し考えてから言う。
「でも、優待者を当てるだけならそこまで難しくないと思う」
坂柳の目が僅かに細くなった。
「ほう?」
「難しいのは、当たってるか証明する方」
彰は歩きながら続ける。
「俺の中で九割でも、残り一割外してたら誤答になる。しかも、相手が俺にそう思わせようとしてる可能性もある」
「だから回答しない?」
「場合による」
「慎重なのですね」
「臆病って言っていいよ」
坂柳は少し笑った。
「いいえ。それは来栖くんの長所でしょう」
彰が少しだけ彼女を見る。
「推測と事実を分けようとする。チェスでもそうでした。読めている手と、盤面上で確定している手を混同しない」
彰は数秒黙った。
「……坂柳、俺のこと結構見てる?」
「対局相手ですから」
「そのうちなんでもバレるようになりそう」
「もう手遅れかもしれませんよ」
彰は少しだけ笑う。
「じゃあ次はもっと分かりにくくするわ」
「楽しみにしています」
別れ際、坂柳が振り返る。
「お手柔らかに、来栖くん」
彰は即答した。
「絶対嫌だ」
坂柳の笑みが少し深くなった。その顔を見ながら、彰は内心で思う。
(…自分も大概分かりやすいじゃん)
坂柳有栖、戦闘民族説。彰の中では、また少しだけ信憑性が増した。
───
翌日。会合の合間に彰が自販機へ向かうと、一之瀬と鉢合わせた。
「あ、来栖くん」
「一之瀬」
一之瀬は飲み物を手にしながら笑う。
「試験どう?」
「楽しい」
即答だった。
「やっぱり」
「坂柳にも同じこと言われたんだけど、俺そんな分かりやすい?」
「ちょっとね」
彰は缶を開ける。
「一之瀬は?」
「難しいかな。できれば、みんなが納得できる形にしたいんだけど」
彰は少しだけ彼女を見る。
声
目線
言葉を選ぶ間
建前を言っているようには見えない
だからこそ、面白い。
「本気なんだ」
一之瀬が僅かに目を丸くする。
「疑ってた?」
「一応ね、試験中だし」
「そっか」
怒らない。むしろ当然のこととして受け取る。
彰は少し笑った。
「一之瀬って大変そうだな」
「え?」
「自分のクラスだけじゃなくて、なるべく全員が損しない形を探すタイプでしょ」
一之瀬は少し考える。
「そうできたら一番いいと思ってるよ」
「でも、誰かが裏切ったら?」
「その時はその時かな」
柔らかい言い方。ただし、無策ではない。
彰はそこも見る。
「一之瀬って優しいけど、甘いわけじゃないんだな」
「褒めてる?」
「かなり」
一之瀬は笑った。
───
その日の夕方には、Aクラスの橋本正義とも偶然会った。まだ、彰と橋本に深い付き合いはない。顔見知り程度。だが橋本の方から軽い調子で声をかけてきた。
「来栖だっけ?」
「そう、そっちは橋本?」
「知ってんじゃん」
「一応ね」
橋本は気楽そうな笑みを浮かべたまま聞く。
「そっちのグループ、もう分かった?」
彰は一瞬だけ笑った。
「何が?」
「優待者」
「急に聞くね」
「雑談雑談」
昨日の坂柳と似ている。ただし質が違う。坂柳は、こちらがどう返すかそのものを見る。橋本は、答えの中に使える情報が一粒でも混じれば拾う。
彰は少しだけ面白くなった。
「二人まで絞った」
橋本の目がほんの僅かに変わる。
彰は続けた。
「嘘だけど」
「は?」
「今の反応見たかった」
数秒、橋本が笑った。
「お前、感じ悪いな」
「お互い様じゃない?」
「なるほどね」
橋本はそれ以上踏み込まなかった、彰も追わない。ただ一つだけ覚えた。
橋本正義、話しやすい。だからこそ、情報を渡しやすい。
(こういう奴、怖いな)
後に何度も関わることになる男への最初期の印象は、そんなものだった。
───
試験が終盤へ近づく頃には、彰の中でも優待者候補はかなり狭まっていた。
一人、特に濃い。通知そのものに対する反応ではない。彰が見ていたのは、その人物が他人の疑いをどこへ向けようとしているかだった。優待者の話題になると平静、自分が疑われても平静。だが、別の一人へ疑惑が向くと、ほんの少しだけ会話を補強する。
(あいつ怪しいかもな)
強く押さない、否定もしない。周囲が自然にその人物を疑う程度にだけ、言葉を置く。
(自分から囮作ってる?)
