加茂家の深奥に位置する大広間には、昼なお暗い重苦しい空気が澱んでいた。
豪奢な障子格子の向こうから差し込む光を遮り、上座に鎮座する幹部たちは、ひざまずく報告者の言葉に眉をひそめていた。
「―――報告は以上です。北の離れへ向かった分家の若い術師たちが、揃って半狂乱の状態で発見されました」
報告を担当する男の声は微かに震えていた。
「怪我自体は、強烈な打撃を受けたような凄惨な肉体破砕と重度の打撲痕があり……特に何もない空間から殴打されたかのように骨が砕かれ、精神の錯乱も酷く『姿が消えた』『瞬間移動や高速移動ではない』と意味不明な言葉を繰り返しております。また……ここ数ヶ月、北の離れ付近を担当していた奉仕人や下級の術師が、相次いで行方不明となっております」
広間に集まった幹部たちの間に、不穏なざわめきが広がった。
行方不明者たちの痕跡はきれいに消されている。残されているのは、現場にわずかに漂う鮮血の匂いと、常軌を逸した恐怖の余韻だけであった。
「バカバカしい。あのような出来損ないに何ができる」
幹部の一人が不機嫌そうに吐き捨てた。
「赤血操術も発現せず、呪力も並の領域を出ぬただの欠陥品だ。ただ日の下に立てぬだけの忌み子が、術師相手に何を起こせるというのだ」
「だが……あの目だ」
別の老幹部が重い口を開いた。
「相伝術式が出ぬと分かったあの瞬間から、あやつは一度として悲嘆に暮れた顔を見せておらん。離れに追いやられてなお、あの瞳には加茂家そのものを見下すような、気味の悪い光が宿っておる」
沈黙が広間を支配する。
彼らが恐れていたのは、帝我の持つ「並の呪力」でもなければ「術式の不在」でもなかった。
どんなに冷遇しようとも削ぎ落とせない、あの圧倒的な自負。そして、報告にある「説明のつかない不審な現象」という未知の不気味さであった。
「……一度、確かめる必要があるな」
当主の側近である幹部が静かに立ち上がった。
「あの離れで、一体何が起きているのかを」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夜陰が深まるにつれ、加茂家の広大な敷地は音のない底知れぬ闇へと沈んでいった。
本邸の重苦しい空気を背負い、北側の離れへと続く渡り廊下を歩む幹部たちの足取りは、いつになく重く鈍かった。
ただ帝我の下へ向かうだけだというのに、肌を粟立たせるような、いわれのない重圧がその身にまとわりついている。夜気は冷たいはずなのに、彼らの額には冷や汗がにじみ、喉の奥がカラカラに乾いていた。
歩くだけなのに、なぜこれほどの疲労感を覚えるのか。
一歩、また一歩と古びた板張りの廊下を踏みしめる度に、その歩みの重さは鉛のように増していくばかりだった。まるで空間そのものが、無知な侵入者を拒絶するように重力を歪めているかのようだった。
幹部たちの言葉数は極端に少なく、代わりに漏れるのは焦燥に満ちた荒い呼気ばかりである。
これまで数々の強大な呪霊を見越し、並み居る特級・一級の術師たちの暗躍や修羅場を見知ってきた百戦錬磨の者たちですら、この廊下に満ちる異様な威圧感に心の底から慄いていた。
誰も口には出さないが、その場にいる全員が痛いほど理解していた。自分たちはすでに人間の管理の範疇を超えた、とてつもない「怪物」をこの屋敷の奥底に放ってしまったのだと。
静まり返った闇夜の空間に、ごくりと生唾を飲み込む音が嫌に大きく響き渡った。
―――その時だった。
湿った夜風に乗って、規則正しい足音がコツコツと静寂を破る。
常日頃は威厳と貫禄を纏い、呪術界の要として君臨するはずの幹部たちが、その音に反応して咄嗟に身構えた。その姿は、暗闇に怯える小動物のようであり、冷徹な現実から目を背ける酷く滑稽なものだった。
息を殺して視線の先を凝視する彼らの前へ、闇の隙間から一つの人影が姿を現した。
