エロトラップダンジョンマスターは教育に悪すぎる 作:蛍光ペン
マルクは昔から運のない男だった。
幸福と不幸は人に対して均等に降りかかると耳障りな格言を聖職者が語っていたが、マルクからしてみれば圧倒的に不幸の比率が高い為に、それは眉唾だと断言できる。
笑えない出来事を笑える話として酒の席で披露した数も少なくない。痛い目に合うのにはもう慣れっこだった。
「───ッ」
そんなマルクの培ってきた経験値が、警鐘を鳴らしている。
見られた、と。
マルクは自身の固有スキルである『千里眼』越しに、動くぬいぐるみに召喚された存在と目が合ってしまったことを確信する。
尋常ではない気配を纏った最早ゴブリンとも言えないそれの一瞥を受け、マルクの膝は芯を失ったように崩れ落ちた。
「…おい。大丈夫」
「か、頭!今すぐここを離れましょう!ありゃあ、やべえ…次元が違う!」
鬼気迫るマルクの様子に頭と呼ばれた男は慄く。
奴隷商人として長いこと商売をしているこの男は職業柄、他人からの恨みを買いやすい立場にいる。そんな彼をこれまで守ってきた頼りになる用心棒の慌てようは、内心の焦燥感を煽るのには充分だった。
それでも安易に行動するわけにはいかないのも又事実。努めて冷静に、彼はマルクに問い掛ける。
「まずは説明をしろ。六十五番を監視していて、何を見た?」
「化け物ですよ!せっかく失ったと思っていた商品を取り戻す絶好の機会なのは分かってるんですが、ありゃダメです!すっぱり諦めて退散しましょう!」
「六十五番だけでなく、六十四番もか?」
「曖昧な根拠で申し訳ねえんですが…間違いなく、俺の存在が『千里眼』の向こうから察知されたようで」
「…馬鹿な」
見たい場所に俯瞰する視点を生み出せる破格の性能の『千里眼』を認識出来るだけでも異常だ。どこの誰が宙に浮かぶ見えない視点を観測できるというのか。
「───よし。ここは退くぞ」
頭のその言葉を聞いて、マルクはほっと息を吐く。
目先の利益に気を取られず部下の意見をにべもなく聞き入れることが出来たのは単に、彼らの付き合いの長さから来る信頼関係の賜物だった。お互いに自分の命を預け合っているからこそ、そこに疑いという行程を挟まずに即断できる。
一行は即座に撤収を始めた。それは数年後思い返したとしても見事な逃走劇だったと誇れるほど最善の選択だっただろう。
しかし、マルクには運がなかった。
「おい、おいおい…こいつは一体なんなんだ?」
マルクの横目には空中に手の平を押し付けて静止している頭の姿が映っている。それはまるで大道芸人が披露していた身振りだけで行う劇と見間違うような光景だった。
目に見えない何かが行く手を阻んでいることは間違いないが、肌感覚でそこには魔力を帯びた何かがあることは明白だった。
これは恐らく『障壁魔法』。魔法使い御用達の目に見えない防御壁。
───それが森一帯を覆ってしまうほどの規模で展開されている現状は、ハッキリ言って異常でしかなかった。
「マルク!お前の意見を聞きたい。確か前は傭兵をしてたと言ってたな?」
「…はい。まず、言われなくても分かってるとは思いますが、これは人間業じゃねえです」
「だろうな。…さっきの話にあった、化け物が何かしたのか?」
「それは分からねえですが、奴は見るからにボコるタイプでした。近接と魔法を並行して鍛えることは難しいですから、その可能性は低いかと」
図らずも目の当たりにしてしまった絶技。
あの一振りだけで突出した戦闘能力を有していることが分かる。であれば、この魔法は別の誰かによる仕業だと予想が付く。
しかしそれはあくまでもセオリーに則った場合の話であって、それに当て嵌まらない例も当然存在している。故に、マルクは断言することはしなかった。
