トイレ・オブ・ザ・デッド ~織田信長と逝く本腸寺の変~   作:ナオ3

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06話 属性過多な妹系幼馴染、そして関ヶ原へ

 

 

(ぎぎ……ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっがががががががががががが……!!)

 

 

机の天板が、完全に悲鳴を上げていた。

指先から爪が剥がれ落ちるのではないかというほどの圧力をかけ、俺――九条猛は、自らの下腹部という名の絶対防衛結界を必死に繋ぎ止めていた。

 

先ほど、大腸の蠕動運動を強引に意志の力で停止させ、一時的な膠着状態を持ち込んだはずだった。

だが、そんな人間の浅知恵による停戦協定など、俺の体内で煮えたぎる『汚濁の軍勢』には一切通用しなかった。

それどころか、活動を強制停止させられた反動により、奴らの怒りは臨界点(カタストロフィ)を突破。

結腸深部の『本腸寺』で蠢く明智光秀(便意)の姿は、青藍色の竜神の姿から、さらに異次元の神話的進化(インフレ)を遂げていたのだ。

 

頭部には、激怒、嘲笑、狂気の表情を浮かべた三つの鬼面。

肩口からは、筋肉の繊維が異形に束ねられた六本の逞しい腕がメキメキと生え伸びている。

――三面六臂。

仏教絵画に描かれる阿修羅か、あるいは調伏を拒絶した古代の魔神そのものの姿であった。

 

しかも、その六本の腕には、それぞれ異なる凶悪極まりない武装が握りしめられている。

第一の腕には、直腸の内壁を叩き割る『鉄甲の金棒』。

第二の腕には、粘膜を容赦なく抉り抜く『十文字槍』。

第三の腕には、内圧の刃で城門を断ち切ろうとする『剛刀・波游ぎ兼光』。

第四の腕には、激辛カプサイシンと極冷麦茶のガスを臨界爆発させる『火縄銃』。

第五の腕には、括約筋の神経をすり潰す『鎖分銅』。

そして第六の腕には、城門の蝶番を力任せに抉じ開けようとする巨大な『破城槌』――。

 

 

『我をッ! 出せええええええええええええッッ!! 小僧おおおおおおおッッ!!!』

 

 

三つの口から同時に放たれる、天地を揺るがす不協和音の絶叫。

六本の腕から繰り出される、物理と化学のハイブリッド連撃。

ズドドドドドドドドッ! ギチギチギチギチッ! ドガアアアアンッ!!

外肛門括約筋の薄い扉を、六つの兵器がコンマ一秒の隙もなく乱れ打つ。

一撃受けるたびに、俺の脳天を数十万ボルトの電気ショックが貫き、奥歯の隙間から「ヒィッ!」「ンギィッ!」と情けない空気の漏れる音が漏れそうになる。

 

その阿鼻叫喚の地獄絵図を、脳内の本腸寺の天守から見下ろしていた織田信長が、煙管の先で灰をトントンと落としながら、心底同情を込めた声で呟いた。

 

 

『……ふうむ。あの金柑頭(光秀)も、遠い未来の泰平の世において、まさか己が便意の化身と成り果て、あのような奇怪極まる化け物の姿にされておるとは、夢にも思わんじゃてぇ……』

 

(確かに……ッ!!)

 

 

俺は脳内で、血反吐をぶちまける勢いで同意した。

 

 

(戦国時代の武将を美少女化したりロボットにしたりするゲームは現代に腐るほどあるがな! 明智光秀を「激辛カレーと麦茶によって魔改造された三面六臂の脱糞魔獣」として脳内に降臨させてる中学生なんて、人類史上で絶対に俺一人だけだわ!! 光秀の末裔に土下座して切腹しなきゃいけないレベルの風評被害だよ!!)

 

 

すると、信長はバッと南蛮マントを翻し、炎の立ち込める天守の欄干から、鬼気迫る形相で俺の意識へと檄を飛ばしてきた。

 

 

『猛よ、気張れ! ――否、気張るなッッ!!』

 

(どっちなんだよ信長ァァァァァァァッッ!!)

