加茂帝我の世界   作:ナゴン

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続くかは不明。


第1話 世界

 加茂の家柄において、「血」とは何よりも重い意味を持つ。

 

 千年の歴史が紡いだ赤血操術の系譜。その血脈を引く者に期待されるのは、ただ一つ―――家門を至高へと導く、強く美しき術式の開花であった。

 しかし、その赤子の誕生は、加茂家にとって吉兆であると同時に、あまりにも異様な怪異の始まりだった。

 

 産声が上がったのは、風の冷たい冬の夜のことである。

 無事に産み落とされた赤子を抱き上げた産婆は、喜びの声を上げる間もなく、息を飲んで凍りついた。

 

 生まれたばかりの肌は病的なまでに蒼白く、血の気が削ぎ落とされている。だが、その幼い面差しには恐ろしいほど整った気品と、人を狂わせるような怪しい艶が宿っていた。そして瞳は闇の中でも仄かに赤く揺らめいている。

 

 何より異様だったのは、翌朝のことだ。

 

 離れの障子格子から差し込んだわずかな朝日に、赤子の幼い足が触れた瞬間——ジ、と肉が焼ける嫌な音が響き、柔らかな皮膚が瞬く間に黒く焦げ落ちたのだ。

 

「赤子が、陽の光に焼かれている……!?」

 

 激しい泣き声を上げる赤子を前に、加茂家の幹部たちは色めき立った。

 調べの末に導き出された結論は、ひとつの「天与呪縛」である。

 

 生まれながらにして日光を一切浴びることができない身体。太陽の光こそが命を脅かす毒となる、忌むべき体質。

 本来ならば、それだけで「忌み子」として物陰に隠される運命であったかもしれない。だが、その評価を劇的に覆す事件が、帝我が三歳になった年に起こった。

 

 日光の届かぬ地下道場での厳しい稽古を終え、帝我は離れの薄暗い部屋へと戻っていた。

 

 幼土に塗れ、膝や肘には痛々しい擦り傷がいくつも刻まれている。しかし、日光を遮る厚いカーテンの陰で息を整える帝我の姿には、幼子とは思えぬ蠱惑的な色気が漂っていた。透き通るような白い肌と、汗に濡れて額にへばりつく髪。そこにあるのは、見る者を惹きつけて離さない圧倒的な色香の芽生えだった。

 

 そこへ、帝我の世話役を務めていた若い奉公人の女が、茶を運んでやってくる。

 

「帝我様、お疲れ様でございました……あっ!」

 

 女は手元を狂わせ、持っていた湯呑みを床に落として割ると同時に、鋭い陶器の破片で自身の腕を深く切ってしまった。

 

「う……あ……っ」

 

 ぼたぼたと畳を汚す、鮮やかな赤い血。

 

「も、申し訳ございません!!」

 

 自身の失態に顔を青褪めた奉仕人は血に塗れながらも急ぎ割れた陶器を片付ける。

 

 鮮血の香りが部屋に立ち込めた瞬間、帝我の瞳が鋭く、怪しく光った。

 帝我は滑らかな足取りで女へ近づくと、怯える女の手首を小さな手で優しく、しかし抗えぬ力で掴み寄せた。

 

「帝我様……!? 何を——」

 

 吸い寄せられるように女の傷口へと顔を近づけた帝我は、唇を血に染めながら、官能的とも言える所作で直に舌を這わせ、傷口に吸い付いた。

 

 ゴク、と血を飲み干す音が響く。

 

 その瞬間、帝我の身体から濃密な呪力の波紋が広がった。女の傷口から溢れていた血が一気に帝我の体内へと吸い上げられていく。

 

 そして——稽古で傷ついていた帝我の膝や肘の擦り傷が、血を取り込むと同時に肉が巻き戻るように一瞬で塞がり、跡形もなく消え去ったのだ。

 

 他者の血液を吸い上げ、己の血と同化させることで、自らの負傷を瞬時に修復・再生せしめる超常の異能。

 口元に一筋の血を滴らせ、怪しく微笑む三歳の帝我の姿に、女は恐怖と共に狂わんばかりの魅了を覚えた。

 

 この報告を受けた加茂家上層部は、狂喜乱舞した。

 

「素晴らしい……! これは天与の恵みだ!」

 

「他者の血を吸い上げ、自身の血液へと変換する体質……! これに『赤血操術』が合わさればどうなる!?」

 

 幹部たちの頭の中に、完璧な方程式が打ち立てられた。

 

