麻帆良在住、葛木メディアでございますっ! 作:冬霞@ハーメルン
一話とか少し設定直しするかもしれませんが、その時は簡単に説明させていただきます。
暑くなったり涼しくなったりと空は忙しく働いていたが、その日の葛木キャスターは、朝から非常に機嫌がよかった。
先日の土曜は不意の休日出勤に妨害されたが、流石に顧問の仕事も持っていない宗一郎は日曜日まで働くことはない。おかげさまで久々に一日夫婦の時間を、夜遅くまで過ごすことが出来たのである。
サーヴァントであるキャスターは寝不足に悩まされることもない。流石に疲労は感じるが、何とか宗一郎よりも先に起きて食事と仕事の支度をし、妻の務めを果たすことが出来た。世間一般の奥様方なら面倒に感じるかもしれぬそれも、キャスターにとってはこの上ない幸せなのだ。
自分が甘えると男は逃げていく。これは彼女にとって非常に重大なトラウマであり、それを考えると一歩下がって夫の影踏まずな昔ながらの大和撫子な家内の姿は、実に彼女の希望に沿っていた。
今日は宗一郎が出るときに火打ち石を鳴らしてみた。この前見た時代劇で妻がサムライの夫にやっていたので。すごいしっくりきたし、宗一郎も少し嬉しそうだったように思える。もしかしてコルキスで王女やる前は日本人だったんじゃないだろうか。完全に石器時代だが。
「‥‥あら、電話? こんな時間に誰かしらねぇ」
そんなこんなで朝食の片付けをして、登校を始める寮生たちの見送りでもしようかというときだった。
現代人にとってもキャスターにとっても時代外れな黒電話が突然けたたましく鳴り響いた。どうにも無闇矢鱈に音量が大きいの気にくわないが、基本的に仕事用だと考えれば仕方がない。
が、もちろん今までこの電話が鳴ったことなどない。宅配便は決まった時間にやってくるし、門限だってないのだから。
「――はい、麻帆良女子中等部学生寮管理人室です」
『おぉ朝早くにすまんのぉキャスター殿。ワシじゃよ』
やけに重い受話器をとって返事をすると、耳に飛び込んできたのは暫くぶりの学園長の声だった。
好々爺然としたその声は落ち着いていて聞き取りやすい。キャスターとしても、この老人には特に含むこともなく、はて何のようかしらと首を傾げた。
寮母としての仕事はほぼ全て引き継ぎ、今も比較的順調だ。何か特別な事情でも出来たのだろうかと。
『この回線は電子精霊によって保護しておるから、単刀直入に用件を伝えるとしようかの。君が召喚されてから半月ほど経ったわけじゃが‥‥どうかね、調査の方は進んでおるかね?』
「‥‥調査?」
『寝ぼけておるのか、君ほどの者が。ほれ、君がここに召喚された原因の調査じゃよ。必要なことがあれば用意するとは言ったものの、連絡がなかったからの。難儀しておるんじゃないかと思ってのう』
やべぇ。
キャスターは一瞬で、冷や汗を流し、真っ青になった。
白状しよう、完全に忘れていた。慣れない寮母の仕事と、宗一郎との新たな生活に浮かれていて完全に失念していた。
そういえば、思い出せば、そういう話だったっけ。自分にとっては切羽詰まった話題ではなかったとはいえ、麻帆良からすれば正体不明の侵入者なわけだし、こういうところしっかりやって信頼関係を構築しておかなければ色々とマズイはず。
ていうか社会人として決められた仕事はしっかりやるの必須スキルでは? そりゃ寮母の仕事も大変だけれど、そもそも一般社会と共存して仕事と魔術を両立させるのは現代魔術師にとっては常識。
神代の魔女、声色はそのままに盛大に焦った。
「え、えぇ勿論覚えているわ。まだ公に動き回るわけにもいかないから、準備の準備という程度ですけれどね」
『そうか。その準備の件も含めてじゃが、お主が麻帆良で魔術の行使をするために少し話を聞きたいと思ってのう。もしよければ、これから学園長室までご足労願えんかのう?』
「学園長室‥‥。えぇ、道は大丈夫だけれど。具体的に何時ぐらいかしら?」
『適当で構わんよ。今から出てもらって、まぁ寄り道せずにのんびりと来て貰えれば構わんわい。手間をかけさせて悪いが‥‥頼むぞい』