「『障壁魔法』を破るにはどうする?」
「火力を一点に集中させて突破するか、圧倒的な質量で面を殴り突破するかですかね」
「可能か?」
「俺達だけの力では難しいですね。奴隷の力を使えばやれなくはない、って感じです」
「よし。聞いたなお前ら!分かったらとっとと動きやがれ!」
マルクは改めて思う。自分はとことんツイてないのだと。
慌ただしく動き回っている仲間たちと合流して商品の奴隷を一カ所に集める。状況を理解することができない彼らの混乱が目に見えて伝わってきたが、努めて無視をした。
正直、こんなことをしても焼け石に水であることは分かっていた。目の前の壁を破るのと薄氷を踏むのとでは訳が違うことは見るまでもない。
「で、次は?」
「エルフに『詠唱』をさせて木っ端の奴隷の『魔力』を引っ張ります。ありったけの火力を『障壁』にぶつけて、破れるかどうかってところですかね」
「そんなことが可能なのか」
「傭兵時代に目の当たりにしたことがあるんで。身体に触れてさえいれば魔法使いは他人の魔力を流用して魔法を発動できるんです」
「…マルク。俺はお前がこの場に居てくれて本当に良かったと思ってる」
マルクが返せたのは下手くそな愛想笑いだけだった。
エルフを先頭にして奴隷たちが背中に手を添える。その更に後ろにも同じように奴隷たちが続いて手を添えるという行程を繰り返すと、それは扇形になるよう後方に連なり正しく陣形と呼んで遜色ない光景になった。
「エルフは『魔力』との親和性が高いんです。魔法の出力ってのは生まれつき個人差があるんですが、エルフなら今ここにいる誰よりも火力が出せる筈です」
「『詠唱』はどうする?」
「俺が伝えてきますよ。田舎者が魔法なんか知ってる筈ないですからね」
頭が軽く頷いたのを確認して、マルクはその場で振り返る。
「───は?」
忽然と。
始めからそこには人なんていなかったかのように、陣形を組んでいた奴隷たちが姿を消していた。
目を疑う光景に二人は茫然と瞬きを繰り返す。
「───別に、なんとでもなるんだけどさ」
ほぼ反射的に声が聞こえた方へ目を向けると、識別番号として六十五番を付けた子供のエルフとその胸に抱かれるぬいぐるみがいた。
マルクは視線を鋭くする。危険視していたあのゴブリンを護衛として連れていない。信じられないことに、あんなぬいぐるみなんかが、護衛が必要ないほどの実力を持っていることの証明で。
「人質にされると面倒だからさ。奴隷のみんなは先に確保させてもらったよ」
やはりマルクの運はとことん悪いことの証明だった。
▽
目を付けられた、と確信したのはセリーナと合流してからだった。
人の気配は感じないのに視線だけを感じる奇妙な感覚があったので、注意深く探ってみるとスキルで見張られているのだと気付いた。感知能力に長けていなければ気付けない、優秀な監視の目だ。
それでも敢えて、害はないと思って放置していた。気分の良いものではなかったけど。
変だなと思ったのは、監視の比重がセリーナよりもリリに偏ってきた辺りでだ。
僕が掛けた『催眠』によりエルフに危害を加えようとは思えなくなった世界で、そこに希少価値を見出しているのは不可解だった。
例え話として、「仕事と私」が「5:5」の割合で大事な人に対して「私」を優先させるように『催眠』を掛けた場合、その価値観は強制的に「2:8」の比重に書き換わる。
決して「0:10」にはならない。『催眠』に掛けられた状態でも残りの二割が優先されるような人種…仕事でエルフと向き合っている場合などが当て嵌まる。
つまり、仕事にストイックな奴隷商人相手に僕の『催眠』は効果的ではない。
人間を等しく商品として見ているならば、エルフという人種は値段を跳ね上げる為の付加価値、希少価値でしかないということだ。
