『革新』のフィロゾーフ:あるいは資本的及び啓蒙的な革命の素材、形体、及び権力 作:緑川翼
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「突然の訪問になってしまい、申し訳ありません。私は天主教会のベアトリーチェ・アリギエーリと申します。一応、聖女を務めています」
賓客用とは言え、建物同様にみすぼらしさを隠せていない野戦病院の応接室。
その座椅子に腰掛けてどこか拙い貴族的な所作でそう微笑んだのは、暖色を基調とした簡素な祭服姿の若い淑女。
ベアトリーチェと名乗った彼女の容姿は、年若い黒髪黒目の少女。可憐とでも言えば聞こえは良いでしょうけれど、まるで村娘のように覇気がない。その黒色の瞳もまた、弱気に揺らいでいるわ。
そこまで、警戒する必要もなかったかしら?
「丁寧な挨拶をどうも、聖女様。私がカンディード商会の次期代表取締役にして法務部室長、研究開発部名誉顧問のルイゼット・モンタニャールよ。ちょっと事情があって、ここの臨時責任者も兼ねているわ」
「このような機会を設けてくださり、感謝いたします。えっと……」
「ルイゼットで良いわ。それとも口さがない新聞社みたいに、ブラッディハンドとでも呼んでみる?」
「あ、あはは。それはちょっと……」
──ブラッディハンド。
既存利益にしがみついて、合理性の欠片もない政策を打つ議会貴族。または、飢えた難民の前で清貧を説く、腹の出た聖職者。
そんな連中を見せしめに吊るしてきた私に帝都の新聞記者が付けたのが、この異名だった。気弱な相手ならこの名前だけで威圧できるから、便利ではあるのよね。
もっとも、この名を付けた新聞記者は私の事実無根な悪評を記事にしたから、半殺しにして新聞社の前に吊したけれど。
そんな私の呼称に対して、ベアトリーチェからは悪評に対する嫌悪感や取り入ろうと企む悪意を感じ取れない。
どうにも、調子が狂うわね。
「ところで後ろの方は、貴女の付き人かしら? 紹介にあずかっても?」
「ああ、申し訳ありません。彼は⋯⋯」
「挨拶が申し遅れました。小生、天主教会所属のコウソンショウと申します。ベアトリーチェ様の従者と思っていただければ」
ベアトリーチェの後ろに控えていた緑髪で長耳の青年がそう言って、両手を胸の前で組む独特な構えで恭しく頭を下げた。
特徴的な言動や名前から察するに、コウソンショウは東方に独自の文化圏を持つエルフね。帝国で要人の傍に仕えているにしては、随分と珍しい人選だわ。
「コウソンショウは異邦人ですが、彼の身分は天主教会の聖女であるワタシが保証します。彼には常日頃から文官として補佐役も務めてもらっているので、この場にも」
ベアトリーチェがそう補足すれば、コウソンショウは再び一礼した。東方に「眠らぬ獅子」とも呼ばれる大国と帝国の国交は少なくないし、カンディード商会も貿易を盛んに行っている。
大きな港町ではエルフの船員を見かけることも少なくないけれど、天主教会の聖女が従者として選ぶには、やっぱり特異な選抜だわ。
他民族が大勢被害に遭っていたという、例の人身売買事件の関係者かしら? その件は目の前にいるベアトリーチェが解決したと、噂で聞いているけれど。
⋯⋯まあ、従者の事情はどうでもいいわね。
いま重要なのは、教皇に連なる血筋のテルナディエ院長を更迭した今日この日に、天主教会の聖女がこの野戦病院にやって来た理由よ。
「それで聖女様。率直に聞くわ。何を求めて、こんな帝都を囲う壁の外にまでやって来たのかしら? 貴女たち天主教会は、人類の居住区域を広げる勇士すら野蛮だと見下していたはずでしょう?」
光球を召喚して、単刀直入に問いただす。
『革新』のフィロゾーフは、嘘を見抜くだけのアーキタイプじゃない。私を害そうとする、あらゆる悪意を看破する能力よ。
だから私は嘘偽りなんかはもちろん、本意を誤魔化したり結論を誘導しようとする行為でも、感知できるわ。
そんな光球を前に短い逡巡の末、ベアトリーチェが口を動かす。
「そのォ⋯⋯、ルイゼットさんには身内の恥を語ることになってしまうんですけど、ワタシたちは教皇の身内である、テルナディエ院長の堕落腐敗を咎める目的で来訪しました。ワタシには、その義務と権限があったので」
「彼の犯罪行為に関する証拠品の数々は、既に枢機卿団にも提出済みでございます。もっとも中庭に吊された勇士たちを見るに、一足遅かったようですが」
「へえ? 嘘は言っていないようね」
想定していた中でも、少し意外な理由。
教皇の血筋が汚職なんてするはずがないと、テルナディエ元院長の復職を要求された挙げ句、煩悩にまみれた顔でカンディード商会の独断専行を批判して、罰金でも請求されるんじゃないかって、正直危惧していたわ。
少なくとも私がこれまで対峙してきたような、既存利益や特権で膨れ上がった腹を揺らした宗教家どもなら、そうしていたでしょうし。
だけど私の光球は、対面の座椅子に掛けるベアトリーチェから、そんな策略を張り巡らせている悪意を感知しなかった。本当に、彼女は身内の悪事を暴くためだけに、魔獣の蔓延るこの壁の外までやって来たのね。
教会の連中に自浄作用なんて期待していなかったけど、この聖女は倫理秩序の維持という、自身の義務をちゃんと果たしているんだわ。
「他の目的も無いようだし、いいわ、信用してあげる。正直に言ってくれてありがとう、ベアトリーチェさん。政治的な駆け引きが無くて助かるわ」
