『革新』のフィロゾーフ:あるいは資本的及び啓蒙的な革命の素材、形体、及び権力 作:緑川翼
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『──この人数に囲まれた私を狙うなんて、根性のあるスリね。それとも、ただの死にたがりかしら?』
『ハッ! アンタみたいなお嬢サマが、貧民の事情を気にしてどうするんだよ。どうでも良いだろ、野良犬の背景なんざ』
『──そう。貴方、生きる気力がないのね。なら喜びなさい、私は貴方を気に入ったわ。生きる理由を、貴方にあげる』
サンキュロットは日の差す野戦病院の執務室から外を見ながら、かつての事を思い出す。あの日も、これほど明るかったか。
あの食う物も寝る場所もない現実だけが蔓延っていた裏路地から無理やり連れ出されてから、随分と遠い所まで来たものだ。
あの日、自分に手を差し伸べた高飛車な少女は、未だに『理想』を見据えている。いや、いま見ているのはサンキュロットの書いた書類だが。
「⋯⋯で、どうです?」
「もうちょっと待ってちょうだい。あと少し⋯⋯」
髪と同じ銀色のまつ毛をパチリと動かして、ルイゼットは書類を職員用で安物の机に置いた。
昨夜の戦いが終わって野戦病院の宿舎で泥のように眠った翌日。なぜか割り振られた報告書の作成に四苦八苦しながらも、太陽が頂点に達するまでにはなんとか完成させたサンキュロットは、判決を受ける罪人の気持ちでルイゼットの言葉を待つ。
「書き直し。視察概要はいいけれど、所感と添付資料が足りないわね。あと、経緯報告も不十分だわ。これだと、テルナディエ元院長がサンドワームを呼び寄せたみたいになってるわよ」
概ね間違いないとサンキュロットは思ったが、口にはしなかった。報告書はあくまで公正かつ客観的に。被害者に寄り添いすぎた文章を、ルイゼットは加害者の言い訳と同じだけ信用していなかった。
それを知っていてなおテルナディエへの嫌悪が文面に出る自分はやはり書類仕事に向いていないと、サンキュロットは思う。
(──つか、なんでお嬢は貧民上がりの孤児に机仕事をやらせたがるんだろうな。身体を動かす方が断然楽だぜ⋯⋯。)
文字の読み書きから、四則演算、また社会一般の教養まで。サンキュロットはカンディード商会に仕える従者として見苦しくない程度には学問を修めているが、それでも机仕事には苦手意識があった。
それでも投げ出すつもりはなかったが、その上でルイゼットから別の業務中でも遠慮せず聞きに来るようにまで言われて、サンキュロットは脳の慣れない箇所を動かすことになったのだった。
ルイゼットに指摘された点を手帳にまとめていると、執務室の扉が叩かれることなく開かれた。
「ふむ。やはり鎮痛剤と抗生物質の在庫記録と実数がずれていますな。棚卸しの記録も参照する必要があるようで⋯⋯、おや?」
扉を開けたのは、山のように積み重なった書類を抱えた緑髪のエルフ。ベアトリーチェの従者が一人であるコウソンショウだった。
具足を脱いで文官らしい格好をしたこのエルフは戦闘よりも文字仕事の方が得意だと言い、ルイゼットと一緒にテルナディエ元院長の残した負債の確認をしていることを、サンキュロットは知っていた。
ちなみにベアトリーチェは、帝都から来る勇士の受け入れ準備を行っている。聖女でも、仕事からは逃れられないようだ。
「どなたかと思えば、サンキュロット殿でしたか。機械鎧を脱いだ姿ですと、印象がまるで変わりますな。駐在の勇士と見違えました」
「まあ流石に、クソ重い鎧を昼も夜もは着てられないんでね。室内の仕事中くらいは、楽をさせて貰ってますわ」
「重いのは、貴方が開発部の変人どもと共謀して部品を追加してるからでしょう?開発の初期段階では、もっと軽かったのよ」
サンキュロットの機械鎧はカンディード商会の技術の粋を集めた傑作の一つであり、一種の強化外骨格でもある。魔力を循環させて装着者の筋力を何倍にも高めるからこそ、合金製の大盾を自由自在に取り回せるのだ。
鎧は重ければ重いほど、硬ければ硬いほど良いと考えるサンキュロットによって、機械鎧は改良されている。それで硬度は増したが、排煙も増えた。