『催眠』で親近感を持たせても、日頃から女子供を非人道的に扱っていた彼らの行動の変化はあまり起こらない。精々、危害を加えなくなるくらい。
「リリちゃん。こいつらをどうするかは君が決めていいよ?」
リリは樹木で磔にされた二人を前に立ち尽くす。
決着は勝負とも言えないほど早く、圧倒的に終わった。こちらがした事と言えば『眷属召喚』で呼び出したスライムに組み付くよう指示を出しただけ。
胸に飛び込んだ勢いのまま後方の樹木へ身体を押し付け、その体積を広げて全身を覆ってしまえばもう、身動きの一つも取ることが出来ない。
「僕のおすすめはリリちゃんが受けた痛みをそのまま味合わせることかな。そうされてもおかしくないことをしてるわけだし、こいつらだってその覚悟は出来てると思うよ。リリちゃん含め、数多くの人達を苦しめてきた報いは受けるべきだ」
どの口が、と脳裏に過った言葉は無視した。
「やられたらやり返すってのは悪いことじゃないと思うんだ」
「…いい」
「…許しちゃうってこと?許されないことをしたら、普通は何かお仕置きをしないといけないんじゃないかな?」
「いいの。なんとなく、それは間違ってる気がするから」
復讐は何も生まない、とはよく聞く話だけど。
リリは僕の甘言に惑わされず我を貫いた。言葉に表すことまでは出来なかったけど、本能のようなもので復讐という行為を避けたとでも言うのか。
「なら、こいつらは解放する?そしたらまた、誰かを傷付けるかもね」
何も生まないなんてのは、嘘だ。
少なくとも、次の犠牲者は生まれてしまう。リリがどんな答えを導き出したとしても、僕は彼らを野放しにしてやるつもりは無かった。
どのような結果になっても、必ず気付かれないように始末する。
そして今度は僕が大人として、前にクルルがやったように冷たい選択を迫る番だった。
「どうすればいいか分からなくても仕方ないくらい難しいと思う。だけどこれは正解が用意されていないような、どうしようもない問題なんだ」
「どうしようもないことでも一緒に考えようよ。私じゃ頼りないだろうけど、答えは一つだけじゃないと思う」
まるで見透かしたように、胸に抱いていた僕と面を向いてリリは続ける。
「ティディは優しいから、きっと一人で残酷な道を進もうとしてるよね。でもそれって、本当に正しいことなのかな?絶対に間違ったことじゃないって、後悔しないって言いきれる?」
「…正しいって言いきれることはリリちゃんが思うよりもずっと少ないよ。この世界がそうであるように、時代や人種によっては奴隷制度だって当たり前のものとして人々に受け入れられてる」
「なら、尚更だよ。一人で決めた辛い道なら、私も連れて行かないとダメ」
リリの言うそれは、決して解決策を示しているのではない。
自分も一緒に苦しむから、と。僕が奥底に押し隠していた心の内を完全に理解している筈もないだろうに。感受性の豊かなこの子は、人を傷付けたくない僕の本音を見抜いている。
「…分かった。とりあえずこいつらは殺さない…約束するよ」
「うん!」
少なくとも、子供の教育に良くないってことは間違いないだろうしね。
十にも満たない小さな子供に言い負かされて不貞腐れてるなんて、眷属には絶対言えない。ちょっとした秘密が出来てしまった。
「さて、まずは君たちの名前を聞こうかな?」
『念話』で眷属のスライムに指示を出せば、言われた通りに顔周りを塞いでいた部分が露わになる。
深く息を吸う少しの間と二人の目配せが一瞬行われると、頭の方が口を開いた。
「金なら払う。解放してくれ」
「ダメだね。僕らが欲しいのは金じゃなくて情報、君らの頭の中にある顧客リストと取引の内容だけだから」