 

『気張れば即座に門が決壊して大惨事じゃ! されど精神の気を緩めれば奴の猛攻に呑まれる! 気を張れ、だが尻には一切の力を込めてはならぬ! 矛盾を生きよ猛! 五限目はもうすぐ終わるぞ!!』

 

(矛盾を生きろとか禅問答みたいな無茶苦茶を言ってんじゃねええええええええええええっっっ!!!!)

 

 

壁掛け時計の針は、すでに五限目の終了時刻まであと数分という領域に差し掛かっていた。

あと少し。あとほんの数分耐え抜けば、授業終了のチャイムが鳴り響く。

だが、その「あと数分」が、まるで光速の九十九パーセントで航行する宇宙船の中のように、途方もなく引き伸ばされて感じられるのだ。

痛い。熱い。破裂する。

六本の武器による連打が、俺の意識の境界線をガリガリと削り取っていく。

 

 

(駄目だ……っ! 薫の記憶でも、まだ奴の足を完全に止めるには至らなかった……!)

(最後だ……最後の記憶を引っ張り出せ! 俺の黒歴史の最終兵器、あの電子の怪物を脳内に召喚して、この修羅の進撃を食い止めるんだ……ッ!!)

 

 

俺は朦朧とする意識の中、小学五年生の初夏――あの、感情を機械の奥に埋没させた小さな異邦人と対峙した、奇妙極まりないあの日へと記憶のダイブを敢行した。

 

 

 

 

 

時は今から約四年前。

私立陽神学園初等部、五年生の爽やかな初夏。

 

八雲家の私有地にあるサロンのラウンジに、俺たちは集められていた。

すでに八雲美琴の周囲には、幼馴染の高橋恵、護衛の天草凛、そして知略の三枝薫という鉄壁のカルテットが完成しており、そこに俺が加わることで、学園内でもひときわ目立つグループを形成していた。

 

そこへ、八雲宗悟さんの案内で入ってきたのが――その少女であった。

 

 

『……ほほう』

 

 

脳内の信長が、目を丸くして身を乗り出す。

 

 

『南蛮との混血か。……時代は変わったのう』

 

 

信長の言う通りであった。

部屋に入ってきた少女は、陽光を溶かし込んだかのような見事なプラチナブロンドの金髪と、吸い込まれそうなほど澄み切った碧眼を持つ、日本人離れした美貌のハーフであった。

小柄な体躯に、ダボダボとした特注の白衣を羽織り、両手には最新鋭の薄型タブレット端末を抱えている。

その人形のように整った顔立ちには、一切の喜怒哀楽が存在しなかった。

体温を感じさせない冷徹な陶器の肌。まばたきすら極限まで切り詰められた無機質な双眸。まるで、高度な人工知能を搭載した最新型のアンドロイドが、少女の皮を被ってそこに立っているかのようであった。

 

八雲ガールズにおける、機械および最先端ITテクノロジーのスペシャリスト。

そして将来的に、このグループの『末っ子ポジション』へと収まることになる少女――皐月結衣(さつきゆい)である。

 

彼女の生い立ちと経歴は、この陽神学園の基準に照らし合わせても、完全に規格外の化け物であった。 父親は、八雲グループの技術的中枢である『八雲科学総合研究所』の最高責任者。

 

その超天才の遺伝子を過剰なまでに受け継いだ結衣は、幼少期から海外のギフテッド教育機関を転々とし、常人の十倍以上の速度で飛び級を重ね、十歳にしてすでに海外の名門大学で情報工学と機械制御工学の博士号(Ph.D.)を取得して帰国したという、生ける特異点(シンギュラリティ)であった。

 

サロンのソファに腰掛けた少女たちが、無言のまま立ち尽くす結衣を見て、それぞれひそひそと囁き合う。

 

 

「なあ……全然しゃべらねぇぞ?」

 

 

俺が小声で呟く。

 

 

「う~ん……大人しい娘なのかな? 人見知りさんなのかしら」

 

 

美琴が困ったように小首を傾げる。

 

 

「これまた、一癖も二癖もありそうなのが来たわねぇ……」

 

 

恵が腕を組み、鋭い視線で値踏みするように眉根を寄せる。

 

 