「フム。失礼ながら、サンキュロット殿は常在戦場、いつでも鎧を着て、モンタニャール殿の横に控えているものかと。我らも、ビーチェの傍には常に一人ついているもので」
「サンキュロットは私の危機を私より先に察知できるの。だから、ちょっと離れても問題ないのよ。もちろん大体の場合は、隣にいさせるけれど」
サンキュロットより先に、コウソンショウの持ってきた書類に目を通していたルイゼットが補足した。まるで自分のことのように自慢するルイゼットが、少しこそばゆい。
「ほう。サンキュロット殿は探知系の補助機能までお持ちですか。モンタニャール様に絞ったアーキタイプと言い、誠に稀有な『理想』を掲げるお方だ」
「それにしても、やっぱりその薬がなくなってたのね。どっちも闇市で需要が尽きない品物だわ」
「途中で抜き出して、小銭稼ぎをしていたということでしょう。同じだけ、ここの負傷兵も必要としていたはずですが⋯⋯」
コウソンショウのぼやきに、ルイゼットの黒腕が軋んだ。報われるべき人間が不当に扱われることへの嫌悪感を、ルイゼットは隠すつもりがない。一息ついて感情を落ち着かせたルイゼットが、サンキュロットへと報告書を突き返す。
報告書にはいつのまにか修正箇所に線が引かれて、修正の理由まで書き込まれていた。
「それを参考にして書き直しなさいな。終わったら、また持ってきなさい」
「こりゃあ、ありがたい手助けですがね。こんなに書いてくださるってんなら、もうお嬢が書いた方が早いと思うんですよ。なんでわざわざ一手間かけて、質を落とす必要があるんです?」
「あのねぇ⋯⋯」
二人のやりとりに、コウソンショウが小さく笑った。嘲る意図のない、純粋な笑い。
「失礼した。サンキュロット殿がビーチェと似たような言い訳をされたもので。同じものを嫌がると、同じようなことを考えるようですな」
「その口振りだと、ビーチェの教育を担当してたことがあるの?若いのに優秀なのね。私たちと年も変わらないでしょうに」
「ふふ。よく間違われますが、小生は既に三十を越えています。お二人とは十ほど離れておりますよ」
「⋯⋯え!?」
サンキュロットは驚いた。ルイゼットも目を見開いている。再度コウソンショウの顔を見ても、成人したての青年にしか見えない。しかし言われてみれば、その瞳には年齢を重ねた知性の深みがあるような気もしてくる。若いのに老成しているのではなく、相応の経験を積んできた結果だったのだ。
ちなみにルイゼットとサンキュロットは、今年で二十二となる。
孤児だったサンキュロットは正確な年齢など分からず、便宜上ルイゼットと同い年としたので、もしかしたら一つか二つずれているかもしれないが。
「ははあ、エルフは長生きだって噂は聞きやすが、こりゃ真実だったようで」
「歳相応に老けておりますよ。平均寿命も帝国の人間とそう変わりませぬ。ただこちらの者からみると、どうにも実年齢よりも若く見えるようですな」
「ああ、それで長寿の噂がたったのね。確かに、私たちの倍は生きるって言われても信じる人はいそうだわ」
「にしても、聖女の教育係兼秘書兼護衛とは、コウソンショウ殿は多才ですな。そんな色々できるなら、他の仕事でもなんでもできそうなモンですが」
口にしてから、失言したなとサンキュロットは思った。知識も技術もある人間が国を出る理由など、ほぼ二つに分けられる。なにか信念によるものか、訳ありか。コウソンショウは、後者らしかった。
気にした様子もなく、コウソンショウは自分の机でペンを動かしながら事情を明かす。
「ふむ。誇れぬ話ではありますが、お聞きになるか?」
「まあ、良かったら聞かせてくだせえ」
サンキュロットは立ったまま頷いた。仕事に戻る前の休憩、というサンキュロットの意図は、おそらく二人には見抜かれているが。
「小生も祖国ではある程度の官職についていましてな。人や物を自在に動かし、組織の命運すらも手の内にあると思えるような立場にありました」
「へえ?でも貴方の才覚を見れば、意外でもないわね」
「ルイゼット殿にそう言われては、むず痒いものがありますな。しかし当時の小生も同じことを考えておりました。いえ、まだ足りぬ。もっと上にと、考えていましたか。故に足元を疎かにしてしまい、政敵に敗れて国を追われる身となったのです」