そこにいたのは、夢うつつ、まるで熱に蕩けたように不気味な笑みを浮かべる女性奉仕人の姿であった。
ここ数ヶ月の間に北の離れ付近で相次いで失踪していた奉仕人たちの一人であると気付いた幹部たちは、慄く胸を押さえつけながら声をかけた。
「……ここで何をしている」
その言葉というより、空気の振動である「音」に反応するように、ふらりと幹部たちの方へ振り向く女性奉仕人。
その瞳からは生き生きとした生気が完全に失われていたが、その表情は言葉にできぬ多幸感に溢れた、妖艶な笑みを浮かべていた。
ゆらゆらと身体を揺らし、言葉もなく幹部たちを見つめ、不気味な笑みを深めていく。その常軌を逸した光景に、幹部たちの背筋へ冷たい怖気が走った。
やがて、女性奉仕人は笑みをより一層深めると、熱に浮かされたように甘く蕩けた言葉を紡いだ。
「お待ちしておりましたぁ。帝我様の下へご案内致しますぅ」
絶句し驚愕する幹部たちの様子を気に留める素振りすら見せず、彼女はくるりと背を向けると、暗がりが続く廊下の奥へと足を進めていく。
幹部たちはその場に立ち尽くし、本当にこのまま進んでよいものかと激しく葛藤した。
幹部たち全員の理性が、この先へ進んではならないと警鐘を乱打しているのは痛いほど理解していた。この闇の先には、自分たちの常識が一切通じない「絶対の拒絶」が存在している。
だが―――それでも、人間としての愚かな感情である「好奇心」が、内に潜む恐怖心や危機感を薄れさせていった。あの冷遇していた忌み子が、一体何を成し得たのか。その禁断の真実を確かめたいという欲求に抗えず、彼らは吸い寄せられるように、女性奉仕人の後に続いて奥へと進んでいった。
廊下の突き当たり、重い障子戸が静かに滑り開く。
帝我の部屋へと足を踏み入れた瞬間、幹部たちは息を呑み、言葉を完全に失った。
そこは、かつての日当たりが悪く湿気とカビの臭いが充満していた薄汚い廃屋ではなかった。どこから運び込まれたのか、加茂家の宝物庫にすら並ばぬような絢爛豪華な調度品が所狭しと並べられ、部屋全体が異質な熱気と甘滑らかな血の香りに満たされていたのだ。
そして何より彼らを打ちのめしたのは、そこにいた者たちの姿だった。
部屋に溢れていたのは、失踪していた奉仕人や下級の女性術師たちの姿であった。
彼女たちの誰もが、現実のものとは思えぬほど熱に犯されたような蕩けた表情を浮かべ、空間を漂っている。
一部の者は畳の上に倒れ込み、白目を剥いて意識を飛ばしながらも、口から気泡交じりの泡を吹き、涙を流して身体を痙攣させていた。だが、倒れている者も、立っている者も、その誰もが至高の極楽と幸福に包まれたかのような表情を浮かべているのだ。
吸血され、命の糧として血を削り取られているはずなのに、そこに苦痛や恐れのの色は微塵もない。あるのはただ、怪物に命を捧げたことへの全能の充足感のみ。
その歪んだ光景を目にした瞬間、幹部たちは先ほどまで薄れていた恐怖心と危機感を、強烈な吐き気とともに思い出していた。
ここは人間が立ち入ってよい場所ではない。自分たちは自ら進んで、このおそろしい「怪物の腹の中」へと足を踏み入れてしまったのだと。
異様な光景の圧力に押し潰され、蛇に睨まれた蛙のように固まる幹部たちへ、闇の奥から低く静かな声がかかった。
「―――僕に、何の用ですか」
声のした方へ視線を向けた幹部たちは、再び息を詰めた。
豪華な絨毯と寝具の上に座っていたのは、上半身を露わにした加茂帝我の姿であった。
その周囲には、衣類を脱ぎ捨てた裸の女性奉仕人や女性術師たちが群がり、まるで至高の神に仕える信徒のように、うっとりとした瞳で彼の白い肌に頬を寄せ、しなだれかかっていた。
病的なまでに蒼白く、一切の血の気が削ぎ落とされた美しい肉体。汗と熱気に濡れた黒髪の隙間から覗く赤く揺らめく瞳は、闇の中で見る者を魅了し、同時に底知れぬ狂気へと引きずり込むような圧倒的な色気と危険な覇気を放っていた。
