『革新』のフィロゾーフ:あるいは資本的及び啓蒙的な革命の素材、形体、及び権力 作:緑川翼
■
「ルイゼットさんの髪型って素敵ですよね、ずっと気になってたんです!アシンメトリー、フェードカットって言うんですかね?片側だけ刈り上げる髪型がとっても素敵です!」
「そう、ありがとう。貴女の、ハーフアップでいいのかしら? 黒髪が映えてて似合ってるわよ。そう言えば、黒髪黒目って珍しいわよね」
「ワタシ、実は今日ずっと緊張してたんです。だって、褐色銀髪で片腕義手の美人令嬢なんて、属性多すぎじゃないですか!」
「そ、そう。少なくとも私の髪と肌の色は、そこまで珍しくもないと思うけれど⋯⋯」
「ワタシですか? 筋肉が大好きです! 男性の僧帽筋とか女性の腹直筋とか、あの肉体に浮かんだ陰影って、見てると舐め回したくなりませんか!?」
「そ、そう⋯⋯? ゴメンなさい、私には分からない感覚だわ。というか私は、好きな食事の話を振ったつもりなんだけど⋯⋯?」
しばらく談笑して分かったのは、ベアトリーチェ⋯⋯、ビーチェは少し、いや、かなり変わった性格をしているということ。
まさか帝都で開業した展覧会の話題から、性癖を暴露されるとは思わなかったわ。大袈裟に言っている訳でもないと私には分かるからこそ、公私の差異から受ける衝撃が大きい。
各筋肉の魅力を蕩々と語るビーチェの言葉を、右から左に聞き流す。
「あー、そっちも苦労しているみたいで。禁欲的な聖職者としちゃ、かなり変わってやすな」
「そうですな。ビーチェにはもう少し淑やかさを持って欲しいと常々思っていますが、まあ進言するだけ無駄でしょう」
同室で寛ぐ許可を与えた従者たちも、茶器を片手にいつの間にか主人の愚痴で意気投合しているわ。
サンキュロットとコウソンショウに、会談中は部屋の外で待機していた、ビーチェの二人の従者も追従する。
「ビーチェが聖女っぽく振る舞えるのなんて、最初の内だけだもんね~。初めて会った時には驚いたよ~」
「そも、教会は何故ビーチェの言動を咎めんのだ? あ奴とて権威の象徴だろうに、未だに理解できん」
能天気に笑う獣の耳と尾を持つ獣人が、ラグナル・ロズブローク。
厳格な雰囲気でため息をつく短躯ながら筋肉質なドワーフが、ダンウィッチ・ウェイトリー。
そんなふうに、さっき名乗っていたわ。
この三人が常日頃からビーチェに付き従う従者らしいけれど、珍しいくらいに国際色豊かね。帝国内にも自治領を有していて、商業や傭兵業を通じて関係のある獣人や、大国同士でかつ国境を接しているために技術提携を中心に繋がりのあるドワーフは、エルフよりはまだ一般的かしら?
まあ、ビーチェの従者のことはやっぱりどうでも良いわ。彼らの会話で一つ気になるわ。
「貴女、自分の従者にも愛称で呼ばせてるのね。価値観の凝り固まった帝国議会の連中が聞いたら、あまりの不敬さで失神するんじゃないの?」
「あ、あはは。いい顔はされないんですけど、ワタシ、ベアトリーチェ様って呼ばれるの苦手なんですよね。ほら、距離を感じちゃって」
「その感覚は、分からなくもないけれどね。貴女には立場があるでしょうに」
「だから、こんな時だけです。お父様も、一応それで納得してくれてるので⋯⋯」
成り上がり商人の娘である私はともかく、天主教会の聖女ならビーチェもまた、尊き血筋に連なる出生でしょうに。と言うか確か、彼女はアリギエーリ教皇の隠し子だったかしら?