「うむ。宗悟様からは、ハイテクに強い御仁が新たに美琴様の輪に加わると聞いておったが……」

 

 

凛が武人特有の警戒心を滲ませる。

 

 

「あらら~? なんだか、とっても面白そうですね~」

 

 

薫だけが、ふんわりとした笑みの裏に冷徹な観察眼を光らせていた。

 

すると、結衣は無言のまま、抱えていたタブレット端末の画面をツーツーと高速でフリックした。

そして、その液晶画面を無造作に俺たちの顔前へと突き出し、一切の高低差がない、完全に機械合成された音声のような平坦な声で、淡々と語り始めたのだ。

 

 

「皐月結衣」

 

 

画面には、彼女の顔写真とともに、詳細すぎる個人データが表示されていた。

生年月日、学歴、取得特許一覧、IQ測定値――それだけならまだいい。

あろうことか、現在の正確な身長、体重、体脂肪率、骨密度、果ては未発達なスリーサイズに至るまで、ミリ単位の生体データが赤裸々にリストアップされていたのだ。

 

 

「八雲科学総合研究所の所長の娘」

 

 

淡々とした自己紹介が続く。

 

 

「パトロンである八雲宗悟の要請を受け、娘の八雲美琴の生活をIT関係、および情報セキュリティの面でサポートすることになった。……よろしく」

 

 

一通りの説明を終えると、結衣はペコリと、角度にして十五度ほどの極めて浅いお辞儀をした。

あまりの機械的な挙動に、当時、精神的に少しだけマシになりかけていたとはいえ、根が俗物なカスガキであった小学五年生の俺は、完全に困惑して頭を抱えていた。

 

脳内の信長が、腕を組んで深く感心したように頷く。

 

 

『うむ……情報の収集と伝達を制する者が、戦を制する。あの小さき板切れ一つで森羅万象を操るとは、現代において無類の武器よな』

 

 

信長が感嘆の声を漏らすが、実際の結衣の素顔は、そんな軍師のような堅苦しいものではなかった。

根っこは、動画配信と最新のゲームが何よりも大好きな、ただの好奇心旺盛な女の子なのだ。

……まあ、動画配信については、後に起きた”あの事件”のせいで、もう二度とできなくなってしまったのだが。

そのことを思い出すたび、俺の胸の奥には、鉛を飲み込んだような苦い感情がこみ上げてくる。

 

だが、この日の皐月結衣という少女の真の恐ろしさは、単なる自己紹介に留まらなかった。

彼女は感情の宿らない瞳で、少女たちを一人ひとり、無慈悲なスキャナーのように見据え始めたのだ。

 

 

「……事前に、対象者各位の行動ログおよび精神パターンのプロファイリングを完了している。認識の齟齬を防ぐため、共有する」

 

「えっ……?」

 

 

美琴が目を白黒させる。

 

結衣はタブレットの画面をタップし、まずは美琴へと視線を向けた。

 

 

「八雲美琴。八雲グループの正統なる総帥令嬢。趣味はお菓子作り、およびピアノ演奏。……特定の者に対して、重度のヤンデレ傾向を確認」

 

「えええええええええっ!?」

 

 

美琴が椅子から飛び上がりそうな勢いで絶叫し、顔を林檎のように真っ赤に染め上げた。

 

 

「ヤ、ヤンデレって何!? 私、そんな変な病気じゃないよ!?」

 

 

ジタバタする美琴。 初対面でいきなり最大級の心理的急所をノーモーションで抉り抜かれ、名門の令嬢のプライドが音を立てて崩壊していく。かわいい。

 

結衣は一切動じることなく、視線を隣の恵へとスライドさせた。

 

 

「高橋恵。八雲宗悟の筆頭側近の孫娘にして、陽神学園理事長の娘」

 

「そうよ」

 

 

恵が怪訝そうに腕を組み、フンと鼻を鳴らす。

すると、結衣はコンマ一秒の躊躇もなく、極小の単語を投下した。

 

 

「ツンデレ」

 

「誰がツンデレよおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 

恵がソファを蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり、怒髪天を衝く勢いで吠えた。

 

 

「あたしのどこがツンでどこがデレなのよ! 根拠を出しなさい根拠を!」

 

