返却期限は守りましょう   作:平成塵芥

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第6話 ウケるの意味

「ねえ、あたしのウケるって、バカにしてるように聞こえる?」

早川がそう聞いたのは、土曜日の午後、駅前のカナリアの六人掛けのボックス席でのことだった。

なぜ俺がその場にいるのか、説明するには少し時間を遡る必要がある。

土曜の午前中、俺はポラリスのシフトに入っていた。

土曜の午前のポラリスは、家族連れが多い。

父親が子供の手を引いて入ってきて、子供はまっすぐアニメの棚に走っていく。

父親は新作の洋画の棚に向かう。

母親は来ない。

たぶん家で掃除をしている。

それが土曜の午前の基本的な構図だ。

その日も、小学校の三、四年くらいの男の子が、アニメの棚の前で背伸びをしていた。

ロボットアニメの棚の、一番上の段に手を伸ばしている。

「何探してる?」

店員として声をかけた。

男の子は振り返って、俺の胸元の名札を見た。

「ガンダムシードデスティニーの、最新の」

最新の、と来た。

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は、去年の秋から放送が始まって、今もまだ放送中の作品だ。

レンタルのDVDは、放送に数か月遅れて一巻ずつ出ている。

この店では宇宙世紀の棚ではなく、アナザーの段のさらに隣、俺が「現行」と勝手に呼んでいる一角に置いてある。

「一番新しいのは、今、貸し出し中だな。返ってくるのは月曜」

「えー」

男の子は、露骨にがっかりした顔をした。

「じゃあ、その前のは?」

「その前のはある。ほら、これ」

俺は棚から一枚抜いて、男の子に渡した。

男の子は嬉しそうにそれを抱えた。

俺は、SEEDには言いたいことがある。

山ほどある。

宇宙世紀の人間からすると、あれはガンダムの名前を借りた別の何かだと思う部分もある。

キャラクターの関係性ばかりで、モビルスーツが兵器として描かれていないとか、総集編が多すぎるとか、前作の主人公が出しゃばりすぎるとか。

2ちゃんねるのSEEDのスレッドは、毎週放送のたびに燃え上がっている。

だが、目の前の男の子が、それを抱えて嬉しそうにしている。

この子にとっては、これが最初のガンダムなのだ。

俺にとってファーストが、いや正確には再放送で見たΖが最初のガンダムだったように。

最初のガンダムに文句をつけられる筋合いは、誰にもない。

「楽しいか、それ」

「うん! フリーダムがかっこいい」

「そうか」

俺は、それ以上何も言わなかった。

言いたいことは全部飲み込んだ。

男の子は父親のところへ走っていって、ディスクを見せた。

父親は「またガンダムか」と言って笑っていた。

レジに戻ると、野沢店長が丸椅子に座って、モニターで古いフランス映画を流していた。

「森下くん、今、我慢したでしょ」

「何をですか」

「SEEDの悪口。顔に出てた」

店長は、モニターから目を離さずに言った。

俺は何も答えなかった。

「我慢できるのは偉いよ。僕は無理だった。君くらいの歳の頃、友達がスター・ウォーズの新しいのを褒めてたら、三十分説教した」

「……新しいのって、エピソード一ですか」

「いや、六の頃。八三年。ジェダイの復讐。イウォークが許せなくてね」

店長は、遠い目をした。

俺は店長が何歳なのか、正確には知らない。

「最初に好きになったものは、みんな特別なんだよ。後から来た人間は、それを笑っちゃいけない。でも、まあ、自分の最初も笑われたくないよね」