貞潔を保つべき教皇に当然のように隠し子がいて、その子供が破門権すら持つ聖女をやっている事実に目眩すらしそうね⋯⋯。
ビーチェの責任ではないのだし、この場では何も言わないけれど。
「なににしても、公の立場と個人的な感情は切り分けておきなさい。その差異は不平等な忖度の温床になるわよ」
「おお~、敏腕経営者のウンチクって感じがして、スッゴい参考になります!」
「⋯⋯どうでも良いけどビーチェ、貴女はその俗な口調が素なのね。最初の印象と全く違ったわ」
「あ、あはは。口を酸っぱく言われてるんですけど、全然治らなくて⋯⋯」
「まあ、公な場でだけ気を付ければ、無理に矯正する必要も無いとは思うわよ。貴女の陽気さは、人を不愉快にさせる類いのものではないんだし」
正直に言えば、私もビーチェに対して不快な感情を抱いていない。いつの間にか、彼女の望み通り愛称で呼んでいたものね。私の人心掌握術とも違う、自ら進んで支えたいと思わせる手法を、ビーチェは知ってか知らずか実現している。
いや、この不思議そうな顔を見てると、ただの天然な気もするわ。
酷く慌てふためいた様子で応接室の扉が叩かれたのは、私がビーチェに関するそんな考察を巡らせた時だった。
「会談中申し訳ありません! 西の監視塔から、サンドワームが向かってきているとの報告が!!」
空気が凍る。同時、私たちの動きも固まった。
「⋯⋯ッ! おいおいサンドワームだと!? あのデカミミズ、帝都周辺には生息してない大型魔獣だろ!?」
「もしかして、さっきのはぐれ者を追って来たのかしら? 私たちがオヤツを横取りしたのかもしれないわね⋯⋯」
報告を持ってきたのは、先ほど中庭でも会話した警備隊長だった。勇士ではない彼は、報告をしながら絶望的な表情を浮かべている。
──サンドワーム。
姿形は巨大なミミズに似ながら、その性質は獰猛かつ、時には人間どころかワイバーンなどの中型魔獣すらも一口で飲み込んでしまう程に、旺盛な食欲を誇る大型魔獣よ。
静かにしていたビーチェの従者たちも、警備隊長の報告を聞いて俄に騒ぎ出す。
「サンドワームの大きさと速度は?! 監視塔の報告からどれほど経過した!」
「そんなことより、駐在の勇士は足りてるの? あんまりこの病院からは、強そうな人の気配が感じられないんだけど」
「待て、帝都への救難要請が先だろう。ここから勇士の到着までどれ程かかる? 何か騒ぎが有ったようだが、防護壁の用意は万全だろうな?」
あまりの剣幕に、こんな非常事態の経験が少ないらしい警備隊長は言葉に詰まっていた。私たちを見ながら、散弾銃を担いだままの警備隊長は怯えたようにゆっくりと言葉を続ける。
「既に監視塔から姿を確認できているので、平均以上の体格はあるかと。更に興奮状態にあるのか進行の速度が速く、日没前にはこの病院に衝突すると思われます。そして、駐在の勇士ですが……」
「……闘える勇士は数名。あとは治療の済んでいない怪我人と病人ばかりで、無理やり闘わせても犠牲者が増えるばかりでしょうね」
「ここは帝都最寄りの野戦病院。要請すりゃあ勇士の大軍が明日の朝には突っ込んでくるでしょうが⋯⋯、はぐれ者に壊された壁と機関銃はそのままだ。ま、救助は間に合わんでしょうな」
ここが帝都最寄りの野戦病院とはいっても、ここと帝都の間には平原と広大な農耕地帯が広がっているから、馬を一昼夜疾駆させる距離がある。
状況は、最悪と言っていいわね。
こんなことになったのは、何処かのハゲ院長が防衛費を横領した挙げ句、能力の足りない勇士を甘い蜜を吸える駐在の私兵として重用していたせいよ。
なんて、今はとにかく最善手を考えないと。
「防壁も重火器もない以上、籠城は無意味ね。即席の防壁では、サンドワームの巨体に蹂躙されるだけだわ。逃げたとしても、速度差がある。道中で追いつかれるでしょう」
「ならどうするんで? こんな状況じゃ、のんびり考えたり準備する余裕はなさそうですぜ」
「分かってる。少しだけ考えさせて」
警備隊長の報告から、最悪の状況を想定する。
逆算。
ここから打てる最善手は何?
そこには、どうしたら辿り着ける?
