エロトラップダンジョンマスターは教育に悪すぎる   作:蛍光ペン

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第3話

 

 

 

 無邪気って言葉は子供の為にあると僕は思う。

 子供はスタートラインを駆け出して助走を始めている段階で、そこから躓いて転んだり道を踏み外したりしながら何度も立ち上がって大人へ向かって進んでいく。

 走るのと違うところは、立ち止まることが許されていないということ。

 蹲って丸くなることも背を向けて歩くこともあるだろうけど、変わらず時間は過ぎ去っていく。

 だから、強い土台を作る為の子供時代は大切なのだと僕は思う。

 

 転び方を間違えれば立ち上がれなくなることもあるだろう。

 道を踏み外せば元の道に帰ることが出来ないかもしれない。

 でも、子供の内であれば周りには大人がいる。間違えることに関して右に出る者がいない僕ら大人が、子供に上手な立ち上がり方を教えてやるんだ。

 

「…えっと、リリちゃん?」

「はい!」

 

 ニコニコと満面の笑みで答える少女を前に頭が痛くなる。

 

「あのね、僕はモンスターなんだ。こうやって笑顔で話し掛けられたとしても、それは君ら人間を騙す為の手段だから信用しちゃダメなの」

「そ、そうよ!早く離れなさい!」

「えー」

 

 胸に飛び込んできたリリがぐりぐりと頭を擦り付けてくる。

 おかしいな、『魅了』は使っていない筈なんだけど。初対面のモンスターであるだけの僕がここまで懐かれる理由が分からない。

 どうして母親と僕でリリを説得しているんだ。謎過ぎる。

 

「えっと、お母さん。もう仕方ないんでこのまま話を進めても?」

「ダメよ!」

「ですよねー」

 

 僕は危害を加えないアピールを兼ねて両腕を上に挙げておく。異世界でも通用するのか分からないけど。

 母親は必死にリリを引き剥がそうとしているけど、嫌々と首を振って僕から離れようとはしなかった。なにこれ。

 

「お母さん。こんな時になんだけど、お名前はなんて?」

「クルルよ!」

「私はリリ!」

「ありがと。クルルさんにリリちゃんね」

 

 何故か二回目の自己紹介をしてきたリリはともかく、クルルの方も素直に答えてくれたことから少しは話してくれるつもりになったのかもしれない。

 その後、クルルは肩で息をしながらその場に崩れ落ちてしまった。僕の目がリリの身体に流れている『力』を認識して分かったけど、恐らく『精霊』から際限なく『魔力』が送り込まれているようなのだ。

 まぁ、そうでもないと大人の全力に子供が抗える筈もない。

 

「ねね!お兄さん名前は?」

「僕?うーん、どうしようかな。名前ってないんだよね」

「…そもそも、あなたは何者なのよ。ボス部屋の魔物、というわけでは無さそうだけど」

 

 これは困った。

 お茶会で神様に言及されたことがあるんだけど、基本的にダンジョンマスターの存在は世間に隠しておかなければならない。必ずってわけではないらしいが、バレれば不利になるのはこっちだから気を付けるように、と。

 しかし、ダンジョンは最奥にいるダンジョンマスターを討伐しなければ消滅することはないし、その核になるモンスターがいることは冒険者の間でも共通認識になっている。

 

 つまり、ダンジョンボスという攻略目標がいることはバレても問題ないけど、ダンジョンマスターというダンジョンを管理しているモンスターがいることがバレてはならない、と僕は僕の中で結論付けた。

 

「僕は『鎮魂の迷宮』の主をしているモンスターだよ。最奥から君たちのことを見守っていたけど、ここにいることが本意じゃなさそうだったからさ。気の毒だと思って話をしに来たんだ」

「主…あなたを倒せば、『鎮魂の迷宮』は消滅するということ?」

「そうだけど、ここには『攻撃不可領域』があるからどう足掻いても僕を殺すことは出来ないと思うよ」

 