店長はそう言って、フランス映画に意識を戻した。

俺は返却されたディスクの検品を始めた。

昼過ぎに上がって、駅前の本屋でパソコン雑誌を立ち読みしていたら、新井から電話がかかってきた。

テニス部の練習が早く終わったから飯でも食わないか、という電話だった。

新井から電話が来ることは珍しい。

珍しいので断る理由を考えているうちに、新井はもう駅前に着いていた。

「カナリアでいいだろ。ドリンクバーあるし」

そう言われて、俺は少しだけ躊躇した。

カナリアには早川がいるかもしれない。

だが、土曜の昼に早川がシフトに入っているかどうかは知らなかった。

知らないことを理由に断るのも変な話だと思って、結局ついていった。

早川は、いた。

ただし、店員としてではなかった。

ボックス席に、私服で座っていた。

白っぽいパーカーに、デニムのミニスカート、足元は厚底のサンダル。

学校で見るより化粧が少しだけ濃く、髪は下ろしていた。

向かいには三上と佐藤が座っていて、テーブルの上にはプリクラの台紙と、雑誌と、ポテトの皿と、ドリンクバーのグラスが四つ並んでいた。

グラスのうち三つは、例の薄い黄緑色だった。

「あ、オタクくん」

早川が、店内に響く声で言った。

新井が、俺の顔を見た。

「オタクくん?」

「……顔がオタクっぽいからだそうだ」

「ああ。なるほど」

新井は、それだけで納得した。

納得されたことに、俺は若干傷ついた。

「新井くんじゃん。テニス部の」と佐藤が言った。

「森下と仲いいんだ」

「中学から一緒」

「へえ。座る? 空いてるよ」

断る間もなく、新井は佐藤の隣に座った。

新井は女子に対して物怖じしない。

物怖じしないというより、女子だろうが男子だろうが、相手によって態度を変えない。

部活の先輩にも後輩にも、同じ眠そうな顔で接する。

残った席は、早川の隣だけだった。

俺は立ったまま、どうしようか考えた。

考えている間に、早川が自分の鞄をどけて、ソファの空いた部分を手で叩いた。

「座れば?」

「……」

座った。

座らない理由を説明するほうが面倒だった。

宮内さんが注文を取りに来て、俺と新井の顔を見て、それからテーブルの上の黄緑色のグラスを見た。

何か言いたそうだったが、言わなかった。

新井はハンバーグセットを頼み、俺はドリンクバーとフライドポテトを頼んだ。

 

そして、早川が冒頭の質問をした。

ポテトを一本つまみながら、何でもないことのように。

だが、俺にはそれが何でもないことではないとわかっていた。

早川がこの質問をするために今日この面子を集めたのかどうかは知らないが、少なくとも、ずっと聞きたかったことなのだろうと思った。

三上が、ストローを咥えたまま首をかしげた。

「舞のウケる?」

「うん。あたし、ウケるってよく言うじゃん」

「よくっていうか、一日百回くらい言ってる」

「百回は言ってない」

「言ってるって。今日もう二十回は聞いた」

「数えてたの?」

「数えてないけど、そんくらい」

佐藤が、ポテトにケチャップをつけながら言った。

「バカにしてるように聞こえるか、って話だよね」

「うん」

「聞こえるときもある」

佐藤は、あっさりと言った。

早川が佐藤の顔を見た。

「マジで?」

「マジで。舞のウケるって、意味が多すぎるんだよ。面白いのウケるもあるし、すごいのウケるもあるし、呆れてるウケるもあるし、ありえないのウケるもあるじゃん。うちらは舞の顔見てればどれかわかるけど、知らない人は顔の区別つかないと思う」