 

詰め寄るが、結衣は風が吹いた程度にしか意に介さない。

 

そのまま視線を、背筋を伸ばして座る凛へと向ける。

 

 

「天草凛。天草流の正統後継者として刀剣術を修める、八雲美琴の専属護衛」

 

「おう、その通りだ。我が太刀に一片の曇りなし」

 

 

凛が武人らしく堂々と胸を張る。

結衣は無機質に告げた。

 

 

「ブラコン」

 

「ぶっ……!? い、いや、その……姉として、弟を指導するのは至極当然の義務であって、断じて不健全な感情などでは……!」

 

 

先ほどまでの威風堂々たる剣聖の風格はどこへやら、凛は視線を泳がせ、耳の先端まで真っ赤に染めてモジモジと竹刀袋を抱きしめ始めた。完全なる自爆である。

 

そして、最後に結衣の視線が向けられたのは、優雅に紅茶のカップを傾けていた薫であった。

 

 

「三枝薫。八雲の最高顧問弁護士と帝都大教授の娘。その卓越した頭脳と思考回路は、危険度判定において『Aクラス』に分類」

 

「ふふふ~、お姉さんは危ないわよ~?」

 

 

薫は余裕たっぷりに微笑み、首を傾げてみせる。

だが、結衣の冷徹な分析は、その分厚い猫の皮すらもミクロン単位で透過していた。

 

 

「特定の者の前においてのみ、デレデレ」

 

 

ピキッ、と薫の笑顔の端が微かに痙攣した。

 

 

「……ふふ」

 

 

薫の瞳の奥から、スッと光が消え失せ、底知れぬ暗黒のブラックホールが現出する。

紅茶のカップを持つ白く細い指先から、ギリギリと陶器が軋む音が響いていた。

 

恐るべし、皐月結衣。

陽神学園の頂点に君臨する四人の美少女たちの生態と深層心理を、出会って数分で完膚なきまでに丸裸にし、サロン内を文字通りの修羅場へと叩き落としたのだ。

 

そして――。

一通り少女たちを精神的に解体し終えた電子の妹神は、ゆっくりと、その冷徹な双眸を俺へと向けてきた。

 

 

じ~~~~~~~~~~~~~~~~っ。

 

 

息が詰まるほどの、超高精度のスキャニング視線。

あまりの無言の圧力に、小学五年生の俺は思わず後退りした。

 

 

「な、なんだよ……?」

 

「九条猛」

 

「お、おう」

 

「八雲美琴たちの、幼馴染」

 

「そうだが……?」

 

 

結衣はタブレットの画面をトントンと指先で叩きながら、淡々と、しかし異様なほど滑らかな早口で俺の情報を読み上げ始めた。

 

 

「現所属は陸上部短距離走。先日の全国小学生陸上競技大会において、男子百メートル走で大会新記録を樹立して全国優勝した実績を持つ。……天草凛の苛烈なシゴキ、および高橋恵との日常的な肉体鍛錬によって極限まで鍛え上げられた結果と推測」

 

「う、うん……まあ、あいつらのお陰なのは否定しねえけど……」

 

「陽神学園初等部における学業成績は、学年常に十台をキープ。……三枝薫を筆頭とするスパルタ教育の成果と判定」

 

「あ、合ってるな……」

 

「さらに、校内においては彼女たち上流階級の令嬢のみならず、一般生徒、運動部員、教師陣、果ては用務員に至るまで、極めて広範かつ強固な交友関係を構築」

 

「そりゃあ、普通に男友達だってたくさんいるよ?」

 

 

俺が苦笑いを浮かべた、その瞬間であった。

 

結衣の瞳が、カッと鋭く、怜悧な光を放ったのだ。

 

 

「――身体能力、頭脳、精神力、いずれも同年代の平均値を遥かに凌駕する極めて高水準。だが……それら肉体的スペック以上に、『無自覚に周囲の人間を惹きつける天性の人心掌握能力』こそが、この個体の真の脅威」

 

 

結衣はタブレットを胸元に引き寄せ、宣告するように言い放った。

 

 

「危険度判定――『Sクラス』。最重要監視対象に指定」

 

「ちょ、まッ!? Sクラス!?」

 

 

俺は飛び上がった。

薫のAクラスを超えて、俺が最高ランクの危険生物指定!? どんな評価基準だ!!

