ポケモン協会コーディネーター 〜カントー編〜 作:11,111
ハナダの洞窟の奥深くは、荒々しい生体エネルギーと狂気じみた精神波によって、空間そのものが軋みを上げていた。
足元には砕け散った岩石が転がり、洞窟の天井からは青白いサイコキネシスの残光が不気味に揺らめいている。
その最深部、地下水脈が広がる開けた空間で、バトルはすでに「終焉」を迎えていた。
圧倒的な質量と破壊力を持つ超能力の刃を受け止め、膝をつきながらも眼光を失わないリザードン。その傍らで、無言のままモンスターボールを静かに構える赤帽子の少年——レッド。
そしてその正面、空中を漂う巨大な影——ミュウツーがいた。
『ガ……アアアアッ……!!』
人語にならぬ苦悶の叫びが、洞窟全体を震わせる。
ミュウツーの身体を包む紫色のオーラは激しく明滅し、カツラが言っていた「バイオ拒絶反応」の激痛によって、肉体が自壊しかけていた。全能力を解放して暴れ回るその姿は、最強の存在であると同時に、あまりに不憫な「狂気の犠牲者」だった。
「リザードン……引け」
レッドが短く言い、静かに一歩引いた。
彼には分かっていた。この場に必要なのは、力で屈服させる拳ではなく、この暴走を根本から止める「別の手立て」であることを。
背後から足音が響き、アルバンが姿を現す。
その両脇には、どっしりと腰を据えたフシギバナと、静かに冷気を吐き出すラプラスが控えていた。
「手間をかけさせたな、レッド」
アルバンはコートの内ポケットから、カツラから託された光ディスク……生体安定化コードの送信端末を取り出した。
『オオオオッ……!!』
ミュウツーの鋭い眼光がアルバンに向けられ、圧倒的なサイコキネシスの圧迫感がアルバンを襲う。フシギバナが前に出ようとしたが、アルバンは手でそれを制した。
「構うな、フシギバナ。攻撃しに来たんじゃない」
アルバンは吐き出す息を整え、まっすぐにミュウツーの瞳を見つめ返した。
「お前を造った者たちの代わりに詫びの言葉なんて言わない。そんなものは何の足しにもならん。……だが、その激痛を止めるコードは持ってきてやった」
アルバンは端末のスイッチを押し、安定化コードのパルス波を空間全体に照射した。
青白い波長がミュウツーの身体を包み込む。
激しく明滅していた紫色のオーラが徐々に収まり、狂気と痛みに歪んでいたミュウツーの顔から、波が引くように苦悶が消えていく。
『……ッ……』
ミュウツーは自らの手を見つめ、静かに呼吸を整えた。
暴走していた細胞が安定を取り戻し、その精神に初めて「静寂」が訪れた瞬間だった。
ミュウツーは静かにアルバンを見下ろし、次いでその背後に立つレッドを見つめた。盲目的な憎悪が和らいだのか。それは人間側から図ることは困難だ。
彼は自らの存在の意味を探すように、静かにハナダの闇の奥へとその身体を消していった。
その後の洞窟に残されたのは、水滴の落ちる音と、静けさだけだった。
「……終わったな」
アルバンが呟くと、レッドは何も言わずに帽子のつばを指で押し上げ、短く背を向けて立ち去っていった。言葉はなくとも、「見事な手際だった」という無言の敬意がそこに漂っていた。
数日後。ヤマブキシティの境界に位置する小さなカフェのテラス席。
アルバンは手袋を外し、テーブルの上に並べられた膨大な報告書の束に、淡々と目を通しながら処理印を押し続けていた。
ハナダ地区・環境異常報告: 野生個体の局所的集結による立ち入り制限措置。警察およびジム側の管轄を明確化し、境界線を再設定。
クチバ港・物資流通滞留: 機材搬入の手続き不備による停泊遅延。協会流通部門と港湾局との協議に基づき、現場検査を完了。
ヤマブキ・シルフ社設備点検: セキュリティシステムの誤作動に伴う地下区画の保全対応。協会の安全基準に則り、定期監査へ移行。
グレン島・環境復旧計画: 旧施設周辺の火山性地質変動に対する観察調査。地元ジム(カツラ責任者)への監視委託手続きを完了。
「……書類の整合性は取れたな。これは上の方々は泣いて喜ぶだろうよ」
アルバンは火をつけていない煙草を口に咥え、整理したファイルを協会指定の公用アタッシュケースへと収めた。
彼がやっているのは、伝説的な英雄の活躍でも、都市伝説のような裏の暗躍でもはない。
警察、ジムリーダー、研究機関、そして協会本部——それぞれの権限や主張が現場で衝突し、収集がつかなくなった事態に対し、「現実的な手続きと利害調整で現場を収束させる」という、ポケモン協会の現場コーディネーターとしての仕事だ。
手元の通信端末が、無振動で静かに明滅した。
『コーディネーター・アルバン。ハナダおよびグレン地区の現場調整報告を受理した。速やかな事態の沈静化、関係各所との協定締結を評価する。……続いて次の現場の案件だ。タマムシシティの商業区画において、地元自治会と協会の物流規制を巡る現場トラブルが発生している。現地に急行し、双方の調整を行え』
「……相変わらず、現場の押し付け合いばかりだな」
アルバンは苦笑し、手袋を再び丁寧に手にはめ直した。
「出ろ、フシギバナ、ラプラス」
二匹の相棒たちが、アルバンの両脇に静かに姿を現す。
フシギバナの重厚な佇まいと、ラプラスの静謐な佇まい。幾多の複雑な現場で、アルバンの確実な実務を支え続けてきた信頼できるパートナーたちだ。
「次の現場だ」
最終話までのお付き合いありがとうございました。
よろしければひと言感想がありますと嬉しいです。