「ここは。……
文に先導されて地上に降り立った霊夢は、社名の刻まれた目の前の鳥居を見上げたまま、その場に立ちすくみました。
「そっくりでしょう? 『博麗神社』に。字は違いますけどね」
期待していたとおりの霊夢の反応に満足した文は、神社の由緒について、現地の観光ガイドのように説明をはじめました。
「──えーみなさま。本日はようこそ『白霊神社』へお越しくださいました。うしろに見えます拝殿は、比較的新しい時代に建てられた
建立から長い間、ろくに改修もされずに積年の風雨と日光に晒され続けてきた
あちこちがぼろぼろになっていることを除けば、本殿と同じく鮮やかな朱色に塗られていただろう稲荷鳥居をはじめ、境内に建っている社殿の造りや、拝殿の前に鎮座している苔むした狛犬の顔、鳥居の脇に据えられた
「まあ、ひとつだけ違うところがあるとすれば。賽銭箱の大きさくらいでしょうかねえ」
文は、最近になって霊夢が特注で据え付けた、無駄に豪華で巨大なだけの博麗神社の賽銭箱を思い出して、ガイドの最後に付け加えました。
「……霊夢さん。どうかしましたか? 顔色が悪いようですね」
霊夢は文の言葉に応えず、虚な目で鳥居の向こうを見つめたまま、身体から魂が抜けでたように重たく息を吐きました。
「……この神社は、呪われているわ」
「貴方も、そのように思われるのですね」
霊夢の言葉を聞いた文は、寂しげに神社を見上げました。
「それ以外にもこの神社には、いつのころからか『神隠しの噂』が立ちましてね。以来、訪れる人もほとんどいなくなってしまったのですよ」
「言われてみれば、ちょっと陰気よね。霊夢の神社みたいな温もりがないというか」
紫はそう言って、いつになく弱っているように見える霊夢のそばに寄り添いました。
「なぜだかわからないのだけど、とても『嫌な感じ』がするのよ。この神社には、とてつもなく強い『思念』のようなものを感じるの。それがなんなのかはわからないのだけれど。ここに集まってくる負の気を、その身に全部吸い込んでいるような……」
なにかを感じたように、霊夢は奥の本殿のほうを見ました。
「まあ、ここで立ち話もなんなので、とにかく中へ入りましょう」
文に案内されて、三人は鳥居をくぐりました。
朝霧に濡れたイロハモミジの
石敷きの参道を少し歩いた先に、小さな
拝殿の脇には
「へえ。中は結構いい雰囲気じゃない」
「そうでしょう、そうでしょう」予め即席の野点をセッティングしていた文は、紫の言葉に満足した様子で頷きました。
「この秋一番に醸成された
「……今はそんな気分じゃないわ。お供えものを勝手に飲んだらバチが当たるわよ?」
「大丈夫ですよ。ちゃんとお赦しは得ていますから」
霊夢は冴えない表情のまま、文から差し出された白磁の盃を受け取りました。
それから、盃に注がれた御神酒の水鏡に映った自分の顔を無言で見つめました。
〔神は人の
霊夢は、「外の世界」から伝わったという「
──神様も人間も、お互いを認め保ち合うことで世に存在している。
敬う者もなく、荒れるがままに捨てられて、孤独に鎮まっている、名もなき
──ずっと、何百年も。
「ここに祀られているのは、女神なのかしら」盃を手にしたまま、霊夢が独り言のように呟きました。
「どうしてわかるの?」
御神酒に一口つけた紫は不思議に思って、隣りに座っていた霊夢の顔を覗き込みました。
「……ああ。あれよ」
紫の声に我に返った霊夢は顔を上げると、拝殿のうしろにある本殿の三角屋根の両端から、「X」字状に交差して天に突き出ている二対の板を指差しました。
「
「へーえ、そういえば。博麗神社も同じよね」
いつも神社の縁側の陽だまりで、
「でも変なのよ。屋根の
「どういうこと?」
なんのことだかわからないというふうに、紫は首を傾げて霊夢に尋ねました。
「これも例外はあるのだけど。鰹木の数が偶数なら、神社に祀られている神様は女神で、奇数なら男神なの。だから、鰹木の数は偶数じゃなければ変なのよ」
「ひい、ふう、みい……。ほんとだ、三つしかないですね」
霊夢を真ん中に挟んで紫の反対側に座っていた椛が、鰹木を数えました。「どこかに落っこちたわけでもなさそうだし。初めからそうして作られてるみたいな?」
……ふと、少し離れたところから小さな足音がやって来るのが聴こえました。
その足音はだんだんと大きく近づいてきて、やがて、文たちのいる拝殿の前で止まりました。
「あらかわいい」幻想郷では見かけない異国の小洒落た洋服を着せられた幼い
「てんぐのおねえちゃん!」
野点にいた人影を見つけた女の子が、仔犬のようにはしゃいで文のそばに駆け寄ってきました。
「
いつのころからか神社に遊びに来ていた人間の女の子と顔馴染みになっていた天狗の文は、我が子を迎えるようにして、「臺与」という名の小さな女の子の身体を抱きしめました。
