ワテは今、闇深い森の中を駆けていた。
光源は満点に輝く月の木漏れ日。
視界はかなり悪いがイズチの知覚は視覚と等々レベルの聴覚・嗅覚により補完されている。
見えない木の枝を臭い、見えない木の葉の重なりの下にある岩の擦れを聞く。
これにより感覚の不備を補いながら闇夜の逃走劇を可能としていた。
…そう、逃走である。
ワテはとうとう、オトモ道場から逃げ出した。
そりゃオトモ道場は悪くなかったんやで?
ヨモギちゃんのうさ団子は最高だったし、オトモスキルでも身に付いたのか、途中から飛躍的に身体能力が向上した。
小生意気だったテンマとも平和的に(暴力)和解(やはり暴力しか勝たん!)して、一緒に寝たり一緒にオトモフーズを食べたり、一緒に地獄のシゴキに耐えたりもした。
中でも猟犬具には興味を惹かれた。
ワテはイズチなのでなかなか触らせて貰えなかったのだが、ガルクの装備『双刃鎖鎌』は咥えさせて貰う事が出来た。
イズチとガルクじゃどうしたって体型が違うやろ? だもんで自傷を防ぐ為に鎖を伸ばしての運用は出来なかったんやが、それでも口に刃物を咥えてるってだけで攻撃手段と火力が違ってな〜。
ワテ専用の双刃鎖鎌が出来たりしたら絶対にヤベぇと思うんよな。
ガルクよりも長くてガルクよりも強靭なワテの鳥脚が生み出したエネルギーを余すことなく上体へ伝え、それをまた長くて強〜い首で破壊力へと変換して振り回す鎖鎌の威力は正に暴風───てな妄想が割と現実味帯びてて。
けれど、それでも。
ワテは夢よりも現実を選ばざるを得なかったんや…!!
「…………ギハッ!」
息を吐いて地面に落としたのは隠れ身の巻物。
猟犬具の一つで、名の通り使用することで気配を薄める事が出来る巻物だ。
なんぼ鼻呼吸の生物とは言え、長時間噛み砕かないように巻物を咥えて走り続けるのは顎に来る。
こいつが無かったら忍者アイルーのコガラシパイセンを出し抜くことは不可能だった。
あのアイルーは本当にヤベぇんだわ。
嘘か本当か知らんが50年以上前から生きてる化け猫らしい。年寄りならザコかって言うとゼンゼン…ほんっと〜にゼンッッッゼン最強。
まず早くて目で追えんし、力比べなら勝てると思ってたワテの必殺尻尾叩き付けを片手で受け止める野菜星人みたいな変態アイルーでな?
ワテがちょ〜っと茶目っ気で脱走しようとしたら、
「抜け忍は滅殺でござるニャ」て。
ワテの背後にシュタッ…て湧いてくるんよ。
普通にホラー。
脳筋系ホラーアイルーでなぁ。
まぁ流石に頭は老人らしく物忘れが酷くて、おかげでこの巻物とか他にもちょっと面白そうな落とし物をくすめることが出来たりして…。
なもんで、せっかくの戦利品をココに捨てるのも忍びない(忍者だけにw)。
「ギヒァ〜……」
…よし。
少しだけ休むか!
丁度良いサイズの祠もすぐ側にあるし、周りに嫌な気配もない。
久々の野生。
危機へのアンテナ残しながら脳のスイッチを落とそうとして…。
『ガハハハハハハ!!』
眠りに落ちるよりも強く、今朝のクソ親父の笑い声が脳内に再生された。
『なかなかどうして! よく走るではないか…! これなら明日は二倍…いや、四倍は走れる!! これは楽しみだわい! ガハハハハハハ!!』
こ ろ す き か … と 。
朝から昼まで、あのクソでかくて爺臭いオッサンに跨られた状態で水すら抜きにして走り続ける事を強要されて。
昼にはとうとうヘバッて横倒しに倒れたワテを見下ろし、本当に…心底楽しそうなオッサンがホザいたのが先程の台詞である。
最低でも夕方まで走らせる気である。
水抜きである。
たぶん明日は飯も抜きにされるのである。
(ちなみに今日は飯を食ってない。疲労が限界突破した胃が受け付けなかったんやで…(T_T)涙)
ヨモギちゃんの美味しい美味しいうさ団子に釣られた結果がコレである。やはり人類。
人類に気を許してはイケナイ…!!