 自らの血液を極限まで操作して放ち、血液の枯渇や肉体の損傷というリスクを負おうとも、敵や他者から血を吸い上げれば一瞬で傷を癒やし、再び戦線へと復帰できる。

 本来ならば絶対的な制約を伴う赤血操術師が、完全無欠の自己再生と持続力を兼ね備えるのだ。

 

「加茂家の歴史において、至高の術師が生まれる! 加茂家を御三家の頂点へと導く、完璧な傑作だ!」

 

 日光に当たれないという欠点は、もはや「至高の力を得るためのわずかな代償」として好意的に解釈された。

 

 帝我への扱いは一変した。

 

 薄暗い離れには豪華な調度品が運び込まれ、昼夜を問わず厳重な護衛と、最上級の家庭教師が付けられた。加茂家の未来を背負う「神童」として、誰もが彼に平伏し、その一挙一動に怯え、そして媚びを売った。

 

 帝我は、そんな周囲の大人たちを、冷めた瞳で見つめていた。

 

 幼い心ながら、彼らが自分を見ているのではないことを理解していた。彼らが見ているのは「加茂家を栄えさせるための都合の良い道具」としての自分だ。

 

(僕を称え、平伏しながら……その実、僕という存在の価値を自分たちの都合で測っているんだ。愚かな人たち)

 

 帝我の中に、芽生えつつあるものがあった。

 それは、周囲の人間を心の底から見下す、冷徹なまでの絶対的な優越感。

 自分は特別である。この凡愚どもとは生まれながらに格が違うのだという、揺るぎない自負であった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 加茂の家柄において、期待という名の熱量は、時として過酷な毒へと姿を変える。

 かつて至高の神童と称えられ、加茂家を御三家の頂点へ導く完璧な存在として持て囃された加茂帝我。しかし、彼の周囲を覆っていた熱狂は、歳月の経過とともに少しずつ、そして確実に冷め渡っていった。

 

 術式が開花するとされる年齢のピーク、六歳を迎えた頃のことである。

 加茂家の上層部は、日々しびれを切らしながら、帝我の肉体に秘められた赤血操術の開花を待ち望んでいた。

 

「まだか……。帝我の術式は、まだ開花せんのか!」

 

「焦るな。他者の血を吸い上げ、己の肉体を瞬時に再生せしめるあの異能は紛れもない事実。そこに我が家の誇る赤血操術が合わされば、完璧な術師が完成する。開花が遅れているだけに過ぎん」

 

 薄暗い道場や離れの陰で、幹部たちは帝我を囲み、幾度となくその身を確かめた。秘伝の薬を飲ませ、呪術的な刺激を与え、他人の血を吸わせた上で体内の呪力を練らせる。

 今日こそは、明日こそはと、誰もが息をのんでその瞬間を待ち構えていた。

 

 しかし―――いくら月日が流れても、帝我の血液が意思を持って動くことはなかった。

 

 一年が過ぎ、七歳を迎え、やがて八歳になろうとも、状況は微塵も変わらない。

 

 地下道場の薄暗闇の中、大人たちの視線を集めながら、帝我は自身の指先を静かに噛み切る。滲み出た鮮血を凝視し、どれほど意識を集中させようとも、その血滴はただ重力に従って畳へと静かに滴り落ちるだけだった。

 

「……僕には、出ませんよ」

 

 焦燥と苛立ちに顔を歪ませる大人たちを前に、帝我は静かに、しかし淡々と告げた。

 

「術式なんて、最初から僕にはありません」

 

 日を追うごとに、加茂家に漂う熱狂は重苦しい失望と殺気立った苛立ちへと変質していった。

 

 呪術医学の権威たちを動員した徹底的な鑑定の末、出された結論はあまりにも冷酷なものであった。

 

 加茂帝我の肉体には、赤血操術はおろか、いかなる相伝術式・固有術式も刻まれていない。彼が持っているのは、天与呪縛による日光の拒絶と、吸血と同化によって自身の負傷を修復する「異能」のみ。

 

 さらに拍車をかけたのは、彼の持つ呪力量の少なさだった。期待されていた呪力そのものも、術師としてはあまりにも「並」の領域を出ないものだったのだ。

 

「ふざけるな……! これほどの期待を裏切るとは!」

 

「赤血操術のない吸血など、ただの気味の悪い異能ではないか!」

 

「日光を浴びれば肌が焼け焦げるだけの出来損ない! 加茂家の面汚しめ!」

 

 手のひらを返したような転落であった。

 

 待ち望んだ年月が長かった分だけ、大人たちの落胆は苛烈な憎悪と侮蔑へと跳ね返った。

昨日まで帝我を「加茂家の至宝」と持ち上げていた者たちは、一転して彼を穢れでも見るような冷たい視線で追い払うようになる。

 