 少なくとも君たちでは、という言葉は飲み込んでおく。

 

「名前、ないの?なんて呼べばいいの?」

「周りからは、い───」

 

 と言ったところで、アルファベットからダンジョンマスターへの繋がりが露呈するかもしれないと気付いてしまった。

 ここ数百年で分かったけど、この世界にアルファベット自体は無いにも関わらず似たような言語はあるっぽいのだ。僕には翻訳されてそう伝わっているってだけで。

 つまり、『E』というそのまま過ぎる呼称は使えない。

 意識的にアルファベットではなくカタカナをイメージすれば上手いこと伝わってくれる筈だ。

 

「『イー・ティー・ディー』…とか、そんな感じで呼ばれてるかな?」

「どうして疑問形なのよ」

「いーてぃーでぃーさん?どういう意味なの?」

 

 聞かれてぎくりと言わんばかりに自分の肩が跳ねた。まさか、子供相手に|『ETD』≪エロトラップダンジョン≫の頭文字だよなんて聞かせるわけにはいかない。

 今まで『E』と呼ばれ続けていたから、人っぽい名前が思い浮かばない。前世の名前なんか最初から覚えてないし。

 とにかく、何とか誤魔化さないと。

 

「『イー』はファミリーネームなんだ。『ティー・ディー』のところは…ぬいぐるみみたいな?そう、可愛い存在とか愛される人になって欲しい的な意味があるんじゃないかな?」

 

 あーダメだ。一体僕は何を言ってるんだ。

 響きが前世のぬいぐるみに似てるなと思ったら、その辺が適当に口から出てきた。僕って奴は、混乱するといつも変なことを口走っているような気がする。

 クルルは僕を訝し気な目で見詰めてくるが、リリはキラキラと輝かせた瞳を向けてきた。

 

「じゃあ、ティディ!えっと、ティディくん?やっぱり…ティディ?」

「いや、うん。もうそれでいいよ。クルルさんも、僕のことはティディって呼んでいいから」

「…事情は分からないけど、うちの娘がごめんなさいね」

 

 くっ、なんで同情されてるんだ。意味が分からない。

 

「そ、それより場所を移動しない?いつまでもこんなところにいたら話が進まないし、何より目のやり場に困るんで…」

「───ッ!」

 

 ようやく自分の格好に気が付いたのかクルルは耳の先まで真っ赤にして、自分の身体を僕の視線から守ろうと抱えながらその場に蹲る。

 リリは見たところ羞恥心がまだ育っていないのか、何かを恥ずかしがる様子はない。「ティディ…ティディ…」とうわ言のように呟いている。

 

「案内するから、こっちおいで」

 

 こんな『ある条件を満たさないと出られない部屋』からはさっさと出るに限る。

 『擬態』の能力にステータスを振り切った『スライム(媚薬付き)』が侵入者と瓜二つの見た目に変身するが、何故か性別だけ真逆である理由なんて僕は考えない。

そんな業を抱えた『スライム(媚薬付き)』を横目に見ながらリリを抱えて立ち上がった僕は、ウインドウを操作し部屋から出れるようにしてボス部屋を後にするのだった。

 そうだ、眷属に名前を間違えられないよう『念話』で伝えておかなきゃ。

 

 

     ▽

 

 

 ボス部屋を出たら眷属に滅茶苦茶怒られちゃったよ。

 話をしに行くにしても、ダンジョンマスター自ら赴く必要はない。自分達に任せても問題なかった筈だと口酸っぱく言われてしまった。

 うーん、正論。僕が死んだらダンジョンが消えるから、文字通りの意味で生命線である僕を死ぬほど心配するのも当然か。

 

「ささ。遠慮しないで好きなもの食べてどうぞ。ちなみに僕のおすすめはこのオムライスかな」

「私からはハンバーグをお勧めしますよ」

「なによこれ…」

 