がちゃり、と少し耳障りな音を立てて電話が切れる。
キャスターは重い重い溜息をついた。はしゃぎすぎていた自分を反省し、全速力で頭を回転させなければ。
大丈夫、確かに直接的な行動こそ起こしてはいないが頭はしっかりと動かしていた。特にこの街で魔術を振るうために必要な準備については、自身の命にも関わる問題であるからしっかりと。
あの狸爺に説明するぐらいなら、まぁ何とかなるだろう。そう独りごちたキャスターは手早く荷物をまとめ、管理人室を後にした。
「そういえば登校の時間に生徒達と一緒に学校に行くのは初めてね。前に見た時はホテルの窓からだったし、さてどんな感じかしら‥‥」
女子寮を出て暫く歩き、女子中等部までは路面電車に乗っていかなければいけない。
既に車内は満員御礼。キャスターは知るはずもないことだが、この過密具合は都心の地下鉄にも匹敵する。さもありなん、そもそも本数が少ない上に車両も小さく、もはや鮨詰めといっても過言ではない。
勿論そんな路面電車を、人混みに慣れないキャスターが躊躇いもなく利用できる筈もなく。どうやって乗り込んだらいいものかと呆然としているうちに虚しく行ってしまった。次の電車はそれなりに後。どうやら、これは麻帆良名物の遅刻ラッシュに巻き込まれてしまったようだ。
「‥‥どうしましょう」
転移を使うか? いや、あれは潤沢な魔力を得ていた冬木だからこそ利用な高等魔術。この身に貯蔵している魔力だけでは不安だし、そもそも転移の魔術なんて公の場所で使えるわけがない。学園長室の前で誰に見られるか分かったものじゃないだろう。
どうする、少し遅くになってから行くか? 別に時間を指定されているわけでもないし、一度戻って一時間目が始まってから行っても構わないだろう。ただ、こうして駅まで来てしまったのに戻るのは手間だし待たせるのもどうなのだろう。たかが人間の魔術師とはいえ、侮られるのも気に入らない。
あと後ろから次々に生徒の波が押し寄せてきて無事に戻れるかも定かではない。本当に、少しは宗一郎様を見習って早めに寮を出なさいよこの子達は。
「あれ、キャスターさん?」
「‥‥ミソラ?」
これはいっそ、全員傀儡にして道を空けさせるべきかと思ったとき、後ろから声をかけられてキャスターは振り返った。
教会の掃除などの手伝いで、女子寮でも比較的早起きの部類の生徒である春日美空。ベリーショートがトレードマークで、今日も陸上部らしい動きやすい靴を履いた制服姿だ。
「どうしたんですかキャスターさん。珍しいじゃないですか、登校時間に外にいるなんて」
「ちょっと寮母の仕事で、学園長に会わなければいけなくなったのよ。それで初めてこの時間に出てみたんだけれど‥‥ちょっとこれは、辿り着けそうにもないわね。貴女もこんな時間の登校は珍しいんじゃなくて? 遅刻ギリギリだなんて、らしくないわね」
「今日は教会の手伝いも朝練もなかったんで‥‥ちょっと寝坊しちゃったんスよ。なんとか普通に登校できるかなぁって思ったけど、ペナルティも目の前だし、無理するしかないッスねぇ」
ああ成る程と、美空が合点がいったように頷いた。
彼女とて生まれた頃から麻帆良にいるわけではない。初等部などは比較的穏やかな登校で、中等部に入学して初めて登校した日は流石の元気な彼女も面食らったものである。
結局登校に慣れるよりも、教会の仕事と部活の朝練でラッシュを外すようにしてしまう方が先だった。
「無理っていうのはどういう意味かしら?」
「無理というか無茶というかズルというか‥‥。あ、そうだキャスターさんなら大丈夫かな。実は“秘密のやり方”で登校する時に使ってるルートがあるんスよ。まず間違いなく誰にも見つからないルートなんですけど‥‥時間に余裕ないなら、一緒に行きますか?」
「‥‥秘密のやり方って、どう考えても秘密というよりは如何わしい方法ね。まぁ、いいでしょう。せっかくだし後学のためにも御一緒しようかしら」
「だいじょーぶッスよ! 今まで一度も見つかったことないから! こっち、こっちですよキャスターさん!」