 帝我に対する待遇の悪化は劇的だった。

 

 かつて与えられていた豪華な調度品が立ち並ぶ広い離れは即座に没収された。代わりに宛がわれたのは、加茂家の敷地の最も北側に位置する、日当たりが悪いどころか湿気とカビの臭いが充満する廃屋のような離れであった。

 

 日傘や遮光幕といった日差しの対策も最低限のものしか与えられず、日中の移動すら制限される。

 

 食事もまた、かつての贅を尽くしたものから一変し、最低限の冷めきった飯と汁物が差し入れられるのみとなった。

 

 加茂家にとって、相伝術式を持たない帝我は、もはや「使い物にならなかった不燃ゴミ」へと成り下がったのだ。

 

 離れの古びた畳の上に座り込み、帝我は薄汚れ落ちた天井を静かに見上げていた。

かつては病的なまでの白さと怪しい色気で周囲を魅了していたその肌は、暗闇の中でより一層蒼白く浮かび上がっている。

 

「ふ……」

 

 帝我の薄い唇から、小さな吐息が漏れた。

 

「フフ……フハハハハハハ!」

 

 静まり返った部屋に、幼子のものとは思えぬ、高く通った高笑いが響き渡る。

 

 そこに悲しみや悔しさ、あるいは絶望といった感情は一切存在しなかった。あるのは、ただ大人たちの愚かさに呆れ果てたような可笑しさと、腹の底から湧き上がる滑稽さであった。

 

(血統だの相伝だの……くだらない。本当にくだらない人たちだ。術式が無いというだけで、これほどまでに醜く態度を変えるなんて)

 

 帝我は、自分の内に宿る圧倒的な自負が、傷つくどころかより強く研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 

 加茂家の人間どもは何も分かっていない。

 彼らが自分を切り捨てたのではない。自分が、この見る目のない凡愚どもと一族そのものを見限ったのだ。

 

 どれほど冷遇されようとも、帝我の瞳に宿る「絶対的な王者」としての光が陰ることはなかった。

 

 だが、加茂家の血統主義が産み落とした歪みは、力を持たぬ者へとなお一層苛烈に注ぎ込まれる。

 北側の離れへと続く湿った回廊を、複数の荒々しい足音が踏み鳴らしていた。やってきたのは、加茂家の分家に連なる若い術師たちであった。

 

 宗家の末端や忌み子として日頃から鬱屈した扱いを受けてきた彼らにとって、かつて「神童」と持ち上げられながら無術式と判明して転落した帝我は、格好の鬱憤晴らしの対象だった。

 

「おい、出来損ない。面をかせ」

 

 乱暴に部屋へ踏み込んできた若者たちによって、帝我は雨が激しく降りしきる庭へと引きずり出された。

 

 冷たい雨粒が容赦なく帝我の白い肌を打ち叩く。日傘も遮光幕もない激しい大雨の中、泥塗れになりながら帝我は膝をついた。

 

「宗家の血筋だなんだと気取っていた奴が、今じゃこの様だ!」

 

「日の下にも立てん、術式も発現せん木偶の坊が!」

 

 若い術師たちは、己の溜め込んだ鬱憤を晴らすかのように蹴り飛ばし、容赦なく拳を振るった。

 雨音の中に痛々しい打撃音が響き渡る。泥と血に汚れ、全身が傷だらけになっていく帝我を見下ろし、彼らは下卑た笑みを浮かべて満足感に浸っていた。

 

 しかし、それでも納まりがつかない一人が、下品な歪んだ笑みを深める。

 

「へっ……おい、俺の最近発現した術式を、こいつの顔面に叩き込んでやるよ!」

 

 男が練り上げた呪力の塊が、飛沫を上げて帝我の眼前へと一直線に飛来した。

 

 鋭い殺気を孕んだ攻撃が、帝我の顔面の寸前まで迫った―――まさにその瞬間。

 

 

 

 

 

 ピタリ、と。

 

 飛来していた攻撃が、帝我の目と鼻の先で完全に静止した。

 スローモーションなどという生易しいものではない。空間そのものが凍りついたかのように、一切の動きを止めているのだ。

 

 帝我は息を飲み、辺りを見回した。

 

 打ちつける雨の音が消えていた。空中に浮遊する無数の雨粒が、ガラス玉のようにその場に静止している。

 

 自分を殴りつけ、下卑た嘲笑を浮かべていた分家の男たちも、醜悪な表情のまま滑稽に固まっていた。

 

 世界からすべての動的な現象が消失した異様な空間。困惑に固まっていた帝我は、突如として自身のすぐ傍らに立ち上る「自分以外の気配」を感じ取り、我に返った。

 

