『革新』のフィロゾーフ:あるいは資本的及び啓蒙的な革命の素材、形体、及び権力 作:緑川翼
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──ベアトリーチェ・アリギエーリは天主教会の聖女である。
彼女はこの世に生を受けた時からそうあれかしと育てられてきたし、ベアトリーチェ本人もまた、この世の万人が幸せになればいいと『理想』を抱いていた。
だからこそ彼女はこれまでの旅路で、国に裏切られ世捨て人となった官僚、命令と理念の板挟みとなった軍人、夢に破れて生きる意義を見失った戦士と出会い、彼らの救いとなるべく尽力してきた女傑である。
そんなベアトリーチェはいま、合理性によって自分の身すらも切り捨てようとする商人のために、戦っていた。
「“行動パターンが、魔力の消費を抑える動きへと変化しました! 予想外の攻撃を警戒してください!”」
日は完全に沈み、分厚い雲に覆われて月明かりすら届かない空の下、灯火とルイゼットが召喚したオーブのみを光源として広い草原を舞台に繰り広げられる、たった六人でのサンドワーム討伐戦。
ルイゼットは、ベアトリーチェの友人である。例え彼女が今日知り合ったばかりの、宗教権威を公然と批判する大商会の令嬢であったとしても、ベアトリーチェにとっては命を賭けるに値する友だちであった。
「“身体を振り回すのと一緒に粘液をばら撒いています! 足元には注意を!”」
ベアトリーチェは一人、サンドワームの射程から離れた後方で、自身のアーキタイプである『新生』のホ・ハギオスの念波で仲間たちへと指示を出す。
自分の言葉一つが仲間の命運を分けるという重責を、ベアトリーチェはよく理解している。だからこそ彼女は、サンドワームの仕掛けた起死回生の罠を見逃さない。
魔獣は賢い。
粘着性のある体液を撒いて地上へと注意を向けさせてから、こっそりと頭上へ飛ばした消化液の落下地点へと誘導するほどに。
「“ラグナル、コウソンショウ、サンキュロットさん! 上から消化液が落下中! 攻撃は中断、回避を! ダンウィッチ、ルイゼットさん! 今が攻撃のチャンスです!”」
ベアトリーチェはその天然な雰囲気に反して、観測と演算が最大の武器である。
戦場を予測して、最善の未来を掴み取るべく指示を出す。それが少数の精鋭で何度も難敵を退けてきた、ベアトリーチェの戦い方。
「ビーチェからのご指名よ、無碍にはできないわね! 行きましょうか、サンキュロット!!」
「へいへい、好きに動いてくだせぇ。合わせやすよ!」
「賽子の女神は我が手中にありッ!──『神秘』のインベスティゲーター!!」
厚い信頼関係にあるベアトリーチェの従者も、勇士並の強者であるルイゼットとサンキュロットの主従も、即座に行動へと移る。
消化液のターゲットとなった面々がそれぞれの方法でガードしたり回避する一方で、ルイゼットがサンドワームに向けて走り出し、ダンウィッチが大口径弾を発射する。
ダンウィッチがアーキタイプを発動した大口径弾の威力はランダム。当たるまでは、ダンウィッチ本人にすら威力は分からない。
(──でも、問題ない。ルイゼットさんへの布石になるはず──⋯ッ!? 駄目、ルイゼットさんが速すぎる!!)
ビーチェの計算よりも三秒、否、四秒は速く、ルイゼットは左腕を構えた。既に義手から鉤爪を射出しようとしている。先走ったのではない。単純に、ベアトリーチェがルイゼットの脚力を測り違えただけ。
ダンウィッチの大口径弾を目眩ましに本命のルイゼットが攻撃をするはずが、これでは大口径弾よりも先着してしまう。
「“ルイゼットさん、あと二歩ッ、前に出てから鉤爪を発射して下さい!”」
「ッ! ええ、分かったわ!」
唐突な指示にも、ルイゼットは戸惑わず応えた。体勢を崩して、二歩、鉤爪を構えたまま前に進む。
それによって、大口径弾が僅かに先着した。低威力の大口径弾に意識が向いた瞬間に、鉤爪で宙を舞ったルイゼットの細剣がサンドワームの身体へと突き刺さる。
一応は、ベアトリーチェの指令通りの形。
それでも、ベアトリーチェは納得していない。想定であれば、ルイゼットは最高速のまま今の一撃を放てたはずなのだから。
だが⋯⋯。
(──あの傷跡、予想よりもダメージが大きい⋯⋯? ここまで修正しても、まだルイゼットさんの推測能力値に誤差があるんだ!)
