麻帆良在住、葛木メディアでございますっ! 作:冬霞@ハーメルン
いや、流石に変えると思うんですが、今はとりあえず ( ´ ・ω・`)
麻帆良は一つの学園としては実に巨大な土地面積を所有している。
大学、高校、中学単体ならばもっと広大な敷地を有する学校もあるだろう。特に畜産・水産系の学校のそれは麻帆良を裕に上回る。
だが多種多様の学校施設を多数内包している麻帆良は、完全に一つの街を、否、むしろ国を形成しているとすら言ってもいい。
同面積、同人口の他の街に比べて、閉鎖性が強いのだ。さしずめ学園都市という関係者以外を排斥する名の城壁に守られたヨーロッパの都市といったところだろうか。
実際に城壁で守られているわけではないが、そういった事情もあって、麻帆良に住まう生徒達をはじめとした人々は、自らの快適な学園生活を謳歌している。
さて、何度かした覚えのある話ではあるが、そんな麻帆良には生活に必要なものから必要でないものまで、こと公序良俗に反しない限り大概の施設が揃っている。
実際問題として、基本的には関係者以外の出入りはご遠慮下さいとは言っても人の出入りが無くなってしまうわけではない。
全寮制なのは中等部からだから麻帆良学園の敷地外から通ってくる人もいるわけだし、街の中に店やら何やらがあれば仕入の業者もやって来る。
研究室には企業の人間もやって来るし、麻帆良への新規参入を狙うなら営業や調査のためにも足を運ぶだろう。まぁ、そういうのは滅多に許可されないが。
で、そのような来客達が泊まるための施設というのも、当然ながら麻帆良の中にはいくつかある。
何しろ学舎には応接室はあっても寝泊まりできるのは守衛室ぐらいだ。学校の種類が多ければ来客もそれぞれ合わせて多くなり、それなりのホテルが必要となるのも道理というもの。
麻帆良祭の期間などにはそれこそ泊まり込みで我が子の活躍を見ようと意気込む両親祖父母によって予約が殺到した過去もある。
結局それが原因で色々と制限を設けることになったのだが、それはまた別の話。とにかくそういった経緯のため、麻帆良中心部の駅前には立派なホテルが建っている。
さて、麻帆良の中心部へと向かう道に、草木も眠るかという時間にも関わらず幾つかの人影が見えるだろうか。
人影の数は四つ。輪郭からその内の三人までもが女性であることは明白だ。
普通なら用事があっても翌日に回してしまうかという時間だというのに、迂闊に過ぎる。いくら麻帆良の治安が良いといっても婦女子のとる行動ではない。
まぁタクシーが常駐しているわけでもなし、終電が終わってしまったのだから仕方がなくはあるのだろうが、これは麻帆良の中だからこその光景である。
麻帆良という、ある意味での箱庭から出れば、いくら法治国家日本であっても危険はそこら中に転がっている。だからこそ、麻帆良の中でも迂闊な行動は慎むべきなのだ。
もっとも彼女達に限って言えば、たとえ麻帆良の外であろうとそのようなことに巻き込まれたりはしない。特にその中の一人について言えば、むしろちょっかいを出した相手をこそ心配するべきだろう。
だから、というわけではないだろうが、彼女達は一切の人気がない辺りの様子に怯えたりせずに言葉を交わしていた。
「はー、万能の願望器を奪い合う殺し合い、ですか‥‥」
「私と宗一郎様は終盤まで生き残っていたのだけれどね、結局は負けちゃって、この様よ」
「キャスターさん程の方でも負けるなんて、凄い戦いだったんですね」
今、話をしているのは隣り合って歩く二人である。
主に自分達の境遇について話していたのは、紫色の古風で優美なローブを羽織った女性。フードで顔を隠してはいるが、声を聞き、口元を見ただけで誰もが美人と称えるだろう。
そして女性の話を聞いて相槌を打っているのは彼女よりは幾分小柄な少女。花も綻ぶかというくらいの年頃の目立たない顔をしてはいるが十分に整っており、共学ならば間違いなくクラスのアイドルだ。
彼女にとって不幸だったのは、普段から接している同性が―――姉と慕う上級生を筆頭に―――尽く美人もしくは美少女と称されるだろう人達ばかりだということか。
そんな自分に引け目に似た感情を抱いている彼女‥‥佐倉愛衣であったが、実は共学であったアメリカ留学中は密かに人気があったのだということは、これまた不幸なことに全く与り知らぬことであった。
「それって本当に何でも願いが叶うんですか?」
「理論上はね。まぁ過去に都合五回行われた聖杯戦争で明確な勝利者が出たかなんて私の知るところではないから、実際に手にしてみなければ分からないわね」
「願い事かぁ。私なら何を願おうかなぁ‥‥」
「さしずめ世界平和、あとはスタイルがもっと良くなりたい、といったところかしら?」
「わ、私そんなこと願いませんよっ?! そりゃお姉様みたいに‥‥ブツブツ」
「フフフ」
彼女‥‥キャスター達が発見された世界樹の前の広場から学園長室までの道行きで、麻帆良についての説明はあらかた終わっている。
あまりにも広大な敷地を有する霊地に一般人が普通に住んでいるという事実にキャスターは目を見張ったが、今の時代では自分の常識では計れない何かがあるのだろうと納得した。
そもそも世界の人口そのものが非常に増加しているのだ。霊地であろうと人が住める場所であるならば、そこに皆が住み着くのも道理だろう。
