生きたければ飯を食え~とある料理人の異世界繁盛記~ 作:混沌の魔法使い
メニュー2 ステーキ
厨房でロウガの食事の準備をしているカワサキの姿を横目にしながら、残り少なくなったホットケーキを小さく切って口へ運ぶ。ふんわりとした優しい口当たりとほんのりとした甘さにジャムの甘酸っぱさが加わり思わず笑みが零れる。そんな私を心配そうに見ている幼馴染の方に向き直り、小さく頭を下げる。
「お爺ちゃんじゃないって分ってたのに飛び込んできてくれて一応ありがと」
「おう。気にすんな」
狼の獣人のロウガが匂いでお爺ちゃんじゃないって気付かない訳がない。私が危険なんじゃと思って下手な演技をしたわけだけど、私を心配してくれたのが良く分かる。
「んで、あのおっさんどこで拾った?」
「川に流されて来たのは嘘じゃないよ。ただ流れてきた方向がね……神域の方向なんだよね」
神域――王都の教会から立ち入り禁止区域に指定されている区域の方向から流れてきたと伝えるとロウガの眉が小さく動いた。
「嘘だろ? 神域は兄貴でも侵入出来ないんだぜ?」
ロウガが兄貴と呼ぶのはこの街を拠点としている旅団のリーダー。銀狼のリオンさんの事だ。獣人の中では珍しい魔法職、そして狼の獣人特有の身体能力を組み合わせた独自の戦闘技法を編み出した天才――それがリオンさんだ。
「現代の神殺しの狼。フェンリルの2つ名を持つ兄貴でも入れない神域から人間が出てくるなんてありえねぇ」
「でもあの川の先は神域しかないんだよ」
この世界を見守っているとされる名もなき神の神殿。その神殿は朽ち果てているがどこにでもいて、どこにもいないという伝承から神殿というのは形だけで、最初に神が降臨した場所として神聖視されている神域は高位の神官でなければ侵入出来ないほどの場所だ。だからロウガがありえないというのも分るんだけど、あの川は神域の滝から流れてくる川と繋がっているので、神域から流されて来たとしか思えないのだ。
「……信じられねえし、嘘だと思ってるけどよ黙っとけ。牢にぶち込まれるぞ」
「それも分ってる。ありがと」
神域に近づいた事で罪に問われる事もあるのだ。幼馴染のロウガだから話したが、この事は誰にも話すつもりはない。勿論カワサキにも黙っておくように言うつもりだ。
「それであのおっさんの料理の腕前は爺さんと同じ位なのか?」
「これ食べたら分ると思うよ。私は多分王都の料理人と同じ位だと思う」
「ありがとよ! 美味そうな匂いだと思ってたんだ。だけど王都の料理人と同じ位っていうのは言いすぎだと思うぜ」
惜しいと思ったが、パンケーキを半分に切ってロウガに食べてみるように促す。ロウガは嬉しそうに笑ってパンケーキを頬張ると目を見開いて固まった。
「どう?」
「……うめえ。いや、本当にうめえよ。仕事で王都に行く事はあるけどよ……こんなに柔らかくて甘いパンは初めてだ。もっとくれよ、レナ」
「それはいや。もうこれだけしかないし、でもこれと同じ位の料理を出してくれると思うから待ってた方が良いと思うよ」
本当は分けるは嫌だったんだけど、カワサキの腕を教えるにはこれしかないと思ったのだ。パンケーキを食べればカワサキの腕が分かる。その腕が分れば料理を待っていようと気が短いロウガでも思うはずだ。
「ロウガだったか? お前さん。にんにくとかは大丈夫なのか?」
「あん? 平気に決まってんだろ? 何言ってるんだ?」
「いや、香りが強い物は大丈夫か心配になっただけだ。大丈夫ならそれでいい」
「待ってくれよ。なぁ? 何を作ってくれるんだ? 楽しみで待ってるのも良いんだけどよ、腹が減ってるから何が食えるかを知りたいんだよ」
「良い牛肉があったからステーキを焼くつもりだ」
にこにこと笑っていたロウガだったが、その目がスッと細まった。事実私も内心驚いていた。ステーキと言えば肉を焼くだけで料理とは呼べないからだ。
「ステーキぃ? んなもん肉を焼くだけじゃねぇかよ。そんな不味い料理で俺を馬鹿にしてんのかよ」
ロウガも馬鹿にされてると思ったのかカワサキを睨みつけ椅子から立ち上がろうとする。その仕草を見れば誰だって戦闘姿勢に入ろうとしていると分る。だがカワサキはそんなロウガを見て小さく笑った。
