TS娘の曇った心を義理の兄がVRMMOゲームを通じて徐々に癒していくお話 作:乾いた布団
みなさまよろしくお願いします。
世の中は、極めて不条理だ。
生まれる国も、生まれる家も、生まれる性別も――自分で選ぶことはできない。
努力をすれば、必ず報われる。
そんな綺麗事を、一体誰が言い出したのか。
少なくとも、俺の人生には当てはまらない。
だからこそ俺は、今日も今日とて、薄暗い自室の中でゲームに没頭する。
少なくとも、この世界にいる間だけは、自分の望んだ姿でいられるのだから。
視線の先――。
ゲーム内で拠点として利用している宿屋の一室に設置された全身サイズの姿見には、一人の青年が映し出されていた。
刈り上げられた短髪。
少し鋭い目つき。
百八十センチを優に超える、引き締まった体躯。
身に纏うのは、黒を基調とした軽鎧。
腰には、左右一対の黒剣が携えられている。
この男の名前は、レイド。
何を隠そう。
この世界へ飛び込む際に、俺が一から作り上げた――俺の分身なのだった。
剣と魔法のファンタジー異世界を舞台とした、世界初のVRMMORPGゲーム。
【エターナル・クロニカル】。
サービス開始から数年が経過した今でも、多くのプレイヤーで賑わう、世界最大級のオンラインゲームだ。
最大の特徴は、その自由度の高さ。
髪型も、顔立ちも、体格も、職業も。
そして――性別さえも。
プレイヤーは、自身の望む姿を自由自在に作り上げることができる。
だから俺は、自分が最も望む姿――このレイドの姿を作った。
現実世界の俺とは、何もかもが正反対な、この姿を――。
はっきり言って、現実世界の自分の姿は嫌いだ。
真っ白な肌。
華奢で小柄な身体。
透き通る銀色の髪に、宝石のような青い瞳。
父親が北欧の出身だった影響もあって、世間一般で見れば、非常に恵まれた容姿だと思う。
現に、老若男女を問わず、幼い頃から「可愛い、可愛い」と、それはもう大勢の人から、幾度となく褒められたものだ。
可愛い。
女の子らしい。
将来はきっと美人になる、と。
だが……。
そうやって褒められる度に、俺はどうしようもないほどの拒絶感に、見舞われるのだった。
大前提として、先の言葉はどれも褒め言葉に該当するのだろう。
それは頭では、理解している。
だけど、それでも……。
そのような言葉を掛けられる度に、俺の全身を襲う、耐え難いほどの拒絶感。
詳しいことは、分からない。
だが、きっと俺の深層心理が叫んでいるのだ。
俺は可愛くなりたい訳じゃない。
美人になりたい訳でもない。
ただ、俺は――。
……普通の男で、ありたかっただけなのだと。
だから俺は、この世界――即ちゲームの世界で男のアバターを作った。
誰かに決められた姿でもない。
誰かに望まれた姿でもない。
自分自身で作り上げた、自身だけの理想の姿。
それが、レイドという存在なのだった。
――ピコンッ。
軽快な通知音とともに、視界の右上にメッセージが表示された。
【ルークがログインしました】
その瞬間、俺の口元は自然と緩んでいた。
「おう!ずいぶんと遅かったじゃねえか!待ちくたびれたぞルーク!」
「悪い悪い、待たせたな、レイド。思いの外、家の片付けが長引いてさ……」
謝りながら現れたのは、茶髪の青年だった。
ゲーム内の俺――レイドと同じくらいの高身長。
背中に背負った銀色の大剣。
身に纏った銀色の軽鎧。
彼の名前は、ルーク。
何を隠そう。
彼こそが、この世界で最も俺と同じ時間を共に過ごしている――まさしく相棒と呼ぶに相応しいプレイヤーなのだった。
「そうなのか?俺はてっきり俺の知らないところで雑魚モンスターにでも絡まれて、無惨に殺されちまったから、恥ずかしくてログインができないのかと思っていたぜ」