キャスターは神代の人間であるが、現代社会について知識がないわけではない。
大聖杯によって現世に召還された際に、どういう理屈だかは知らないが現代社会についての知識を与えられているのだ。
その種類は公序良俗や常識をはじめとした日常生活から、基準は不明だがある程度の政治経済、地理歴史、魔術関連の情報なども含まれている。
果ては最近流行の服装や趣味の動向など誰がどういう選び方をしているのか全く解らない。
その知識に照らし合わせて、彼女はそれでも現代について色々と思うところが生じるのを抑えられなかった。
「それにしてもそんな大変なものが日本にあったなんて‥‥。どうして関東魔法協会が気づけなかったんでしょうか‥‥?」
「ソレがどういう組織かは知らないけど、第一級の魔術儀式ですもの、外部に漏れないように秘匿が完璧にされていたのかもしれないわ」
「秘匿、ですか。確かに西の方のことはよく分からない部分が多いっていうことは聞きますけど」
「私も日本のことは殆ど知らないからね。もしかしたら貴女達のずっと上役の方では何か取引でもあるのかもしれない。まぁ知ったことじゃないけれどね」
そんなキャスターの話を聞きながら、愛衣は感心と驚愕と恐怖とを一度に感じていた。
万能の願望器というトンデモな代物への感心。キャスターの言うように英雄達を現世に一時的にでも蘇らせるというスケールの大きさに対する驚愕と憧憬。
何よりソレを巡った生々しい殺し合いという、自分達が育ってきた世界とは真逆の在り方への恐怖である。
なにしろ自分達、現実世界に住まう魔法使いはすべからく世のため人のために力を振るうべし、と教わってきたのだ。
その魔法使い達が自分の我欲を満たすために殺しあうなど、もはや現実離れとしているという感想が沸いてくるほどにありえない話であった。
もちろん良くも悪くも箱入り娘である彼女達は知らないことであるが、実際はこの世界の魔法使い全てにそういった信条が当てはまるわけではない。
傍目には我欲や縄張り意識のみで関東魔法協会との協調を拒んでいると見える関西呪術協会は別として、世界に散らばる魔法使い達もそれなりの数が私利私欲のために自らの力を行使している。
たとえそれが魔法使いであっても、人間が集まる以上は現実社会とまるっきり変わった社会が構築されるということはないだろう。
なにしろ使う力は別物とはいえ、その頭は同じ人間だ。同じような思考手順を踏めば、同じような社会が形成されるのは道理である。
「‥‥信じられないですね。我々力持つ者は、力を持たない者の為に力を振るうべきなのです。私利私欲のために、あまつさえ殺し合いなどという手段を使って争うとは‥・嘆かわしい!」
「お姉さま‥・」
「あらあら、これはまた随分と純粋な心をお持ちなのね、貴女は」
「‥‥どういうことですか」
「いえ別に。まるでお伽噺のヒーローみたい、なんて思ったりしてないわよ?」
「思ってる、と言外に表れているではありませんか‥‥」
と、愛衣が考えていたこととまるっきり同じ、つまるところ模範的な答えがやや前方から上がった。
キャスターの隣に連れそう宗一郎と同じく言葉を発することがなかった、高音・D・グッドマンだ。
学園長からキャスターと宗一郎を駅前のホテルへと連れて行くように命じられた彼女は、一同を先導すべく一番前を歩いていた。
不機嫌を隠しもしないでキャスターと愛衣の話をじっと黙って聞いてはいたが、ここに来て遂に我慢ができなくなったのである。
その理由はもはや語る必要もあるまい。
紫色の魔女が語る内容は、まだ融通の利く愛衣ならともかく、あまりにも潔癖で高潔で崇高な志を持った彼女にはとても反論せずに耐えることができなかったのだ。
若さ故か、未熟からか、それとも胃の中の蛙であるからか、情熱と義務感から湧き出た言葉に対する反応は、三者三様であった。
まず無反応だったのがキャスターを挟んで愛衣と正反対を歩いていた宗一郎。こちらは特筆すべきこともない。いつもどおりの態度だからである。
キャスターに対しては多少能動的な行動を起こさないでもないが、基本的に彼の姿勢は果てしなく受動的だ。
請われれば面倒な仕事でも文句ひとつなく引き受ける態度はかつての生徒からは尊敬を、他の教員からは感心と感謝を向けられていた。
今回の高音の台詞は反応する必要性を感じなかったのか、チラリと視線をやっただけで無言である。
逆に積極的な反応を返したのが高音の従者である愛衣。こちらは尊敬する上級生の正義を目指す力強い言葉にすっかり惚れ直したと言った様子だ。
目をキラキラと輝かせ、両手を胸の前で組んで高音の方に視線を寄越している。言葉に出すなら『一生ついていきます!』といったカンジだろうか。
もとより彼女は様々な経緯と敬意を経て、高音の人柄と信念に惚れ込んで慕っている身である。
今回の高音の発言はまさに彼女の尊敬の琴線を直撃し、このように感動しているわけだ。
一方のキャスターの反応は正反対のベクトルを向いている。なにしろ彼女と高音達とでは在り方からして全く異なるのだ。
彼女は高音達とは違い、基本的には誰かのために魔術を行使することはない魔術師だ。魔術師とは大概が利己的な生き物であり、己の力を善意で行使することはない。
そも己の魔法を目的のための手段と解釈している高音達と、魔術そのものを探求している魔術師の間には、非常に深くて暗い溝がある。