 僕たちは今、レストランにいる。

 料理がしたいと希望していた眷属の一人が経営するこのレストランは、居住スペースの中でも特に人気な店舗だ。『Pt』で料理を用意出来るにも関わらず、自分の手で作ろうという気概を見せるだけのことはある。

 リリとクルルはメニュー表を見て困惑していた。文字はこの世界のものなので、問題なく読めていると思うんだけど。

 

「私はティディがおすすめしてくれたオムライスにする!」

「…なら、私はハンバーグで」

「あ、僕はそんなにお腹空いてないからデザートだけでいいよ。そうだな…プリンにするよ」

「畏まりました、い───ティディ様」

 

危ね。ホールを担当しているメイド服の眷属が口を滑らせるところだった。

いきなり直せってのも無理な話だよね。ウインクして謝意を示すと会釈して裏に引っ込んでいった。

 

「早速、本題に入りたいんだけど。二人はこれ以上、このダンジョンの攻略を進めるつもりはある?」

「ないわ。そうするしかなかったから進んでいただけだもの。五体満足で帰っても良いのなら喜んで出ていくつもりよ」

「それは無理。僕の管理下から外れるとなった場合には、記憶を改竄してこのダンジョンで起こった全てを忘れてもらわなきゃならない」

「───やだ!」

「やだじゃないの。こっちだって死活問題なんだ」

 

 こればっかりは引くわけにいかない。『鎮魂の迷宮』の強みが失われるリスクは避ける必要がある。

 改竄する方法自体は単純だ。僕の『催眠』で忘れるよう暗示を掛ければそれだけで済む。僕レベルの『催眠』なら後遺症が残ることも何かしらの要因で解除される事もない。

 

「うぅ…仲良くするって言った!」

「言ってない」

「リリ、落ち着いて。…本当に、忘れるだけで無事に出られるの?」

「疑うのも無理はないと思う。けど、その気なら別にこうやって手を差し伸べることもなかった。今、何もしていないことが証明ってことではダメかな?これでもここまで攻略されたこと自体は評価してるんだ」

 

 これまで苗床にしてきた冒険者とこの親子とで、何かが違うとは思わない。

 ただ、やむを得ずこのダンジョンに入ることになってしまったこと。戦う力を持つクルルに戦意がないこと。リリがまだ、子供であるということ。

 僕の心に残っている良心が、この二人を食い物にしてしまうことを拒んでいる。

 モンスターになってしまった僕にも、人間の大人としての心が残っているみたいだった。

 

「子供は大人に守られるべきだ。色んなことに挑戦して、失敗から生き方を学んでいけばいい。そういう意味ではクルルさんは立派に母親をしていたと思うし、奴隷商人は大人の責務を果たせていなかったと言える」

「どうして、そんなことを」

「変だと思う?僕にとっては当たり前のことなんだ」

 

 異世界転生したらインキュバスだったせいでダンジョンマスターなのにエロトラップダンジョンしか作れない件、だなんて昔は言ったけど。

 僕が僕であったという軌跡がそれで無くなった訳じゃないし、倫理や常識がどうでもよくなった訳じゃない。

 モンスターになったから好き勝手に生きてやろう、なんて考え方が出来る人間だったらもっと楽だったのにと思わずにいられない。

 

「こんな性分だから苦労することも多いんだ。もっと賢く生きれないのかって、よく自嘲してるよ」

「私はそんなE様が好きですよ。この身を捧げても良いと思えるくらいに」

「照れるからやめてよ…」

 

 大丈夫だと言ったのに、絶対に付いていくと言って聞かなかった眷属の言葉に、顔がみるみる火照っていくのが分かる。

 我が身可愛さも勿論あるだろうけど、長い付き合いだ。それだけではない、僕に対する並々ならぬ想いを抱えていることなんてとっくに分かっている。

 