 

だが、結衣の無慈悲な個人情報開示(ドキシング)は、そこからさらに暴走を始めたのだ。

 

 

「情報開示レベル、最大に設定」

 

「おい、やめろ!」

 

「九条猛。趣味はスポーツ全般、および読書。好物は実母・九条雅のカレー。利き腕は右。下着はボクサーブリーフではなく、開放感を重視したトランクス派」

 

「ぶっ……!?」

 

 

サロン内の空気が凍りついた。

美琴たちが一斉に耳をそばだて、顔を真っ赤にしながらも視線を逸らさなくなる。

 

 

「ちょ、お前なんでそんなことまで知って――」

 

 

結衣は俺の静止を完全に無視し、機械のように滑らかに言葉を紡ぎ続ける。

 

 

「入浴時、身体を洗う順序は――必ず『股間』から」

 

「ぎゃああああああああああああああっっっ!?」

 

「さらに、密かに閲覧している深夜のインターネット検索履歴における、最近の急上昇トレンドワードは――『巨乳』『水着』『年上の美人お姉様系』……」

 

「それ以上言うなあああああああああああああああああっっっ!!!!」

 

 

男の尊厳! 思春期のプライバシー! デリケートゾーンの全て!

世界で一番知られたくない幼馴染たちの前で、俺の性癖と生活習慣の全てが四方八方に大音量で開示されていく!

俺は恥辱で発狂しそうになりながら、結衣の口を塞ごうと猛然とダイブした。

 

その瞬間。

 

 

「――迎撃行動へ移行。鎮圧装置、起動」

 

 

バチバチバチバチッッッ!!!!

 

 

「しゅびばばばばばばばばばばばあああああああああああああっっっ!?!?!?」

 

 

激痛。衝撃。閃光。

結衣の羽織っていた白衣の裾から、目に見えるレベルの青白いスパークが炸裂した。

彼女が自作したという対人護身用スタンガジェットから放たれた高圧電流が、ダイブした俺の全身を直撃したのだ。

骨が透けて見えるのではないかというほどのショックを受け、俺はサロンの絨毯の上で派手に痙攣しながら白目を剥いて転がった。

 

 

「も、猛ーーーーーーーっ!?」

 

 

美琴が悲鳴を上げて駆け寄ってくる。

 

結衣は煙を上げるガジェットを袖口にしまい、息一つ乱さずに淡々と告げた。

 

 

「ん、大丈夫。心停止を起こさないよう、非殺傷レベルの電圧に調整済み。後遺症は残らない」

 

 

絨毯の上でプルプルと震えながら煙を吹く俺を見下ろし、恵が腕を組んで、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

「……へえ。このバカをコントロールするのに、結構役立ちそうじゃない?」

 

 

凛も腕を組み、感心したように深く頷く。

 

 

「うむ。猛よ、男子が妙齢の女性に興味を抱くこと自体は恥ではない。……だが、美琴様という至宝があり、この姉を差し置いて年上のお姉様に現を抜かすとは言語道断。煩悩を克服するための精神鍛錬メニューも、明日から道場に追加せねばならんな」

 

 

さらに薫が、底知れぬ笑みを湛えて俺を見下ろしてきた。

 

 

「ふふ……なんだか、これからとっても楽しくなりそうねぇ、猛ちゃん?」

 

 

サロンの天井から降り注ぐ、美少女たちの慈悲なき視線。

床の上で感電の余波に震える俺。

――これが、俺と皐月結衣との、記念すべき最悪のファーストコンタクトであった。

 

 

 

それからの日々は、まさに波乱の連続であった。

結衣は「Sクラス危険人物の行動監視」という名目を盾にして、事あるごとに俺の自宅――九条家の俺の部屋に入り浸るようになったのだ。

 

放課後になれば当然のように俺の部屋のベッドを占領し、二人で対戦ゲームに明け暮れたり、ネット上で話題の動画配信を共同で企画して配信したり、あるいは結衣が思いつきで開発した怪しげな珍妙ガジェットの実験モルモット(テスター)として俺が何度も感電させられたり。

俺の両親――大和と雅も、最初は驚いていたものの、持ち前の底抜けのおおらかさを発揮し

 

 

「まあまあ、猛に可愛い妹ができたみたいで賑やかでいいじゃないか!」

「結衣ちゃん、今日も泊まっていくでしょう? ご飯大盛りにしとくわね!」

 

 

と、あっという間に結衣を家族の一員として受け入れてしまったのだ。

おおらかすぎるだろ、俺の両親!