指揮官を務めるベアトリーチェの戦況予測は、かなりの精度を誇る。だが、ここに来てその予測に陰りが見えてきた。心身の不調はありえない。新しくできた友人と一緒に、野戦病院の戦えない人々を護るという王道のシチュエーションに、ベアトリーチェの精神は絶好調を迎えている。
その上で誤差があるのならば、そこには外部的な要因があるということ。今もまた、ルイゼットの速度が予測からズレた。そのせいでサンドワームのヘイト管理に失敗して、彼女からターゲットが外れていない。
「“ラグナル、ルイゼットさんに意識が向いている内に追撃して! コウソンショウはそのサポートを!!”」
「了解、任せてよ!全部ぶっ壊しちゃうよ~ッ!!」
「かしこまりました。道は小生が切り拓きましょう!」
「流石の連携ね。追撃は任せ⋯⋯ッ!? サンキュロット!!」
「へいへい、そろそろ呼ばれると思ってましたよ! ──『懸命』のシュバリエ!!」
(──! そうか、だから! 滅茶苦茶です!!)
自分の従者にフォローを任せたものの、結局体当たりの対象となってしまったルイゼット。しかしルイゼットは攻撃から逃げることなく駆け続け、接敵の寸前、その巨体を、ルイゼットの横へと機械鎧から黒煙を吹き出しながら転移したサンキュロットの大盾が防いだ。
その隙に、ルイゼットが再度サンドワームの身体を穿つ。
完璧な連携。
同時にそれが、ルイゼットに関しての演算が狂う要因であったと、ベアトリーチェは理解する。
(──ルイゼットさんには、自力で攻撃を避ける気も守る気も無いんだ。それどころか、相手の動作を見てすらいない!)
どんな戦士であれ、攻撃が来れば身体は一瞬身構える。だがルイゼットには、その逡巡がない。
護衛のサンキュロットが攻撃の全てを受け止めることを前提に、常道の一切合財を無視した特攻の如き超攻撃特化型の戦闘スタイル。
それが、ルイゼットの強さの秘訣。サンキュロットが万が一にも間に合わなければ即座に崩れる、異常な信頼のもとに成り立った砂上の強さ。
緩い言動とは裏腹に堅実な戦法を好むベアトリーチェとは、まさに正反対。だがしかし、ベアトリーチェもまた歴戦の指揮官。理解できるのであれば、扱える。
「“今の一撃で更に魔力を削りました! ラグナル、ダンウィッチ! 残存魔力を使い切るつもりで魔技の準備を! コウソンショウはそれをカバーしてください!”」
斬っても突いても即座に再生するサンドワームは不死身にすら見える。だが、その身に宿す膨大な魔力が減っていることは、サンドワームの耳を削るような焦燥感に満ちた怪音を聞けば明らかであった。
あと一度か二度、心臓を潰せば倒しきれると、ベアトリーチェはそう確信する。そしてそれは、この六人ならば不可能なことではない。
ベアトリーチェの指示により、ラグナルが二振りの大斧に魔力を込め、コウソンショウとダンウィッチがその前後でそれぞれの武器を構える。
「“ルイゼットさん、アナタが決め手になります。サンドワームの脳と心臓が一列に並んだら、さっきの大技でトドメを刺してください! サンドワームの頭に突き刺したヤツです!!”」
「へぇ? いいわ、信じるわよ!」
ルイゼットもまた細剣に魔力を纏わせて、速度を落とさないよう駆け続ける。魔力を込められた細剣が淡く発光して、ルイゼットの辿った道筋を輝かせている。
身の保全を考えないそのスピードが、ようやくビーチェの演算と合致した。その事実に安堵しながら、ベアトリーチェは時を待つ。
「準備は完了! 何時でもいけるよ〜、ビーチェ!!」
「こちらもだ!」
「ビーチェ! 必要なれば、小生もまだ動けますぞ!」
「“了解です! 体勢を崩さないまま、待機を!”」
駆け回る事でルイゼットがサンドワームの注目を引き付けているとしても、いくつかの攻撃は構えたままの従者たちへと流れていく。