高音達、麻帆良の魔法使いは魔術師達を我欲に塗れた利己的で不愉快な連中だと責めるだろうし、魔術師達は高音達を学問の道から外れた俗物と嫌悪するだろう。
どちらが正しくてどちらが悪いということではなく、単純に互いの認識が異なっているが故に相入れないのだ。
もっともキャスターに関して言えば、自身のためだけに魔術を行使するというわけではない。厳密に言えば彼女は魔術師ではないのだから。
そもそも神話の時代に生きた彼女は、生来からして魔術を秘匿するという考えはないはずなのである。なにせ彼女が生きていた頃には当たり前のように神秘が辺りに転がっていた。
神秘は秘匿すべしという考えは、魔術師のサーヴァントという括りの中に当て嵌められた彼女に聖杯が半ば催眠のように与えた知識なのである。
聖杯戦争という儀式を作り上げたのが現代の魔術師であったのだから、魔術師のサーヴァントとして召喚された彼女は神代の住人であるにも関わらず、限定的ながらも現代の魔術師の常識に縛られているともいえる。
彼女は魔女だ。それは周りの人間に請われ、利用され、捨てられ、振り回される運命を背負っている不遇の女性。
どちらかといえば悪い意味だが、他者に力を与えてやるということに関して言うならば、実は高音達と同類項なのだ。
「いいですか、世界には力を持たない為に理不尽な生に苦しむ人々が溢れています。私達は偶然ながらも力を得る機会を得て生まれました。ならば得た機会を使い、そのような人達を救うために常に努力し続けるべきなのです」
「‥‥まだまだ現実を知らないから言える台詞ね。その自信がいつか粉微塵に砕かれる日が来ると、貴女は理解しているのかしら?」
「だとしても、それは今ではない。ならば私は私の信念を信じて歩き続けます」
「‥‥貴女の行く末が楽しみね。願わくば挫折を味あわんことを、貴女の為にも祈っているわ」
「私は失敗を怖れません。成功よりも失敗こそが、未熟な私の糧となるのですから」
「そういう意味で言ったんじゃないのだけれどね。まぁいいわ」
キャスターの実体験を踏まえた意地悪な問い掛けにも、高音の凜とした表情は一切揺らぎを見せなかった。
全く後込みすることなしに言い切った台詞は確かに確たる信念と情熱に満ち溢れたものであったが、全く調子が変わらなかったことから逆に彼女の未熟さが見受けられる。
それは確かに悪いことではあったが、責められることでもない。誰もが最初から完璧なわけではないのだから、評価は彼女のこれからでされるべきだ。
かつては自分も箱入りのお姫様であったと自覚するキャスターも、だからこそ必要以上に高音を虐めようとはしなかった。
(フフ、純心なマスターと違って虐め甲斐のあるお嬢さんね‥‥)
‥‥訂正。やっぱりSっ気の多い元王女様に死角はなかった。適当なところで逃げた方が安全と思われる。
プライド、信念、高潔な性格、容姿。どこぞの並行世界でキャスターの玩具になった騎士王に似ていなくもない。
「‥‥私は貴女にも不満があるんですよ。あれほどの魔法を使える力を持ちながら、どうして人々のために役立てようとしないのですか?」
「‥‥高音、といったかしら? 私も貴女、というよりは貴女達に色々と文句があるわ」
「?」
今までと同じような説教臭い高音の台詞にキャスターのこめかみがヒクリと動き、遂に鋼で出来た勘忍袋の緒が切れる。
国内とはいえ麻帆良が今までいた場所とかなり離れていることに加え、魔術協会の影響力が及びにくいという事情も加味して我慢していたが限界だ。
郷に入っては郷に従えという言葉は十分以上に承知してはいたが、キャスターはこと魔術に関しては自分が祖に近い場所にいると信じて疑わない。
そも欧州から中東までに限定しても、神秘には様々な種類‥‥流派とでも呼ぶべき流れというものが存在する。原型となった神話や英雄譚にしても同様だ。
だがソレも際立った特徴というのは独自色の強い小手先の技術に現れることが多い。例えばキャスターの使用するヘカテの魔術は人の心への干渉や、魔法薬の作成が特徴である。
しかし、いくら派生して進化したとしても大元となる神秘は一つ、“根源”だ。各流派に共通点の多い魔術の本流など辿れるものではない。
これに関しては魔術師達の総本山の一つである時計塔で議論がなされたことがあるそうだが、あちらこちらの教授やらロードやらが喧々囂々、口角泡を飛ばして半ば怒鳴り合いに近い議論をしても結論が出なかった。
結局は“全ての歴史を知る”ことで根源に到ろうとしていた位階の高い魔術師が『テメーら専門じゃねぇんだから引っ込んでろ! 黙って儂に任しときゃえぇんじゃい!』とか言って治めたとか何とか。
もちろん研究成果を秘匿したがる魔術師達のこと、噂話未満の話だから眉唾モノだが、それぐらいに共通性があるということなのだ。
つまり、例えばキャスターが高音の影を撃退してみせた地水火風の元素変換系の魔術についてならば、古ければ古い程に凄いものだ、という漠然とした評価基準がある。
そして彼女が生きていた時代とは、乃ち未だに神々が存在していた遥か神代の時代である。キャスターには先達として、希代の魔女としてのプライドがあった。
ちなみに彼女が扱う高速神言という特殊な技法は厳密にはヘカテの魔術ではないのだが‥‥割愛。
