貞操逆転観念世界で男女の友情が成立すると思った愚かな少年⋯⋯を傍観する彼女持ち男子の話 作:タワマン太郎
男女比、一対六。
それが、現代日本における男女の人口比率である。
数十年前に発生した世界的な現象によって、世界中の出生率と男女比は大きく変化した。
原因については諸説あるものの、未だに明確な答えは出ていない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
この世界では、男性という存在が非常に希少なのだ。
そのため、社会のあらゆる場所で男性の保護や優遇が進められている。
学校では男子生徒の数が少なく、男子トイレより女子トイレの方が圧倒的に多い。
街を歩けば、男性専用のサービスや割引が充実している。
そして何より、恋愛における男女の立場が、かつての常識とは大きく異なっていた。
女性が男性に積極的にアプローチすることは珍しくない。
むしろ、好意を持った男性に対して何もしない女性の方が珍しいくらいだ。
恋愛市場において、男性は圧倒的な売り手市場。
複数の女性から好意を寄せられることも珍しくなく、男性が恋人を選ぶ側になることが多い。
もっとも、全ての男性がそうした状況を望んでいるわけではない。
中には恋愛に興味がない人間もいるし、一人の女性だけを愛する男性もいる。
そして、そんな世界だからこそ、一つの問題があった。
それは――。
「……なあ、優凛」
「ん?」
「男女の友情って、成立すると思うか?」
「…………」
昼休み。
弁当箱の蓋を開けようとしていたボクは、目の前に座る少年の言葉に手を止めた。
彼の名前は天羽暁。
ボクと同じ高校に通う男子生徒であり、クラスメイトであり、そして――。
「……それ、ボクに聞く?」
「おう。お前ならどう思う?」
「そうだねぇ……」
ボクはちらりと教室の方へ視線を向けた。
そこには、暁の方を気にしている女子生徒が何人もいる。
目が合うと慌てて逸らす子。
友達と小声で何かを話している子。
暁の席の近くを通るためだけに、わざわざ遠回りしている子。
……うん。
今日も平和だ。
「成立するんじゃない?」
「だよな!」
暁は嬉しそうに笑った。
「やっぱりそうだよな! 俺はそう思うんだよ!」
「へぇ。ちなみに、どうしてそう思うの?」
「だってさ、男と女だからって、必ず恋愛関係になる必要はないだろ?」
「うん」
「普通に話して、遊んで、笑い合って。それでいいじゃないか。友情に性別なんて関係ないと思うんだよ」
「なるほどねぇ」
実に立派な考え方だ。
ただし。
この世界において、その考え方を実践するのは、なかなか難しい。
特に、暁のような男子にとっては。
「……ところで暁」
「なんだ?」
「昨日、一緒に帰ってた美咲さんのことはどう思ってるの?」
「美咲? 大切な幼馴染で、友達だけど?」
「…………」
ああ。
なるほど。
これは重症だ。
「じゃあ、昨日一緒に帰ろうって誘ってきた莉乃さんは?」
「莉乃? あいつも友達だな」
「先週、放課後に手作りのお菓子をくれた彩花さんは?」
「彩花はいい奴だよな。料理上手だし」
「先月、告白してきた隣のクラスの子は?」
「……あれは困ったな。俺、友達として仲良くしたかっただけなのに」
「そうなんだ」
ボクは弁当の卵焼きを口に運んだ。
うん、美味しい。
それにしても。
「暁って、結構罪作りだよね」
「え? 俺が?」
「うん」
「何でだよ。俺は普通に接してるだけだぞ?」
「そうだね」
普通に接しているだけ。
その言葉が、この少年にとってどれだけ危険なものなのか。
本人だけが理解していない。
「……まあ、頑張ってね」
「おう!」
何を頑張るのかは知らないけれど。
ボクは、これ以上何かを言うのをやめた。
◇
さて。
ここで少しばかり、ボク自身について説明しておこう。
ボクの名前は月見優凛。
読み方は『つきみ ゆうりん』。
名前だけ聞くと女の子と間違われることもあるけれど、れっきとした男である。
顔立ちは中性的で、髪も少し長め。
初対面の人からは女の子だと思われることも珍しくない。
実際、入学したばかりの頃は女子トイレに案内されかけたこともある。
……いや、本当に。
そんなボクには、彼女がいる。
名前は聖道彩姫。
同じ高校の二年生で、ボクとは中学時代からの付き合いだ。
綺麗な黒髪に、凛とした目元。
背筋が伸びた立ち姿と、落ち着いた雰囲気。
誰が見ても美人だと認めるような女の子である。
ちなみに、性格は少々独占欲が強い。