確実な
これがワテに残された唯一の選択肢やったんや。
これにてワテの『オトモイズチ編
明日からは新章『ヤジュウイズチ編
耳障りな『音』が聞こえる、その時までは。
◆
「ね…ねぇ、セイハク」
夜の帳のその奥で。
小さな声を震わせるのは桃色の着物に見を包んだ少女、コミツ。茶屋の隣でりんご飴を売っているカムラの里の小さなアイドル。
「なん…なんだよ」
返すのはセイハク。
青い着物を着たおにぎり屋の少年は、明らかに顔色を悪くして表情を強張らせていた。
「わ、わたし、ハンターになろっかな!」
「…はぁ!?」
驚愕…そして唖然。
それがセイハクの…
「ほ、ほら! だって今わたし達、モンスターに見つからずに採取までしちゃったんだよ? さ、才能あり…でしょ!」
コミツは憧れの
ムースが大好きなキノコを求めて、少しだけ…本当に少しだけ大社跡に足を踏み入れた。
危険だと訴えるセイハクの制止を振り切り、挙句彼を巻き添えにして危険な森の中で迷子になってしまったコミツは、せめて彼に詫びるためにも…と、道化を演じる事にしたのだ。
「無理に決まってる!」
「や、やっぱ…そーかな、てへへへ…」
コミツのそんな気遣いに、遅まきながらセイハクも気がついた。彼女の笑顔はいつもセイハクが心惹かれる少女のソレとは明らかに違っていたのだから。
『男なら、好きな女くらい守れるようになんな!』
母の声が聞こえる気がした。
───けれど。
【フィシー!】
【シャー!】
「「ッ!?」」
大樹のうろに身を隠した二人。
その小さな空間にモンスターの鳴き声が響いて。
───パキッ───
木材の折れる硬質な音。
どちらが立てたのかはわからない。
(大丈夫だ…こんな、小さな音なんて聞こえる訳ない)
セイハクはそう信じた。
いや………祈った、と言うべきであろう。
祈りとは願い。
人はそう。
消して叶わぬと知って。
【クァロロロロロ…】
【クァロクァロクァロ…】
【…………】
【シギャー!!】
「「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」」
それでも、願わずには…いられない。
◇
万が一の為に。
そう思って擦り潰していたマヒダケの粉末が役に立った。
セイハクの投げた黄色い粉が四足歩行の大蜥蜴───ジャグラス───の視力を一瞬奪う。
本来臆病な性質を持つ彼らは思いもよらぬ獲物の反撃にたじろいだ物の、視力を取り戻して怒りを顕わにしたリーダーの様子から即座に統制を取り戻した。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「やだ! やだぁ!! 助けて! ヒノエ姉ちゃん! ミノト姉ちゃん! ムースちゃん!!」
手をとり合って逃げる獲物。
その声は外敵を呼び寄せかねない。
だが、その逃げ足は闇に弱い生き物特有の遅さ。
しかも明らかに脅威の少ない幼体だ。
これなら狩れる。
他の獣に横取りされる前に。
【チッチッ…】
【カカカカカ…!】
追う者、回り込む者、周囲の警戒に移る者。
即座に振り分けられた役割を群れが熟し、一頭の巨大な生物のような緻密さで獲物を追い込む。
「うわぁ!?」
囲んだ!
後は一息に………!?
