『幸福の魔法』   作:カステラの音

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第1話 カノア・カーディアン

 

 

 

 単なる事故だった。しかし私からしてみれば、これほど理不尽なことはないと断言できる。

 

 私はいつものように高校へ通い、通院のため部活を早退し一人で帰っていた。道のりは短く、住宅街を抜けるその道には歩道と車道の区別もなかった。『今日の夜ご飯は何かなー。』だとか『明日の漢字テスト面倒だなー。』だとか平和ボケしたことを考えながら、そんな何の変哲もない名もない通りを歩いていただけだった。そして前方から向かってくる車が見えたため、少し端に寄った。

 

 しかし、車は速度を落とすどころか、なぜかこちらへと進路を変えた。

 

 避ける間もなかった。

 

 次の瞬間、身体に強い衝撃が走り、私の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 そして私は見知らぬ路地裏で目を覚ました。ガラスの破片が散らばり、水たまりが広がる地面に横たわっていたことに不快感を覚えたが、私は現状について考えることを優先することにした。あまりにも不自然なことが多すぎるからだ。

 

 

 『なぜ病院にいないのか』『ここはどこか』『なぜ痛みがないのか』『なぜ────髪の色が異なるのか』

 

 

 髪の色が違うことに気づいた時、私は反射的に水たまりに映る自分を見た。そこには自分は映っていなかった。

 

 あぁこれでは語弊があるかもしれない。正確に言えば水たまりには人が映ってはいた。しかし、その顔は見慣れないハーフ顔であり、その姿は6歳ぐらいの幼い少女そのものであった。

 

 

 これは俗に言う“転生”なのだろう。

 

 

 そして私は一度死んでしまったのだと痛感した。私の知る転生ものの話では主人公は大抵一度は死んでいる。ならば私もきっとあの交通事故で……という考えに至るのは必然であり、突然の死は私の夢も後悔も全て持っていってしまったかのようで、とても虚しく、寂しいものだった。

 

 

 

 

 

 いくらか時間が経った頃、私は乱暴に涙を腕で拭い立ち上がった。

 

 そして辺りを少し歩き回ったのだが、おそらく今私がいるのはカレンデュラ通りなのだろうと考えた。“おそらく”というのは、看板が英語表記であり、読み方を間違えている可能性が存在するからだ。

 

 言語が自動で日本語に翻訳されるだとか、そもそも日本語が共通言語となっているだとか、そういった転生特典のようなものは期待していたが、どうやら現実はそう甘くないらしい。

 

 しかし、言語が英語だったのは私にとってまだ救いだった。私は小さい頃から“とある魔法使いの物語”が好きで、英語にそれなりに慣れ親しんでいたからだ。

 

 だが、困ったことはこれだけではない。

 

 言語に自信がない時点である程度察していたが……私には私自身以外の記憶、要はこのハーフ顔の女の子としての記憶がなかったのだ。

 

 つまりこの世界で生きるための“名前”も、“家”も、“家族”すらも分からない……元々あったのかどうかすらも知り得ない、そんな孤独な存在として私は生まれてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 そうこうして転生してから5年が経った。今では私はグラニングス社の工場の仕事や、新聞配達などで生計を立て暮らしている。

 

 話を大きく省略しすぎだと思うだろう。しかし思い返すとなると、自分の稼いだ金で初めて買ったパサついたパンの感動だとか、冬を越すために寒さを凌ぐ場所を探して這いずり回ったことの話だとか……まぁ私の変わり映えもしない苦労話ばかりで……私としてはあまりいい思い出がないんだ。

 

 とにかく、その間に“分かったこと”と“起きたこと”を要約しよう。

 

 まず、今私がいるのは1989年のイギリスのようだ。それと結局私の家族は見つからなかった。カレンデュラ通り付近の家を訪問してまわったが、どれもハズレだった。まぁ親が見つからないので自分の名前も分かるはずもなく、今ではカノア・カーディアンと勝手に名乗っている。

 

 それと余談なのだが、英語は完全に話せるようになっている。流石に日本の高校で学んだ知識と5年の慣れがあるうえ、必死の努力で学んだ結果だ。そして今私がこうして学校に行かず働いているのは年齢上、完全なる法律違反なのだが……それでも私の巧みな交渉術────世間一般に言う泣き落としと、大人達の悪知恵によって、なんとか働いている。

 

 

 そして一番の本題の“起きたこと”なのだが、この世界には超常現象がある────そう私は思っている。そう考える理由はある。

 

 

 一度だけなのだが、折り鶴が空を羽ばたいて飛んだのだ。

 

 

 不器用にも折られたしわだらけの一羽の鶴が、よれた羽根を懸命に動かして重力に逆らう様子には胸に迫るものがあり、私の目に焼きついて離れなかった。

 

 転生してからというもの、あまりにも現実的な世界に感覚が狂っていたが、ここは“転生”という一番の非現実的な現象が起きている世界だということを私は改めて自覚した。

 

 そして……だから………少し子供っぽいかもしれなくても私は……

 