「焼くだけ、焼くだけねぇ……じゃあ決まりだ。そのだけの料理の奥深さを味わわせてやろう。それに……食いもしねぇで馬鹿にしてるだの、不味いに決まってるだの……料理人舐めんなよ、クソガキ」
笑顔ではある。だがその威圧感は凄まじかった。だがそれよりも私とロウガが驚いたのは容姿は全然違うし、雰囲気も違う。だけどロウガの言葉に怒りを露にしたカワサキはお爺ちゃんに良く似ていて、私もロウガもその場で硬直してしまった。
「まぁ腹が空いてると怒りっぽくなるもんだ。ちょっと待ってろ、軽くつまめる物を先に出してやるからよ」
厨房に引き返しカワサキの姿が見えなくなったが、私もロウガもお爺ちゃんに叱られた時の事を思い出し、厨房から何かを揚げる音がしてくるまでその場に硬直しているのだった……。
大人気ないと思ったが料理を出す前に不味いに決まっている。等と言われればいくら温厚な俺でもカチンと来る。これが食べてから不味いと言われるのならば分る。だが食べもせず、料理を見ることもせず不味い、馬鹿にしているのかと言われれば誰だって腹の1つだって立てるだろう。
「焼いただけで、不味い料理……ね」
料理人にはなれるが、肉焼き師には才能が必要であるという格言がある。同じ牛から切り出した肉であったとしても肉には個体差があり、火の通り具合、脂の融解具合もまた然り。それらは日によって変わるものであり、同じ感覚で焼いても全然駄目になる時もある。肉の火入れとは最もシンプルで、最も難しい。料理人としての努力、積み重ねた経験、そして才能が物をいう世界だ。流石に俺に肉の声を聞く耳は無いが、それでも俺だって料理の道で生きて来たという自負がある。ロウガが味わった事のない最高のステーキで驚かせてやると気合を入れて調理に入る。
「まずは……時間稼ぎから行くか」
オーブンを予熱する時間、肉の下処理にステーキに味を馴染ませる時間を加味すればそれなりの時間が掛かる。先に軽く摘める物を出すとは言ったが、俺は厨房の配置も、調味料の位置を把握する為の言い方は悪いが時間稼ぎだ。
「じゃがいもは助かる。これがあるだけで何とかなるって気になるからな」
じゃがいもと油と塩。これでどれだけ腹が空いたと騒ぐ連中を黙らせて来た事かと1人微笑み、厨房に置かれていた山盛りのじゃがいもへと手を伸ばした。
「良いじゃがいもだ。これだけのじゃがいもには早々お目にかかれんな」
手に持つとずしりと重いじゃがいもに1人笑みを浮かべながらナイフで芽を取り除くのだが……。
「切れ味が悪いな……包丁じゃないからこんなもんか?」
包丁と比べると大分切れ味が悪く感じるナイフで芽を取り除き皮を剥きながら厨房に視線を巡らせ、スライサーなどの調理器具がないかと探すがあるのは不恰好なおたまやフライ返しくらいで、ピーラー等の道具は見つからなかった。
「しかたねえか。まぁ使えないほどではないから良いが」
皮を剥いたジャガイモをナイフで出来るだけ薄くスライスし桶の中の水に晒す。水が濁ってきたら水を交換し、ぬめりを洗い落としている最中にふと気付いた。
「キッチンペーパーがねえな……」
この後キッチンペーパーで水気を切りたいのだが、キッチンペーパーらしき物はない。どうした物かと考え視界に入ったのは現在予熱しているオーブンだ。
「これしかないか」
ザルでしっかりと水気を切ったじゃがいもをオーブンの中の天板に重ならないように並べオーブンの中に入れて乾かす。一瞬このままでもいいか? と思ったがクッキングシートが無ければくっついてしまうのでやはり乾かしてから揚げるのが一番かと考え直す。
「良し。まぁこんなもんでいいだろ」
少し焦げ目がついているのもあるが、このくらいなら大丈夫だろう。壁に掛けてあったフライパンを火に掛け、レナには悪いと思ったが新しい油を入れて加熱し、何かの揚げ物に使われていたであろう木の串を鍋の中に入れる。
「……良し。これならいけるな」
木の串の先から殆ど泡が出ないのでこれなら120度くらいのはずと今までの経験から判断し、オーブンで乾かしたじゃがいもを鍋の中に入れる。じゃがいもから細かい泡が出てくるが揚げている内に泡が出なくなってくる。これが揚げ上がりの目安なのだが……。
「バットとかもねえのか……まいったね、こりゃ」