「あれれ? きょうはきれいな外国のおねえちゃんと、みこさんもいっしょ? ……あっ! 服をきたイヌがいる! おもしろーい」
「い、い、犬うぅぅ?!」
白狼天狗の椛は顔を真っ赤にして、飲みかけていたお酒を噴きこぼしました。
「あーこのイヌ……。じゃなくて、おねえちゃんは、これでもこわーいオオカミなのよ。食べられちゃうぞー?」
「へー、そうなのかー!」
臺与は文の脅しにも怖がる様子もなく、床几台のうしろに揺れているモフモフの尻尾を無遠慮に握って人懐っこく笑いました。
「人気者じゃないの、椛」
白狼天狗にじゃれついている無邪気な臺与にほっこりした霊夢の顔に、少しだけ笑みが
「霊夢や私はともかく、羽や尻尾が生えてる二人を見ても全然怖がらないなんてね。文にも懐いてるみたいだし」
「れいむー? れいむって、おねえちゃん?」椛のケモ耳を
「そうよ。博麗霊夢。──はくれいれいむ、っていうの」
霊夢は微笑んで、自分と同じ茶色の瞳をした臺与に優しい眼差しを向けました。
「そうなのかー。──『かみさま』とおんなじ名前だね」
「神様? ……私が?」
「うん。そこにいる、てんぐのおねえちゃんにきいたの」
臺与は澄んだ目で巫女の霊夢を見つめると、
……「ずっとずっとむかし。いまから八百ねんまえに、『れいむ』という、ひとりのおんなのこがいました。れいむにはうまれたときから家族がおらず、れいむのために作られた村外れのふるい神社に、ずっとひとりですんでいました」
……「そんなあるとき。いつものように神社でひとりであそんでいると、空のうえから『てんぐ』が飛んできて、れいむに言いました。『ともだちがいっぱいいる、げんそーきょーに連れていってあげる』。それを聞いたれいむはよろこんで、てんぐといっしょに空のうえに飛んでゆきました」
……「てんぐと空のうえから『げんそーきょー』にやってきたれいむは、それからたくさんのおともだちができました。れいむはもう、ひとりぼっちではありません。そうしていつまでも、みんなといっしょに、げんそーきょーで楽しく暮らしましたとさ」
おしまい。
臺与は、初めて「てんぐのおねえちゃん」に出会ったときに聞かされた
「そうして空のうえに飛んでいったれいむは、『かみさま』になって、今もこの神社におまつりされてるの」
「──文、あんた! なに子供に適当なこと吹き込んでるのよ!」
臺与の「おとぎ話」を聞いた霊夢は、ありもしない
「適当ではないですよ? 本当のことですから」
女の子といっしょに椛の耳を弄り回していた文は、飄々とした顔で応えました。
「はあ? あんたの『捏造』も、ここまでくると感心するわね」
霊夢は呆れた顔で、いつもネタを探しては幻想郷のあちこちを飛び回っているブン屋の鴉天狗を睨みつけました。
「私があんたに幻想郷に連れて来られただって? よくもそんなデタラメを。八百年前って私は生まれてもないわよ? それに私には、そんな記憶も全然ないわ」
「そう。
文は言って、短いおかっぱ頭に切り揃えられた臺与の黒髪を撫でました。
「霊夢さん。貴方は、自分がこの子くらいの歳だったころのことを覚えていますか?」
──そういえば。私は……?
自分の年齢は十五歳くらいだと思っている霊夢には、五、六歳ほどの臺与と同じ年頃だったころの記憶がまったくありませんでした。
それどころか自分の誕生日も、ほんの数年前のことすらも、なにも思い出せなかったのです。
「すごーい! おねえちゃん、ほんとうに『れいむ』なの?」
二人の話を聞いていた臺与が、目をきらきらと輝かせて霊夢の膝に飛びつきました。
「え? ……ええ、そうよ」
霊夢は盃を置いて、小さな臺与の肩を抱えました。
「ほんとに? ……あ、そうだ! ほんとうのげんそーきょーのれいむなら、『おんみょーだま』を持ってるでしょ?」
「ああ、うん。……これよ」
臺与の勢いに押された霊夢は、スカートから陰陽玉を取り出してみせました。
「わーすごい! やっぱり、お話はほんとうだったんだ! ……ね、ね? それ、どうやって使うの?」
「えっとね。こうして玉を握って、そこにいる『わるいてんぐ』に向かって、『おんみょーだま!』って言えばいいのよ」
霊夢は、臺与の小さな手のひらの中に陰陽玉をそっと包みこみました。
「ちょっとちょっと! 冗談はやめてくださいよ」陰陽玉を向けられた文は反射的に顔を背けました。
「うーんと、こうかな? ──おんみょーだまっっ!!」
「うぎゃああぁー!」臺与の手から勢いよく放たれて二つの玉に分割された陰陽玉の片方が、文の無防備なお尻に命中しました。
「なんで?! どうしてあなたが