「ちょっとミソラ、引っ張らないの!」
美空に引っ張られ、人混みを斜めにかすめるようにして駅の横を通り過ぎる。
登校の時は誰も通らないような道を入っていって、路地裏へ。こうして見ると麻帆良の街並みというのはスペインやイタリアの、ヨーロッパの古き良き建築のレプリカだった。
朝の日差しは夕日に比べると鮮やかで、ビルなどが少ない麻帆良を吹き抜ける風は涼しく、実に清々しい。階段を上って小さな広場に着くと、中央の通りからあちらこちらへと軍勢が侵攻していくような、登校する生徒達の群れがよく見える。
「ここから‥‥わかりますか? この少し高い建物のラインをなぞるように行けば誰にも見つからずに女子中等部まで最短距離で行けるんスよ」
「最短距離って‥‥貴女、空でも飛んでいくつもり? 見たところ箒も杖も持ってないけれど。まさか、この時代の魔術師は生身で空が飛べるの?」
「そんな無茶な。私はこれで‥‥
飛行の魔術は、キャスターの常識の中でも非常に難しいものだ。現代の、という前置きがつくが。
しかし怪訝な表情の彼女に見せつけるように、美空はニヤリと笑って一枚のカードを取り出した。まるでタロットカードのような、華美でクラシカルな装飾のされた一枚のカード。修道服姿の美空の絵が描かれていて、何やら文字も見える。
そしてそれを掲げて呪文を一声。たちまちカードは光り、いつの間にやら美空は先ほどまでとは違う、羽の生えたスニーカーを履いていた。
「‥‥何かしら、それは? 貴女の魔術礼装‥‥にしては、なんだか現代的ねぇ」
「あまり古めかしいのは流行りじゃないッスからねぇ。あと、魔術‥‥れーそー? っていうのとは違います。これはアーティファクトっていって、
「アーティファクトという言葉はともかく、
「‥‥超名門ってことッスか。やっぱり只者じゃないんだなぁ」
宗一郎と念のため打ち合わせをしておいた出自を名乗るキャスター。決して真実ではないが、嘘でもない。事実コルキスという国は現在のグルジアのあたりに存在していたし、彼女が月の女神ヘカテを祀る神官であったのも事実である。現代の魔術‥‥というより、この麻帆良で一般的に知られている“魔法”に関する知識に欠けているのも事実だ。
ただ今のところ彼女が会ったことのある魔法関係者は五人程度。マスターである愛衣、その先輩の高音、学園長と高畑教諭、そして美空だけだ。この麻帆良にどれぐらいの魔法関係者がいるのか分からないが、今後この言い訳がどの程度通じることだろうか。
ひとまず、学園長を見る限りは魔術の腕で自分に匹敵するものはいないはずだとキャスターは見ている。そもそもサーヴァントと人間とでは存在の格からして違う。しかし知識に関しては、特にこの世界の“魔法”なるものに関する知識なら話は違う。
このあたりも学園長と、不本意ながらしっかりと打ち合わせをしておく必要がありそうだ。あまりボロは出したくない。
「で、その靴で空を飛べるのかしら?」
「まさか。これで飛び跳ねていくんスよ。キャスターさんは?」
「‥‥私は飛んでいくわ。悪いけど、エスコートをお願いね」
今度はキャスターがなにもない虚空から普段纏っているマントを取り出し、風に靡かせるようにして翼を形作る。もちろん羽ばたくわけではない。魔力の力場を作って重力に反抗する。原理自体は非常に分かりやすいが、次元の違う魔術だ。
とはいっても見習いの美空にそこまで違いがわかるはずもなく。どちらかというと、初めて見るキャスターの魔術師としての姿形に若干ヒいた。御伽噺に出てくるような、典型的な魔女のような姿をしている知り合いがいないからである。
「世の中面白い魔法もあるもんスねぇ。‥‥じゃ、行きますよ! 私意外と速いんで、ちゃんと着いてきて下さいね」
「貴女の方こそ、追い抜かされないように気をつけなさいな」
挑戦的な笑顔で、美空は弾かれたように、キャスターは滑らかに飛び出した。
