貞操逆転観念世界で男女の友情が成立すると思った愚かな少年⋯⋯を傍観する彼女持ち男子の話 作:タワマン太郎
翌日。
午前八時十五分。
ボクはいつも通り、彩姫と一緒に登校していた。
「それでね、昨日お母さんから連絡があったのだけれど」
「うん?」
「今度の日曜日、優凛も一緒に食事をしないかって」
「いいね。久しぶりに聖道さんの手料理が食べられるのかな?」
「ええ。お母さんも楽しみにしているみたい」
「それは嬉しいな」
彩姫の母親とは何度か会ったことがある。
とても優しい人で、ボクたちの交際にも好意的だ。
ただ、少しばかり娘をからかう癖がある。
以前なんて、彩姫が席を外している間に、
『優凛くん。うちの娘、ちょっと独占欲が強いでしょう? 嫌になったらいつでも相談してね』
なんて言われたこともある。
もちろん、嫌になるつもりなんてないけれど。
むしろ、そういうところも含めて彩姫のことが好きなのだから。
「……優凛?」
「ん?」
「何か考え事?」
「ううん。日曜日が楽しみだなって」
「……そう」
彩姫は嬉しそうに微笑んだ。
それから、自然な動作でボクの手を握る。
「私も楽しみ」
「うん」
朝から平和だ。
実に素晴らしい。
◇
教室に入ると、すでに何人かの女子生徒が登校していた。
「あ、優凛くん! おはよう!」
「おはよう」
「彩姫さんもおはよう!」
「おはようございます」
彩姫はいつも通り、穏やかな笑顔で挨拶を返した。
そのままボクたちは席に向かう。
ちなみに、彩姫は隣のクラスなので、教室の入口まで送ってきてくれたのだ。
「じゃあ、またお昼にね」
「ええ。待っているわ」
そう言って、彩姫はボクの頬に軽くキスをした。
「…………」
「…………」
教室にいた女子たちが固まった。
まあ、いつものことだ。
交際して二年も経つのに、彩姫はこういうことを恥ずかしがらずにしてくる。
いや、正確には恥ずかしがっていないわけではない。
むしろ、キスをした直後に少しだけ頬を赤くしている。
それでも、周囲の視線を気にせず愛情表現をしてくれるのは、彼女らしいところだと思う。
「じゃあね、優凛」
「うん。また後で」
彩姫が去っていく。
その背中を見送っていると、後ろから声がした。
「……お前ら、朝から本当にすごいな」
「おはよう、健太」
「おう。おはよう」
佐藤健太。
ボクの友人であり、クラスに五人しかいない男子生徒の一人だ。
彼はボクと彩姫のやり取りを見て、何とも言えない顔をしていた。
「なに?」
「いや……お前、彼女と毎日あんな感じなのか?」
「うん。普通じゃない?」
「普通の基準が分からなくなってきた」
健太は深々とため息をついた。
「それより、暁は?」
「さっきから美咲さんと話してるぞ」
「そっか」
視線を向ける。
すると、暁の席の周りに女子が三人ほど集まっていた。
「暁くん、昨日のドラマ見た?」
「見た見た! あれ面白かったよな!」
「私も見た! 最後の展開、びっくりしなかった?」
「分かる! まさかあそこで告白するとは思わなかった!」
「ねえ、暁くんは恋愛ドラマとか好きなの?」
「まあ、普通に見るぞ」
「じゃあ、今度一緒に見ない?」
「いいぞ!」
「…………!」
少女の顔がぱっと明るくなった。
しかし、暁は続ける。
「みんなで見たら楽しそうだよな!」
「…………」
少女の笑顔が少しだけ曇った。
……うん。
今日も絶好調だ。
「なあ、優凛」
「ん?」
「お前、あいつをどうにかできないのか?」
「どうにかって?」
「だから、恋愛についてだよ」
「無理じゃない?」
「即答かよ」
「だって、本人が気づく気ないんだもん」
「気づく気がないんじゃなくて、気づいてないんだろ」
「それもそうだね」
ボクは苦笑した。
天羽暁。
彼は本当に、恋愛感情というものに鈍感だ。
それこそ、目の前で告白されても、
『え? 友達として好きってこと?』
なんて返しかねない。
……実際、似たようなことがあったらしい。
◇
午前の授業が終わり、昼休み。
ボクが弁当を取り出していると、暁がやってきた。
「なあ、優凛」
「どうしたの?」
「ちょっと相談があるんだけど」
「相談?」
「ああ」
珍しい。
暁がボクに相談を持ちかけてくるなんて。
「恋愛相談?」
「そうそう!」
「…………」
ボクは思わず手を止めた。
いや、待ってほしい。
この少年が恋愛相談?