「──決めた。傷病兵の中でも比較的動ける者を連れて、打って出るわ。突撃兵は全滅するでしょうけど⋯⋯、病院を襲われるよりは、ええ、マシよ」
「ま、そう言うと思いましたよ。俺たちと突撃兵だけで行くってことは、勇士はこっちに残すんで?」
「そうするわ。彼らには突撃兵の全滅に備えて、ここの最終防衛線を担って貰う。少人数でも、有り合わせの防壁や罠を使えば手負いの大型魔獣くらいなら撃退できるでしょう」
警備隊長に、志願者を集めるよう命令する。
はぐれ者と闘った時の様子から考えるに、突撃兵はすぐにでも集まるでしょう。
でも⋯⋯、この病院にいるのは、連日連夜の闘いで身体の半分を失った者や、魔獣の毒によって生きたまま内臓を溶かされた者ばかり。
そんな勇士たちを特攻に巻き込むのは忸怩たる思いよ。でも、この野戦病院の全てを更地にされるよりはマシだと、思いましょうか。
「⋯⋯承知しました。今すぐ志願者の選別に移ります」
「よろしい。サンキュロット、貴方もついていって、突撃兵の選別を手伝いなさい。今回必要なのは単騎としての戦力以上に、戦闘を続けるだけの生命力よ」
「へいへい、せいぜい活きが良い奴を選んできやすよ。お嬢と一緒に戦えるってんだから、運も良い」
サンキュロットと警備隊長が応接室から退出する。さて次はとビーチェの方を見れば、流石に優秀ね。従者たちは既に動揺を落ち着けて、ビーチェの命令を待っている。
ビーチェは心配そうに私を見ているけれど、彼女は賢い。納得してくれるでしょう。
「こんな事態だから、貴女たちはさっさと逃げなさいな。一番良い馬を酷使すれば、明日の朝日が昇るまでには帝都へ帰れるでしょう。それと余裕があれば、ここが食い尽くされる前に聖女の権限で増援を呼んでくれると──⋯」
「な⋯⋯ッ、待って下さい! まさかルイゼットさん、アナタまで死ぬつもりですか?!」
「ええ、もちろん。貴女は逃げ延びる事ができて、私はこの病院を守れる。詰みに近いこの状況では、それが一番『理想』的よ」
この場合の最悪は、サンドワームにこの病院を壊滅させられた挙げ句に、聖女であるビーチェまで死んでしまうこと。
であれば、こちらから捨て駒を選出して攻め入った方が、ビーチェが退避する時間を稼げるだけまだマシな結果をもたらすわ。
後継者をなくした商会は少し混乱するかもしれないけれど、合理の信仰者であるお父様のことだから、どうせ一人か二人は後継者の予備を作ってるでしょう。
「一応言っておくけど、別に自己犠牲の精神に酔っている訳じゃあ無いわよ。私だってできれば死にたくな──⋯」
「ですよねッ!? ならッ! ワタシも一緒に闘います!!」
「⋯⋯はあ?」
何を言っているのかしら、この聖女は。
悪く言えば成金商会の娘であり、結局は代わりのいる私とは違って、絶対の預言者である自分の価値を理解していない訳じゃ無いでしょうに。
というかそもそも、私が最悪の事態としてビーチェの死を挙げたのは、別に彼女が私のお友達だからってだけじゃない。
もし私の管轄下で聖女が死ねば、 それがカンディード商会の過失として、天主教会や帝国議会から何かしらの制裁が与えられる可能性があるからよ。
だから私が生贄になると言っているのに、当の本人が戦場に出てきたら本末転倒だわ。
「確かに、それが正しくて無難な選択かもしれません。でもワタシは! 友だちを見捨てて、逃げ出したくなんてありませんから!」
「⋯⋯まあ、ビーチェならそう言うと思っていましたよ。ラグナル、ダンウィッチ。行きますよ。武器を返していただかねば」
「だよね! 大型魔獣と戦える機会なんて滅多にないし、コウソンショウばっかりビーチェに良い格好させられないもんね!」
「フン。護衛の立場としては撤退すべきだと提案すべきだろうが、それがビーチェの命令ならば従おう」
「⋯⋯冗談でしょう?」
私の意見に同意すると思って三人の従者を 見れば、やっぱりかと笑って各々の装備を取りに退出してしまった。
聖女の身を第一に考えるべき従者が、率先してビーチェを戦場に連れ出すなんて。思考を放棄して服従しているのか、或いは非常識な命令に付き合えるだけの信頼関係を築いているのか。
どっちにしても、彼らはビーチェの説得の役には立たないようね。
「ワタシも彼らも、アーキタイプを発現しています。一緒に行けば、勝率はずっと上がるはずです!」