とりあえず今は先達として、後輩達が先程から浅慮にも度々口にしているカンに障る戯言について苦言を弄さなければならない。
確かに言語学の発達にも似た系統樹というものが神秘にもあるから、極東の島国の組織に所属している彼女達が、自分がカテゴライズするところの“魔術師”とは限らない。
だが自分のやや前を歩く金髪の少女が詠唱に用いたのはラテン語だ。ならば少なからず魔術師としての常識が備わっていなければ嘘だろう。
「さっきから随分と軽々しく連呼してくれているけど、私の使ったアレは魔法ではないわ」
今にもキレてしまいそうな苛々を、かろうじて残った鋼鉄の自制心で押さえ込んで言葉を紡ぐ。
実際問題として、彼女はそれなりに寛大な精神を持ち合わせていた。傲慢なイメージばかりがつきまとうが、本来の彼女は気配りの効く良妻賢母である。
残念なことに尽くせば尽くす程に煙たがられてしまうぐらいに愛が溢れ出しているため、今まで傍にいた男達は揃って逃げ出してしまったが。
彼女が魔女として悪名を轟かせるようになったのも、そういったことが起こりすぎてしまったということに一抹の原因があった。
惚れた男が全て自分を捨てて逃げ出してしまっては、そりゃトラウマにもなるし自暴自棄にもなるというものだろう。
そういうわけで今の彼女は、安息の地と愛を受け止めてくれる唯一無二の良人を得たことでかなり精神的に余裕が生まれていた。
例えるならばメディア絶好調。いけいけゴーゴーといったカンジである。
陰鬱とした性根は長い人生の内に捻れ凶がってしまっていたものだから早々簡単に矯正は出来ないが、少なくとも張り詰めていた糸は緩んでいる。
故に一緒に夜道を歩く未熟な少女達が自分たちの行使する神秘をどのように呼称しようが、まぁ文化の違いとして許容してやることができていたのだ。
しかし、こと自分の行使した“魔術”を“魔法”と呼称されることだけは我慢がならない。
確かに彼女は厳密に言えば魔術師ではないだろう。根源の探求をしていないからだ。
だが現代の魔術師としての常識を植え付けられたこともあるが、根本的に魔術と魔法の違いを理解し、魔法使いには畏敬に近い感情を抱いているのもまた事実。
彼女自身の能力は魔法使いにひけをとらない、もしくはそれ以上であるが、彼女はそれでも“魔法使い”たりえない。
だからこそ自分の行使する魔術程度のものを、魔法と呼称されるのは不愉快極まることであったのだ。
「魔法じゃない‥‥? まさか、あれは気を使った技だというのですか?」
自身、および周囲の魔力を用いて奇蹟を起こす魔法と異なり、この世界には自身の体内から生じる生命エネルギーのようなものを使った気という技術が存在する。
基本的に魔法は頭、気は体と言われるように、多少の才能さえあれば魔法の方が習得が容易という話もあるが、本質的には似たようなものだ。
だがココで一つの問題が生じる。
自分の体だけではなく世界中に大気のように存在する魔力を使って奇蹟を起こす魔法と異なり、気の調達は自前である。
つまり自分から発する力なのだ。キャスターが高音の影を撃退したかのように、何もないところにいきなり風の刃を起こすのは不可能と言わずとも一般的ではない。
見た目からして魔法使いである。気は体を鍛えている者でなければ扱えない。
もちろん鍛えるといっても見た目で分かるような鍛え方である必要はないが、それにしても気を好んで扱う者ならこのような動きにくい衣装を纏うことはないだろう。
そもそうだとしたら警戒の仕方を更に変える必要がある。近接戦闘も考慮に入れなければならない。
「気、というのが何かは知らないけど、アレは魔術よ。魔法なんかではない」
「魔術‥‥? すいませんキャスターさん、私よく分からないんですけど、魔術と魔法って同じものじゃないんですか?」
前々話で多少触れたが、高音や愛衣が使う西洋魔法とは、その名の通り海外から輸入されたものだ。 当然ながら原語はラテン語。良くて英語。組織化、体系化するにあたってそれらを日本語に訳す必要がある。
その訳し方というのも時代を経るにつれて、はじめは難解な言い回しを用いていたものが分かりやすく、砕けた日本語へと変化しつつあるのだ。
例えば今、彼女達が疑問に思った“魔術”という言葉。これは古風な表現であるが、彼女達の言うところの“魔法”と全く同義である。
少し前までは薬品や呪いの類を魔術と分けて使っていたのだが、今では完全に統合されているから、彼女達がキャスターの言葉を疑問に思うのも道理であった。
キャスターの言葉から受けたのは、精々が『やけに細かい言い回しに拘る人だなぁ』といった程度の些細なものだったのだ。
「‥‥貴女達、どれだけ無知なら気が済むの? よくも今まで魔術協会と喧嘩しなかったわね、関東魔法協会とやらは」
「魔術協会?」
「倫敦に本部がある、魔術師達の総本山の一つよ。‥‥まぁいいわ、これ以上不快な思いをさせられるのも嫌だし、面倒だけど懇切丁寧に説明してあげる」
苛立ちを呆れに変えて、仕方なしにキャスターは頭を振った。
おちょくっているのならともかく、少女達は心の底から何が何だかわかっていない。
それ自体も自分の常識では十分に罪に当たるのだが、それでも一応は説明しておいてやってもいいだろう。
何せ自分はこれから、おそらくはかなり長い間、この麻帆良という街で世話になるのだ。