「あんた、相当強いですよね?何が目的でこんなことすんですか?」
「リリちゃん親子に頼まれてね。エルフの奴隷解放を手助けしようと思ってる」
どちらからか、乾いた笑いが聞こえる。
「で、質問にまだ答えてないけど?」
「俺はしがない奴隷商人のアレスだ。そっちは頼れる傭兵マルク」
「過分な評価で不甲斐ねえですが。あっさり捕まっちまってるんで」
「さすがに相手が悪いよ。並みの連中だったらそれなりに立ち回れていたんじゃない?」
軽口の応酬を繰り広げながら、僕は『魅了』を発動する。
開き過ぎたレベル差により『抵抗』なんかされる筈もなく、二人はすんなりと魅了状態へ陥った。
「人間を奴隷として扱うことについて、倫理的に良くないことだと思ってる?」
「仕事だからな。自分がそっちだったら死んでも嫌だとは思うが、こっち側にいるなら別に何とも思わねえさ」
「人身売買だよ。奴隷のその後とか考えないの?」
「可哀想だとは思うがな。別にそこからは俺と関係のない話だろ」
「反省する気はない、ってことだね?」
「あぁ」
「と、これが本音な訳だけど」
予想通りではある。
アレスの言葉を受け止めてリリは思い詰めたような表情になる。短絡的な考えでは動かないとさっき決めたばかりだ。感情のままに私刑をすることはしない。
落ち込んだ空気を切り替えようと、僕は大きな声を上げる。
「そこで!一つ思い付いたことを、まずはリリちゃんに相談したいんだ…一緒に考えてくれるんでしょ?」
「…っ!うん、教えて!」
「いっそのこと、二人にはここで生まれ変わってもらうのはどうかな?」
頭の上で疑問符を浮かべるリリに説明を続ける。
「アレスとマルクにはここで死んでもらう…ごめん、言い方が悪かったね。二人はここで死んだことにするんだ。僕の力で外見と考え方を弄って、道案内兼贖罪の旅として僕らに同行させる」
「???」
「…やっぱり、見てもらった方が早いか」
僕がこれから使うスキルは───『性転換』と『常識改変』。
まず『性転換』で二人を「もしも自分が異性として生まれていたら」が現実となった姿へと変えてやる。顔立ちに似通った部分は多少出てくるだろうけど、一目で同一人物だとは気付けないほどの劇的な変化が起こる。
そして『常識改変』は「当たり前の日常としての認識を新たに植え付ける」もの。委員長気質な女の子が性に寛容になったり、過激だったいじめの内容がいやらしいものばかりになったり等々。
薄い本御用達の僕の固有スキルであるが、今回は本来の用途とは違った使い方をする。
「僕が昔住んでた国ではね…互いに目が合ったら挨拶を交わすし、道を行く人々は互いに譲り合うし、公共の場では決して大きな声を出さない。なんでだと思う?」
「みんな、優しいから?」
「惜しい、間違ってないけど少し違うかな。正解は、誰もが相手のことを自分と同じ人として敬っているから。自分がされて嫌なことは人にしないのが当たり前になってるんだ」
輪を乱す人だって当然いるけど、そうでない方の比率が圧倒的に高いのであれば、それは民度と言って差し支えないだろう。
国際的に見ても日本人は異質だと言う。道端で拾った財布が無事に帰ってきた、なんてのはよく聞く話だ。
「この旅で、ティディの故郷にも行ってみたいな」
「…それは難しいかもね」
まさかそこが異世界だとは夢にも思うまい。
「ともかく、これから二人の価値観を僕の故郷と同じものにする。するとあら不思議、彼らの中には真っ当な倫理が誕生するんだ。大丈夫、これは何回かやったことあるからさ」
詳細は省くけど、侵入者である冒険者が男性のままだと苗床として運用する上で不都合なことがある。単純に機能としての意味も勿論あるが、性別によってこちらの対応を求められることが面倒になったのだ。