彰はそこから逆算した。本当に優待者ではないなら、特定の誰かを疑わせるメリットは小さい。
他クラスの誤答を誘いたい?
それとも、自分から視線を外したい?
可能性は複数ある。それでも彰の中では七割、八割、やがて九割近くまで一人に寄った。ただ、九割だった。最後の一割を埋める証拠がない。回答すれば大きな利益になる可能性がある、外せば相手へ利益を渡す。彰は端末を見た。そして閉じた。
(やめとこ)
臆病だからではない、期待値の問題。自分の推理が優れていることを証明する試験ではない。クラスへ利益を持ち帰る試験だ。
「当てたい」と「答えるべき」は別。そこを彰は混同しなかった。
同じ頃、別のグループでは清隆が軽井沢恵の内側へ入り込んでいた。平田の彼女、Dクラス女子の中心。強気で、自分の立場を守ることに敏感な少女。その表面の奥にある過去と、彼女が強者へ依存することで自らを守っている構造を、清隆は既に掴み始めている。
彰は知らない。ただ夜、廊下で清隆と鉢合わせた時に、一つだけ違和感を拾った。
「おー清隆」
「来栖か」
「そっちどう?」
「普通だ」
彰は笑った。
「絶対普通じゃねえだろ」
「どうしてそう思う」
「お前が普通って言ったから」
「理由になってないな」
二人で並んで歩く、彰が何気なく聞いた。
「軽井沢と同じグループなんだっけ?」
「ああ」
「大変そう」
清隆の視線が、ほんの僅かに彰へ向いた。それだけ。
だが彰は気づく。
「…何?」
「いや」
清隆はそのまま歩く、彰も追わなかった。
(なんかあったな。最近佐倉も清隆見てるし、モテ期到来か?)
何があったかは分からない、証拠もない。だったら今は、それだけ覚えておけばいい。
───
やがて船上特別試験は決着する。最終結果を確認した彰は、しばらく端末を眺めた。
Cクラスが大きく成果を上げている。中心にいるのは龍園翔。彰は少し驚いた後、笑った。
「…龍園、やべえな」
無人島では自らを病人扱いにして早々に離脱する大胆な手を使いながら、結果としてクラス全体では苦しい展開になった。その直後の試験で、龍園は別の角度から明確に成果を出した。
彰は結果一覧を見ながら考える、自分は人間を見た。
表情
言葉
嘘
疑惑の向き
優待者個人を絞るところまではいけた、だが龍園は違う。一人一人を見るだけではなく、学校が優待者をどう配置したのかという試験そのものの外枠へ手を伸ばしていた。
彰の笑みが少し消える。
「そっちか」
悔しい。だが、それ以上に面白い。人を見ることに夢中になっていた自分。人ではなく、ルールを作った側の癖まで見ようとした龍園。どちらが上という単純な話ではない。ただ、自分にはまだ見えていなかった視点だった。
彰は端末を閉じる。
「覚えとこ」
人を見る。でも、人だけを見るな。盤面を見る、盤面の上の駒を見る。そして、誰がその盤面を作ったのかまで見る。
入学からまだ数か月。船上特別試験は、彰が得意分野で手応えを得た試験であると同時に、自分より違う角度から世界を見ている人間が何人もいると知った試験になった。
───
その夜、船内ですれ違った坂柳が結果について一言だけ聞いた。
「楽しめましたか?」
彰は少し笑う。
「めちゃくちゃ」
「勝てました?」
彰は少しだけ考えた。
「俺個人では結構見えた。でも、試験全体では負けた感じ」
坂柳は僅かに目を細める。
「龍園くんですか?」
彰が振り返る。
「やっぱそこ見る?」
「結果を見れば分かります」
「俺、人ばっか見てた」
坂柳は静かに聞いている。
「龍園は試験を見てた。多分」
彰は少し笑った。
「悔しいけど、あれ格好いいわ」
坂柳がふふっと笑う。
「素直ですね」
「強い奴は強いって言うよ」
少し間をおいてから、彰は坂柳を見る。
「坂柳もね」
「ありがとうございます」
「でも次は負けない」
「まだ私とは、試験で直接戦っていませんよ?」
「予告」
坂柳の笑みが少しだけ深くなる。
「でしたら、覚えておきましょう」
彰も笑った。
この頃の二人は、恋愛どころかクラス間での対決すらまだだった。盤を挟めば面白い。会話をすれば、思っていなかった答えが返ってくる。それだけで、彰が坂柳有栖を求める理由としては、既に十分だった。