実力云々はともかく立場としては下に近い。宗一郎様との平穏で素晴らしい生活のためならば、本当に多少は譲歩してやらないこともない。
「まず私や貴女達の使う技術は、魔術と呼ばれていると知りなさい。炎を出す、氷を出す、風を操る、傷を治す、薬を作る。どれも時間と資金さえかければ現代科学で再現可能なものね」
「‥‥ちょっと待って下さい、自惚れではありませんが、私の影を操る魔法は現代科学では再現不可能ですよ?」
「同じよ。影なんて光の当て具合でどうにもなるし、結果として人形が出来るのならロボットを持ってくればいいわ。転移の魔術も同じね。車を使っても、飛行機を使っても同じ結果が出る」
「ならば変わらない、と?」
「そうよ。私達魔術師の目的というのはね、有り体に言えば結果を知ることなの。過程がどうあれ、結果が同じならば全て同一のものとみなすのよ」
人間の常識で解釈できるもの、結果を用意できるものと言い換えてもいいかもしれない。
火を出すのならライターを、氷が欲しいなら冷蔵庫を、風を起こしたいなら団扇で十分だ。
基本的に魔術は非常に効率が悪い技術ではあるが、それでも一部のそれは現代科学を凌駕するだろう。
だがそれは同じ数直線上において、程度として勝っているというだけだ。いずれは科学技術の発展が魔術に追いつく。
科学は未来へ、魔術は過去へと疾走する技術である。おそらくは今、科学技術に比べて魔術は劣っているだろう。
もちろん過去の極みに近いキャスターの魔術に関しては別格であるが。
「では魔法とは‥‥科学技術で再現不可能な事象であると?」
「あら、意外に理解が早いわね」
「普通に考えれば分かることです。貴女が怒った理由もね。ところで、それではその魔法とは?」
キャスターは最初こそ小娘と馬鹿にしていたが、ここに来て高音への評価を少し改めた。
確かに技術は未熟、思想は甘い。しかし紛れもなく彼女はエリートと呼ばれるに足る人材であった。
それは魔法を行使する技術においてだけではなく、頭の回転、咄嗟の機転についても同様である。
多少融通が利かず、頑固で真面目ではあるが、こと理解力に関してならば同年代でも群を抜いているのだ。
今回の話についてもそれは同様で、全く別の解釈の仕方であるキャスターの話をしっかりと咀嚼し、自分の中で再解釈して理解を試みていた。
「そうね‥‥魔法は世界に五つあると言われているわ。その正体は秘匿され、私でも詳しくは分からない。まぁ、想像できないことはないけれど」
「科学で再現不可能な技術‥‥。時間移動、死者の蘇生、永久機関?」
「まぁ妥当なところでしょう。あるいは私達の言葉で説明できないことかもしれないわ」
「だからこその“魔法”ということですか」
「そうよ。術ではなくて法。法の下で術を行使する私達の及ぶことのできない領域ね」
ちなみに愛衣は既に話に半ばついていけていない。
彼女も決して非才ではないし間違いなく優秀な魔法使いだが。未知の分野に手を出すには少々主体性が低かった。
じっくり時間をかければ理解できたであろうが、今は次々と進んでいく話に文字通り挟まれ、あわあわと目を回している。
キャスターも本来ならマスターである彼女に分かりやすく説明するべきであったのだろうが、今は予想以上に理解の早い高音に興味を持って愛衣を失念していた。
「お分かり? いくら私の魔術が神代のもので、現代の魔術師のものとレベルが違っていても、それは魔術よ。決して魔法ではない」
魔術師は須く根源を目指す。
死を収集する者、人体を探究する者、歴史を識る者。根源へと至る手段は幾つも存在すると言われているが、その中の一つが『魔法を習得すること』だ。
故に人々は、魔法を習得して根源へと至った者達を畏敬の念を込めて“魔法使い”と呼称するのだ。
それは多くの魔術師が魔法使いであった神代の時代から現代までも、絶対に変わらぬ不文律。
人であることを止めた絶対の存在、自分たちが目指す先へと至ってしまった者達への尊称である。
だからこそ根源を目指すという意思のないキャスターでも、自分を魔法使いと呼ばれるのは我慢がならないのだ。
それは絶対の称号。戯れに名乗っていいものではないし、名乗られてもいいものではないし、呼ばせてもいいものでもない。
例え相手が無知な田舎者でも、それだけは決して譲れないのだ。
「‥‥成る程、貴女程の方がそれほどまでにこだわりを持ってらっしゃるなら、私達の発言が不快なのも納得ですね。気分を損ねてしまって申し訳ありませんでした」
「お、お姉様‥‥?」
「なんですか、愛衣」
「いえ、なんというか、お姉様が誰かに頭を下げているのを見るのが初めてだったので‥‥」
信じられないような目で自分の方を見た愛衣に問い掛け、返って来た答に高音は思わず溜息をついた。一体自分のことを何だと思っているのか。
「キャスター女史は麻帆良に来た経緯はどうあれ、私よりも遥かに高位の術者。ならば敬意を払うのは当然でしょう?」
「いえ、それでもやっぱりビックリしちゃいまして‥‥」
愛衣の高音に対する感情は、軽度ながらも崇拝に近い。
考えてみれば当然だ。良くも悪くも高音は優秀に過ぎ、愛衣の前での上級生は紛れもない完璧超人だったのだから。
やや自分を過小評価する傾向のある―――それでもある程度の自信が持てているのは、元々の彼女の能力が秀才と呼ばれるに足る程のものだからだ―――彼女にとって、常に自信を持って前へと進み続ける高音はさぞや眩しくみえたことだろう。
