千年の昔。
「
それはかつて、その国を創ったとされる天上の神々が、地上の人間たちのために贈った「古代の神器」でした。
……文にはずっと、心残りなことがありました。
その過去を清算するためにはどうしても、「陰陽玉」と「もうひとつの玉」を手に入れる必要がありました。
文は、「外の世界」に残された神社を巡り、神話や伝承、史記などを調べてゆくうちに、その神器が今では、幻想郷の人里の外れに建立された
寺の墓地にある古い洞窟が、「異世界」に繋がる地下への入り口となっていることを突き止めたのです。
人間たちの間で「妖怪」とも「神」とも畏れられている天狗の文でさえ、夜の墓場の洞窟に独りで入ってゆくのは少し勇気の要るものでしたが、失われた古代の神器を手に入れるために、文は意を決して奥へと進んでゆきました。
……明かりもなにもない漆黒の闇の中を勘を頼りに飛んでゆくと、やがて洞窟を抜けて、
そこは、「外の世界」から幻想郷に生まれ変わってきた「
「これが、『
まず文の目の前に現れたのは、八角形の巨大な五重塔でした。
そうして墓地の下の異空間をあちこちと飛び回りながら愛用のカメラで撮影しているうちに、いつしか文は、「神霊廟」と記された中華風の大きな楼門の前に降り立っていました。
「道教」の修行道場兼住居となっている神霊廟には、訪ねてきた文の呼びかけに応じる声はなく、代わりに、建物の奥のほうから「ぴこぴこ」という耳慣れない音が、冷気に乗って微かに流れてくるのが聴こえてきました。
文はカメラを構えながら、その音のするほうに向かって神霊廟の中へと入ってゆきました。
……音の発せられている部屋を覗き込むと、テレビの前で
「誰じゃ? 我は今、手が離せないのじゃ」
平安時代の稚児が着る白い
「
「なんじゃ、誰かと思えば新聞屋か。新聞の勧誘なら、うちは間に合っておるから他をあたるがよい」
灰色の
「新聞の勧誘が、こんな墓場の下まで訪ねて来るわけないでしょう?」
「それもそうじゃな。……あいにくだが、ほかのやつらは修行でみな留守じゃ。出直して参れ」
布都は相変わらず文のほうは見ずに、画面の中のキャラクターの動きに合わせて
「……なんじゃ、まだおるのか? もしやおぬし、無心が目的か? 悪いが我は、
「それはそれはお可哀想に。でもどうぞご安心ください。私が欲しいのはお金ではなくて、
文の言葉を聴いて、布都の耳がぴくりと動きました。
「物部氏に伝わる、『
「……おぬし。どこでそれを?」
「千四百年前に貴女が生きていた、『日出ずる国』でです。
「さすがは『じゃあなりすと』じゃな。我の他には知る者もほとんどおらぬのに。よく調べたものだ」布都はテレビ画面を見ながら淡々と呟きました。
「あの玉……。死返玉は、わが物部一族が神より賜りし神宝のうちでも、秘宝中の秘宝なのじゃ。貸せと言われて、そうおいそれと貸せる代物ではないことくらい、そなたにもわかるであろう?」
「ええ。だからこそ、こうしてここまでお願いに参ったのです」
文はいつになく神妙な面持ちで相手を見つめました。
「どこの誰から聞いたかは知らぬが、玉を貸したところで、物部の血を引かぬおぬしには『死返の秘術』は使えぬし、力を引き出すことも叶うまい。祝詞を知っていたとして、それを唱えただけで我と同じ術を使えるわけがなかろう? ましてや
「まったく仰るとおりです」文は頷きました。「それでも、どうしてもその玉が必要なのです。どうか私にお貸しください。
文はその場で膝をついて、深々と頭を下げました。
「くどいぞ天狗。いくら頼まれようと、無理なものは無理じゃ。漫画や
「そうですか。それでは仕方ありませんねえ」
顔を上げた文はそう言って、持っていたカメラのファインダーを
「そういえば。修行が尸解仙の本分だとお聞きしました。その『芸絵夢』とやらも、道教の修行の一環なのでしょうか? それならばぜひ、貴女の師とごいっしょに『取材』させていただきたいものですねえ」
「それは……。ならぬならぬ! 押しかけ取材は一切お断りじゃ! それに道場内は撮影禁止じゃぞ?」
カメラを向けられた布都は慌てて顔を伏せました。
「天狗のおぬしが、どうしてそれほどまでにあの玉を欲するのだ? ……まあよい。そこまで請うなら、一応聞いておいてやろう。おぬしが死返玉で蘇らせたいという御魂とやらは、いつごろこの世から
「今から……。八百年ほど前に」
「なーはっはっはっ!」
布都は高らかな声で笑うと、馬鹿ばかしいというふうに、ゲームのコントローラーを握っている両手に力を込めました。
「なんと答えるのかと思えば。……八百年じゃと? よほどの者でも、この世に魂が留まっていられるのは四百年がせいぜいじゃ。今ごろはもう、その者もとっくに別の命に転生しておるわ。『神』に近しい者でもない限りはな」
「そう仰る貴女は、今から千年以上も前に、あの夢殿大祀廟の中で永い眠りにつかれたそうではないですか。尸解仙として復活するために。もしそれが叶わず、肉体が滅んだ今も魂だけがこの世に縛られ続けているとしたら……。どうされますか?」
「ふん。神でも仙人でもなければ、そのような者はもはや『悪霊』じゃ。触らぬ神に祟りなしというだろう? 面倒なことには関わらず、そのまま捨ておくがよい」
布都は、画面の中であと一歩のところまで追い込んでいる瀕死のキャラクターに、容赦ない攻撃を加えました。
「さすがは、冷徹な策士と
「おぬし……。なにを企んでおる?」文の言葉に、布都はぴたりと手を止めました。
「どうも誤解しておるようだが、おぬしのいう『そやつ』は、今の我とは『別の因果の我』じゃ。まあ、まったくの無関係でもないがの。だが、その布都姫が兄の
先ほどまで、画面の中であれだけ俊敏に動き回っていた布都のキャラクターは息が止まったようにその場に固まって、相手の攻撃を受けるがままになっていました。
「……ならば、わかるであろう。たとえ裏切り者と
布都の目は、「Game Over」と表示されている真っ黒な画面をまっすぐに見つめていました。
「まあ、おぬしもせっかくここまで訪ねてきたのだ。そこまで申すなら、おぬしの願いを聞いてやらんでもない。神玉は貸せんが、『その時』が来れば、いつでも我を呼ぶがよい。そなたの力となろう」
布都姫の想いを聞いた文は、その小さな背中に一礼して、静かに神霊廟から去りました。