群れの長である彼の思考はそこで途絶えた。
全く予期せぬ刃尾の一撃が、彼の頭部を真っ向から叩き割っていたが故に………!!
「ギシャー!!」
大音声で威嚇を放つ。
それこそはカムラの猛獣。
後に猛き獣と呼ばれる事となる、一頭のイズチ!!
(イズチのイッ君、ここに見参!!)
バキリ…と噛み締めた隠れ身の巻物が3つに砕けて役割を終え、その破片が地に落ちて音を立てた…。
それを開戦のゴングとして一頭のイズチにジャグラスの群れが襲い掛かる。
「シッ!」
即座に迎撃。
勢い良く横に回転しつつ尻尾の鉤爪で敵を殴り裂く!
1匹…2匹…ッ!?
3匹目へ攻撃を届けるより先に、回転していたイズチの瞳が子供達の背後に迫る遊撃ジャグラスの姿を捉える。
「ジャ…ガァ!!」
3撃目を強制キャンセルして強引に跳躍。
子供達を飛び越えてジャグラスを狙う。
【シヤァー!!】
無理のある動作から見切られた攻撃…いや違う。イズチの動作その物に精彩がないのだ。
朝の過重訓練に飯抜きでの逃亡。
それが彼の技を鈍らせている。
【カッカッカッカ!】
【シシィー!!】
残ったジャグラスは4匹。
2匹は手負いにしたが、その闘志に陰りはない。
ソロリソロリと間合いを選び、飛びかかる瞬間を仲間たちと噛み合わせるように───と、その時。
唐突に現れてジャグラスと対峙するイズチに怯えるばかりだった少年少女の目が大きく見開かれた。
「これ、このイズチ…!」
「この子! ムースちゃんのイズチだよ!」
イズチの見分けなど子供には不可能。
けれど、そのイズチは他のイズチとは明確に違った。
それこそは、胸に輝く緋色の光…!!
「「ホオズキ石の…イッ君!!」」
「ギャオス!」
護衛対象が守護者を認識した。
これによりイズチの負担は大幅に減った。
3つの視野で襲い来る敵を察知し、3つの力でそれに抗うべく行動に移せる。
「どっちに行く!?」
「ギギィ!」
「後ろから来てる!」
「ギシャオ!!」
逃走、防衛、迎撃。
無理に攻めるにはリスクが大きい。
故に、少なくない傷を負いながら…子供の保護を最優先として一頭のイズチは足掻き続ける。
尻尾で弾き、爪で引っ掻き、視線で牽制しては機をうかがう───が、しかし。
「あっ…!!」
取り囲むジャグラスに気を取られ、足元が疎かになったコミツが盛り上がった木の根に躓きバランスを崩した。
倒れるコミツ。
セイハクは意地でも手を離さない。
しかし、それでも。
どうやってもイズチの救援は間に合わず。
ジャグラスの口が涎の糸を引きながら大きく広がり───「ガウ!!」───一頭のガルクにより強制的に閉ざされた。
「ガルク!」
「ギャオ!?」
それこそは白い影。
己がリーダーと認めたイズチを追い、愚かにもオトモ道場を抜け出した未熟なガルク───テンマ!
「ワオーーーーン!!」
月に吠え、大地に生きる。
予期せぬ援軍の助けを借りて、イズチの逃走劇は佳境に入った。
テンマが牽制し、イズチが守る。
少しずつ、少しずつ。
深い森を踏み越えて山を下る。
気付けば木の葉が生い茂っていた森を抜け、石造りの巨大な鳥居を通って坂を下りた。
しばらくすると、足元には丸みのある石ころが目立つようになっていて───。
「川だよ!」
「あそこまで行けば!!」
月光を弾いて揺れる水面と川のせせらぎが近い。
浅い川を越え、崖を登った先にはハンターのキャンプ地があった筈。そこまで行けば…!