数年前まで「相伝術式のない出来損ない」と蔑み、薄暗い部屋へと追いやっていたはずの少年が、今や人間を超越した「絶対者」として、女たちの血と悦楽を従えてそこに降臨していたのだった。
傲岸不遜に佇む帝我。
豪華な絨毯の上で上裸のまま見下ろしてくるその姿に、加茂家の幹部たちは呼吸することすら忘れ、息を飲んでいた。
目の前にいるのは、自分たちよりも遥かに小さく、若く、何より相伝術式すら持たないただの少年である。本来ならば、加茂家の血統主義の最底辺に位置し、自分たちがひと声かければ幾らでも踏みつけられるはずの忌み子に過ぎない。
だが―――ただの少年であるはずなのに、幹部たちは肌を焼くような、目には見えない強烈なまでの存在感と威圧感を感じていた。室内を満たす異質な熱気と甘滑らかな血の香りが、彼らの思考を暴力的に麻痺させていく。
言葉を失い、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた幹部たちを見て、帝我は口元を歪めて不敵に笑った。
そして、ふと思い出したかのようなわざとらしい所作で、自身にしなだれかかっていた一人の若い女性術師の細い肩を引き寄せた。帝我と視線が交差した瞬間、女性術師はまるで至高の神に見つめられたかのように、うっとりと瞳を湿らせて熱い吐息を漏らす。
帝我はその白く滑らかな肌を指先で撫で回しながら、幹部たちへ向けて低く滑らかな声を投げかけた。
「……ふむ。わざわざこのような夜更けにゾロゾロと……失踪した奉仕人や術師たちの件でやってきたのでしょう?」
その言葉に、金縛りに遭っていた幹部たちは「はっ」と我に返り、思考の停止から弾かれたように我先にと足早に言葉を紡ぎ始めた。
「帝我……! 貴様、こんなところで何をしている!」
「この女たちは何だ! それにこの部屋の調度品は一体どこから集めてきた! 答えろ!」
自分たちの動揺を押し隠すかのように声を荒らげる幹部たち。
だが、帝我はその滑稽な狼狽ぶりを見つめ、心の底から哀れむような侮蔑の嘲笑を浮かべた。
(愚かな老害ども……。ここはすでに僕という怪物の腹の中だというのに、まだ自分たちが上位者だと勘違いしている)
加茂家という狭い世界の権力に固執し、目の前の絶対的な死線すら見極められない愚かさ。
帝我は何も答えず、ただ蔑むように嗤い続けるだけだった。
その態度にプライドを打ち砕かれた老幹部の一人が、額に青筋を立てて怒気を爆発させる。
「嘲笑ってばかりおらんで、答えんか小僧……っ!」
「……おっと、これは失礼しました」
帝我はまったく申し訳なさそうにない口調で、軽く首をすくめて見せた。
「調度品についてでしたね。これは僕が命じたわけではありませんよ。そこにいる彼女たちが、僕に喜んでもらおうと勝手に屋敷の蔵から運んできただけです。……そして、奉仕人や術師たちについてですが」
帝我は言葉をそこで一拍置いた。
次の瞬間―――帝我は先ほどまで見つめ合っていた女性術師の頭ぐっと引き寄せ、その細い首筋へと鋭い牙を深々と突き立てた。
「——っ!?」
突如として目の前で繰り広げられた暴挙に、幹部たちは絶句した。
「な、何を……何をしている!!」
叫び声が上がるが、帝我は一切意に介さず、喉を鳴らしてゴクゴクと鮮血を吸い上げていく。
驚愕すべきは、血を吸い取られている女性術師の反応だった。苦痛に身を捩るどころか、彼女は口から艶めかしい悦びの悲鳴をあげ、全身を耐え難い快楽で酷く震わせていたのだ。
瞳の焦点を完全に失い、熱に冒されたように帝我の背中に白く細い腕を回す。
やがて、全身の血の気が完全に失われ、陶器のように青白く透き通っていくほど血を吸い上げられると、女性術師は至高の歓喜と極楽の表情を顔一面に浮かべた。
「あぁ……帝我様……ありがとう、ございます……っ」