そして何より、ボクのことが大好きだ。
……いや、本当に。
そんな彩姫とは、交際して二年になる。
中学時代から付き合っているため、今ではお互いのことをかなり理解しているつもりだ。
もっとも、彼女の独占欲については、付き合い始めた頃から変わっていない。
むしろ、年々強くなっている気さえする。
そして何より、ボクも彼女のことが大好きなので、特に問題はない。
そんな彩姫とは、昼休みに一緒に過ごすことも多い。
「優凛」
「あ、彩姫」
噂をすれば何とやら。
教室の入口から、彼女がこちらへ歩いてきた。
その姿を見た暁が、軽く手を振る。
「おっ、彩姫さん。こんにちは」
「こんにちは、天羽くん」
「今日も優凛に用事か?」
「ええ。彼を迎えに来たの」
「そっか。相変わらず仲いいな、お前ら」
「ふふ。ありがとう」
彩姫は微笑んだ。
そして、ボクの隣に立つ。
「お昼はもう食べた?」
「今から食べるところ」
「そう。なら、一緒に食べましょう?」
「うん」
ボクは弁当箱を持ち上げた。
すると、暁が何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。彩姫さん」
「何かしら?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ええ、いいわよ」
「男女の友情って成立すると思うか?」
「…………」
彩姫の笑顔が止まった。
彼女は一度ボクを見て、それから暁を見た。
「……天羽くん」
「ん?」
「あなた、もしかして本気で言っているの?」
「もちろん!」
「そう……」
彩姫は数秒ほど沈黙した。
そして、ボクの腕にそっと自分の腕を絡める。
「成立すると思うわよ」
「おお!」
「ただし」
彼女の視線が、暁をまっすぐ射抜いた。
「相手があなたと同じ気持ちでいるとは限らないけれど」
「……?」
暁は首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ」
「うーん……?」
考え込む暁。
彩姫はそんな彼を見て、小さく息を吐いた。
「……優凛。行きましょう」
「うん」
「天羽くん。またね」
「おう! またな!」
ボクたちは教室を出た。
その直後。
「……ねえ、優凛」
「なに?」
「天羽くんって、どうしてあんなに鈍感なのかしら」
「さあ?」
「あなたもそう思うでしょう?」
「まあ、そうだね」
彩姫はボクの腕に絡めた手に、少しだけ力を込めた。
「……でも、優凛は違うわよね?」
「何が?」
「私の気持ち、ちゃんと分かってくれているでしょう?」
「もちろん」
ボクは彼女の顔を見た。
「彩姫がボクのことを好きなのは知ってるよ」
「……っ」
彩姫の頬が赤く染まる。
「そ、そう。ならいいの」
「それに、ボクも彩姫が好きだからね」
「…………」
今度は、彩姫が完全に黙ってしまった。
耳まで赤くなっている。
……可愛い。
二年も付き合っているのに、こういうところは未だに変わらない。
普段は落ち着いていて、誰に対しても堂々としている彼女が、ボクの前では時々こんな風になる。
こういうところを見ると、改めて彼女と付き合えてよかったと思う。
ちなみに、ボクたちは交際して二年になることもあり、当然、周囲にも公表している。
この世界では男子が希少だから、彼女持ちの男子というのはなかなか目立つ。
それでも、彩姫は堂々としていた。
むしろ、ボクが他の女の子と話していると、少しだけ不機嫌になることもある。
まあ、そこも含めて可愛いのだけれど。
◇
同じ頃。
教室では、天羽暁が女子生徒たちに囲まれていた。
「暁くん、今日の放課後って空いてる?」
「ん? 空いてるけど」
「じゃあ、一緒に帰らない?」
「いいぞ!」
「本当? やった!」
「私も一緒に帰りたい!」
「じゃあ、みんなで帰ろうぜ!」
「…………」
「…………」
少女たちは一斉に顔を見合わせた。
そして、誰かが小さく呟く。
「……またそれ?」
「え? 何か言ったか?」
「ううん! 何でもないよ!」
暁は不思議そうに首を傾げた。
その様子を、少し離れた席から眺めていた男子生徒が一人。
彼の名前は佐藤健太。
暁の友人であり、同じクラスに所属する男子生徒だ。
「……なあ、暁」
「ん?」
「お前さ、いい加減気づけよ」
「何に?」
「いや、もういい」
健太は諦めたように天井を仰いだ。
彼は知っている。
暁の周囲にいる女子生徒の大半が、彼に恋愛感情を抱いていることを。
そして、暁本人だけがその事実に気づいていないことも。