自分の置かれている状況すら理解していない彼が?
「……ちなみに、誰の?」
「美咲のことなんだけど」
「桜庭さん?」
「ああ」
なるほど。
幼馴染のことか。
「実はさ、最近美咲の様子がおかしいんだよ」
「ほう」
「なんか、俺と話してると急に黙ったり、顔を赤くしたりするんだよな」
「へぇ」
「あと、前より一緒に帰りたがるようになったし、休日も二人で出かけたいって言うんだ」
「うん」
「これって、何か悩みでもあるのかな?」
「…………」
ボクは弁当箱の蓋を閉じた。
そして、暁の顔を見つめる。
「暁」
「ん?」
「それ、本気で言ってる?」
「もちろん」
「……そう」
なるほど。
これはもう、手遅れかもしれない。
「それで、優凛ならどう思う?」
「そうだねぇ」
ボクは少し考えるふりをした。
正直に言ってしまえば、答えは一つしかない。
桜庭美咲は、暁のことが好きなのだろう。
それも、かなり昔から。
ただ、それを本人に伝えるのは少し難しい。
何せ相手は天羽暁だ。
「本人に聞いてみたら?」
「本人に?」
「うん。何か悩みがあるのかって」
「なるほど!」
暁は納得したように頷いた。
「やっぱり優凛に相談してよかった!」
「それはどうも」
「よし! じゃあ聞いてみる!」
暁は元気よく立ち上がった。
そして、そのまま桜庭さんのところへ向かう。
……あ。
これはまずいかもしれない。
「美咲!」
「えっ? な、なに?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
「う、うん! 何かな?」
「最近、俺と話してると様子がおかしいけど、何か悩みでもあるのか?」
「…………」
「もし何かあったら相談してくれよ! 俺たち友達だろ?」
「…………」
桜庭さんは、ぴたりと動きを止めた。
そして。
「……そうだね」
小さく笑った。
「ありがとう、暁」
「おう!」
……うん。
見事に地雷を踏み抜いた。
「優凛」
「ん?」
隣から声がした。
振り返ると、彩姫が立っていた。
いつの間に来たのだろう。
「今の、見ていた?」
「うん」
「……天羽くんって、本当にすごいわね」
「何が?」
「ある意味、才能だと思うの」
「そうだね」
ボクたちは揃って暁を見た。
本人は何も気づいていない。
桜庭さんは笑顔を浮かべているけれど、目が笑っていない。
……頑張れ、美咲さん。
◇
昼食を食べ終えた頃。
ボクは彩姫と一緒に廊下を歩いていた。
「ねえ、優凛」
「なに?」
「少し聞きたいことがあるのだけれど」
「うん」
「あなたは、私が他の男の子と仲良くしていたらどう思う?」
「普通に気になるかな」
「気になる?」
「うん。彩姫が楽しそうにしていたら嬉しいけど、少し寂しくなると思う」
「……そう」
彩姫は何やら考え込んでいる。
「じゃあ、もし私が他の男の子と二人きりで出かけると言ったら?」
「理由によるかな」
「例えば?」
「その子が困っていて、相談に乗るとかなら別にいいよ。ただ、デートなら嫌かな」
「…………」
彩姫は少しだけ目を伏せた。
「……そういうところが好きなの」
「え?」
「何でもないわ」
彼女はボクの手を握った。
「私は、優凛が好きよ」
「うん。ボクも好き」
「誰よりも?」
「もちろん」
「ずっと?」
「ずっと」
「……約束よ?」
「約束」
彩姫は満足そうに微笑んだ。
それから、少しだけ悪戯っぽい顔になる。
「ところで、優凛」
「なに?」
「天羽くんのことだけれど」
「暁?」
「ええ。あの子、桜庭さん以外にも好意を寄せている女の子がいるでしょう?」
「うん」
「白石さんとか、同じクラスの子たちとか」