恍惚とした感謝の言葉を最後にして、彼女の腕は力なく床へと落ち、そのまま動かなくなった。絶命したのだ。
死体をゴミのように傍らへ押しやった帝我の姿に、幹部たちは顔面を蒼白にし、ガチガチと歯の根を鳴らした。
「狂っている……! 貴様!狂っているぞ帝我……!!」
恐ろしさのあまり絞り出されたその言葉に対し、帝我は口元から滴る赤い血を、自らの舌先で艶めかしく舐め取ってみせた。
そして、闇の中に赤く光る瞳を爛々と輝かせ、至高の笑みを浮かべながら静かに告げた。
「狂っている? 違いますよ。ここにいる者たちは、僕の肉体を維持し、糧となるためのただの『消耗品』です……そして、そこらで倒れている者たちは、用済みとなったただの『搾りかす』に過ぎません」
幹部たちは言葉を紡ぐことができなかった。
圧倒され、完全に言葉を失っていたのだ。
あまりにも常軌を逸した、目の前の光景。
加茂家を仕切る者として、このような惨状を看過することなど到底できない。ならば、今すぐにでもこの忌み子を止めなければならないはずだった。
だというのに、幹部たちの身体は金縛りに遭ったように微動だにせず、指一本動かすことすらできなかった。
そんな幹部たちの切迫した心境を知ってか知らずにいるのか、帝我は傍らに控えていたもう一人の女性奉仕人の身体を優雅に引き寄せた。
身を寄せられた女性奉仕人は、歓喜に胸を震わせ、やっと自分の番が巡ってきたと言わんばかりの恍惚とした笑みを浮かべた。
帝我は彼女の細い腰を抱き寄せたまま、どこか遠くを見るような眼差しで静かに言葉を紡ぐ。
「……あの日から、猛烈に腹が空くようになったのです。一般的な食事をどれだけ腹に収めようとも、一向に満たされることがない」
帝我は思いを馳せるように、あの力が初めて覚醒した雨の日を思い返していた。
「そこで、試しに奉仕人や術師たちの血を吸ってみたところ……驚いたことに、あの苛酷な飢餓感が一瞬にして収まるのだと気付きましてね」
一度言葉を区切ると、帝我は躊躇なく女性奉仕人の白い首筋へと牙を突き立てた。
ゴクリ、ゴクリと鮮血を吸い上げられる奉仕人は、先ほどの女性術師とまったく同じように艶めかしい快楽の悲鳴をあげ、全身を歓喜の震えで痙攣させる。やがて全身の血を吸い尽くされると、至高の笑みを浮かべ、感謝の言葉を呟きながら静かに絶命し、床へと崩れ落ちた。
何もできず、ただ惨劇を前に狼狽えるだけの幹部たち。
帝我は口元に拭き取られることもなく滴る赤い血をそのままに、至高の笑みを浮かべて語りかけた。
「……貴方達にはお分かりにならないでしょうが、血にも明確な『味の違い』というものがあるのです。男の血よりも、女の血の方が遥かに飲みやすく、美味であること。そして……単なる奉仕人よりも、体内に呪力を宿した術師の血であれば、尚のこと美味であるということがね」
聞きたくもない帝我の怪異じみた血液の好みを語られ、幹部たちは顔面を激しく蒼白にさせた。
その恐れおののく姿を可笑しそうに見つめながら、帝我はしなやかな動作で寝具から立ち上がった。
これまで太陽の光を一度も浴びたことのないその肌は病的なまでに色白であったが、きめ細やかで美しく、無駄な脂肪の一切を削ぎ落としたしなやかな肉体をなんの惜しげもなく晒している。
それを見つめる女たちは、誰もが熱に浮かされた色のない瞳で、ぼぉーっと彼の体躯を注視していた。空間全体に、人を狂わせるような危険な色香が充満している。
未だ不気味な笑みを浮かべたまま、帝我は再び口を開いた。
「本来、僕の腹を満たすためだけであれば……この部屋に転がるこれほど多くの死者の数は、実のところ必要ないのですよ。では、なぜ僕がこれほどまでに多くの命を吸い上げたか……お分かりですか?」
その答え合わせをするかのように、帝我の肉体から悍ましいまでの呪力が一気に解放された。
―――ドツンッ!!