「…素敵。私、やっぱりティディとは仲良くなりたい」

「それも一つの選択肢だよ。僕の眷属になって、このダンジョンで一緒に暮らす家族になること。これが記憶を消さなくてもいい方法だね」

「確かに、この階層にある建物はどれも見たことのないものだったわ。里でも、人の都でもここまでのものはないと断言できる。ここで何不自由なく暮らせるだろうってことは、住んでいる魔物達の表情を見て分かったわ」

 

 触れたことのない素材の服の袖を撫でながらクルルは言う。

 ここに腰を落ち着けるまでの道中、街中を歩いてきたのだから見慣れない景観に目を奪われていたことは分かっていた。しかし、眷属たちの表情にまで目を配っていたのかと感心する。

 

「けれど、リリはまだ子供なの。あなたなら分かるでしょう?この子の未来は、まだまだこれからなのよ」

「…そうだね。ここで未来を終わらせる必要はない。僕もその意見に賛成だ。だからこそ、最初に提案したのが外に出る手段の話だった」

「まま、私はここで暮らしてもいいよ。ううん、ここでティディと暮らしたい」

「リリ。酷いことを言うようだけど、あなたにも聞いておきたいの。───お父さんとお姉ちゃんはどうするの?」

 

 リリが息を飲む音が聞こえる。

 

「二人のことは忘れて、ここで暮らしていきたい?…私はそうは思わない。ここでの暮らしがどんなに幸せでも、ご飯を食べる時や眠る時、何気ない時間に家族のことを思い出して、後悔する時が必ず来る」

「…うん」

「どうして自分たちだけって。本当なら家族みんなで過ごせていたのにって思いながら生きることになる」

「…」

 

 これが大人の役割であると僕は思う。

 子供はまだ世界の広さを知らない。人同士の繋がりを漠然としか理解していない。

 無限に広がっている可能性を示す為に、短慮な子供の判断を咎める為に追い詰めるような言葉を吐かなくてはいけないこともある。

 

「お父さんは里で怪我をしていたわ。無事かどうかも分からない。お姉ちゃんは私たちとは別の場所に連れて行かれた。きっと、今も苦しんでいると思う」

 

 この親子だって他でもない当事者だ。奴隷にされた者がどんな扱いを受けるのか、身をもって知っている。

 リリの目からぽろぽろと涙が零れ始める。これまでどんな仕打ちを受けてきたのか、思い出してしまったのだろうか。それとも少しの時間でも二人を忘れてしまっていたことを悔いている?

 

「私は二人を探したい。欲を言えば、里の皆だって無事なら一緒に故郷へ帰りたい。ここで自分だけ幸せになんて、なりたくない」

「私も、ぱぱとお姉ちゃんに会いたい…」

 

 とても料理なんて食べられる雰囲気じゃない。

 裏方からソワソワとこちらの様子を伺っている眷属の気配を感じるけど、出来たての料理を食べることは出来なさそうだ。

 ずんと重い空気。このままではいかんと拍手して僕に意識を向けさせる。

 

「そこで!僕が君たち二人の願いを何でも一つだけ叶えてあげるよ!ダンジョン踏破新記録達成のお祝いってことで!」

「何でもって、そんな力がティディ…あなたにあるの?」

「これでも『鎮魂の迷宮』の主だからさ。例えば家族の居場所を知りたいとか、こんなスキルが欲しいとか、こんな装備が欲しいとか。多分何でも叶えられると思うよ」

 

 実際、この言葉に嘘偽りはない。

 現状までファーストクラスであり続けている僕の『Pt』は持て余すほど残っている。カタログを使えば欲しい物は大抵手に入るし、スキルの使い方を工夫すれば特定の人物の場所を把握するなんて朝飯前なのだ。神様ともズブズブの関係だし融通も利かせられる。

 