博麗の巫女である自分以外には扱えないはずの陰陽玉を、なんの能力もない幼い臺与が訳もなく使いこなした瞬間を目の当たりにして、霊夢はその場に転がった玉を呆然と見つめました。
「やはり。その子が、『つぎの巫女』だったのね」
「つぎの巫女?」
「そうよ霊夢」きょとんとしたまま勾玉を握っている臺与を見て、紫が言いました。
「……霊夢。今回のことは、『博麗大結界となにか関係があるのではないか』と言っていたわね? あの結界は、幻想郷の内と外の世界を繋いでいる次元の『スキマ』を取り持つ境界。その力は、結界の維持を担う代々の博麗の巫女の生命力と連動しているわ。──その結界が弱まっているの」
「それは、博麗の巫女である『私の力』が弱まっているということ?」
紫は静かに頷きました。
「当代の巫女が幻想郷から消える前に、つぎの巫女を探さなければならない。文にはその選定をさせていたの。代々の『博麗の巫女』となる者をね。あなたもその一人」
「──私は死なないわ」
霊夢は、無表情に話す紫の冷たい眼差しを毅然と見返しました。
「八百年前に私が生まれたとか、そこにいる天狗に幻想郷に連れて来られたとか、そんな話、俄かには信じられないわよ。それにだいたい、『ここ』はどこなのよ?」
「霊夢さん、それはですねー。あいたたたた……」
臺与にぶつけられたお尻をさすりながら、文が代わって説明しました。
「ここは、『
文は、人々から捨てられた古い神社を感慨深く見つめました。
「それからこっちの世界では、私たちのいる幻想郷とは時間の流れが異なっていましてねー。幻想郷の一日が、ここでは一年にもなってしまうのです。こちらでは八百三十年ほど前になりますが、今から二年半ほど前に、この神社で暮らしていた貴方を私が幻想郷にお連れしたのです。つぎの博麗の巫女として」
「ふーん。あんたが私を幻想郷に……ねえ。それじゃあ、この神社の噂になっている『神隠し』って、全部あんたが仕出かしたことじゃない」
「まあ、そういうことになってしまうのですが……」文は罰が悪そうに頭を掻きました。
「でも、幻想郷に連れてきたほとんどの子供は私の見当違いで、霊夢さんのような巫女にはなれないのです。だから、二、三日で元の世界にお返ししているのですよ? ただそれが『浦島太郎』のお話しのように、戻ってきたらこっちでは何年も過ぎたことになってしまっていて。それで結果的に神隠しのように思われているのです」
「そんな与太話。どこに証拠があるっていうのよ? あんたの捏造話なんて、信じるほうがどうかしてるわ」
「証拠ならありますよ? ──これと同じものを貴方も持っているはずです、霊夢さん」
そう言って文は、先ほど椛に見せていた「赤い勾玉」を霊夢の前に示しました。
「たしかに持ってるわ」
霊夢は、懐の中にぶら下げている古びた首飾りを取り出しました。
「これがどうしたっていうの? こんなもの、あとからいくらだって作れるじゃない。あんたの偽物の陰陽玉みたいに」
ふふん。文は得意げに鼻を鳴らしました。
「──さあ、椛。私の自信作の『あの歌』を、ここにお集まりの皆さまに
「はあ? なんでまた急に。……まあいいですけど?」
椛は面倒くさそうに応えると、文と臺与の二人に弄ばれたケモ耳の毛並をきれいに整えて、頭の中に思い浮かんだ和歌を詠みました。
夕暮れは 空のはたてに物ぞ思ふ……
──あまつそらなる人を
椛が詠んだ上の句に応えるように、文が下の句を返しました。
それを聴いた霊夢は、いつも肌身離さずお守りに身につけている、今まで他の誰にも見せたことのない古びた赤い勾玉を、じっと見つめました。
なにかで彫られたように、玉の表面に刻まれている和歌の字句。
それは、文が詠んだ下の句と同じでした。
霊夢は勾玉を固く握りしめて、ぎゅっと瞼を閉じました。
「貴方のものと対になる、白い勾玉を持っている相手。それが、貴方とともに
「そんな……。そんなはずないわ。父なら、どうしてこんなに怖いのよ? どうしてこんなに恐ろしいのよ?」
霊夢は激しく首を振りました。
「……最近、毎晩ずっと同じ『夢』を見るの。そのときははっきりと覚えているのに、夢から覚めるとまったく記憶がないの。まるで今の自分のように。それを思い出すと怖くて悲しくて、どうしようもなくなるくらいに寂しいの」
気迫に満ちた巫女の威厳をまるで失った霊夢は、ただの人間の少女のように怯えて肩を震わせました。
「その夢が、今回の『異変』となにか関係があるのかもしれないわね」紫は言いました。
「……文。あんたは、私の父のことを知っているの?」
「知っていますよ、霊夢さん。私は貴方のことを幻想郷の誰よりも知っている。貴方の父君のことも」
文は、遠い空の向こうに懐かしく想いを馳せました。
「私が知っていることを、すべてお話ししましょう。貴方と父君のことを」