「顔の区別?」

「褒めてるときと呆れてるときの顔、そんなに違わないもん。舞、どっちも笑ってるから」

早川は黙った。

佐藤の言い方には容赦がなかったが、責める響きはなかった。

看護系の学校に行きたいと言っている、と前に早川から聞いた。

人の顔色をよく見ている人間なのだと思った。

三上が、巻いた髪を指に絡めながら言った。

「てか、アタシは舞にウケるって言われて、ムカついたことあるよ」

「え、いつ?」

「彼氏の写メ見せたとき。『サル? ウケる』って言われた」

「あれは、だって、サルじゃん」

「サルじゃないし!」

「サルっぽいじゃん。かわいいサル」

「かわいいって言ってないし、あのとき。サルってだけ言って笑ってたし」

早川は、少しだけ眉を下げた。

「……それは、ごめん」

「別にいいけど。もう別れたし」

「別れたの?」

「先週。言ってなかったっけ」

「聞いてない!」

「言ったって」

「言ってないって!」

話がそれ始めた。

三上と早川が、別れたのがいつだったかで言い合いを始めた。

佐藤は慣れた様子でポテトを食べ続けていた。

新井のハンバーグセットが来て、新井は黙々と食べ始めた。

俺は、自分の前に置かれたウーロン茶を見ていた。

なんでここにいるんだろう、と思った。

女子三人の会話の中に、男子が二人。

しかも片方は自分だ。

ここで俺が何か言う必要はない。

言わなくても、話は勝手に進む。

だが、早川がこの質問をしたのは、たぶん俺がいたからだ。

北村のことを、早川はまだ二人には話していない。

話していないが、俺が知っていることを知っている。

だから、俺の前で聞いた。

三上と早川の言い合いが一段落したところで、早川がこちらを向いた。

「オタクくんは?」

「……何が」

「あたしのウケる。バカにしてるように聞こえる?」

三人の視線が、俺に集まった。

新井だけは、ハンバーグを見ていた。

俺は、少し考えた。

考えたが、嘘をつく理由が見つからなかった。

「最初は、聞こえた」

早川の顔が、少しだけ固まった。

「ポラリスで初めて会ったとき。ガンダムの台詞を聞かれて、ウケるって言われて、馬鹿にされてると思った」

「……そうなんだ」

「でも、すぐに違うってわかった。顔を見てたから」

佐藤が、あ、という顔をした。

さっき自分が言ったことと同じだと気づいたのだろう。

「顔を見てればわかる。でも、見てなかったら、たぶんわからない。声だけとか、ちらっと聞こえただけとか、そういうときは、わからないと思う。特に、言われた側が、何かを隠してたり、気にしてたりすると」

言いながら、俺は自分の話をしているのか、北村の話をしているのか、わからなくなっていた。

たぶん両方だった。

早川は、俺の顔をじっと見ていた。

「オタクくん、何か隠してたっけ?」

「隠してる。今も」

「何を?」

「言ったら隠してることにならないだろ」

三上が吹き出した。

「何それ。森下ウケる」

言ってから、三上はあっと口を押さえた。

「今の、褒めてるウケるだから」

「わかってる」

「顔見た?」

「見た」

「ならいいけど」

三上は、少しだけ照れたように髪をいじった。

佐藤が笑った。

早川も笑った。

いつもの、教室の端まで届く笑い方だった。

店内の何人かがこちらを見た。

宮内さんがカウンターの向こうで、眉を寄せていた。

 