パルクールのプレーヤーのように回転やアクロバットを混ぜながら楽しそうに跳躍していく美空に対して、キャスターは建物をわざと掠めるようにして自分の技量を見せつける。こういう遊びは初めてだが、中々楽しいものであった。
魔術師にとって魔術は目的であって手段ではない。学問であり芸術であり伝統である魔術を手段に貶めることを、神秘の継承者たる現代の魔術師は許さない。しかし神代の魔術師であるキャスターにとって多くの魔術は魔法に貶められる前のもの。そしてそれは自分にとって非常に身近なものであり、経験がないだけで、こういう使い方に抵抗はない。
己の魔道のためにのみ魔術を用いることを由とする魔術師に対して、魔女はいつでも他人に請われて魔術を用いるものだ。
「いい感じッスねキャスターさん! じゃあ少しギアを上げ――」
「――いいえ、そこまでよ美空」
美空もキャスターと一緒に朝の空気を引き裂いて翔ぶのは楽しかった。さらに遊びに没頭しようと笑顔を深めて‥‥。
「げっ、シスター・シャークティ‥‥?!」
目にも止まらぬ早さで飛んできた十字架に足を取られ、見事にすっ転んだ。
タイミングを見計らって投げられたのだろう。墜落死こそ避けられたが、顔面を真っ赤にして、次の瞬間真っ青にして十字架が飛んできた方を見る。
果たしてそこにいたのは、般若のような顔をした修道服の女性。褐色の肌に銀の髪。修道服の丈は短いものの卑猥なイメージは一切なく、それは怒気のせいだろうか、厳粛な修道女の雰囲気だ。
話には聞いている。教会で美空の面倒を見ているシスター。が、美空は上司という微妙な言い方をしていたのが気にかかっていた。なるほど、魔術師だったのなら話は分かる。この学園は魔術師を組織だって管理しているようだから。
「以前から貴女の性格に反して遅刻が少ないことが気になっていましたが‥‥漸く尻尾を掴みましたよ。無闇矢鱈と魔法を使って、しかも自分の私利私欲のためとは‥‥情けなくて涙が出ます。信心が足りない証拠です、嘆かわしい。いつも何を教わっていたのですか貴女は」
「だ、だってシスター・シャークティ、こうでもしないと絶対に遅刻を」
「お黙りなさい! いいですか、他の生徒達‥‥ウルスラの子などはしっかりと通えているのですよ! それを何ですか貴女は、これから後輩も増えていくというのに、先般の貴女がそんな調子では示しがつきませんっ!」
起き上がるや否や逃げ腰になる美空。そしてそれを許さぬシスター・シャークティの威圧感。普段どういう風に教会で過ごしているか、ありありと分かってしまう。
この様子を見る限り、どちらかというと可哀想なのは美空よりもシスター・シャークティだろう。相当に振り回されているようで、やっと尻尾を掴んだ嬉しさと怒りとがないまぜになり、怒りながら笑うという高等技術で美空を追い詰めていた。
「今日は授業があるから、これ以上お説教はできませんが、放課後は部活を休んで――あら、貴女は?」
「‥‥いきなりやって来て随分な言われようね」
「キャスターさん、ゴメンなさい誰にも見つからないはずだったんスけど」
「貴女はもう少し反省の様子を見せなさい! ‥‥しかし、
「その通りよ
一先ずローブを仕舞い、まるで若奥様といった風情の服に戻ったキャスターが微かに頭を下げて礼をする。不躾を承知で上から下までじっくりと眺め、シスター・シャークティは渋い顔を作った。
美空一人ならお仕置きでもしてから、首根っこ引っ掴んで教室に放り込んだのだが‥‥。初対面の、保護者に近い存在がいるとなると話が変わる。というか、誰だこの美女。
「はぁ、貴女は魔法使いですね? 私の教育が行き届いていなかった責任もありますけど‥‥苦言を弄させて頂くなら、先達として私利私欲に魔法を使うのを嗜めて頂きたかったところです」
「そんなことをする義理は私にはないわね。一応弁解しておくと、田舎から越してきたばっかりで勝手が掴めなかった。それについては形だけでも謝罪はしておきましょう」
「形だけって、面と向かって言われると困るんですが」
「私は貴女に従う謂れなんて、ありませんからね。‥‥先に行っても良いかしら?」