 

 魔法の存在を願い続けた。

 

 

 

 

 

 1989年7月24日、私は夕方の新聞を配達し終え、貸してもらっている小さな木の小屋に帰ってきた。グラニングス社の方から貸してもらって以来、ここが私の我が家だった。雨風を凌げることの偉大さをつくづく思う。

 

 私は新聞配達で得た日給を貯金箱にしまい、そしてその貯金箱をリュックの底にしまった。

 

 このリュックには他にも雨傘や、英語の勉強のための本、衣類などをつっこんであり、そしてそれらが私の私物のほとんどであった。

 

 これほどに私物が少ないのはいつでも逃げる準備をするためだった。

 

 いくら悪知恵を働かせていても、私のような子供がこうして働いているのは法律違反であり、公にしてしまえばグラニングス社の信用の失墜になってしまう。私は働かせていただいている恩を仇で返すような真似をしたくなかった。

 

 だからいつでも消える準備をして生きてきた。

 

 私は靴を履いたまま布にくるまり横になる。前世の記憶があるとはいえ、身体は子供のままだ。働き疲れることに変わりはないため、私はいつも早めに眠るようにしていた。

 

 夕日が小屋の小さな木の窓から差し込んでくるのが見える。紅く染まった木と、ちらちら反射してくる光の輝きはいつ見ても美しく、数少ない癒しだった。

 

 しかし今日に限って、その光はすぐ暗闇に飲まれてしまった。眠気でぼやけた視界と思考は、夜になったのだと判断した。しかし『キィーキィ』と甲高い声に起こされ目を開く。

 

 すると目の前には、まるで私の顔を覗き込むように首を傾げた真っ黒なふくろうがいた。『う゛っ?!』驚いた私は後ろに飛び退き棚に頭をぶつけた。私は痛みと軽い立ちくらみで少しの間その場から動くことができなかった。

 

 そして立ちくらみが治り、視界を覆っていた暗闇が消えたのを確認した私はもう一度ふくろうがいた所に目をやると、そこにはふくろうの代わりに一通の“手紙”が置かれていた。

 

 遠目で見た限り、それは手紙にしては分厚く、黄色味がかった羊皮紙の封筒に入っていた。

 

 私はリュックを手繰り寄せ、いつでも逃げられる体勢をとる。私は戸籍上存在しない人であり、そんな私に手紙を送る人となると限られてくるが、今までこんな封筒で送ってくる人はいなかったからだ。

 

 私は恐る恐る手紙を拾い上げ、エメラルド色のインクで書かれた宛名を見た。

 

 

 サレー州 テンポラル・ウッド

 

 カレンデュラ通り101番地 本棚前の床

 

 カノア・カーディアン様

 

 

 その宛名を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。その書き方に微かながら既視感を覚えたからだ。

 

 私は震えながらも力強く持つ手で、封筒を裏返した。

 

 

 そこにあったのは紋章入りの紫色の蝋。

 

 真ん中には大きく“H”と書かれ、その周りをライオン、鷲、穴熊、ヘビが互いを見つめるように配置されていた。

 

 映画で何度も見た、ホグワーツ魔法魔術学校の紋章だった。

 

 

 映画で見たものと同じ紋章を見て思わず口元が緩む。私は急いでリュックを開いて小さなナイフを取り出し、慎重に封筒を開けた。

 

 

 親愛なるカノア殿

 

 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書ならびに必要な教材のリストを同封いたします。

 新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。

 敬具

 

 副校長ミネルバ・マクゴナガル

 

 

 私は手紙を読み、手紙が濡れないよう端によけて置き、その場にうずくまった。

 

 そして独りで泣き続けた。

 

 ひとしきり泣いて涙が枯れた頃、外はすっかり夜となってしまい、小窓に差し込む光はすでに消えていた。

 

 私は手探りで紙マッチを探し出すと、短くなった蝋燭に火を灯し、手紙をもう一度読み返した。何度読んでも、書かれている内容は変わらないのにだ。

 

 私は手紙を裏返した。何かの間違いで、別の誰かに宛てたものが紛れ込んだのではないかと思ったのだ。しかし、封筒には間違いなく私の名前が書かれている。

 

 

 カノア・カーディアン。

 

 

 親が決めた名ではないが、確かにそれは私の名であった。

 

 グラニングス社を知り、空を飛ぶ折り鶴を見てからというもの、ここがハリーポッターの世界であると淡い期待をしていた。だが、手紙が私の元に来るとは思いもよらなかった。

 

 だが泣きつかれたのだろう。私は声をあげて喜ぶ気力もなかった。

 

 だから私は手紙を丁寧に折り直し、折れないよう本に挟んでリュックに入れ、いつものように靴を履いたまま布を体に被せて眠りについた。

 

 

 明日もきっといつものように働かなければならない。だけど、そのついでに羽ペンと羊皮紙を借りてしまおう。

 

 

 その手紙は私にとっての“幸福の魔法”だった。

 

 

 

 

 

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