「そうだね」
「……あなた、どう思っているの?」
「どうって?」
「天羽くんは、誰か一人を選ぶと思う?」
「さあ?」
ボクは首を傾げた。
「本人が誰かを好きになれば、そうなるんじゃないかな」
「そうかしら」
彩姫は少し考えた後、口を開いた。
「私は、天羽くんが誰か一人を好きになったとしても、あの周囲の女の子たちは簡単には諦めないと思うわ」
「……確かに」
それはありそうだ。
何せ、暁は男子が少ないこの学校でも特に人気がある。
本人の性格も悪くないし、容姿だって整っている。
おまけに誰にでも優しい。
恋愛対象として見られない理由がない。
「でも、あの子たちも大変ね」
「そうだねぇ」
「好きな人に、友達だと思われているのだから」
彩姫は少しだけ苦笑した。
そのとき。
「あっ」
廊下の向こうから、白石さんが歩いてくるのが見えた。
彼女はボクたちに気づくと、軽く手を振った。
「優凛くん! 彩姫さん!」
「こんにちは、莉乃さん」
「こんにちは、莉乃さん」
「二人とも一緒だったんだ!」
「ええ。今から教室に戻るところよ」
「そっか!」
莉乃さんは明るく笑った。
そして、何気ない様子で尋ねる。
「ねえ、優凛くん。ちょっと聞いてもいい?」
「何?」
「優凛くんって、暁くんのことどう思ってる?」
「暁?」
「うん」
「大切な友達だよ」
「そっかぁ」
莉乃さんは笑顔を浮かべた。
けれど、次の瞬間。
「じゃあさ、私が暁くんのことを好きって言ったら、どう思う?」
「応援するよ」
「…………」
莉乃さんが固まった。
隣の彩姫も、ほんの少しだけ目を見開いている。
「えっと……それだけ?」
「うん。莉乃さんが好きな人と結ばれたら嬉しいし」
「そ、そっかぁ……」
莉乃さんは頬を掻いた。
「優凛くんって、本当に優しいよね」
「そうかな?」
「うん。……でも、ちょっと残酷かも」
「?」
莉乃さんはそれ以上何も言わず、手を振って去っていった。
ボクは首を傾げる。
「……何だったんだろう?」
「優凛」
「なに?」
「あなた、時々天羽くんと同じくらい鈍感よ」
「えっ?」
彩姫は呆れたように息を吐いた。
「……もう」
そして、ボクの手をぎゅっと握った。
「私の気持ちには、ちゃんと気づいていてね?」
「もちろん」
これは間違いない。
ボクは彼女一筋なのだから。
◇
放課後。
ボクが帰り支度をしていると、暁がやってきた。
「優凛!」
「どうしたの?」
「今日、一緒に帰らないか?」
「いいよ」
「よっしゃ!」
暁は嬉しそうに笑った。
その後ろには、桜庭さんと白石さんがいる。
「私たちも一緒に帰っていい?」
白石さんが尋ねる。
「もちろん!」
暁が即答した。
「じゃあ、四人で帰ろうぜ!」
「…………」
「…………」
女子二人が、何とも言えない表情を浮かべた。
ボクは少し考える。
「あ、ごめん。ボク、彩姫と待ち合わせしてるんだった」
「あ、そうなのか?」
「うん」
「そっか。じゃあ、また明日な!」
「うん。また明日」
暁たちは教室を出ていった。
その背中を見送りながら、ボクはスマートフォンを取り出す。
彩姫からメッセージが届いていた。
『校門で待っているわ』
すぐに返信する。
『今行くね』
そして、教室を出ようとしたところで。
「……なぁ、優凛」
声をかけられた。
振り返ると、そこには健太がいた。
「どうしたの?」
「ちょっと聞きたいことがある」
「うん?」
「お前さ、天羽のことどう思ってる?」
「友達だけど?」
「いや、そうじゃなくて……」
健太は周囲を確認してから、小声で言った。
「天羽の周りの女子たち、あれ全員本気だぞ」