新井がハンバーグを食べ終えて、ドリンクバーに立った。

俺もついていった。

ドリンクバーの前で、新井はコーラを注ぎながら、俺のほうを見ずに言った。

「お前、早川と何やってんの」

「何も」

「何もってことないだろ。オタクくんとか呼ばれてるし」

「顔がオタクっぽいからだ」

「それは知ってる」

新井は、コーラを一口飲んだ。

「俺は別に何も聞かないけどさ。お前、楽しそうだぞ」

「……楽しくない」

「楽しそうだって。中学のときより喋ってる」

俺は、ウーロン茶のボタンを押す手を止めた。

新井は、それ以上何も言わなかった。

コーラを持って、席に戻っていった。

俺はウーロン茶を注いで、しばらくドリンクバーの前に立っていた。

メロンソーダのボタンと、カルピスのボタンが並んでいた。

押さなかった。

席に戻ると、早川が携帯を開いて、何かを打っていた。

親指が、すごい速さでボタンを押していた。

メールではないようだった。

画面をちらりと見ると、文字が箇条書きのように並んでいた。

「何打ってんの」と三上が聞いた。

「ネタ帳」

「またそれ?」

「だって今の、面白かったじゃん。オタクくんの、隠してるのに隠してるって言うやつ」

「あー、あれね」

三上と佐藤は、それで納得したようだった。

どうやら早川がネタ帳をつけているのは、二人には周知の事実らしい。

俺には何のネタ帳なのかわからなかった。

聞こうとして、やめた。

聞けば早川は答えるだろう。

答えたら、たぶん話が長くなる。

今日はもう、十分に長かった。

早川は携帯を閉じて、ストラップの束をじゃらじゃら鳴らしながら言った。

「でさ、ウケるって言わないようにしようかなって思ったんだけど」

「無理でしょ」と三上が即答した。

「無理かな」

「無理だよ。舞からウケる取ったら、何も残んないじゃん」

「残るし!」

「何が残んの?」

「……マジでとか」

「マジでとウケるで会話の九割できてるじゃん」

佐藤が、くすくす笑いながら言った。

「言わなくなる必要はないと思うよ。ただ、知らない人に言うときは、ちょっと足せばいいんじゃない?」

「足す?」

「上手すぎてウケる、とか。かわいすぎてウケる、とか。何がウケるのか言えば、伝わるでしょ」

早川は、ぱっと顔を上げた。

「それ! ユッコ天才じゃない?」

「天才じゃないけど」

「天才だって。上手すぎてウケる。ね、オタクくん、これなら伝わる?」

早川は、俺の顔を見て言った。

上手すぎてウケる。

三月の美術室で、早川が北村にかけた言葉は、「え、ウケる、上手すぎじゃない?」だったはずだ。

上手すぎという言葉は、入っていた。

入っていたが、ウケるのほうが先に来ていた。

先に来た言葉で、北村はスケッチブックを閉じた。

後の言葉まで、聞いていなかったのかもしれない。

「……順番が大事だと思う」

「順番?」

「上手すぎ、を先に言う。ウケる、は後。先に聞こえたほうで、だいたい決まるから」

早川は、俺の言ったことを口の中で繰り返した。

上手すぎ、ウケる。

上手すぎ、ウケる。

それから、うん、と頷いた。

「わかった。順番ね」

そう言って、また携帯を開いて、何かを打ち込んだ。

今度はネタ帳ではなく、たぶんメモだった。

三上が、俺と早川の顔を交互に見ていた。

「なんかさ、舞と森下って、仲いいの?」

「仲いいっていうか」と早川が言った。

「オタクくんは、探偵」

「探偵?」

「そう。あたしの掲示板のやつ、調べてもらってんの」

三上と佐藤が、同時に俺を見た。

早川は、別に隠すつもりはないらしかった。

俺は、隠すつもりだった。

少なくとも、俺がネットに詳しいことは。

「森下、そんなことできんの?」と三上が言った。

「……少し」

「すごいじゃん。じゃあアタシの元カレが掲示板に何か書いてないか調べてよ」

「やらない」

「なんで?」

「探偵じゃないから」

「舞は探偵って言ってたじゃん」

「早川が勝手に言ってるだけだ」

早川が、ポテトを一本口に入れながら笑った。

「オタクくん、照れてる」

「照れてない」

「照れてるって。顔赤いもん」

「赤くない」

そのやり取りを、新井が黙って見ていた。

眠そうな顔のまま、ほんの少しだけ口の端が上がっていた。

 

夕方になって、解散した。

早川たちは駅のほうへ、プリクラを撮り直しに行くと言って歩いていった。

新井は家が反対方向だったので、店の前で別れた。

別れ際に、新井は「楽しそうだぞ」ともう一度だけ言った。

俺は返事をしなかった。

自転車を押して駅前のロータリーを歩きながら、俺は北村のことを考えていた。

順番が大事だ、と早川に言った。

先に聞こえたほうで決まる、と。

なら、掲示板で北村に向けて何かを言うときも、順番が大事なのではないか。

責める言葉を先に置けば、北村は責められたと受け取る。

謝る言葉を先に置けば、謝られたと受け取る。

だが、掲示板で謝るというのは、名指しで謝るということになる。

名指しすれば、北村が書いたことがみんなにばれる。

名指しせずに、北村にだけ伝わる言葉。

北村が自分から名乗りたくなる順番。

俺は自転車を止めて、携帯を開いた。

早川にメールを打った。

「掲示板に、お前の名前で書き込んでほしいことがある。嘘じゃないやつ」

送信して、また自転車を押した。

返事はすぐに来た。

「いいよ 何書くの?」

何を書くのかは、まだ決まっていなかった。

決まっていなかったが、順番だけは決まっていた。

最初に置く言葉は、ごめん、だ。

空を見上げた。

夕方の空に、白い月がうっすらと出ていた。

昼の月は、夜の月より頼りなく見えた。

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