 視線を向けると、そこには異形がいた。

 

 帝我のすぐ傍ら、宙にふわりと浮かび上がるように立つ存在。誰の目にも映らないであろうその影は、濃密な威圧感と黄金の輝きを身に纏っていた。

 

「……何者だ、お前は」

 

 帝我が問いかけるが、その黄金の影は無言を貫き、何の言葉も返さない。ただ静かに、冷徹な眼差しで帝我を見つめ返してくるだけだ。

 

「お前が……この異様な状況を作ったのか?」

 

 畳みかけるように問い詰めるも、やはり影は何も答えない。

 

 ただ、ふわりと帝我の前に歩み寄ると、静止していた術式の攻撃へと大きな腕を伸ばし、まるでゴミでも払うかのように軽く消し飛ばして見せたのだった。

 

 次の瞬間―――止まっていたすべての時間が動き出した。

 

 ズザァッ!と激しい雨音が再び鼓膜を打ち破り、冷たい雨粒が叩きつける感覚が全身に戻ってくる。

 

 帝我は、元の時間へと引き戻されたことを瞬時に認識した。

 

 一方、下卑た笑みを浮かべて攻撃を放った男たちは、帝我の目の前で突如として術式が霧散した光景を目撃し、目を見開いて固まっていた。

 

「な……何が起きた!?」

 

「おい、外したのか!?」

 

「そんな訳ないだろ!?確かに当てたはず……」

 

 困惑し、互いの顔を見合わせる分家の若者たち。

 だが、帝我の頭の中にあったのは、彼らの困惑などではなかった。

 

 あの瞬間の感覚―――世界を動かす時間(歯車)そのものを、己の支配下に置いたという圧倒的な全能感。

 

 泥と血に塗れた身体をゆっくりと起こし、帝我は濡れそぼった美しい髪を優雅に掻き上げた。

 そして、その口元を―――見る者を狂わせるほど醜悪で、冷酷なまでの愉悦に満ちた笑みへと歪めた。

 

「……っ!?」

 

 その顔を見た瞬間、分家の若い術師の一人は、背筋に冷たい蛇が走り抜けたような強烈な悪寒を覚えた。

 

 ボロボロの傷だらけで地面に伏していたはずの男だ。相伝術式もなく、呪力も並で、日の光にすら耐えられない出来損ないのはずだった。

 それなのに、あの濡れた髪の隙間から覗く赤い瞳と、禍々しい笑みは何だ。

 恐ろしい。人間が、自分より遥かに格上の捕食者と対峙した時のような、本能的な恐怖が全身を支配する。

 

「な、なんだよその面は……! 出来損ないの癖に気取ってんじゃねえぞ!」

 

 帝我のあからさまな異変と狂気に触れ、半ば錯乱した一人が怒鳴り散らしながら飛び出した。

 拳を固め、帝我を排除しようと肉薄する。

 

「待て、止め―――」

 

 あまりの胸騒ぎに、もう一人が制止の声を上げようとした。

 だが、「止め」の段階まで口にした瞬間だった。

 

 ガッ!!と重厚な衝撃音が響き、飛び出した男の身体が、まるで巨大なダンプカーに跳ね飛ばされたかのように鋭く弾け飛んだ。

 

「がはっ……!?」

 

 庭の木の幹へと叩きつけられ、白目を剥いて崩れ落ちる仲間。

 何が起きた? 攻撃など誰もしていない。帝我は一歩も動いていない。脳の処理がまったく追いつかず、思考が固まる。

 

―――次の瞬間。

 

 視界の端にいた残りの仲間たちが、唐突に、何の前触れもなく大量の血を吹き出しながら膝から崩れ落ちた。

 

「ひっ……!? あ、ああああっ!!」

 

 理解不能の惨劇に恐怖が限界を超え、男は情けない悲鳴を上げてその場に尻もちをついた。

 泥まみれになろうがどうでもいい。死ぬ。ここに居たら殺される。

 なりふり構わず、地面を這いずるようにして背を向け、その場から逃げ出そうと立ち上がろうとした―――まさにその瞬間。

 

 何の気配もなく、空間を飛び越えたかのように、目の前に「無傷」の帝我が立っていた。

 

 全身の擦り傷も、泥の汚れも、吸血と同化によって完璧に復元され、陶器のように白い肌が雨の中に浮かび上がっている。

 

「ひぐっ……!!」

 

 股間に温かいものが広がり、強烈な失禁の感覚が襲う。恐怖で声すら出ない。

 男が最後に視界に収めたのは、見下ろしてくる絶対的な強者の、暗い愉悦を孕んだ冷徹な嘲笑であった。

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