「……あいつ、いつか大変なことになるんじゃないか?」
もちろん、比喩的な意味である。
健太は呆れたようにため息をついた。
「というか、あいつの周りの女子って、よくあれで我慢できるよな……」
暁は男女の友情を信じている。
だからこそ、女子たちからの好意にも気づかない。
いや、正確には、気づこうとすらしていないのだろう。
健太としては、そろそろ誰かがはっきり伝えてやるべきだと思っている。
もっとも、それを実行する勇気がある女子がいるかどうかは別問題だが。
◇
放課後。
ボクは彩姫と一緒に校門を出ていた。
「今日はどうする?」
「そうね。駅前に新しくできたカフェに行きたいわ」
「いいね。ボクも気になってたんだ」
「本当? なら、決まりね」
彩姫が嬉しそうに微笑む。
そのときだった。
「あっ、優凛くん!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、クラスメイトの女子が二人、こちらに駆け寄ってきていた。
「こんにちは、優凛くん!」
「こんにちは。どうしたの?」
「あのね、今度の日曜日なんだけど、暇だったりする?」
「日曜日?」
「うん! よかったら一緒に遊びに行かない?」
「ああ、ごめんね。その日は彩姫と出かける予定なんだ」
「そ、そっか……」
少女たちは残念そうに肩を落とした。
そのうちの一人が、彩姫に視線を向ける。
「彩姫さん、いいなぁ……」
「ふふ。ありがとう」
彩姫は微笑みながら、ボクの腕を取った。
「でも、ごめんなさいね。日曜日は私たちのデートなの」
「デ、デート……!」
「うん。そうだよ」
ボクも頷く。
「だから、また今度誘ってね」
「……うん! 分かった!」
二人は名残惜しそうに去っていった。
その背中を見送りながら、彩姫がボクの顔を覗き込む。
「優凛」
「なに?」
「……あなたって、本当に誰にでも優しいわよね」
「そうかな?」
「そうよ」
彩姫は少しだけ頬を膨らませた。
「私としては、もう少しだけ独り占めしたいのだけれど」
「ふふ。じゃあ、今は彩姫だけのものだよ」
「…………っ!」
彼女は顔を伏せた。
そして、ボクの腕にぎゅっと抱きつく。
「……そういうところよ」
「え?」
「何でもないわ」
そのまま、彩姫はボクの隣を歩き続けた。
夕暮れの街並み。
隣には大好きな彼女。
実に平和な放課後である。
――一方、その頃。
天羽暁はというと。
「なあ、みんな」
『なーに?』
「今度の日曜日、暇な奴いるか?」
『空いてるよ!』
『私も!』
『私も行きたい!』
『暁くんとお出かけ!?』
「おお、みんな暇なのか! じゃあ、みんなで遊びに行こうぜ!」
『…………』
『…………』
『…………』
グループチャットに、数秒間の沈黙が流れた。
やがて。
『……暁くん』
『なに?』
『私たち、二人で遊びに行きたいって言ったらどうする?』
『え? みんなで遊ぶ方が楽しいだろ?』
『…………』
『…………』
その夜。
暁の知らないところで、女子たちの作戦会議が開かれることになった。
議題は一つ。
どうすれば天羽暁に、自分たちの恋愛感情を理解させられるのか。
そして、その一方で。
「優凛、明日も一緒に帰りましょうね」
「うん。もちろん」
「約束よ?」
「約束」
ボクは彩姫と指切りを交わした。
付き合い始めて二年。
それでも、こうして約束を交わす時間は変わらず好きだった。
彩姫も同じなのか、指を離した後も嬉しそうに微笑んでいる。
……さて。
明日もきっと、暁の周囲は騒がしいのだろう。
男女の友情が成立すると信じて疑わない愚かな少年。
そんな彼に恋心を寄せる、少しばかり積極的な少女たち。
そして、その光景を特等席から眺める彼女持ち男子。
これは、そんなボクたちの日常を描いた物語である。
ちなみに。
ボクは男女の友情が成立するかどうかについて、特に興味はない。
だって、ボクには彩姫がいるから。
彼女がいれば、それで十分なのだ。
……ただ一つだけ、気になることがあるとすれば。
「優凛」
「ん?」
「明日のお昼、天羽くんたちと一緒に食べるの?」
「その予定だけど」
「……そう」
彩姫はにっこりと微笑んだ。
「なら、私も一緒に行くわね」
「うん。いいよ」
「ありがとう。楽しみね」
そう言って、彩姫はボクの腕に再び抱きついた。
どうやら明日も、面白いものが見られそうだ。
――天羽暁くん。
君の青春は、なかなか前途多難らしい。
頑張ってね。
ボクは彼女と幸せに過ごすので。