「悪いけれど、貴女たちが強いか弱いかは本質的な問題じゃないわ。万が一にでも貴女の身に何か起こる事が問題なのよ。カンディード商会の重役として、その危険性は負いかねるの」
「大丈夫です、自分の責任は自分で取りますから! それに大商会の次期取締役なら、ルイゼットさんだって死んじゃダメじゃないですか!」
「人の命に価値を付けるべきじゃないって意見なら同意するけれど、今回は話が違う。大人しく守られてちょうだい」
「嫌です! 天主教会の聖女として、ルイゼットさんの友人として、ワタシはアナタを見捨てたくない!」
ああ言えばこう言うとばかりに、ビーチェは反論する。サンドワームが迫っているからにはあまり時間に余裕がある訳じゃないけれど、下手に無視してこっそり着いてこられても困るのよね。
「ビーチェ。貴女はトロッコ問題って思考実験を知ってるかしら?」
「え? 迫るトロッコを前に、大勢を見殺しにするか、路線を変えて一人を選んで犠牲にするかって究極の二者択一の問題⋯⋯、のことですか?」
「ええ。答えは人によって異なるんでしょうけれど、私は迷わず一人を犠牲にする。その一人が、私自身であってもね」
私は、この世に生きる万人には等しく生きる権利があると信じているわ。
だからこそ私は勇士たちの支援をして、医療や魔導義肢の発展に金を注ぎ込み、貧民街の連中に仕事を与えてきた。
当然そこに、カンディード商会が多大な利益を得る打算があったのは確かよ。だけれど、アーキタイプすら発現させた私の『理想』に、嘘はないわ。
「今回の件に関しては、貴女やここの患者が助かればカンディード商会の名は高まるわ。そうすれば、まあ、ここで死ぬだけの元本は取れるでしょう。後継者の予備に、隠し子の一人くらいはいるでしょうし」
「ッ! でも⋯⋯ッ!!」
「万人の命の価値が平等だとしても、その死に方には価値を付けられる。これは打算に満ちた選択だから、貴女もサンドワームが来る前にさっさと逃げなさいな」
「──⋯です」
「え?」
「嫌ですッ! 何度でも言いますけど、ワタシは、ルイゼットさんが死んじゃうのが嫌なんです! 打算とか、利益がどうとかなんて知りません!」
「⋯⋯それ、聖女の貴女が言うの?」
「聖女だからです!」
対面に立つビーチェの目が、私を貫いた。
そこにはもう、未知の事態への動揺も、子どものように駄々をこねた涙はない。あるのは、そう、絶対に私を生かそうとする決意の光。
苛烈に輝くビーチェの瞳に、つい見惚れた。
「ルイゼットさんは勘違いしています。天主教会の聖女である、ワタシのことを!」
先ほどまでの雰囲気とはまるで違う力強い言葉に、口を挟むことができない。
「そもそも、聖女の立場に価値はありません。ここに立っているのは、結局ベアトリーチェという名前の小娘です。ワタシは神話みたいに世界の万人を救うことも、この世から災難の全てを取り除くこともできないんですから。もし聖女の立場そのものに力があるのなら、サンドワームなんてとっくに倒してるハズなんです!」
教会の連中が聞けば卒倒しそうな、聖女の自己否定。でも、ビーチェの言葉は、無神論者が知ったような口で叩いた全能の逆説ではなく、実感を伴ってなお困難の道を行く者のそれだった。
ああ、いや、だからこそ、ビーチェはこの時代における聖女となったのね。
「でも、そんな奇跡も起こせないワタシは聖女を名乗っています。定命の者でありながら、教会に聖女であると認められています。それは、ワタシが偉い血筋だからじゃありません。
──人の身であっても奇跡を起こそうと、足掻いてきたからです!」
私は彼女を勘違いしていた事に、ようやく気付いた。
何処が、凡庸な少女か。
何処が、芯の弱そうな少女か。
私の目の前にいるのは、この汚濁の渦巻く現世において聖女を名乗って尚、蹴落とされないだけの偉業を成してきた傑物だというのに。
「時には身を削って、時には泥を啜ってきたワタシが、聖女の立場が大切だからって諦めると思いますか?! ルイゼットさんは私を勘違いしています!」
「そもそも前提がおかしいんですよ! ルイゼットさんはワタシと患者さんが生き残るのが最善って言いましたけど、ルイゼットさんも含めて生き残った方が『理想』的じゃないですか!」
「なら、協力してそれを目指しましょうよ! 大丈夫、一緒にやればトロッコだって吹き飛ばせますから!」
──目指すならハッピーエンドです!
本当に、つい目を逸らしたくなるほどのまっすぐで眩しい瞳。
結局折れたのは、私だった。