普段使っている調理器具や道具がないっていうのはこうもやりづらいものかと苦笑しながらも、ザル等を駆使してポテトチップスを鍋から取り出し、振り塩の要領で味付けし大皿に盛り付けてロウガとレナに差し出す。
「ほれ、これでも摘んで待っててくれ」
「これ……芋を揚げたんですか?」
「ポテトチップスだ。ただ揚げただけで塩を振っただけだが美味いぞ。まぁ騙されたと思って食べて見てくれ」
本当に揚げただけで美味いのか? と怪訝そうな顔をしているロウガとレナに背を向け厨房へと戻る。
「良し。良い具合だな」
冷蔵庫で冷やされていたサーロインは半分凍っていた。だがポテトチップスを作っている間に氷も溶け、常温に戻っていたので早速トリミングに入る。
「まずはっと……」
表面の固い脂を薄くそぎ落とし、次にあばら側の特に固い筋をナイフで切り落とし、肉と脂の境目に指を入れて筋を引っ張りながら肉の形を崩さないようにナイフの先で少しずつ切り離す。
「下処理は少々雑だが……良い肉だな」
本来牛は屠畜銃と呼ばれる金属製のボルトを撃ち出す機械で意識を奪い、その後は首の頚動脈を切って方血させて安楽死させるというのが俺の知っている牛の〆方だ。だがこれはそれらの方法を用いられていないが、屠畜銃を用いた物よりも素早く処理されている。血を出す以外の処理は少々雑だが、それでも十分に最高レベルの牛肉だと断言出来る。
「ここまで上物だと俺も興奮してくるな」
良い食材を最高の料理に仕上げたいという気持ちがふつふつと沸いてくる。腹を空かせた奴らに無償かそれに近い額で飯を食わせてやるのも間違いなく俺だ。だが料理の道を極めたいと言う気持ちも嘘じゃない。俺の信念と俺の夢は両立出来る筈の物だからだ。
「やるか」
今まで俺が作ってきたステーキの中で過去最高の物が出来る……まだ調理は始まっていないがそんな確信があった。
「良い音だ。実に良い」
そぎ落とした脂を加熱し溶け出した脂でサーロインの表面を焼いている訳だが、その音に1人満足感を覚える。科学的に言えばメイラード反応……表面のタンパク質と糖が熱によって褐色物質を産み出している訳だ。だがこの肉の焼ける音というのはリラックス効果もある。
「やはり生きるためには飯ってはっきり分るな」
生きたければ飯を食えという俺の信念は間違ってないと確信が持てる音だ。そんな事を考えながら焼き色のついたサーロインの上ににんにくのスライスを乗せてから、フライパンごとオーブンにいれて低温でじっくりと焼き上げる。
「う、うめえ! なんだこれ!? 芋を揚げただけなのにめちゃくちゃ美味い!?」
「ほんと……え、何でこんなに美味しいの……普通の芋だよね?」
「わかんねえ、でもうめえッ!」
ポテトチップスに興奮しているレナとロウガの声。その声を聞いているとさっき感じた怒りはどこかに消えてしまう。
「俺も単純なもんだよな」
美味いと喜んでいる声を聞くだけで機嫌を良くするなんて俺も単純だよなと思わずぼやく。だが料理人として食べた相手が喜んでくれるというのはやはり至上の喜びだ。
「さてと後はソースだな」
バターもある、ワインもある。後はオーブンでじっくりと焼いたステーキから出た肉汁でソースを作れば完成だ。
「ちょっと厨房の中を確認しておくか」
本当にレナが雇ってくれるという確証は無いが、仮に雇ってもらった場合の事を考え、オーブンでステーキを焼いている間。俺は厨房の中を見て回り、調理器具や皿、グラスの場所等を確認して回るのだった。
厨房から漂って来る空腹を刺激する香り。だが目の前にあるのは薄く切った芋を揚げ、塩を振っただけの料理とも呼べない物だ。もしも金を払ってこれを出されたらふざけるなと怒鳴りたくなるような代物だ。
「……いや、まずは食べてからだよな」
「うん。それが良いと思うよ」
食べてから文句を言えとおっさんは言っていた。だが確かにその通りだ。食べもせずに不味いとか、馬鹿にしていると思うのは作ってくれた相手にも失礼だと思う。文句を言うなら食べてからと小さく心の中で呟き、ポテトチップスとやらに視線を向ける。
(本当に揚げただけだな)
ちょっとだけ焦げているのか淡い狐色になっている薄く切られた芋。本当にこれが美味いのだろうか? と疑問を抱きながらポテトチップスとやらを口に運んだ。
パリっ!