「‥‥随分と失礼な方ですね。魔法を使う者にはルールがあります。それに触れている以上、このことは学園長に報告させていただきますよ」
「あらあらまぁまぁ、物分かりの悪い人間ね。私はアレの部下でも何でもない。利害が一致するから言うことを聞いてあげることはあっても、何か処罰を受けたりすることはないわ。だいたい貴女達程度が私をどうこうしようだなんて‥‥分を弁えなさいな」
最後に凄まじい威圧感を放って、キャスターは優雅に階段を降りて屋上から去っていった。
あまりの気中りに美空は腰を抜かしている。普段は優しい寮母のお姉さん、奥様は魔女を地でいく新婚さんだと思っていたのに、シスター・シャークティの倍は恐ろしかった。ちょっと機嫌を悪くしただけでアレなら、もし怒らせたら魂が抜けてしまうんじゃないだろうか。
一方でシスター・シャークティも背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。彼女も聖職者ながら、それなりに荒事の経験はある。しかしあれほどまでの危機を感じたのは初めてのことだ。一度かつての同級生をわりと本気で怒らせたことがあるが、それでもここまで冷や汗を流すことはなかったはずである。
美空から聞いた話では魔法関係者らしいぐらいしか分からなかったが‥‥。学園長からは詳しく話を聞かなければならないだろう。
自分は教会からあまり動かないし、あくまで魔法使いであって
昔から自分は悪には敏感だったのだから。
一方、美空は寮内では騒がないように皆に伝えようと決心していた。
◆
麻帆良は非常に大きな街で、西洋風に作られている。
その歴史は古いのか新しいのか、実に悩む。少なくとも西洋様式の街を設計したという点に於いては、日本では最も古い街の一つだろう。
しかし最先端のものを導入するからといって、古いものを全て捨て去るわけにはいかない。麻帆良はもともと世界樹を中心として鬱蒼とした森が広がっていたのだが‥‥古いものというのは、そういう意味ではない。例えば寺とか、神社とか、信仰の対象。これはしっかりと持ってこられていた。
だから西洋風の街の中にも、いくつか寺社仏閣は存在する。例えば有名なのは龍宮神社だろう。しかし今日の舞台はそこではない。
学園エリアに位置し、交通の便もいい麻帆良教会。ここは地下に魔法使い人間界日本支部が存在するが、教会自体は真っ当に一人の神父様と数人のシスターによって管理されている。
冠婚葬祭にも人気だが、学生が多い都合から葬式は少なく、結婚に際しては長い長い結婚講座を受けて勉強をしなければならないという特徴があった。全体的に通う信徒には日本人よりも外国人が多い。日曜日にもなると自然と集まってきた外国人によって、麻帆良でも特に異国臭の強い場所と化す。
「‥‥こんな時間に何をやっているの貴女は」
その教会の名物シスター。ミス麻帆良ランキング教職員部門でも十指に入る、シスター・シャークティは呆れたように溜息をついた。
彼女は聖ウルスラ女学院の教師も務めているが、聖職者でもある都合上、特殊な扱いで今日は午前様だった。掃除や掲示物の張り替えなど雑務をこなして、あとは授業が終わって戻って来た美空にたっぷりとお説教の続きをしなければと意気込んできたところだったのだが‥‥。
「まだお昼を過ぎたばかりじゃない。授業はどうしたのよ、“エヴァ”」
彼女の前には聖堂の椅子に腰かけて、まるで自宅の縁側で日向ぼっこをする老婆のように居眠りをしている少女がいた。
綺麗に整えた長い金髪がベールのように彼女の背中を覆い、おそらく特に意味もなく組まれた指からは、敬虔に祈っている途中に前の長椅子の背もたれに凭れかかって寝てしまったように見える。
もちろん見知った顔だ。そんなはずがないことは百も承知。
シスター・シャークティは肩を揺する必要もあるまいと、腰に手を当てて彼女に話しかけた。
「‥‥なんだシャクティか」
「わかっているくせに。魔力なくても気配には敏感でしょ貴女」
「今は殆ど普通の人間だが、な」