「そんな訳がないだろう?それに、そんな滑稽な姿を晒したのは昨日のレイドじゃなかったか?一人で無鉄砲に突撃した挙句、罠に嵌まってゴブリンの群れに殺されたのは、どこの誰だったか」
「これだから三流は困るぜ。何度も言っているだろう?あれは計算された戦略的な作戦だったと」
「そうだったか?その割には、「助けてくれルーク!このままだと折角集めた素材が消えちまう!」って、必死に助けを求めていたと思うが?」
「……細かいことを気にすると、禿げるぞ?」
「うるさい!誰のせいだと思っているんだ!てかなんだかイライラするから、今からお前のそのムカつく顔を本気でぶん殴ってもいいか!?」
「上等だとも!やれるものならやってみろよ!返り討ちにしてやるぜ!」
「言ったな!?ならば俺が先日編み出した、この最強のパンチで……!」
……と、ご覧のように。
こうして、非常にくだらない理由で始まった、非常にくだらない言い争い。
恐らく、側から見れば、ひどく馬鹿げた光景に映ることだろう。
だが――。
……あぁ。
楽しい……!
本当に楽しい……!
ただ、こうして馬鹿みたいにくだらないことで騒いでいるだけなのに……。
心の底から、本気で楽しいと思えるのだ。
嫌なことも。
苦しいことも。
現実の自分のことさえも。
ほんの一時だけ、全て忘れられる。
俺が俺でいられる。
そんな感覚になるのだ。
……果たして。
現実世界で、こうして誰かと笑い合ったのは――いつが最後だっただろうか。
……考えてみても、思い出せない。
いや……。
もしかしたら、最初からそんな日など、存在していなかったのかもしれない。
……けれど。
そんなことは、もうどうでもよかった。
この世界では、過去のことも。
俺が何者なのかも。
そんなことは、何一つ関係ない。
誰一人として、気にしない。
ここにいるのは、ただの――俺。
その事実が、今の俺にはとても心地よかった。
「ふぅ、さて冗談はこの辺で終わりにして、早速だけど今日はどうするんだ?先日実装されたっていう新しいエリアにでも挑戦してみるか?」
「だな、そろそろ俺の英雄譚に、新しい一ページを刻みたいと思っていたところだしよ」
「……確かに、お前の死亡回数なら記録を狙えるだろうからな」
「んだと!?やんのかコラ!」
「上等だ、コラ!」
……そんな訳で。
再び始まった、くだらない小競り合い。
いい意味でルークは、俺に遠慮がない。
それこそ、このゲームで初めて出会った日から、ずっとそうだった。
俺が調子に乗れば、容赦なく突っ込んでくる。
失敗すれば笑う。
困っていれば助けてくれる。
まるで、気心の知れた長年の友人みたいだった。
……実際には、ここ数年の短い付き合いでしかないのだけれど。
だが、それでも……。
俺にとって、彼は特別な存在なのだ。
この世界で、俺が最も心を許している相手といっても過言ではない。
だからこそ――。
いつか現実でも、こんなふうに彼と気兼ねなく話すことができたら……。
なんて、そんな淡い期待を抱いてしまう。
けれど……。
……無理だ。
仮に、そんなことができるのなら、とっくの昔にやっている。
それができないから、俺は俺なのだ。
それに現実世界の俺は、この世界の俺とあまりにもかけ離れている。
もしも、現実の俺を知ってもらったとして、受け入れてもらえなかったとしたら……。
……やめよう。
俺には、このゲームの世界がある。
それだけで、今は十分なのだ。
「さて、そろそろ行くか」
「そうだな」
一通りの小競り合いを終えた後、俺たちは並んで宿屋を後にした。
こうして俺は、今日も今日とて、現実を忘れてゲームに没頭する。
けれど――それでいい。
この世界だけが、今の俺に残された――唯一の救いなのだから……。