ポケモン協会コーディネーター 〜カントー編〜   作:11,111

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第8話 -海面の氷より-

グレン島を離れる闇船の甲板は、凍りつくような夜気に包まれていた。

 波を切る音に混じり、海面が薄い氷の膜を張っていくシャリシャリという異音が響く。セキチク南の暗礁地帯へ差し掛かる手前、密航船の足止めをするかのように、周囲の海が一瞬で結晶化し始めていた。

「……出ろ、ラプラス」

 アルバンがボールを投じると、ラプラスが静かに流氷の海へと身を躍らせた。

 ラプラスは首を傾げ、周囲の凍てつく空気の性質を確かめるように低く鳴いた。その鳴き声には、警戒と同時に、どこか見覚えのある極寒の気配に対する懐かしさが混ざっている。

 海上に浮かぶ巨大な流氷の頂に、一人の女が佇んでいた。

 漆黒のスーツに身を包み、眼鏡の奥から凍てつくような眼光を放つ女——カントー四天王の一角、カンナだった。

 その傍らには、圧倒的な冷気を纏ったジュゴンが控え、アルバンの乗る船を冷ややかに見下ろしている。

 アルバンは無意識のうちに、コート越しに自身の左肩を強く握りしめていた。数年前、未熟だった自分が無謀にも挑んだ結果がこの有り様だ。パルシェンによって放たれた絶対零度の冷気が、今も皮膚の奥で疼くような錯覚を起こす。アルバンの身体に刻まれた、最大のトラウマであり、同時に彼を「現場のプロ」へと叩き直した恩師の影だった。

「……アルバン」

 カンナの声は、氷を撫でる風のように低く、静かだった。

「協会の上層部は、お前がヤマブキのシルフ社地下から極秘データを持ち去り、グレン島でカツラと接触したことを把握している。『越権行為』だ。これ以上踏み込めば、お前を協会の反逆者として処理せざるを得ない」

 アルバンは冷や汗を指先で拭い、火のついていない煙草を口に咥えた。

「反逆者構造か。相変わらず、上の連中は書類の見た目と保身のことしか考えていないらしいな」

「組織とはそういうものよ」

 カンナは視線を少しだけ下げ、海面に浮かぶアルバンのラプラスへと目を向けた。

「……毛並みが良くなったわね。お前が現場に追われながらも相棒の手入れだけは怠っていない証拠だわ」

 ラプラスはカンナの視線に応えるように、低く澄んだ声を一度だけ響かせた。カンナは四天王として協会組織の最上層部に属しながらも、上層部が推し進める「不祥事の隠蔽」や「実験体の私物化」には強い嫌悪感を抱いていた。

「……カンナさん。あなたは協会の上層部があのハナダの奥に眠る『化け物』をどうするつもりか知っているのか?」

「……捕獲し、兵器として管理するか、失敗作として抹消する。それが組織の出した結論よ」

「だから俺がやるんだ」

 アルバンは手袋をはめ直し、まっすぐにカンナの瞳を見つめた。

「あれは兵器でも失敗作でもない。身勝手な人のエゴで痛みに身をよじる、『歪んだ生命』だ。俺はあいつに鍵を届けて現場の処理を終わらせる。……あんたがここで俺を凍らせるというなら、全力で相手をさせてもらう」

 アルバンの背後で、ボールから現れたフシギバナが重厚な地響きを立てて構えた。ラプラスもまた、カンナのジュゴンに向かって鋭い氷の気配を放つ。

 カンナはしばらく黙ってアルバンと相棒たちの構えを見つめていたが、やがて静かに眼鏡の縁を押し上げた。

「……ヤマブキのナツメや、セキチクのキョウが口を揃えてお前を庇う理由が分かったわ。……行きなさい、アルバン」

「……いいのか」

「私は『グレン海域のパトロール中、怪しい船を見失った』……そう報告書に書くだけよ。……ただし」

 カンナは冷徹な眼光を崩さぬまま、背を向けた。

「ハナダの洞窟には、協会よりも早く動いている『規格外』がいるわ。追いつかれないうちに、お前の仕事を終えなさい」

 

 セキチクを経由し、再びハナダの街へ戻ってきたアルバンを待っていたのは、異様な緊張感だった。

 ハナダシティ北西に位置する「ハナダの洞窟」周辺は、警察の立ち入り禁止テープが重重に張り巡らされていたが、そのテープはズタズタに引きちぎられていた。

「……先行者がいるな」

 アルバンが洞窟の入り口に佇む壊れた案内板に目をやると、見覚えのある人物が壁に背を預けて立っていた。

「……遅かったな、協会のコーディネーター」

 グリーンは腕を組んだまま、冷ややかな、だが以前のような焦燥感の消えた瞳でアルバンを見た。その傍らには、鍛え上げられたピジョットが静かに翼を休めている。

「グリーン……いい相棒じゃないか」

「……フン」

 グリーンは短く鼻で笑い、そっぽを向いた。

「ヤマブキでお前に言われて目が覚めたよ。安直な力に頼ろうとした自分が甘かったとな。……俺は俺の足で、自分のポケモンの強さを再構築した」

 グリーンは顎で暗い洞窟の奥を指し示した。

「レッドがすでに中に入っていった。あいつはあの奥にいる『狂気』と直接対峙する気だ。……あんたが手ぶらで来るわけないよな。おれはこのまま入り口の当番をさせてもらうぜ」

「……ああ、後ろは頼んだぞ」

 アルバンはグリーンと視線を交わし、短く頷き合うと、フシギバナとラプラスを従えてハナダの洞窟の深淵へと足を踏み入れた。




次が最終話の予定です
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