「で、学校は? サボり?」
「サボりはしていない。午前中はちゃんと受けていたんだから早退だ。‥‥今日は良い天気だからな。最近は屋上も控えられてるから、いっそ外にと」
「要はサボったわけね。あーあ、一緒に中学生やっていた頃のエヴァは成績以外は模範生徒だったのに、どうしてこんなになってしまったのかしらねぇ」
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。麻帆良学園女子中等部の二年生。学生証に記載されている年齢は14歳だが、その実600年を生きる真祖の吸血鬼にして悪の大魔法使いである。
実在する伝説の魔王、と言えばその強大さを誰もが理解できるだろう。御伽噺の中にだけ存在するべき者が、何の冗談か現代に生きている。これは悪夢と称しても過言ではなく、実際に事情を知る周囲の者はかなりのプレッシャーを受けていた。
彼女はある大英雄によって魔力を封じられ、この麻帆良に縛り付けられている。しかしその程度のことでは全く安心が出来ない魔法使いばかりだった。それも当然と言えば当然。実際に彼女は魔力など無くても指先一つで並大抵の魔法使いは殺すことができるのだから。
しかしシャークティは全く気負うことなく、エヴァンジェリンに話しかけていた。まるで竹馬の友であるかのように。まるで、ではない。実際に二人はそのような関係だった。
「もう15年だ、15年も中学生やってるんだぞ。そりゃ勉強なんてやりたくなくなるに決まってるだろうが」
「15年も中学生やってて進歩がない方がおかしいと思わないの?」
「う、うるさいな。人間にはな、向き不向きというものがあるんだ。それなら苦手を克服するよりも得意を伸ばす方が建設的なんだよ」
「貴女は人間じゃなくて吸血鬼だし、せめて補習を受けなくて済むぐらいには勉強した方が建設的だと思うわね、私は」
「お前こそ国語は最後まで赤点だったろうが!」
「高校では赤点取りませんでした! はい論破!」
「ちょっと難しい言い回し使って国語できるようになったみたいに威張るんじゃない! 高校行けない私への嫌味か?! 嫌味なんだな?!」
「もしかしたら赤点一つもとらなくなったら上がれるんじゃあないの? 登校地獄っていっても、登校しなきゃいけないのは中学校だけじゃないでしょ。案外簡単に高校上がれるかもしれないわよ」
「‥‥その発想はなかったな」
「しっかりしてちょうだいよ大魔法使い」
ある日のことでした。悪い魔法使いは良い魔法使いによって呪いをかけられて、中学校に通い続けることになってしまったのです。本当なら何年か経ったら、良い魔法使いは改心した悪い魔法使いを迎えに来てくれるはずでしたが‥‥。彼は、どこかで彼女が知らないうちに死んでしまいました。
そこでエヴァンジェリンがその良い魔法使いを健気に学校で待ち続けている、という話ならどれだけの美談だったことだろうか。彼女は待つというよりは自分から探しにいくタイプの少女であったので、当然そんなことにはならなかった。が、良い魔法使いのバカ魔力とインチキな術式でかけられた呪いは責任者であるはずの学園長ですら解くことができず、結局こうして腐っているしかなかったのである。
シャークティは彼女にとって、初めての同級生であった。以来15年間、ずっと親友として付き合っている。吸血鬼とシスターの組み合わせは非常に珍しいが、吸血鬼の自分をこそ自然に認めてくれるシャークティは、エヴァンジェリンにとって得難い存在であった。
エヴァンジェリンと特別に親しいと周囲から認識されている高畑・T・タカミチだって、「吸血鬼のくせに」なんて彼女に言えるわけがない。彼にも立場があるし、エヴァンジェリンも許さないだろう。
勿論シャークティはシャークティでシスターとしての立場はあるし、エヴァンジェリンはエヴァンジェリンでシャークティと親しくしている姿は見せないようにしている。だから今の時間は、二人にとっては実に気楽な息抜きなのだ。
