ポケモン協会コーディネーター 〜カントー編〜 作:11,111
朝の薄霧が立ち込めるハナダ郊外の草むらは、濡れた土と、かすかな劇薬品の不快な匂いが混ざり合っていた。
「……フシギバナ、そこを踏み荒らすな。足元を固定しろ」
アルバンが低く指示を出すと、背後に控えていた巨大な緑の塊が低く喉を鳴らした。甲羅のような花から太い二本の蔓が滑らかに伸び、泥を滑るようにして事件現場の周囲数メートルを綺麗に囲い込む。警察の鑑識がやってきて靴底で足跡を潰す前に、物理的な区画整理を済ませるのがコーディネーターとしての流儀だった。
アルバンはポケットから使い捨てのゴム手袋を取り出し、湿った土に片膝をついた。
ちぎれた草の葉、不自然に退色した茎、そして土の隙間に残された微量な白い結晶。
「……麻酔成分か。それも一般流通していない軍用のやつだな」
花粉を採取するでもなく、捕獲目的でもない。野生のクサイハナやマダツボミが持っている「特定の毒素分泌腺」だけが、刃物のようなもので正確に切り取られていた。密猟としてはあまりにも手が込んでいるし、なにより効率が悪すぎる。
「ちょっと、勝手に現場をいじられると困るんだけど」
背後から、刺すような鋭い声が飛んできた。
振り返ると、ハナダ警察の制服組を三人引き連れた若い女性——この街のジムリーダー、カスミが立っていた。彼女の視線には、朝の冷気以上の敵意が宿っている。
「協会の現地コーディネーター、アルバンだ」
アルバンは膝についた泥を払いながら立ち上がり、胸ポケットから公務介入許可証を覗かせた。
「現場をいじっちゃいない。そちらの鑑識が来る前に、証拠が朝露で流れないよう保全しただけだ」
「口先だけの協会役人は引っ込んでいて。ここはハナダの管轄よ。最近、このエリアで不審な事件が続いてるの。部外者が嗅ぎ回ると現場が荒れるわ」
「荒らしてはいないさ」
アルバンは淡々と足元の蔓を指し示した。
「ご覧の通り、フシギバナが半径三メートルの足跡を完全に保護している。警察の現場検証よりよほど正確だ。……それに、熱くなるな。警察に主導権を丸投げしてみろ。ただの『悪質な密猟』で処理されて終わりだぞ。お前のジムの警備範囲まで削られることになる」
カスミが眉をひそめ、一瞬だけ言葉を詰まらせた。アルバンは彼女の反論を待たず、視線を再び地面に戻す。
「狙われているのは、特定の麻酔や毒素を生成する個体だけだ。犯人はただの金稼ぎじゃない。特定の『素材』を集めている……組織的な実験の匂いがする」
「実験……?」
「ああ。……それとな、カスミ」
アルバンは煙草の箱を取り出し、火はつけずにフィルターを噛んだ。
「お前の街の南側、さっきから随分と煙が上がっているようだが、あれも管轄か?」
カスミがハッとして南の空を仰ぐ。ハナダの南側——5番道路へ続く街道の向こうから、黒い煙が静かに立ち上っていた。
「…まさかあの子が」
アルバンは噛み潰した煙草を口から出し、小さく溜息をついた。
「正面から乗り込んでアジトを潰すのは結構だが、爆風と火の粉で残りの証拠まで燃やされたら堪まったもんじゃない。……フシギバナ。仕事だ。」
黒煙の上がっていた現場は、ハナダ南郊に位置する廃屋だった。かつては農作業用の資材置き場だったらしいが、いまや木造の骨組みは半ば焼け落ち、焦げた木材と薬品の混ざり合った異臭が漂っている。
「……酷い有様ね」
追いついてきたカスミが、惨状を前に眉をひそめた。
敷地内には、失神した男たちが数人、焦げた服のまま転がっている。全員が黒い作業服に身を包み、胸元には赤い『R』の文字が刺繍されていた。ロケット団の下端たちだ。手元には打ち捨てられたモンスターボールや、密猟用の特殊な網が転がっている。
「消防が来る前に燃え広がるのを抑えるぞ。……フシギバナ、『はっぱカッター』で燃え移りそうな雑草を刈れ。ラプラス、火元に『ハイドロポンプ』だ」
アルバンがボールを掲げると、巨大な水棲ポケモンが滑らかに姿を現した。ラプラスが放つ鋭い水柱が、黒煙を上げる木組みに正確に命中し、ジジと嫌な音を立てて鎮火していく。
アルバンは火が収まった熱気の中に足を踏み入れ、足元に転がっている下端の一人を爪先で突いた。
「意識はないが、命に別条はない。……加減だけは絶妙だな。いや、加減をしている余裕すらなかったか」
「あの赤帽子の男の子……レッドね」
カスミが燃え残った柱に歩み寄り、焦げ痕を検分しながら吐き捨てるように言った。
「ハナダジムでバッジを渡した時も思ったけど、あの子のバトルは常軌を逸してる。勝つためなら相手の気絶だけじゃ済まさない。現場がどうなるかなんて考えてないわ」
「勝利への最短距離を突き進んでいるだけさ。それがどれほど周りを巻き込むか、まだ学ぶ機会がなかったんだろう」
アルバンは冷めた声で返し、焼け残ったデスクの引き出しに手を突っ込んだ。
レッドの攻撃によって大半の書類は灰と化していたが、金属製の耐火ケースの奥に、奇跡的に焼き残った厚手の紙束があった。アルバンは手袋をはめた指先でそれを慎重に引き抜く。
「……見ろ、カスミ。これが彼らが回収しようとしていた『本命』だ」
「それは……シルフカンパニーの搬入伝票?」
「ただの伝票じゃない。宛先が塗り潰されているが、品目の欄を見てみろ。『特定遺伝子配列サンプル』と『未承認培養液』だ。ハナダの野生ポケモンから抽出した毒素は、これを精製するための触媒に使われていた」
カスミが息を呑む。単なる密猟組織の嫌がらせだと思っていた事件が、ヤマブキに本社を置く巨大企業・シルフカンパニーの闇へと直結した瞬間だった。
「どうするの、それ。警察に渡せば——」
「警察や協会に渡せば、上層部のどこかで『紛失』して終わりだ」
アルバンは伝票を折りたたみ、内ポケットに仕舞い込んだ。
「ハナダ警察には『ロケット団の密猟アジトを全滅させた』という成果だけをくれてやれ。その方が手柄になって喜ぶ。……この伝票の先は、俺が追う」
「……待ちなさいよ。勝手に仕切らないで。私も——」
「お前はハナダのジムを守れ」
アルバンは振り返り、まっすぐにカスミの目を見据えた。
「この件に深入りすれば、ジムリーダーの立場すら危うくなるぞ。相手はただの暴走族じゃない。警察や協会の懐深くまで根を張っている可能性も高い。こちらに任せておけ、と言いたいわけじゃない。お前にはお前の守るべき境界線があるはずだ」
カスミは悔しそうに唇を噛み締め、視線を逸らした。アルバンの言葉が、単なる冷放ではなく、この街と彼女の立場を考慮した冷徹な事実だと理解したからだ。
「……借りにしておくわよ、アルバン。もしそののせいでハナダにこれ以上被害が出たら、あなたもタダじゃおかないから」
「ああ、覚えておく」
アルバンは煙草をポケットに戻し、フシギバナとラプラスをボールに収めた。
焦げ臭い風が吹く中、彼の管轄でどう動くべきか。正解のない問いでも選択は迫られる。
久方ぶりの作成です。どうぞお手柔らかに。