「あはは。ルイゼットさんには嘘が通じないって有名ですから。それと、ワタシのことはビーチェと呼んでくれると嬉しいです」
「愛称で呼べって? それは流石に、私の立場でも憚られるわね⋯⋯」
ベアトリーチェの提案に、今度は私が驚かされた。
人類が水蒸気を力に変えて、空気から肥料を生み出す技術を得た現代では、相対的に死後の救済を謳う教会の力は低下しているわ。
であれば生産と交易による現世利益を至上とする、資本家階級の私が教会勢力に媚びへつらう必要はないのだけれど、カンディード商会が対外的に天主教の紋章を掲げている以上、流石に破門は不味い。
「むー、あだ名で呼び合うのって、仲良くなった感じがしませんか? 教会の権威が失墜しているのは事実ですし、そんなに気にしないで良いんですけど⋯⋯」
「貴女がそれを言うの? そもそも、私たち初対面よね、そんなに入れ込まれる理由が分からないのだけれど?」
「ワタシ、『理想』に向けて頑張ってる人が大好きなんです。ほら、夢を叶えようとする人って、応援したくなる感じがして良いじゃないですか」
それは世俗的でありながら、それでも天主教会の聖女らしい言葉だった。礼拝に参加した信仰者たちなら、感動で感涙にむせぶのだろう説教でも、資産家らしく利己主義に取り憑かれた私にはあまり響かない。
曖昧に笑って相づちを打てば、ベアトリーチェもまた照れくさそうに苦笑する。
「残念です。友情を深めるには、フラグが足りてないですね。事務的な話を済ませちゃいましょうか」
「フラ⋯⋯?」
「ビ⋯⋯、ベアトリーチェ様の戯れ言ですので、お気になさらず。こちらが、我々が掴んだ不正の裏付けでございます。既に無用の長物かとは思いますが、念のため、お目通しを」
「そうね。サンキュロット」
「へいへい。確かに受け取りましたよっと。⋯⋯あー、そうですな。一部内容が重複してますし、俺らも持ってない情報も混じってるようで。独自の捜査ってのは、信用していいんじゃないかと」
なら本当に、カンディード商会と天主教会で、院長弾劾の予定がかち合っただけのようね。欲張ったテルナディエ元院長が大きく悪事を働いた結果とはいえ、この可能性は予測できなかったわね。
「聖女様の事情は分かったわ。でも、徒労だったわね。カンディード商会への不義を働いたテルナディエ元院長は、私たちが解雇してしまったもの」
「そのようですね。天主教会の聖女として、この場で感謝と謝罪を。教皇の身内による暴挙、誠に申し訳ありません。そして対処して頂けたこと、感謝いたします」
「カンディード商会の次期代表取締役として、その言葉を受け入れるわ。正式な文言は、ティティーナの本社にでも送っておいてちょうだい」
形式的に、聖女の謝罪を受け入れる。まだ後でお互いの利害を調整する必要があるでしょうけど、それは代表取締役のお父様に任せておきましょうか。
お父様であれば、教会と角を立たせる事なく、この一件から利益を生み出してみせるでしょう。私は契約や糾弾が得意でも、清濁併せ呑んだり二枚舌をも利用する必要のある商談は苦手なのよね⋯⋯。
なるべく嘘をつきたくないのは私の我儘だけれど、勇士向けの商売や新技術の開発で私が利益を生む限り、お父様はそれを許してくれる。
まあ、合理的理由から許容してくれているだけで、私の『理想』を理解してくれているのではないけれど、その点はどうでも良いわ。
「しかしなににせよ、対立する事が無かったのは幸運でございました。小生らも、有力貴族や枢機卿すらも顧客としているカンディード商会と事を構えようとは思いませんので」
下手すれば権限の範囲を主張し合って、カンディード商会と天主教会で争議になる可能性すらあっただけに、コウソンショウの言葉には私も同意する。
この野戦病院の実質的な管理者であるカンディード商会は当然として、ここにも紋章が掲げられているからには、教会の権力者である聖女もまた独自の調査権と解雇権を持っている。
互いに内密で調査を進めた結果、こんな奇妙な巡り合わせになったのだものね。疑問は解消したし、ここへ来た目的も済ませた以上、この場はもう解散してもいい。
でも、私もベアトリーチェも常日頃から世界各国を飛び回っている身であることを考えれば、ここで繋がりを作っておかないのは、少しもったいないわよねぇ⋯⋯。
「サンキュロット、この後の予定は? テルナディエ元院長の資金追跡は把握してるわよ」
「あー、そうですな。今日はこのままここで一泊。明日の朝一で帰路につく事になるかと。そんで五日後にはティティーナで会議の予定が入ってるんで、帝都での諸用を済ませたら機関車に飛び乗って、って具合ですかね」
「重畳。なら、明日の朝まで時間はあるのね」
サンキュロットの返答に頷いて、応接室に設置された棚から茶器を用意する。
本当なら召使いにでもやらせるべきなんでしょうけれど、ベアトリーチェも身の回りを世話する侍女は連れていなかったし、成り上がり商会の娘としては自分でやるほうが気楽なのよね。
備品の中では最高級の茶葉と菓子を取り出して、聖女に声を掛ける。
「実のところ、仲良くしたいのは私も一緒。火急の用が無いのなら、折角歳が近いんだもの、無礼講で、一緒にお茶でもどうかしら?」
「え、良いんですか? もちろん、喜んで!」
そう心底嬉しそうに笑ったのが、聖女という政治的な立場じゃなくて、ベアトリーチェという一人の少女であることは、光球を通さずとも伝わってくる。
私ですら毒気を抜かれる、そんな人好きのする笑顔だった。