「あー、しかし本当に、なんでまた私は中学を卒業できないんだろうなぁ。いい加減に表の顔も30歳超えてしまうぞ。流石に誤魔化すのも限界だ」
「就活時期の同窓会で一波乱、結婚ラッシュで一波乱、今度は子どもの学芸会ラッシュで一波乱かしらね。幻術が捗るわ」
「お前が神なんぞに貞操を捧げてくれて助かったよ。もうそろ独身も少なくなってきたしな」
「あのね、そういう意味で同志に括るんだったら私も色々と考え直さなければいけなくなるわよ。別に還俗だって悪いことじゃないんですからね」
「相手がいればな」
「‥‥屋上に行きましょうか。久し振りに、カチンと来たわよ」
暫し睨み合い、どちらからということもなく溜息をついて視線を逸らす。居心地は悪くない。悪いはずがない。シャークティも興奮した自分を戒めるように十字を切ってから、エヴァンジェリンの横に腰を下ろした。
ここが自室なら茶の一杯でも出すところだが、もちろん御御堂では飲食禁止。カメラも禁止。できれば私語も‥‥この二人の時間ばかりは堪忍して欲しいが。
エヴァンジェリンとて今よりもキリスト教の影響が色濃い時代と国に育ったから、そのあたりはシャークティよりも理解しているし自然と従う。彼女は今でこそ長すぎる苦難の人生の影響で神の存在など信じていないが、歴史や文化は骨の髄まで染み込んでいるものである。
「‥‥そういえばシャクティ、女子寮の管理人になった女を知っているか?」
「
「なんだ耳が早いな。そうだ、キャスターだ。あの胡散臭い幽霊だよ」
幽霊、という言葉にシャークティは眉を顰めた。霊体を見極める瞳を持つエヴァンジェリンは、自分よりも明確にあの魔女の正体を把握していたのかと。
そして『
逆にそちらの方が分かりやすいのか、本来ならば。『
「噂が出回る、という感じの存在ではなかったな。となると、会ったのか」
「えぇ、ちょうど今朝のことよ。美空が悪さをしていたから、とっちめようと思ったんだけど‥‥そこに居合わせていてね。トンデモないわね、あの人は」
「どうだ、見立ての程は」
「彼女は“悪い魔法使い”よ。貴女と同じね。悪性であるのは間違いないと思うけれど‥‥その性根までは、見通せるほど話していないから分からない」
「‥‥お前なら、まぁ、そう言うだろうな」
その清濁併せ持った高潔さを煙たがるように、あるいは憧れるように、エヴァンジェリンは呟いた。
この15年を共にして、得難い親友の考えていることは手に取るように分かる。きっと向こうもそう思っていることだろうし、それが何よりも心地よい。
先ほどもひとりごちていた通り、悪い魔法使いであり真祖の吸血鬼であり伝説の魔王であり大量殺人者であり、そういう自分の全てを引っくるめて付き合える友人は片手の指で数えるぐらいしかいなかった。だから彼女が今の立場にいるのも、自分を麻帆良の組織の中から助けてくれるためで。それを聞いた時は大喧嘩もしたが凄く嬉しかったのを思い出す。
だから今の話も、麻帆良の中と外と、そういう立ち位置にいる二人ならではのもの。
もし彼女が明確な悪ならば、エヴァンジェリンが対処する。そうでないならシャークティが。少し距離を開けての疑似二人三脚は、学園長にも一目置かれる学園の守りの一つであった。
「ところで彼女が幽霊っていうのは本当なの?」
「的確に表現する言葉が見つからんが‥‥まぁ暫定的に幽霊としておいて問題はない。が、どちらかというと神霊に近いな。サーヴァントという言葉から察するに――」
まぁじじいが雇い込んだのなら、彼奴がいろいろと知ってるはずだろうが。
そう前置きしてからエヴァンジェリンはキャスターの特徴についての考察を始めた。最初の話題に戻るが、サボったことなど何処吹く風。
シャークティも今日の仕事は後回しと、教会のロビーへ彼女を誘って二人でお茶なんか飲んじゃって。
止まることない議論はやがて女子中等部の授業が終わって暫く経った頃。憂鬱な面持ちと重い足取りで美空がやって来て、早退したはずの級友と上司が親しげに話しているという異世界な光景を見て吃驚仰天、叫び声を上げるまで続くのであった。