登校班くノ一化の記録 作:匿名希望
裏仕事の過程で、ある旧家の蔵から押収された古文書を解析していた時のことだった。
「篝、これ……あたしたちのいた里の記録じゃない?」
楓が差し出してきたのは、江戸時代末期から明治初期にかけて記された一族の解体記録――『隠忍記(おんにんき)』と呼ばれる一冊の古文書だった。
そこには、彼女たちが現代へ再タイムスリップした「あの夜」の直後からの、里の凄惨な顛末が克明に記されていた。
古文書によると、篝たちが任務中の事故で突如として姿を消した後、里は大混乱に陥っていた。
最高傑作として育て上げていた見習いくノ一(篝たち)を一度に全員失ったことで、里の戦力と権限は失墜。
焦った里長は、呪法を別の幼子たちへ施そうと試みたが、肉体改造と記憶上書きの術式が暴走し、後継の術者や子供たちが全滅するという大事故を引き起こしたという。
さらに時代は幕末へ。
倒幕派と幕府軍の激動の渦に巻き込まれた隠れ里は、新政府軍の砲撃と火の海に包まれ、明治を迎えることなく完全に全滅・途絶していた。
「あたしたちが最後だったのね……」
楓がどこか遠い目をして呟く。
里を支配していた不気味な呪法も、過酷な体術も、教官たちの冷酷な視線も、すべては歴史の露と消えていた。
自分たちを縛りつけ、子供としての人生を奪った恐怖の源泉は、とっくの昔にこの世界から消滅していたのだ。
「……ううん、途絶えてなんかいないわ」
篝は古文書を閉じ、フッと艶やかな笑みを漏らした。
里の歴史は確かに幕末で潰絶した。
しかし、その術と血脈、そして「くノ一」としての魂のすべては、タイムスリップという歪みによって時間を飛び越え、いま現代の東京に生きる自分たち五人にのみ、完璧な形で受け継がれている。
「里の奴らは、あたしたちを使い捨ての忍びとして育てた挙句、自滅した……。
でもあたしたちは、その力を奪って現代でしぶとく生き残った」
仲間たちが顔を見合わせ、静かに口元を緩める。
自分たちを狂わせた「呪い」の正体は、もう恐怖の対象ではなかった。
それは、この厳しい現代の裏社会を優雅に、圧倒的に生き抜くための「自分たちの糧」に過ぎない。
「さて、里の供養代わりに……今夜の仕事も完璧に終わらせましょうか」
篝の合図とともに、五人のくノ一たちは夜のネオンへと飛び出していく。
古文書が告げた歴史の終わりから数日後。
篝は、東京の喧騒から隔絶された都郊外の広大な日本庭園付き邸宅の縁側に腰掛けていた。
そこは、裏社会で巨万の富を築いた彼女たちが、潤沢な資金と完璧な偽装工作を用いて手に入れた新しい拠点だった。
一見すれば、由緒ある伝統芸能の一門か、政財界の重鎮の別邸にしか見えない。
だが、その敷地の地下には、最新鋭のセキュリティと、江戸時代の隠れ里の構造を模した訓練場が幾重にも張り巡らされていた。
「ねえ、篝」
庭の石畳を音もなく歩いてきたのは、楓だった。
彼女の手には、冷えた緑茶の入った湯呑みが持たれている。
その佇まいは、かつての現代の副班長でありながら、どこまでも妖艶で気高い一族の長の風格をまとっていた。
「どうしたの、楓」
「ふと思ったのよ。古文書には『里は滅びた』って書いてあったでしょう?」
「ええ、そうね」
「だったらさ──私たちが、この場所に『里』を蘇らせればいいんじゃないかしら」
その言葉に、縁側の脇に控えていた結や他の仲間たちの瞳がかすかに輝いた。
かつて自分たちを縛りつけ、恐怖と絶対服従を植え付けた江戸の隠れ里は、歴史の波に飲まれて消滅した。
教官も、里長も、呪法を遺した者たちもすべて土に還った。
ならば、あの苦痛に満ちた過去の亡霊に囚われる必要など最初からなかったのだ。
「里が滅びたのなら、私たちが新しく作ればいい。
今度は、誰かに支配されるためじゃなく、私たちが自分たちの手で生き抜くための、最高の隠れ里をね」
篝は静かに微笑み、湯呑みを受け取った。
その胸の奥で、かつて黄色い帽子を被っていた小学生の記憶と、過酷な闇を駆け抜けたくノ一の魂が、完全に一つに溶け合って熱く脈打っていた。
「いいわね。それじゃあ、ここを現代の『隠れ里』にしましょう」
都会の夜空に、静かに月が昇る。
かつて登校班だった少女たちは、歴史の隙間に消えた里の意志を背負い、しかし何者にも縛られない自由な女王として、現代社会の影に新しい伝説を刻み始めていた。
暗闇を縫うようにして庭へ跳んできた仲間たちの足音は、風よりも軽く、誰にも捉えることはできない。
――彼女たちの「里」は、今、この瞬間から永遠に不滅の存在となったのだった。