噛み締めると同時に耳に小気味良い音が響き、口の中に芋の甘さと程よい塩気が広がる。
「う、うめえ! なんだこれ!? 芋を揚げただけなのにめちゃくちゃ美味いッ!?」
芋を揚げて塩を振っただけ、それだけなのに信じられないほどにポテトチップスは美味かった。芋の甘さほど良い塩気、パリパリの食感――どれも取り分け珍しいものではない。ありふれた普通の味で、それこそ毎日食べているような味なのだが……。
「ほんと……え、何でこんなに美味しいの……普通の芋だよね?」
「わかんねえ、でもうめえッ!」
パリパリの食感と甘みと塩気、それが1つになっているだけでこんなにも美味いのかと驚かされた。ただ揚げて塩を振っただけ……だがその中に計算され尽くした料理人としての知識と技があった。
「この薄く切っているのが良いのかな?」
「多分そうだと思うぜ。でもこれありだ! 切って揚げるだけなら簡単に出来る! これなら酒の摘みに丁度いいんじゃねぇか?」
「うん。これなら私でも出来ると思う」
簡単に出来て美味い、そして食材も取り分けて特別な物を使うわけではない。それこそ誰でも作れそうなものだが、だからこそ俺は良いと思う。
「やっぱりあのおっさん雇えよ。どうせ行く所ない奴なんだから2つ返事で了承してくれるだろ?」
このままじゃ爺さんの店は潰れちまう……喉元まで込み上げてきた言葉をグッと飲み込み、あのおっさんを雇うべきだとレナに提案していると厨房からあのおっさんが出てきた。
「待たせたな。さぁロウガ。お前の言うただの焼いただけの肉の料理が出来たぞ」
そのそのおっさんが目の前に置いた皿に視線を向け、俺は無意識に唾を飲み込んでいた。知らぬ間に涎が溢れ出てしまうのだ……にんにくの香ばしい食欲を誘う香り、肉の旨味を全て凝縮したような……今まで嗅いだ事もない旨味の香り。
(これは俺の負けだ)
見ただけで、匂いだけで分る。これは美味い料理なのだと、自分の知るステーキはただ焼いただけであり、これはただ焼くという調理法を極限まで極めた至高の一皿だと理解してしまった。
「サーロインだ。赤身の中にきめ細かいサシが入っているのが特徴だ」
「さーろいん? なんだそりゃ?」
「肉の部位だが……もしかして肉の部位ごとの特徴も知らないのか?」
肉の部位の特徴? 俺とレナが揃って顔を見合わせているとおっさんはマジかと言いたげに天を仰いだ。
「野菜にしろ、魚にしろ、肉にしろ。煮る、焼く、蒸す、揚げる。その食材には最も適した調理法があるんだ。良い食材でも調理や下拵えが悪かったらまともな料理にはならないんだ。それでこのサーロインっていうのは……いや、止めよう。まずは食ってみてくれ、こんなくだらない話で美味いタイミングを逃すなんて馬鹿なことはない。俺の言いたい事は食えば分る」
ナイフとフォークを手に取り、分厚い肉の塊……おっさんが言うにはサーロインにナイフを入れて驚いた。
「や、やわらけえッ!? え、え。なんでだッ!?」
力を入れなくてもスッと切れた。ステーキなんか固くて、木かなんか切っているような感じでナイフを動かしてやっと切れるのが当たり前なのに、これは本当にスッと切れた。だが切断面を見て俺もレナもえっと声を上げた。
「中が赤い? これ火が通ってない?」
「嘘だろ? ここまで言っておいて生焼けなのか?」
中が赤いから火が通っていないと俺もレナも思った。だがおっさんは俺とレナの反応を見て逆に驚いた表情をしていた。
「ミディアムレアを知らないのか? ステーキの焼き加減の1つだぞ?」
「これはまさか……狙ってやったのか?」
「そうだ。表面を香ばしく焼き上げ、中心部は生に近い赤みを残した焼き加減だ。火はちゃんと通っているから安心して食べてくれ」
安心してくれ食べてくれと言われ、俺は少し怖いと思ったがこの食欲を誘う香りには勝てず、切り分けたステーキを意を決して頬張った。
(な、なんだ。なんだこれッ!?)