「…私は、エルフの皆が無事であって欲しい。それ以上に願いたいことは思い浮かばないわ」

「うん、それくらいなら簡単だね。永遠にってのは無理だけど、時間制限付きなら可能だよ。エルフに危害を加えさせなければいいんだよね?」

「え、出来るの?」

 

 全方位『催眠』で『エルフに危害を加えたくなくなる』と暗示すれば、無事であると言っていいんじゃなかろうか。

 『加えられない』ではなく『加えたくなくなる』なのは、あまり強制力のある『催眠』だと世界の修正力が働いてしまうからだ。それはどんな形で世界に降ってくるか分からないからなるべく避けたい。

 世界に新たなルールを定義付けるような規模の『催眠』は僕自身のリソースをかなり割かれるけど、不可能ではない。必要経費だと割り切ろう。

 

「私は…どうしよう…」

「本当になんでもいいんだよ?僕ってばこんなナリだけど最強格だから、なーんにも遠慮することないからね」

 

 僕の言葉に、リリは俯いていた顔を上げる。

 その翡翠色の瞳と僕の瞳が交差する。薄汚れていた金髪も、入浴したことで洗い落とされ本来の輝きを取り戻している。端正な顔立ちだ。将来有望である。

 

「ティディは、強いの?」

「強いよ」

「誰にも負けないくらい?」

「神様には負けちゃうかもしれないけど、それ以外だったら負けることはないかな?」

 

 勿論、勝てる保証なんてないから勝てると断言はしない。

 天井のシャンデリアの光を目一杯吸い込んだリリの瞳がきらりと輝いた。

 

「だったら、エルフのみんなを一緒に助けてください!」

「いいよ。その為に僕は何をすればいいかな?」

「だから、一緒に来てください!」

「…うーん?」

 

 ダンジョンマスターにダンジョンから出てけと。

 僕だって異世界に来たからには、とダンジョンの外に出られないか試したことがある。しかし、僕はダンジョンに指定した領域範囲から足を踏み出すことが出来なかった。

 多分、ダンジョン攻略にはダンジョンマスターの命を落とす必要がある仕様上、外に出ることが許されていないんだと思う。

 

「えっとね、ダンジョンの主はダンジョンから出られない事になってるんだ。その願いは難しいから、他の願いでも…」

「何でもって言った」

「…言ったけど、でも」

「何でもって言った!!!」

「言ったけどぉ」

 

 これは困った。

 少し調子に乗り過ぎていたみたいだ。何でも出来るようになったと自負していた僕にも、出来ない事があったのだとこんな形でリリに気付かされた。

 僕だってせっかくの異世界を冒険してみたい気持ちはある。お茶会で神様に相談してみたことだってあるさ。それでも二つ返事で「無理」と言われたんだ。

 

「E様。何も隣り合って一緒に歩く必要はないのではないですか?」

「さっきもだけど、普通にE様って言うのやめてね」

「例えばウインドウで魔物の遠隔操作も可能なわけですから、その魔物を操って行くとかはどうでしょう」

「ダンジョンの中限定の機能なんだよねそれ。…でも、その発想はありだな」

 

 僕はカタログを操作して、ある物を購入する。

 

「わあ!可愛い!」

「これは、ぬいぐるみですか?」

「うん。これに僕が『憑依』して、意識だけ着いて行くってのはどうだろう」

 

 肉体はダンジョンに残したまま、意識だけをダンジョンの外へ持ち出す。これは試したことがなかった。

 試したことはないけど、経験上このやり方は通用するという確信がある。

 いつの間にかリリに強奪されたぬいぐるみは熊の形をしていて、中身に綿が詰まっただけで何の変哲もない物だけど『憑依』すれば自分の意思で動かすことも出来る。

 

「その間、僕の肉体の面倒は眷属の皆にお願いすることになると思う。任せてもいいかな?」

「断る理由がありません。むしろ、意識のない肉体に私が『憑依』して遊んでもいいですか?」

「…いや、何されるのそれ。怖いからやめてね」

 