「知ってるよ」
「……知ってるのかよ」
「うん」
「じゃあ、あいつがどれだけ危ない状況にいるかも?」
「まあ、なんとなく」
健太は頭を抱えた。
「……頼むから、お前からも何とか言ってやってくれ」
「うーん……」
ボクは少し考えた。
けれど、結局こう答えた。
「本人が気づかないと、どうしようもないんじゃないかな」
「それはそうなんだけどさぁ……」
健太は深々とため息をついた。
「お前はいいよな。彼女がいて」
「うん。彩姫は可愛いし、優しいし、最高の彼女だよ」
「惚気かよ」
「惚気だよ」
「堂々と言うな!」
健太が突っ込んだ。
ボクは笑った。
すると、健太も少しだけ笑う。
「……まあ、いいや。じゃあな」
「うん。また明日」
彼と別れ、校門へ向かう。
そこには、彩姫が待っていた。
「お待たせ」
「ううん。大丈夫よ」
彩姫は自然な動作でボクの手を取った。
「帰りましょう?」
「うん」
夕暮れの帰り道。
ボクたちは他愛のない話をしながら歩き始めた。
……ちなみに。
その頃、暁たちはというと。
◇
「ねえ、暁くん」
「ん?」
「今度の日曜日、二人で出かけない?」
桜庭美咲は、隣を歩く幼馴染を見上げた。
「二人で?」
「うん」
「いいぞ! どこに行く?」
「……本当に?」
「おう!」
暁は笑顔で頷いた。
美咲の表情が明るくなる。
しかし。
「あ、そうだ。莉乃も誘わないか?」
「…………え?」
「三人で行ったら楽しそうだろ!」
美咲の足が止まった。
少し後ろを歩いていた莉乃も、足を止めた。
「……暁くん」
「ん?」
「どうして莉乃ちゃんも誘うの?」
「え? だって、みんな友達だろ?」
「…………」
美咲は目を閉じた。
そして、深く息を吸う。
「……暁」
「おう?」
「今度の日曜日は、私と二人で出かけたいの」
「うん?」
「莉乃ちゃんも、他の子も誘わないで」
「……?」
暁は不思議そうに首を傾げた。
そして、数秒考えた後。
「……もしかして、美咲」
「な、何?」
「最近、友達と何かあったのか?」
「…………」
莉乃が空を仰いだ。
美咲は、ただただ無言だった。
そして、暁は真剣な顔で言った。
「大丈夫だぞ。俺でよければ相談に乗るからな!」
「……ありがとう」
美咲は笑った。
その笑顔は、どこか遠い目をしていた。
◇
その夜。
ボクは彩姫と通話をしていた。
『それでね、今日お母さんが――』
「うんうん」
『日曜日、優凛が来るのを楽しみにしているって』
「ボクも楽しみだよ」
『……ふふ。私も』
少しの沈黙。
それから、彩姫が口を開いた。
『ねえ、優凛』
「なに?」
『好きよ』
「うん。ボクも好き」
『……本当に?』
「本当だよ」
『じゃあ、明日も一緒にいてね』
「もちろん」
『約束よ』
「約束」
通話を終える。
スマートフォンを置いて、ボクはベッドに横になった。
明日も学校。
明後日も学校。
そして、日曜日は彩姫とのデート。
楽しみな予定がたくさんある。
……そういえば。
暁は日曜日、美咲さんと出かけることになったのだろうか。
まあ、本人たちの問題だ。
きっと何とかなるだろう。
ボクはそう考え、目を閉じた。
――なお。
翌日、暁のクラスでは女子たちによる緊急会議が開かれることになる。
議題はもちろん。
『天羽暁と桜庭美咲が二人きりで出かける件について』
そして、会議の最後に白石莉乃が放った一言が、少女たちの間に大きな波紋を広げることになる。
「……ねえ。そろそろ、私たちも本気で動かない?」
天羽暁。
君の知らないところで、青春は着実に動いているらしい。
……まあ、ボクには関係ないけれど。
彩姫との日曜日が楽しみだ。