コウソンショウがアーキタイプを用いてそれから庇っているが、彼の魔力と呪符も底を突きかけている。長くは持たない。
焦る気持ちを抑えて、また自分も流れ弾を回避しながら、ベアトリーチェは好機を待つ。
そして、時は来た。
「“今ッ!!”」
「───よ~し、この一撃は愛しきビーチェに捧げようッ、≪ブラッド・イーグル≫!!」
「これにてシナリオクリアだ、『神秘』のインベスティゲーター、≪アドヴァンテージ・ロール≫ッ!!」
「なれば小生も続きましょう、『探究』のセンニン、≪解≫ッ!!」
空高く跳んだラグナルによる、大鳥の翼を思わせるV字の斬撃。ダンウィッチの高確率で高威力の出る大口径弾。コウソンショウがこの戦闘で蓄積させた、呪符の全解放。
ベアトリーチェの信頼する三人の従者による、連続攻撃。針に糸を通すような精度で放たれたその攻撃は、彼女の思惑通りにサンドワームの巨体を倒れさせる。
そして倒れたサンドワームの目の前には、最高速で駆けるルイゼットの姿。そして彼女もまた、既に魔技の準備を整えている。
全ては、ベアトリーチェの演算通り。
「凄いわビーチェ、ありがとうッ! これで終わらせましょう、≪ボワ・ド・ジュスティス≫ッ!!」
魔力の込められた細剣が、サンドワームへと突き刺さる。直後、放出される魔力の塊。盾を貫通して鎧ごと敵を貫くこの技に、魔力の尽きかけた半死半生のサンドワームが耐えられるはずもない。
頭から心臓へと、ルイゼットの魔力が一直線に貫いた。凄まじい悲鳴。まるでサンドワームが、音で誰かを道連れにしようとしているかと勘繰る声量。
しかしそれも、長くは続かない。サンドワームは地上に出た部分が大きく身悶えて⋯⋯、動かなくなった。サンドワームの身体が、魔力へと還っていく。
「⋯⋯動きは止まったね。崩壊が始まったし、仮死状態とか死んだふりは警戒しなくて良さそうかな~?」
「その手の策略なら、ルイゼット嬢が見抜くだろう。確実に、死んだということだ」
「おいおいマジかよ⋯⋯。ホントに、六人だけで討伐に成功しちまった⋯⋯」
「フフ⋯⋯」
誰もが残心を解かない張り詰めた空気の中、噛み締めるような笑い声が響く。血に濡れた手で細剣を持ったまま、腹を抱えて笑うルイゼットの声だった。
「アッハッハッ! まさか、まさか本当に、たった六人でサンドワームを討伐するなんてね! しかも、誰も死んでないわ! ビーチェ、貴女の言うとおりになったわね!!」
ルイゼットが頭から浴びたサンドワームの血は、徐々に魔力へと還っていく。それが逆に、ごく少人数で成し遂げた大型魔獣討伐に、現実味を与えている。
ベアトリーチェが言葉通りに、奇跡を起こしてみせた。
「私たちがみんな死んでもおかしくなかった!そしたら、野戦病院の全滅してたかもしれない!ああ、無茶苦茶だわ!!」
ここにいる全員が、そのことを分かっている。ベアトリーチェの全員を救おうという決断が、最悪の事態を招いてもおかしくはなかったことを。
しかしその上でルイゼットは、自分の合理的な、自分たちを切り捨てる決断を覆されたことに、しばらく笑いが止まらなかった。
ひとしきり笑った後、細剣を鞘へと納めたルイゼットは、目元の涙を拭ってベアトリーチェへと笑いかける。
「はァあ。一生分笑った気分だわ。さ、病院に戻って事後処理に入りましょうか。手伝ってくれるんでしょう、ビーチェ?」
「エッ! 折角難局を乗り越えたのに、祝賀会とかしないんですか?! もっといっぱいお喋りしましょうよ!」
「元院長の後始末すら終わってないのに、遊んでいられる訳がないでしょう? ま、これは貴女がいなければあり得なかった苦労だし⋯⋯、その点では、感謝してるわ」
ようやく雲から抜け出した月明かりの下、そう微笑むルイゼットの笑顔は、自然で柔らかい表情だと、ベアトリーチェは思った。