 ここで不服そうな顔するの意味分かんないんだけど。

 

「あ、ティディ!『精霊』さんが協力すれば、ままの願いを簡単に叶えられるって言ってるよ!」

「えー?出たよ『精霊』さん。どうすればいいって?」

「えっと、私に『憑依』して『精霊』さんの持つ繋がりを辿って『催眠』?をすればいいみたい」

 

 そういえば、眷属が『精霊』とはこの星の意思だとか言ってた気がする。

 全方位『催眠』を『精霊』経由で行えば、効果範囲を広げるという手間を省くことが出来て世界規模の『催眠』を低コストで可能になるってことなのかな。

 僕がやるとかなりの力技になるところだったから、正直助かる。

 

「クルルさんは良いの?これから僕がリリちゃんの身体を乗っ取っちゃっても」

「…そんな悪い人じゃないでしょ、ティディは」

 

 初めて、クルルが笑っている姿を見たかもしれない。

 ずっと気を張り詰めて、保護者としてリリを守らねばという意識が徹底して前面に出ていたクルルからの人扱いに胸が高鳴った。

 インキュバスになって苗床でない人から純粋に評価されたのは、久し振りのような気がする。

 

「じゃあ、『憑依』を試してみますか」

「身体はどうぞ私にお任せください」

「チェンジ!やっぱ怖いよこの人!誰か別の人呼んで来て!」

 

 と言いながらも、ぬいぐるみに触れて『憑依』スキルを行使する。

 カタログにある誰でも獲得できるスキル…言ってしまえば汎用スキルみたいなものを軒並み獲得している僕の、手札の内の一つだ。

 意識が僕の本体から離れて、別の場所へ流されて行くのを感じる。

 

「わぁ!」

「ふふ」

「まぁ!」

 

 ぬいぐるみに意識を移して起こった異変。

 渦巻いた小さな角。パタパタと動く小さな羽。お尻から伸びた短い尻尾。熊ベースであることは変わらないのに、何故か悪魔要素が追加されてしまった。

 インキュバスの『憑依』だとこうなるのか。新しい発見である。

 

「ティディ!すごく可愛い!」

「ぅわっ!いきなり持ち上げられるとびっくりするじゃん!」

 

 辛抱堪らんと言わんばかりに抱き上げられた僕は、リリの胸に押し潰されるほどの力で抱擁される。

 そんな光景を微笑ましく見守っているクルルと眷属。僕の身体は眷属が支えてくれていたが、完全に脱力してるみたいだった。

 

「問題なさそうだね。このままリリの身体に『憑依』してもいい?」

「えー。もうちょっとだけ…」

 

 心底幸せそうに顔を埋められると、僕としても何も言えなくなってしまう。

 

「クルルさん。僕の『催眠』でエルフの無事が保証される期間は少なくとも一年だ。それまでに里の安全確保と各地に散らばったエルフの保護をしなくちゃならない」

「そう…私とリリだけでは難しいと思うけど、ティディも一緒なら何も心配してないわ」

「随分信頼されちゃったみたいだ」

「あなたになら、騙されても良いと思えたの」

 

 クルルのそんな言葉が歯痒くて、赤面しないぬいぐるみで良かったと思う。

 ダンジョンを空っぽにするにあたって、管理権限を眷属の誰かに譲渡した方がいいだろう。引継ぎをきちんとしないと僕がいない間に『鎮魂の迷宮』が攻略されるという、本末転倒なことになり兼ねない。

 僕の身体はダンジョンの最下層で面倒を見て貰おう。世話係も僕が選別しないと、好き勝手する眷属がえらいことをしそうだ。

 決めなくちゃならないことは沢山あるけど、正直僕は数百年振りの外の世界を前にワクワクしていた。

 

 …いや、数百年経ってから始まる異世界生活ってマジか。

 

 

 

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