よって、鎮魂の迷宮で膝を折った冒険者は総じて女性の肉体へと変えられる。
実は普段から常習的に活用しているスキルこそ性転換なのだ。
「まずは女の子に変えちゃうね」
眷属のスライムから解放されて勢いのまま転びかけたマルクへ向け、綿の詰まった頼りない僕の手先から放たれた一筋の光。通称『TSビーム』が風切り音を鳴らしながらその身体を突き抜け、間も無く目まぐるしい変化が始まる。
「ぐ、ぁ…か、身体が、熱いです…!」
「ティディ、この人苦しそうだけど…大丈夫なの?」
「大丈夫だから見てて」
男女の身体構造は結構違う部分がある。
骨格には丸みがあり、筋肉は質が硬く、内臓に至っては配置まで違っている。今挙げたもの以外にも変わる部分はあり、それらを短時間に無理矢理変えるのだから負担はそれなりに掛かる。
「どう?別人でしょ?」
「男の人が、女の人になっちゃった…」
身長は大きく縮んで全体のバランスが女性的な曲線を描いている。胸筋は乳房になり、ウエストにはくびれが生まれ、着ていた服は支えを失ってずり落ちた。
苦痛に喘いだおかげで潤んだ瞳がこちらを見上げ、へたり込んで座るその姿から男らしさは微塵も感じられない。
「本当に、自分が自分じゃねえみたいです…」
「ハッピーバースデー!傭兵マルクはここで死んだことになるから、新しく生まれた君には名前をプレゼントするよ」
「そりゃあ、ありがてえことですね」
…しまった。魅了に掛かったままの状態じゃ肯定しかできない。
改めて魅了を解除してから向かい合うと、自分の状況を理解した彼女の赤らんでいた顔色がみるみる真っ青に変わった。
「───何しやがってくれちゃってんですかあ!!??」
「あはは、動揺して変な言葉遣いになってるよ?」
「なるでしょ?!こ、これ、戻るんですよね?一生このままじゃねえですよね?!」
「それは君次第かな。───決めた。君の名前はエマちゃんだ」
ちなみに由来とかは特になく、元の名前の頭文字に「E」を付けてローマ字読みしただけだ。
「エマ!?つーか女として生きるのはもう決定なんですか?!」
「そんなに嫌なら一つだけ選択肢をあげるよ。奴隷として売られてこれまで人にして来た仕打ちをその身で味わうか、僕らに同行して協力するか。別に女の子の状態で売り飛ばしても良いんだけどね?」
「…協力させてもらいます」
「そっちはどうする?」
「どうもこうもねぇよ。あんたに従うさ」
マルク、改めエマに比べてアレスの方は話が早くて助かる。
魅了が掛かったままのアレスもスライム拘束から解放しTSビームを食らわせると、こちらもすぐにエマと同じように身体の内外共に作り変えられる。
「君の名前は、そうだな───アリスで」
「あ、アリス?俺が?」
「レ」は母音が元々「E」だから、そこを「イ」に変えるだけにする。あんまり凝りすぎてもと思うし何より、我ながら良い案だと満足していた。
「美少女と言って遜色ない見た目になれたんだから、僕という存在と出会えたのは幸運なことだと思わない?」
「あー、いじわるなんだー」
足元にずり落ちた衣服で身を隠す華奢な少女二人は、その問い掛けに戸惑いを隠さないまま頷くしかなかった。
魅了が掛かっていなくても成す術のなくなったエマとアリスには、肯定することしか許されていないのだと言外に理解していたから。
▽
「おまたせ!剣の修行はどんなもんかな?」
「…全然駄目よ。当たり前だけど、一朝一夕には行かないわね」
目先の問題を解決して戻った僕らをセリーナは息を上げながら出迎えた。顔を動かす余裕すらないのか、目線だけをこちらに向けると「はあ?」と間の抜けたような声を出す。
「なに、その大所帯は?」
「奴隷商人と元奴隷の皆さんだよ。まさか放っておくわけにもいかないでしょ」
