ポケモン協会コーディネーター 〜カントー編〜 作:11,111
タマムシジムの奥深くに存在する静寂な和室。
ほのかに甘く、どこか神経を痺れさせるような濃密な香気が漂っていた。畳の真ん中に鎮座するのは、巨大な花弁を広げたラフレシア。その横で、エリカは静かな手つきで生け花鋏を動かしていた。
「……ハナダの現場から採取されたろ過廃棄物と、クチバの密輸船から押収された抽出液と薬物ですのね」
エリカはアルバンが持ち込んだガラス瓶のサンプルを試薬に落とし、呈色反応をじっと見つめた。エリカは植物学の権威だ。協会の正式な解析依頼として、アルバンはこの分析を彼女に持ち込んでいた。
「驚きましたわ。これは単なる薬草精錬ではありません。ポケモンの生体エネルギーを強制的に抽出し、破滅的な狂気へと変える溶媒……そして」
エリカの生け花鋏を握る手が、ピタリと止まった。
「この合成手法と特殊容器の刻印……シルフカンパニーの最先端ラボでしか製造できない代物ですわ」
「やっぱりな」
アルバンは淡々と頷いた。
「ハナダの毒、クチバの密輸ルート、そしてシルフの技術。……エリカさん、あんたの解析のおかげでハッキリした。シルフとロケット団。この企みの証拠を抑えて潰す」
アルバンのその一言を聞いた瞬間、部屋の空気が一変した。
エリカの瞳から優雅さが消え、氷のように冷徹な光が宿る。傍らのラフレシアがゆっくりと花弁を広げ、部屋全体に強い威圧感を放ち始めた。
「……『企みを潰す』、とおっしゃいましたか? アルバンさん」
エリカは静かに立ち上がり、アルバンを冷ややかに見下ろした。
「タマムシは清濁併せ呑む街です。シルフの資金流入も、裏社会との繋がりも、この街の経済と平穏を保つための『必要な毒』。あなたが正義面をしてその暗部を力任せに潰せば、タマムシの経済圏に見逃せない影響がでますわ」
アルバンの背後で、ラプラスが危険を察知して低い鳴き声とともに鋭い冷気を身に纏う。だが、エリカは動じずに告げた。
「これ以上、我が街の平穏を脅かす捜査を続けるというのなら……協会の理事会へ働きかけ、あなたの『現場コーディネーター資格(ライセンス)』を即座に剥奪させますわ。二度と協会職員として動けないように」
立場と権力を盾にした、冷酷な脅迫。
だが、アルバンは眉一つ動かさず、火のついていない煙草を咥え直した。
「脅迫は結構だが、見誤るなよ、エリカさん。あんた自身、すでに胸騒ぎがしているはずだ」
アルバンは畳の上に、クチバで押収した「シルフ本社からロケット団への極秘出荷伝票」の写しを静かに滑らせた。
「クチバからヤマブキへ流れている資材の量は、単なる違法取引の規模を遥かに超えている。シルフの一部部門がロケット団に浸食されているどころか……下手をすれば、シルフカンパニーの本社ビルそのものが、すでにロケット団の完全な支配下に置かれている可能性すらある」
エリカが息を呑み、鋏を握る指先に微かな力がこもるのを、アルバンは見逃さなかった。
「あんたが守ろうとしているタマムシの経済は、彼らの『都合の良い資金源』に利用されているに過ぎない。もしあの連中の勢力がこれ以上拡大し、シルフの技術を完全に手中に収めれば……タマムシの『必要な毒』すら丸ごと飲み込まれ、この街の均衡は内側から瓦解する。あんたもそれを懸念しているんじゃないのか?」
エリカは静かに目を伏せ、ラフレシアの威圧感を抑えた。
「……否定はいたしませんわ。最近、ヤマブキを経由する物流の動きが極めて不自然になり、シルフ上層部との連絡も滞りがちになっておりました。……ですが、協会や警察が動けば大騒動になります」
「だから、俺が行くんだ」
アルバンは手袋をはめ直した。
「協会や警察の公的な部隊ではなく、現場コーディネーターの俺ひとりがヤマブキへ入る。表沙汰にせず、現場の手続きと利害調整で事態を抑え込む。……俺を派遣すれば、あんたが最も恐れている『タマムシの経済の破滅』を未然に防ぐ解決策になるはずだ。どうだ?」
エリカは暫く沈黙し、畳の上を見つめていたが、やがて優雅な動作で深いため息を漏らした。
「……その提案に乗りましょう、アルバンさん」
エリカは表情を和らげ、静かに告げた。
「わかりました。ライセンスの件は取り下げます。……ヤマブキの状況ですが、私の元に届いている情報では、すでにヤマブキシティ全体にロケット団の見張りが配置され、シルフ本社ビルへの立ち入りが極めて厳しく制限されているようですわ。……ナツメさんも、この異様な沈黙を静観せざるを得ない状況に追い込まれているとか」
「ヤマブキの街全体が警戒態勢か。貴重な情報を助かったよ、エリカさん」
「タマムシの街と、カントーの平穏のためですわ。……どうか、毒がすべてを飲み込む前に、現場の処理を完了させていらっしゃい」
アルバンはアタッシュケースを取り、エリカから得たヤマブキの実情を胸に、——シルフカンパニー本社ビルが聳え立つヤマブキシティへと足を進めた。
全9話の予定のため半分です。