政治争いの結果で国から追放されるのが、如何にも『眠らぬ獅子』らしいとサンキュロットは思った。別に帝国が穏便だとも思わないが。
「そこから行く当てもなく各地を放浪しましてな。考えなおせば、己を顧みる良い機会ではありました。アーキタイプに目覚めたのも、この時期でありましたし」
「その結果、この国まで流れてきたんで?」
「さよう。小生は当時エルフやドワーフなど異民族の労働者を誘拐する奴隷商を独自に追っていましてな。ビーチェと出会ったのも、その頃です」
その奴隷商の話は、サンキュロットも知っている。この時代にまだ荘園経営を行っている貴族たちが、領民の逃亡で減った労働力の代わりとして、その誘拐された異民族をこぞって買い求めていたのだ。
ベアトリーチェによってその陰謀は明るみに出て、かなり高位の貴族もこの件に関わっていたことが発覚したとかで、しばらく新聞を賑やかせていたのを、サンキュロットは覚えている。その件に、コウソンショウは関わっていたらしい。
「その話、ビーチェが聖女の肩書きを得たばっかりの頃よね。懐かしいわ。あんまり綺麗に時期が被ったから、教会の自作自演な売名を疑ったもの」
「これは手厳しい。しかし真相としましては、まだ立ち方も分からぬ彼女に小生が泣きついた、それだけの話です」
コウソンショウは自嘲するが、流民の一人に過ぎない立場で聖女に陳情してみせたのだから、やはり才覚があったのだろうと、サンキュロットは思う。
「だから、コウソンショウ殿はベアトリーチェの聖女殿に仕えてるんですな」
「ええ、小生はビーチェに返しきれぬだけの恩がある故に、です。まあ、彼女の成長を見守ってきた立場としましては⋯⋯、どこか娘のように思っているのも確かですが」
そう語るコウソンショウの瞳には、親愛の色がある。それだけベアトリーチェを信頼して、忠誠を誓い、慈しんでいるのだろう。それこそサンキュロットが、鏡を見るたびに目に映るような色。
否。国を背負うような立場にあった官僚と、孤児上がりの自分。そんな真反対な存在を対比させるのは無理があるかと、サンキュロットはこっそり笑った。
『──学んで、蓄えなさい。私の盾になってくれるんでしょう?なら知識も礼儀も、そこに立つための前提条件よ』
『アンタ、肉壁にそんなことまで求めてんのかよ!俺みたいな野良犬を躾けるってんなら、どうせならもっと安くすませろってんだ!!』
『──貴方おかしなことを言うわね。一つ、覚えておきなさい』
そんな折に、昼を告げる鐘が叩かれた。休憩の時間である。職員たちが仕事の手を休めて、療養中の勇士たちが食堂に集まるだろう。いまの時代は、それこそ荘園の農奴にすらも昼休憩の権利は認められている。
「まったく。サンキュロットには体よく休まれたわね。昼を食べたら、ちゃんと働きなさいよ?」
「分かってやすよ。⋯⋯って、お嬢は食堂に行かないんで?なんなら、何かしら軽食でも持ってきやすが」
「いま確認している書類が中途半端だから、これが終わったら休憩するわ。コウソンショウも、私に付き合わなくていいのよ?」
「いえ。小生もまだ続けようと考えていましたので。ただ、そうですな。サンキュロット殿。お手数ですが、食堂でビーチェを見かけたらこちらを渡していただきたい」
農奴すら持ってる権利を自ら投げ捨てているエルフから差し出されたのは、何枚かの報告書。今の会話中に、医薬品の横領に関して具体的な数字をまとめていたらしい。
「そんぐらいのことはやらせてもらいやすよ。話を聞かせてもらったお礼と言っちゃ、安すぎますがね」
サンキュロットは報告書を受け取って、食堂へと向かう。ルイゼットは一瞥だけして、書類へと目を戻した。それでも右手だけは、サンキュロットへと振られている。
昼休憩が終われば、サンキュロットはまた報告書の作成に戻るだろう。いるべき場所はいつでもルイゼットの隣だと心に決めているが、任された仕事を投げ捨てるつもりもない。
『──貧民と、富豪。貴族と、平民。分類したところで、人の命に価値の差なんてないわ。人が価値と呼ぶのは結局のところ知識と経験で、そんなものは後からいくらでも上乗せできるんだから』
そう言われて、サンキュロットはここまで歩んできたのだから。