エルフだけを助け出して、それ以外を放置したら彼らは路頭に迷ってしまう。
土地勘のない田舎に放り出されるのは居た堪れない。それくらいの良心なら僕にもあるので、とりあえず町までは連れて行くことにしたのだ。
当然、魅了状態にして記憶を混濁させておくことは忘れない。
「目が虚ろなことには触れない方がいいのかしら…」
「アリスはここでみんなと待っててね。エマは戦闘員として教えられることもあるだろうから一緒に来て」
「「…はい」」
「随分と暗くなっちゃって。そんなに僕の与えた常識が苦しかったのかな?」
「…ねえ、やっぱりあの二人がどうしたのかだけでも教えてくれない?」
「…反省してるの」
意気消沈を体に表したような二人の落ち込みぶりに我慢ならず、セリーナはリリに耳打ちして聞いていた。
僕はそれに気付かない振りをして、ぽてぽてと切り株に腰を下した大柄のモンスターへ駆け寄った。
「お疲れ。早速だけど、アニキから見てセリーナちゃんはどうだった?」
『悪くは、ない。きっかけさえあれば、間もなく習得するだろう』
鎮魂の迷宮、最古参のゴブリンである馴染みの顔を見上げながら微笑む。
生来から無口である彼とのコミュニケーションは念話の上で交わされる。ゴブリンの口が発語に適した形をしていないから、喋っても片言になってしまい聞き取りずらいのもあるけど。
「アニキの編み出した剣技───『天牙一刀流』。間近で観察してみたセリーナちゃんは何か分かった?」
「正直、見ただけじゃ分からなかったわ。私の体に憑依して実践してもらった時に、何となく掴めたような気がする」
「へえ、ちなみに何だと思う?」
「根本にあるものは魔力、でしょ?」
セリーナは剣を構えて柄を力強く握り締める。呼吸すら忘れたかのような集中の後、刃の付け根から一本、二本、三本と魔力の糸が伸びてくる。
一般的に、魔法を発動するのに詠唱は不可欠だ。その起源として陣を編むことをついさっき教えられたばかりのセリーナが、既に三本もの糸を操っているセンスに僕は心から感嘆する。
「───ぐ、ぅ」
が、しかし。
人は突然生えてきた尻尾を操れたりしない。僕や眷属がそうだったように。
「うん、確かに光るものはある。それじゃあ改めて、無口なアニキに代わって僕が理屈を説明してあげるよ」
ブワッとぬいぐるみの身体から数えきれないほどの糸が放出される。
僕は数百年ほどの研鑽を積んでいる為、天牙一刀流の基礎であればある程度の再現が可能である。時間だけならいくらでもあるもんで。
「まずは三本の魔力を螺旋状に束ねる。するとほら、こんな感じで太い一本の糸になったでしょ?これが第一段階。これを剣先に纏わせるだけでもちょっとした威力向上に繋がったりするんだ」
「で、第二段階。第一段階の魔力を更に三本同じように束ねる。これだと王国騎士団で支給される鎧なんかはサクッと切れちゃうよ」
「第三段階ではこれに同じものを重ねて束ねる。ここまで来ると大地が割れるようにまでなるかな」
「第四段階まで来ると、空が裂けて異常気象が起こる」
「第五段階、空間に干渉して切っ先に沿った軌跡が」
「ちょっと待って」
遮るように、セリーナから制止の声が上がる。
「私の身の丈に合った指導をして欲しいんだけど」
言われてみれば確かに、あまり先の話をしても意味はないのかもしれない。
人の一生で目指せる高みは限られている。百年だけでは頑張って第二段階、才能次第では第三段階ってところか。
「参考までに僕はこれを二十六段階まで、アニキは六十九段階まで束ねられるよ」
「聞いてないのよ。…六十九!?それはあの一撃も納得の神業だわ…」
自慢の特殊個体である眷属を褒められて僕もご満悦である。
「セリーナちゃんにはこれから、試練を与えるよ」