部屋の空気が暴力的に捻り切れ、重圧が空間を支配する。
それは、そこにいる幹部たちの呪力量の総和すら遥かに凌駕する、圧倒的な奔流であった。
幹部たちは目を見開き、信じられないものを見たかのように「ば、馬鹿な……!?」と途切れ途切れの言葉を漏らした。
相伝術式もなく、呪力量も「並」の領域を出ないと鑑定されていたはずの忌み子が、なぜこれほどの膨大な呪力を秘めているのか。
絶句する大人たちに凄惨な笑みを浮かべた帝我は、静かに呟いた。
「そう……」
一拍置いた後、自らの身体を見下ろしながら嬉しげに口を開く。
「他者の血を体内に取り込むことで……僕自身の呪力量そのものが、際限なく上昇していくという現象が起きたのですよ。フフ……これは僕にとっても予想外の収穫でした」
無邪気とすら言える満足げな笑みを浮かべる帝我であったが、幹部たちにとってその姿は「おぞましい怪物」以外の何物でもなかった。
自身の全身に満ち溢れる凄まじい力を確かめるように、帝我はゆっくりと拳を握り締める。それに呼応するように、黄金の気配を孕んだ呪力がバチバチと大気を鳴らして迸った。
幹部たちは恐怖で膝をガクガクと震わせた。自分たちは一体、どれほど恐ろしい「怪物」を生み出し、解き放ってしまったのかと、底知れぬ後悔と絶望が頭を駆け巡っていた。
絶望に歪む幹部たちの表情を見つめ、見たいものが見られたと深く満足した様子の帝我は、握っていた拳をふっと解いた。
「……そして」
帝我が意味ありげに呟いた、まさにその瞬間。
幹部たちの視界から、帝我の姿が突如として消失した。
目視すら叶わない更なる異常事態に、もはや思考の範疇を超えた幹部たちは、ただ呆然と空虚な空間を見つめることしかできなかった。
しかし―――次の瞬間。
背後から唐突に押し寄せた、全身を直接凍りつかせるような寒気に、彼らは否応なしに意識を覚醒させられた。
背後から届く、呼吸することすら許されない圧倒的な威圧感。
声もなく、その姿も形も見ていないというのに、幹部たち全員の魂が「真の支配者がそこにいる」という事実を理解させられていた。
静寂を破り、背後から聴く者を狂わせる魔性の声が響く。
「―――2秒、と言ったところか……」
その言葉が意味するところを、幹部たちは理解できなかった。
否、理解したくなかったのだ。人が怪物の言葉を正しく理解できるはずがないと、無意識のうちに思考を放棄していた。
怪物の一挙一動に、ただただ歯を鳴らして震える幹部たち。そんな彼らに向けて、帝我は冷ややかに声をかけた。
「……
ぞく、と背筋に氷を突き立てられたような感覚。幹部の一人の首筋に、帝我の青白い手がそっと添えられていた。
「―――馳走だ。用意しろ」
耳元で囁かれながら、冷たい指先で首筋を撫で回される。
人間のものであるはずなのに、血の気がまったく通っていないのではないかと錯覚するほどその手は冷たく、添えられた首筋から波紋のように全身へ恐怖が伝破していった。
「そ、それは……っ」
ガチガチと歯を震わせ、幹部が絞り出すように吃ると、添えられていた帝我の指先が突如として皮膚を押し裂き、頸動脈の手前まで深く突き刺さった。
「ひっ……! あぁぁっ!?」
恐怖と痛みに情けない叫びをあげる幹部。
帝我は震え上がる幹部の耳元へ顔を寄せ、囁くように……しかし、部屋にいる全員の鼓膜へ不気味に響く声で呟いた。
「男の血は好まないだけで……決して、対象外というわけではないのだぞ?」
手遊びのように、頸動脈を傷つけないギリギリの力加減で指先を動かす帝我。
己の命の根源である頸動脈を弄ばれている感覚に、幹部は「はっ! はっ! はっ!」と荒い息を吐き出し、狂わんばかりの恐怖に顔を歪めた。
「ふむ……実に濃密な呪力だ。これは……案外、珍味かもしれんなぁ?」
舐めるように舌をあげ、妖しげに嗤う帝我。
その狂気にいよいよ耐えきれなくなった幹部は、半狂乱の声を張り上げた。
「す、すぐに……! すぐに上質な者を極上に用意いたしますから!!」
その回答を聞き、帝我は満足そうに口元を緩めると、幹部の首筋からすっと手を離した。
頸動脈の喉元から異物の感覚が消え去った瞬間、幹部は緊張の糸が切れたように、その場に力なくへたり込んだ。
幹部たちが恐ろしい視線を戻すと、いつの間にか帝我は寝具の上へと戻っており、新たに女性たちを傍らに侍らせていた。
帝我は、地面に崩れ落ちた幹部たちを、まるで路上に転がる虫けらでも見るような冷徹な瞳で見下ろし、低く言い渡した。
「―――全てだ。私に、すべてを捧げろ」
反抗する意志など、とうの昔に砕かれていた。
ここに、加茂家における完全な格付けが完了したのだ。
幹部たちは虚ろな表情で畳に頭を擦り付け、伏して服従を誓うように言葉を揃えた。
「すべて……帝我様のお望みのままに―――」