登校班くノ一化の記録 作:匿名希望
新世代のお頭となった風花が指揮を執るようになってから、数年の月日が流れた。
その夜、都内の港湾地区にそびえ立つ雑居ビルで、激しい抗争が起きていた。
海外の武装ブローカーと新興の半グレ組織による違法取引の現場。
その最深部で、風花率いるくノ一たちは、ターゲットである機密データの回収を音もなく完了させようとしていた。
「風花様、任務完了しました。退避します」
部下の報告を受け、風花が影走りの術でビルの廊下を駆け抜けようとしたその時――コンテナの影から、かすかな息遣いと濡れた衣擦れの音が響いた。
風花が苦無を構え、影へと視線を走らせる。
そこにいたのは、血と埃にまみれ、ボロ布のような服を身にまとった小さな少女だった。
年齢は六、七歳ほど。
抗争に巻き込まれた裏組織の使い走りか、あるいは密輸船で運ばれてきた身元不明の孤児か。
少女は怯えた瞳で風花を見つめていたが、その小さな手には落ちていたガラス片が固く握りしめられていた。
恐怖で全身を震わせながらも、急所を庇うように半身に構え、死角を与えない立ち姿。
(この子……教えられてもいないのに、本能で生き残る構えをとっている……)
風花は苦無を収め、足音を消して少女の前にひざまずいた。
「怖がらなくていいわ」
風花の手が、少女の頬の汚れを優しく拭う。
少女の手からガラス片が力なく落ち、カチャンと甲高い音を立てた。
少女の瞳に宿っていたのは、かつて親も名も奪われ、路地裏で死を待つだけだった幼い頃の風花自身の影だった。
「行く場所がないのなら……私と一緒にいらっしゃい」
風花は少女をそっと抱き上げた。羽毛のように軽い小さな身体。
背後に駆けつけた部下のくノ一が、戸惑いがちに声をかける。
「お頭……その子は? 里の掟では、外部の人間を連れ帰ることは――」
風花は振り返り、新世代の頭領としての気品と透き透徹した眼差しで部下を見つめた。
「掟なら、初代お頭・篝(かがり)様が残された言葉があるわ。『行き場を失った影に、生きる場所を与えるのがこの里の理である』と。
……この子は今日から、私たちの妹よ」
――都郊外の隠れ里。
静寂に包まれた日本庭園の縁側で、隠居した篝と楓が、運ばれてきた温かい粥を夢中で食べる少女の姿を温かく見守っていた。
綺麗な着物を与えられ、温かいお湯で汚れを落とした少女は、まるで生まれ変わったように可憐な顔立ちを見せていた。
「名前は……何ていうの?」
篝が優しく問いかけると、少女は粥を食べる手を止め、ぽつりと呟いた。
「……ない。なまえ……おぼえてない」
「そう」
篝は悲しむ風もなく、ふっと柔らかく微笑んだ。
自分の過去の記憶を失い、新しい名前と身体を得て生きてきた己の半生を重ね合わせるように、少女の頭を撫でる。
「なら、今日から貴女は『鈴(すず)』よ。……闇の中でも、清らかな音を鳴らして生きられるように」
「すず……」
少女――鈴は、反芻するようにその名を呟くと、生まれて初めて見せる小さな微笑みを浮かべた。
それから数年。
里の地下訓練場には、元気に苦無を投げる小さな鈴の姿があった。
彼女に呪術による肉体改造や記憶の上書きが施されることは二度とない。
彼女が学ぶのは、自分を守るための術と、仲間を信頼する強さ、そして現代社会の知識だ。
「鈴、筋がいいわね。数年後には風花を脅かすくノ一になるかもしれないわ」
隠居した篝と楓が笑い合い、若い世代の訓練を遠目から眺める。
かつて江戸の呪いとタイムスリップという酷薄な運命から始まった五人の登校班の物語は、今や行き場のない子供たちを温かく包み込み、未来へと繋ぐ「確かな希望の物語」へと姿を変えていた。
現代の街の影で、拾われた少女・鈴は、誇り高いくノ一の卵として、新しい家族とともに今日もすくすくと育っていくのだった。