表面はカリっと焼かれ、香ばしい食感だ。だが噛み締めると中は驚くほど柔らかく、口の中で蕩けるように溶けて行く。にんにくのパンチの効いた香りに味付けは塩と胡椒だけ……本当にそれだけなのに……。
「うめえッ! めちゃくちゃうめえッ!! これ本当にステーキなのかッ!?」
まず固くない。普通のステーキは噛み切れないほど固いのに、これは全然固くないところか柔らかい。
次に肉汁だ。肉の中に閉じ込められている肉汁が驚くほどにジューシーで、本当にステーキかと思うほどだ。
濃い味つけではない、本当に塩と胡椒だけだ。それなのに今まで食べたどんな料理より美味い。
「ほ、本当に美味しいの?」
「めちゃ美味いッ! レナも食ってみろよ! 信じらんねぇッ! なんで焼いただけでこうなるんだ!?」
肉を少し切りレナのパンケーキの皿の上に乗せ、俺は残った肉を豪快に切り大口を開けて頬張る。表面はカリッと香ばしく肉を噛み締める弾力がある、だが表面を噛み切ればその中は驚くほどに柔らかい。
「これがミディアムレアっていう焼き加減なのかッ!? だから塩胡椒だけで美味いのかおっさん!?」
「それもあるが、それだけじゃない。まずは適切な下処理だ。固く食べにくい筋を取り除くことで噛み切りやすくしてある。それに余分な
脂も取り除いてあるから味も良く馴染むし、胃もたれとかもしにくくなる」
いっていることの半分も分らないが、俺達の知るステーキとおっさんの作るステーキは全くの別物らしい。
「お、美味しい……全然獣臭くないし、味が凄く濃い……それに口の中でスッて溶ける……」
「それな! こんなの初めてだ」
噛み締めると口の中で肉が溶ける。固いのが当たり前だったから柔らかいってことに心底驚いた。
「このソースを掛けても美味いぞ」
「本当か!?」
美味くなるって言うなら試さない理由はない。おっさんが差し出してくれたソースを肉に掛けてみる。濃厚な赤いソースが掛けられたステーキは変な話だが、芸術品のように見えた。なんせ俺の知るステーキのソースというのはやたらと薬味を入れて、濃い味付けをして肉の臭さを誤魔化すようなソースだ。だがこれは違うとその香りで分った。赤ワインを使っているのか豊潤なワインの香りとバターと肉汁が溶け出した余りにも濃厚すぎるその香りは食べる前から美味いと分かった。
「ふ、ふおおお……う、うっまぁ……マジですげえッ!」
赤ワインと肉汁とバターで作られたソース。それは肉の旨味が凄まじいほどに溶け出していて、同じ肉から出た脂と旨味がベースになっているからか肉と相性が悪いわけがなかった。
「美味しい……これ本当にワインのソースなの……こんなに美味しいなんて……信じられない……」
レナも呆然とした様子で呟いている。爺さんの料理を食べていたレナが美味いと賞賛する。それだけでどれだけこのステーキが規格外か分る。この街1番の料理人である爺さんの料理を食べて育ったのだ。レナの味覚はずば抜けており、不味い料理ははっきりと不味いというし、中々美味いと言う事もない。そんなレナが美味いと言ったのだ。間違いなくこのおっさんの料理は爺さんと同じレベルと見て間違いない。そして自分で食べても間違いなく美味かった。王都でもこんな料理は食べられないと断言出来るほどにおっさんの料理は美味かった。
「おっさん俺が悪かった!! 食いもせずに馬鹿にしてるだと、不味いだの言って本当に悪かったッ!」