「あなたには後でたっぷりとお話する必要がありそうね‥‥。さぁ、ホテルが見えて来ましたよ」
まるで公園の中のような林に囲まれた並木道を抜けると、そこには先程いた世界樹広場のような光景が広がっていた。
中心部の、おそらくは明治時代から存在しているのであろう建物とは別に、周囲にはビルやらコンクリの建築物やら、後から人口の急増に対処して建て増ししたのであろう建築物が並んでいる。
しかし全体に共通して言えるのは機能的でありながら、優美。そして学問の街というコンセプトに反しないぐらいにシンプルであるという点だ。
この街を設計した建築士の先見の明は疑う予知がない。建て増した際のデザインの問題もあるだろうが、通常は融和し得ない古い建物と新しい建物が綺麗に協調している。
もしくは、近代との融合を果たせるという異質な点こそが、あるいは当時の現実世界より発展していた魔法世界の様式なのだろうか。
所々に自然と息づく昔の空気は、日本という独特の文化を持つ国ながらも麻帆良に限れば、欧州の歴史ある都市に比べても遜色ない調和というものを感じさせる。
とっくに大部分の住民が我が家へと帰ってしまって人影のない街の中、奇妙な四人組はその中の一つの建物へ入っていった。
さほど大きくない。戦前の欧米の様子を映した映画などに出て来そうな趣のあるホテルだ。
これもおそらく明治頃から建っているのだろう。重厚な扉は夜中にも関わらず待機していたスタッフによって開けられ、エントランスの調度品はこれまた重厚なアンティークが大部分を占めていた。
「学園長から連絡は?」
「承っております。こちらへどうぞ」
受け付けのクロークに高音が尋ねると、先ほど扉を開けたスタッフがエレベーターの方へと案内する。
誰ひとりとしてキャスターと宗一郎の不審な恰好に疑念の視線を向けないのは職業意識もあるだろうが、おそらくは学園長から何かしら言い含められているのだろう。
横にスライドする柵のついた古式なエレベーターを使って案内されたのは、おそらくは二等級ぐらいの、それでもなお彼女達のような来客には過分とも言える良い部屋だった。
「あぁ宗一郎様、あの像に似たものは故郷で見たことがあります」
「そうか」
「宗一郎様、あのエレベーターは冬木のデパートで見たものとは違いますね?」
「おそらく古いものをそのまま使っているのだろう」
ちなみに街の中心部に入ってから、キャスターは控え目ながらも辺りをキョロキョロと見回していた。
このような様式の街は珍しいのだろう。なにせ冬木で彼女が活動の拠点としていたのは古い寺である。街にしても中心部はビル街、他は住宅地だ。
聖杯から得られなかった細かい疑問についてぽつぽつと隣の宗一郎に尋ねては、返事を貰うだけで嬉しそうに口元を綻ばせる。
微笑ましくはあるのだが、使命以外のことを脇道と断じる高音ですら、独り身の少女として靄々した感情を覚えないでもなかったのだった。
「こちらが学園長先生が貴女方の為に手配なさった部屋です。今夜はこちらでお休み下さい」
「あら、中々良い部屋じゃない」
「この時期は宿泊客も少ないですから。部屋も余っているみたいですよ?」
それなりに広い。ベッドが二つあるのが残念―――そういう状況なら宗一郎様は当たり前のように片方に潜り込んでしまうだろう―――だが、部屋自体は悪くない。
どうも高い建物があまりないらしく、窓からは麻帆良の中心街が一望できるというにくい演出。
少なくとも、このような部屋をパッと用意できるということは、やはりこの街においてはあの老人をあまり刺激しない方が良いらしい。
いや、元よりあちらから過干渉されない限りはこちらとて何も問題になりそうなことは起こすつもりがない。自分は宗一郎様と静かに暮らせればそれでいいのだ。
「大体のものは揃っているはずですけど、他に何か特別に入り用なものはありませんか?」
「‥‥すまないが、替えのスーツを用意してくれないだろうか。この服では昼間、外を歩くことができん」
「あ、そうですね。ではジャケットだけお預かりしても構いませんか? そのサイズに合わせて上下とシャツを用意させてもらいます。当座をしのぐという意味で、色とかは別でも大丈夫ですか?」
「適当なもので構わん」
今の今まで口を閉ざしていた宗一郎の言葉に愛衣は頷くと、無造作に脱いだスーツを手渡されて驚いた。
ゴツゴツしているのだ。シャツという比較的薄手の布を通して見る彼の体は、まるで木彫りの彫像であるかのように角ばっていた。
鍛えているのは間違いないだろうが、普通の鍛え方ではない。程度が、ではなく方法が違うのだろう。誰とも違う体に見える。
今までキャスターの方にばかり注意がいっていたが、ここに来て宗一郎も只者ではないと理解した。何せキャスターと一緒にいられる人物、あまつさえ魔術師の殺し合いに参加できる者が只の教師であるはずが―――
「‥‥あれ? そういえば葛木さんはまほ‥‥魔術師なんですか?」
「いや、私は魔術師などではない」
「え、でも聖杯戦争っていうのは魔術師が参加する儀式じゃないんですか?」
不思議に思って愛衣が尋ねると、これまた不思議な答が返ってきた。魔術師がやる儀式に、魔術師ではない宗一郎が参加してもいいものだろうか?
