1年Dクラスの教室に入ると、彰は黒板に貼られた座席表を見上げた。
「来栖、来栖……っと」
指で辿って、自分の名前を見つける。その一つ後ろには――綾小路清隆。
彰は一度だけ振り返り、さっきまで無言で歩いていた男子の顔を確認した。
(あいつか)
自分の席に鞄を置き、椅子へ腰掛ける。前の机に腕を乗せ、なんとなく教室全体を眺めた。
池と山内は早速近くの男子に話しかけている。櫛田は女子の輪へ自然に入っていき、名前を聞いて回っていた。雰囲気が柔らかそうな男子も既に何人かと会話している。誰かに媚びている感じはない。ただ、孤立している人間が出ないように自然と声を掛けているように見えた。
(ザ陽キャだな)
彰はそう思う。
一方で、黒髪の女子は自分の席に座ったまま、誰とも話す気配がない。
分かりやすい、「私は一人で結構です」と全身で言っている。
(あれは話しかけても面倒そうだな)
そこへ後ろから、椅子を引く音。綾小路が席に着いた。彰は少しだけ身体を捻った。
「よろしく。来栖彰」
唐突ではあるが、席が前後なら一応挨拶くらいはしておく。綾小路は一瞬だけ彰を見る。
「綾小路清隆。よろしく」
淡々としている。声にも表情にも、強い特徴がない。
彰は数秒見る。
「……」
「どうした?」
「いや」
彰は前へ向き直った。
(なんか薄いな)
悪い意味ではない。むしろ妙なくらい印象が薄い。だが、その違和感を掘るほど彰はまだ綾小路に興味を持っていなかった。
その直後、教室の前方で声が上がる。
「みんな、せっかくだし自己紹介しない?」
櫛田だった。
「これから同じクラスなんだし、名前くらい知っておきたいなって」
反応は悪くない。柔らかい印象の男子もすぐ賛成する。
「いいと思う。僕もまだほとんど名前を覚えられてないし」
池が「女子からやろうぜ!」と言い、山内も乗る。
彰は机に肘をつく。
(元気だなぁ)
ただ、嫌ではない。こういう空気は嫌いではなかった。
順番に自己紹介が始まる。名前、出身、趣味。無難な内容が続く。
黒髪の女子の番になる。
「堀北鈴音です。特に趣味はありません。必要以上に馴れ合うつもりもありませんので、よろしくお願いします」
教室の空気が一瞬止まる、彰は思わず口元を緩めた。
(言うねえ、てか堀北…ね)
池が小声で、
「怖っ……」
と言う。彰も小さく返す。
「正直ではあるな」
「フォローになってねえよ」
少し笑いが起きる。やがて彰の番が来る。
「来栖彰。中学ん時は野球やってました。サード。で趣味はチェス。あと勉強は嫌いです」
教室の何人かが笑う。
彰は続ける。
「まあ、仲良くできそうならよろしく」
それだけ言って座る、櫛田がすぐ反応した。
「チェスできるんだ?」
「できるっていうか、好きなだけ」
「へえ、意外!」
「何が意外なんだよ」
「勉強嫌いなのにチェスはできるんだーって!」
「やればできる子なんだよ」
櫛田が笑う、彰も少し笑った。ただし、彼女の明るさに流されて距離を詰めることはしない。話しやすい、それと信用できるかは別だった。
自己紹介が続く。須藤の短い挨拶、平田の分かりやすい挨拶、高円寺の自信満々な自己紹介。
(こいつ、キャラ濃すぎだろ。ガタイ良すぎだし)
そして綾小路の番。
「綾小路清隆。特にこれといった趣味はない。友達を作れたらと思ってる。よろしく」
微妙にぎこちない。彰は前を向いたまま、少し眉を上げた。
(友達作りたい奴の自己紹介じゃねえな)
ただ、それだけ。
自己紹介が終わった頃、教室の扉が開く。若い女性教師が入ってきた、随分と前衛的な着こなし方をしている。
(教師が谷間モロ出しって…)
教卓に立つと、教室を一度見渡す。
「全員いるな」
その声だけで、教室の空気が少し締まる。
「私はこの1年Dクラスを担当する茶柱佐枝だ。担当科目は日本史。まず、この学校について説明する」
彰は姿勢を少しだけ正した、教師の話は基本的に退屈だ。だが――この学校について、という部分だけは多少興味があった。
茶柱は端末を操作し、生徒たちへ学校独自のシステムを説明していく。
校内で使用できるプライベートポイント。生徒一人につき、毎月支給されるポイント。
そして、
「今月、お前たち一人一人には10万ポイントが支給されている」
教室がざわつく。
「は?」
彰も思わず声が漏れた。池が身を乗り出す。
「10万!?」
山内も目を輝かせる。
「毎月!?」
茶柱は淡々と答える。
「1ポイント1円相当だ。校内であれば、ほぼ現金と同じように使える」
彰は少し黙る。周囲では早くも、何に使うかという話が始まっている。だが彰は、机に指を軽く打ちつけた。10万円、毎月、高校生に。
(……そんな美味い話ある?)
視線が茶柱へ向く、彼女の表情は変わらない。彰の中で、入学式では途中で切った疑問が、少しだけ戻ってきた。
この学校は、やはりどこか変だ。