自分が失礼な事を言ったのはいやというほどに理解し、おっさんに向かって頭を下げる。
「まぁ少しむかついたがもう気にしてない。それより美味かったか?」
「ああ。めちゃくちゃ美味かったッ!!」
「そうか、それは良かった」
俺の言葉に満足そうに笑うおっさんは爺さんには全然似てないのに、レナの爺さんにそっくりな優しい笑みを浮かべていた……。
カワサキが作ってくれたステーキ。牛肉を焼くだけの料理だが、カワサキの腕前が良い上に知識が豊富なのか焼いただけとは思えないほどにステーキは美味しかった。カワサキが協力してくれるならお店を守る事が出来る……そう確信出来る味だった。
「それで面接は合格って事で良いのか?」
「……その私の方こそいいんですか? 多分お給金はそんなに払えないですよ? 王都とかのほうがきっと良い待遇で雇ってもらえると思いますよ?」
「おい、レナ」
「黙っててロウガ」
カワサキならそれこそ王都でも引く手数多だ。料理の腕に知識、その上甘い菓子まで作れるのだ。正直言ってまともに給料を払えるかも分らない私が雇って良い人材ではないと私は思う。
「そのロウガに頼めばもっと良い待遇で雇ってもらえる場所を紹介して貰えると思うんですよ。だから「いや、俺はここが良い」……え?
だからと話を続けようとしたがカワサキはここが良いと私の言葉を遮った。
「この厨房が大事にされているのは見れば分るし、壁に掛けられている写真とかを見れば良い店だったのは分る。腕を振るうなら気持ちよく料理が出来る場所が良い。だから俺はここが良いんだ。雇ってくれるか? レナ」
おじいちゃんが大事にしていた厨房を褒められ、お爺ちゃんの料理が好きで通ってくれた常連さん達の写真を見てここが良いと言ってくれたカワサキに胸が温かくなるのを感じた。
「……えっと私こそ……よろしくお願いします。貴方の力を私に貸してください」
「こちらこそよろしく頼む」
私の大事な場所を守る為に頑張って来たけど、何の成果も、結果も出なかった。だけどカワサキの力を借りれば何とかなる、何とか出来る気がしてきた。
「よっしゃ! それじゃあレナ、おっさん! 今日の夜に兄貴を連れてくるぜ! 兄貴ならおっさんに何が起きたのか教えてくれると思うからよ」
「でも、良いの? リオンさんって忙しいわよね?」
ちょっと嫌な予感を感じながらリオンさんを連れてくると言ったロウガに大丈夫なのかと尋ねる。
「だから美味い夕飯を頼むぜおっさん! 飯って事で連れてくるからよ! じゃなッ!」
「ちょっ! ロウガッ!?」
私達の返事も聞かずにご馳走様と叫んで出て行ったロウガの後姿を私とカワサキは唖然とした表情で見送る事になり……。
「今ある食材で料理できます?」
「まぁ出来なくはないが、ちょいちょい買い足したい物があるな。ワインとか、肉とか、野菜とか」
一般的な食材はお爺ちゃんの伝で私が仕入れているけど、やっぱり専門的な知識のある人だと使いたい食材とかは違ってくるのだろう。
「分りました。買出しに行きましょう」
「悪いな。それほど買いこむつもりはないから安心してくれ」
「大丈夫ですよ。まだ半年くらいはなんとかできるくらいのお金はありますから」
とはいえそんなに高級な食材とかを欲しがられると不味いけどと内心不安に思いながら、私はカワサキを連れて本日2回目の買出しへと向かうのだった……。
メニュー3 ホーンブルの希少部位焼肉 へ続く