登校班くノ一化の記録 作:匿名希望
朝日が薄っすらと射し込む登校路。黄色い帽子を被り、ランドセルを背負った五人の登校班は、いつもの通学路を通っていたはずだった。
班長の六年生・陸斗(りくと)を頭に、副班長の冴(さえ)、下級生の男子二人に、小さな一年生の女の子・結衣。
「おい、遅れるぞー」
陸斗が振り返った瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
風が止み、アスファルトの道が苔むした湿った土へと擦り替わる。
周囲を囲むのは、見たこともない巨木が鬱蒼と茂る深い森だった。
「え……なに、ここ?」
冴が声を上げた瞬間、異変は起きた。
じわじわとした熱気が、全員の身体の芯から湧き上がる。
まず変化が現れたのは、班長の陸斗だった。
背筋を襲う激しい痒みと共に、視界が急速に低くなっていく。
骨ぐんだ肩幅がキュッと縮み、固かった手足の筋肉が、まるで桃の果肉のように柔らかくしなやかなものへと変質していく。
股間の違和感が消え去り、身体の内側が根本から作り替えられていく不快感に、陸斗は声も出せず膝をついた。
「な、なんだこれ……っ!?」
声を出そうとして絶句する。喉から漏れたのは、鈴を転がすような高く可憐な少女の声だった。
短かった髪が黒々と伸び、腰のあたりまでさらりと零れ落ちる。
隣にいた副班長の冴や、下級生の男の子たちも同様だった。
男児たちの体躯はみるみる小さくなり、丸みを帯びた華奢な少女の体つきへと変わり果てる。
元々少女だった結衣でさえ、さらに幼く、猫のようにしなやかな四肢へと改変されていく。
着ていた洋服が服地ごと解け、紺青色や深緑色の薄手で頑丈な小袖、忍び袴へと再構築されていく。
ランドセルは姿を消し、胸元には竹筒や鎖鎌、暗器を忍ばせるためのさらしが固く巻きつけられた。
「からだ……あたまが……」
自分の小さく華奢な手を見つめながら、陸斗――いや、その身体は今や、十歳ばかりの可憐な少女のそれだった。
慣れない小さな足、急に低くなった目線、重心の変化に戸惑い、一歩を踏み出すことすらできず地面に崩れ落ちる。
改変の熱が引いた直後、今度は頭の中を直接かき混ぜられるような激しい眩暈が襲った。
(ここは……隠れ里。忍びの集落……)
頭痛と共に、身に覚えのない記憶が怒涛のように脳裏へ直接叩き込まれる。
幼少期から受けた地獄のような体術の修行。
水ぐもの術のコツ。
毒草の見分け方。
主君に絶対の忠誠を誓う忍びの掟――。
「うあっ……! ぼ、ぼく……ううん、私……?」
陸斗の頭の中で、本物の「小林陸斗」としての十六年間の記憶と、今インストールされた「くノ一の見習い・篝(かがり)」としての記憶が激しく衝突する。
下級生だった男子たちも、頭を抱えて地べたにのたうち回っていた。
彼らの頭の中にも、忍びとしての偽りの生い立ちが容赦なく上書きされていく。
「学校……ランドセル……宿題……。違う、あたしたちは……上様にお仕えする、見習いくノ一……?」
冴だった少女が、うわ言のように潰やく。
かつて現代で生きていた明確な記憶があるのに、脳の引き出しを開けると「三歳の頃に親を失い、この里に拾われた」という鮮明な情景が感情付きで溢れ出してくるのだ。
あまりのギャップに、頭が割れそうだった。
「くっ……ふざけるな! ぼくは、陸斗だ……! 男だし、小学校の……!」
陸斗は必死に本来の自分を繋ぎ止めようと声を張り上げようとした。
しかし、口から突いて出たのはまったく別の思考だった。
(いや、なにを寝ぼけているの? 篝。今日は里長(さとちょう)様への御挨拶の日……遅れたらお仕置きを受けるわ)
「ひっ……!?」
自分の内側から、冷徹で、従順で、くノ一として訓練された「篝」の人格が、フツフツと湧き上がってくる。
(ちがう! ぼくは陸斗だ! 登校班の班長だ!)
(いいえ、私は篝。この里で一番の忍びになるの……)
二つの心が精神の内部で激しく殴り合う。
だが、身体が勝手に動き出した。
先ほどまで慣れなかったはずの小さな少女の足が、見事な跳躍で見上げるような大木の枝へと飛び移る。
無意識のうちに気配を消し、息を殺す術が身体に染み付いていた。
ふと横を見ると、下級生だった少女たちも、青ざめた顔で自分の手を見つめていた。
その瞳には、現代の小学生らしい恐怖と、冷徹な忍びとしての光が混ざり合い、妖しく揺れている。
「班長……ううん、篝お姉ちゃん……どうしよう、頭が……変になっちゃう……」
幼い結衣だった少女が、泣きそうな声で、しかし身軽に木の枝に着地しながら訴えてくる。
「大丈夫……大丈夫だから……」
そう答えた陸斗(篝)の声は、すでに完全に少女のそれであり、どこか忍び特有の冷涼さを帯び始めていた。
現代の記憶が、まどろみの中に溶けていくように遠ざかっていく。
静まり返った森の奥から、冷ややかな口笛の音が響いた。
里の忍びが自分たちを呼んでいる。
五人の見習いくノ一たちは、消えゆく「登校班」の記憶に激しい混乱と恐怖を抱きながらも、抗えぬ里の呪縛に従い、深い緑の闇へと疾走し始めていた。