愛衣は詳しい事態の推移などは聞いていないが、聖杯戦争という儀式のルールは割と詳しく教えられている。
日く、ゲームのキャラクターのような役目を与えられた七騎のサーヴァント。日く、サーヴァントは魔術師に使役され、三回の絶対命令権である令珠に縛られる。
この令呪なのだが、知らない内に左手首のやや上、かろうじて袖やリストバンドで隠れるような場所に焔のような刻印が顕れていた。
尤も色がくすんでしまっているために、単なる契約の証であるそうだ。おそらく麻帆良の地まで大聖杯の力が及ばないからだろうというのがキャスターの見解だ。
「詳しくは省くけど、宗一郎様は二人目のマスターよ。最初のマスターを失って消えかけていた私を助けて下さったの。‥‥宗一郎様、貴方をあのような目に遭わせてしまって申し訳ありません」
「気にするな。お前の失策ではない」
「宗一郎様‥‥」
学園長室から歩いて暫く、またもキャスターから溢れ出す幸せそうな空気。というより、もはや障気。
一度とならず全てと決めた感情を注ぐ先を失い、様々な苦難を得てようやく手に入れたがための幸福オーラだったがために非難する気持ちは湧かないが、どちらにしても砂を吐きそうだ。
出来れば学園長室に居たときのように、もう少し人数が、もしくはもう少し距離が欲しい。
「‥‥明日は学園長からの連絡があり次第、私達が迎えに来ることになるでしょう。それまではこちらで寛いでいて下さい」
「そうね、マスターとも色々と話をしなくちゃいけないのだけれど、流石にもう遅いわ。明日に回すのが妥当でしょう」
「お疲れなのは分かっていますが、出来れば寝過ごしたりはなさらないで下さいね」
クロークから渡された部屋の鍵をキャスターに渡し、高音は言った。
ファーストコンタクトこそ最悪に近い形ではあったが、こうして話してみると目の前で微笑む紫色のローブを着た女性も悪い人物ではない。
便宜上も事実上も妹分の使い魔だが、流石に人間という形をとっている以上はそのように接する。というよりそれ以外の接し方は出来ないだろう。
どのような関係になるかは分からないが、愛衣は自分の従者だ。おそらくは彼女とも長い付き合いになるはず。
妹分を盗られてしまったようで非常に感情は複雑だが、それでも尊敬とまではいかずとも遥か高みに存在する術者であることもまた事実。
癪な部分もあるが、きっと彼女からは様々なことを学べるに違いない。
「‥‥本当に、広い街。私が生きていた頃とは比べものにならないわね」
丁度窓際に立っていた為、外の風景へと目を落としたキャスターが感慨深げに呟いた。
あまりにも、遠いところに来過ぎたのだ。女神の僕の矢に胸を射られたあの時から、どれだけの時が経っただろうか。
今でも故郷に帰りたいという気持ちは大きい。だがそれ以上に、愛する人を、自分を裏切らず、自分も裏切らない人を見つけられたから。
ここで暮らしていこう。ここで幸せになろう。
今尚本体である“メディア”は座にいるが、今ここにいる自分が幸せを手にすることは間違いなどではないはずだ。
「そういえば、貴女は過去に活躍した英雄‥‥だったのですよね?」
「まぁ、そう解釈してくれた構わないわ」
そろそろ暇しようとしていた高音が、ふと疑問を抱いて窓の外を眺めるキャスターに問いかける。
学園長室で彼女の正体を聞いた時から考えていた疑問の答えを得る良い機会かもしれない。
「『詠唱する者《キャスター》』とは聖杯戦争で与えられたクラスだということですが、でしたら貴女には“キャスター”とは別に本名のようなものが存在するはず。もし良かったらお聞かせ願いませんか?」
「あっ、確かにそうですね。私も聞きたいです!」
英雄には須く某かの英雄譚が付きまとう。というよりは、後世にまで残された英雄譚があるからこそ英雄として語り継がれているのだ。
高音や愛衣は英雄になりたいというわけではなかったが、当然ながらそのようなものに興味はあった。
なにせ目指すべき目標である『千の呪文の男《サウザンドマスター》』も英雄として称えられている人物である。寝物語とは言わないが、周りの大人からは彼の活躍を度々聞かされたものだ。
鬼神兵を一撃で倒し、戦艦を沈め、山を砕き、颯爽と捕らわれのお姫様を救い出す彼とその仲間達。