そう考えていた彼らを尻目に、ジャグラス達はいそいそと森へ逃げ帰っていった。
あっさりと、躊躇いもなく。
───むしろ、何かから逃げるかのように。
「…た、助かったの?」
緊張状態からの開放と極度の疲労。
それらが合わさりコミツ膝がカクリと折れる。
「………」
テンマもその場に腹を付けて座り、舌を出しながら荒く息を吐いていた。
「なんで…あ、そうか! 縄張りを越えたから!」
「そっか! は〜よかった…本当に、本当に…死んじゃうかと思ったよぉ…」
へたり込んだ泣き顔のコミツへセイハクが手を伸ばす。
「コミツが無事で良かった」
手を握り返し、はにかんだコミツが彼を見上げる。
「セイハクのおかげだよ」
「いや俺は…コイツが、イッ君がいたから───」
情けない。
男の癖に逃げてばかりで。
そんなセイハクにコミツが叫んだ。
「そんなことない! だってずっと一緒に走ってくれたもん。わたしがキノコ取りに行こうとしたからこんな事になったのに、怒ってもおかしくないのに…ずっと、手を握っててくれた!」
セイハクと繋いだ手。
それとは別の手を、彼の手に重ねて包む。
小さい。
それなのに、決して一人では逃げなかった男の子の手。
なんだか…ドキドキする。
ドキドキして、ソワソワして………。
…そう。
人はその様に願い、夢を見る。
幸せな未来を。
迫る絶望から───目を逸らす為に。
しかし、一頭の獣は知っていた。
死を知る獣は、目を逸らさない。
「ギギィ…!!」
厳しい。
未来ある若者の為に命を賭す。
それは悪くない選択肢だと思う。
…だが。
足りない。
それでは足りない。
命程度ではあまりにも……!
運命に歯向かう時、獣の瞳は天を睨む。
───サ……。
「え…なに?」
「なんか…羽の音が………!?」
───バサ…バサ……バサ…………!!
羽音に続くは耳を裂く風切音。
「なにが…ッ!?」
濡れた刃のように鋭いその音。
その音色が死神を招くより早く、イズチが二人の身体を小さな腕で抱きしめるようにして押し倒した。
「うわぁ!?」
「キャッ!」
「Giaaaaaaaa!!」
「………ギァ!!」
凄まじい咆哮と共に飛来した竜の爪先が、小さなイズチの背を撫でる。
闇夜から飛来したるは赤熱なる空の王者。
───リオレウス───!!
川原の玉砂利を蹴り飛ばし、川の流れを大きく崩して。蒸気をともなって煙る水飛沫の向こうに 赤い炎の揺らめきが見えた。
文字通り、気炎を口から迸らせて、赤い暴力が獲物を睨む。
「あ…あぁ……!!」
膝が笑い、尿が漏れる。
誰もそれを指摘しない。
そんな余裕は何処にも無かった。
捕食者と…エサ。
抗う意思すら奪い去る隔絶した存在の違い。
───しかし、だからこそ!
イズチの判断は素早く───しかし。
「ギャ……ォォ??」
脚がふらつき、視界がぼやける。
リオレウスの爪の毒。
それが僅かな皮膚の裂け目から侵入し、イズチの肉体を犯していた。
毒だけならまだ、動けたかも知れない。
しかし、今朝から続く試練の数々。
蓄積した疲労と生命力の限界。
それらが鎖のようにイズチの脚に絡みつく。
(不味い…)
川の中央で仁王立つリオレウス。
その口に炎が集まり。
燃え滾る熱量から逃げるようにリオレウスの首が時計回りに回転して月を捉える。
予備動作から首が縦に振り下ろされて。
(ブレスが…ッ!!)
リオレウスの象徴たる業火の一撃。
その脅威を知っていて…それでも身体が動かない。
音は無かった。
無音の世界で、ただ竜の口から放たれた熱塊が。
灼熱の暴威を伴って夜の帳を切り裂いたのであった。