綺羅星の如く輝くその活躍は、よほど捻くれ曲がった性根でなければ誰もが憧れる。
ちょっとした大人なら本人を直接知っている者すらいる近世の英雄である彼と比べて、キャスターは神代の人間と自称する、いわば大英雄と言っても良い存在だろう。
そんな人物本人から、彼女達の活躍を聞くことが出来るチャンスが転がっているのだ。不躾ではあるが、機会にあやからない道理はない。
「‥‥悪いんだけどサーヴァントはね、英霊としての真名を隠すものなのよ」
「え、なんでですか?」
「弱点がバレてしまうでしょう? どんなことで死んだか、誰に殺されたか、英雄譚にはそれが書かれているもの」
例えば有名な例を挙げておけば、北欧に伝わるジークフリート。
竜の生き血を浴びて不死身となった彼だが、唯一の弱点として背中、菩提樹の葉の跡がある。
他にもアキレスのアキレス健、クー・フーリンのゲッシュなど、意外にも英雄は弱点のネタに事欠かない。
有名である英雄の自らの名前を知られるということは、乃ち弱点を知られるということになるのだ。
「‥‥そうね、でもマスターには教えておかなければいけないかしら」
「え、えぇっ?! いやいいですよキャスターさん、そんなことだったら別に‥‥」
キャスターの言葉に愛衣は見て分かる程に狼狽えた。一歩間違えれば彼女の命にも繋がりかねないことを、自分如きが知るべきではないと思ったのだ。
尤も自身の過小評価が過ぎる彼女のこと。キャスターは彼女を密かに走査し、逆に彼女を高く評価していた。
もちろん未熟であるという基本的な評価は全く変わらないのだが、それよりも評価すべきは伸びしろである。
彼女はいわば、ダイヤの原石。自分という一級の錬磨師が磨けばどこまででも輝ける素質を持っているのだ。
「信頼と感謝の証、あとは義務のようなものだとでも思って頂戴。あぁ高音、貴女は部屋を出ていなさいね」
「なっ、私は愛衣のパートナーですよ?!」
「煩いわね。消し炭にされたいの? 貴女に告げる義務はないと言っているのよ。貴女自身、本当に自分に権利と資格があると思うのかしら?」
冷たく告げられた高音は暫く黙り、コクリと頷くと静かに部屋を出て行った。
彼女も自分で分かったのだ。名前を告げるというのは、例え普通の人間であっても特別な意味を持つ場合がある。
それは『貴方に私の名前をゆだねます』という信頼の証。少なくともマスターという関係にある愛衣ならともかく、初対面の自分にそんな資格も権利もあるはずがない。
駄々をこねない辺りは理解の早い彼女らしいが、それでも部屋を出ていく際に悔しそうな視線をキャスター達に寄越したのは、やはり妹分を盗られるのが嫌だったからだろう。
「‥‥マスター、いえ、愛衣。私の真名を告げるにあたって、一つ儀式をしておくわね。‥‥宗一郎様、宜しいですか?」
「構わん」
「へ?」
宗一郎へと問いかけ、その返事を貰ったキャスターは少し寂しそうな顔をした跡、愛衣を窓際に立たせて自分は一振りの杖を出現させた。
金色で出来たそれはキャスターの身長を優に越え、彼女が信仰し、神官を務めていたヘカテーという女神の象徴である月があしらってある。
狼狽する愛衣を他所に、儀式は着着と進んでいった。
「ここに、貴女と私の契約は完了しました。これより我が身は貴女の杖、貴女の本、貴女に仕える賢者。我が身のもてる全てを以て貴女の敵を滅ぼし、貴女に知識を与え、貴女の助けとなりましょう」
「は、はいぃ?!」
杖を愛衣に捧げるように床に置き、キャスター自身は臣下のようにひざまずいて頭を垂れる。
先程までは頼れる年上のお姉さん兼先輩魔術師という風だった女性の突然の態度に愛衣はアタフタと少しだけ離れた場所に立っていた宗一郎へ助けを求めるが、当然ながら反応はなかった。
実際、彼女とキャスターとの契約は世界樹の前で出会った時に既に終わっている。故に魔法陣などが出現することはなく、傍目には何も起こっていなかっただろう。
だがこれは確かに儀式であった。
彼女から受けた恩義に報い、見いだした優しさを信じて全てをゆだねる儀式だ。
新たな生活を過ごすことのできる感謝と共に、キャスターは己の過去をさらけ出す言葉を紡いだ。
「私はコルキスの王女、メディア。サーヴァント・キャスターとして全てを尽くして貴女に仕えます。これから宜しくお願いするわね、マスター」