 

そんな生活が日常化してしまった結果、今となっては――結衣が風呂上がりに下着姿のまま俺のベッドで無防備に丸まって熟睡していても、俺は下心を抱くどころか、ただの日常風景として「風邪引くぞ」とため息を吐きながら毛布をかけてやるようになってしまった。

慣れとは、本当に恐ろしいものである。

 

脳内の本腸寺で、信長が紫煙を吐き出しながら、心底呆れ果てた声で呟いた。

 

 

『ううむ……すっかり懐いておるのぉ。……いや、これは懐くなどという生温いものではないな。完全なる「依存」じゃ。猛、貴様……女を無自覚に沼の底へと沈め落とす、天賦の魔才を持っておるぞ』

 

(魔才とか言うな! 俺はただ普通に接してるだけだっつの!)

 

 

だが、この「結衣が俺の部屋に入り浸っている」という事実を、美琴たちにうっかり話してしまった時の修羅場は、今思い出しても背筋が凍る。 美琴の瞳からは光が完全に消え失せて部屋の温度が氷点下まで下がり、恵は無言でコップを握りつぶし、凛は抜刀の構えを取り、薫は笑顔のまま凍りついていた。 滅茶苦茶に殺気立ったあの空気……やはり、年頃の女の子が男の部屋に入り浸るというのは、客観的に見て不味いよなぁ。

 

すると、信長が本気でドン引きした声を上げた。

 

 

『お前……マジで言っておるのか?』

 

(え? なんだよ信長?)

 

 

信長は天を仰ぎ、深く頭を抱えて沈黙してしまった。

 

……まあ、美琴たちはともかくとして。

 

あの事件。 俺の身体がボロボロになり、二度と走れなくなった事件以来――結衣は、俺の傍から絶対に離れようとしなくなってしまったのだ。 普段は無表情を貫いているが、少し前までは俺と離れていると、目に見えて呼吸を乱し、パニックを起こしかけるほどに。

 

かつて二人で楽しんでいた動画配信も、事件の後に警察上層部と公安から「九条猛の顔と個人情報をこれ以上ネット上に晒すのは国家警備上、極めて危険である」と厳しく禁止され、二度とできなくなってしまった。

結衣もまた、「猛と一緒じゃないなら、配信なんて何の意味もない」と言い残し、何百万人ものチャンネル登録者がいたアカウントを自ら跡形もなく削除してしまったのだ。

 

まいったな、本当に。 あいつとの関係を考えないと。

 

……いや、その真剣な悩みは、この下腹部の地獄の便意を無事に済ませた後に、ゆっくりと考えよう。

 

そう思った、まさにその瞬間であった。

 

ピクッ、と俺の第六感が警報を鳴らした。

 

教室内の空気が、またしても不穏な変貌を遂げる。

感じる視線が、さらに増えた。

 

……うん。来ると思ったよ。

美琴、恵、凛、薫と来て、この少女が反応しないはずがなかった。

 

俺は脂汗で濡れた顔をミリ単位で動かし、自席から見て右斜め後方――最新鋭のタブレットを机の上に伏せている金髪碧眼の美少女へと視線を向けた。

皐月結衣だ。

 

グループの中で最も付き合いの期間は短いが、同じ部屋で何年も寝泊まりし、互いの生活習慣も生体データも知り尽くしている仲である。

 

 

(……猛)

 

 

感情の削ぎ落とされた、しかし切迫感を孕んだ電子の声が脳内に響く。

 

 

(体表面温度の急激な上昇。前額部および頸部における異常発汗量の検知。呼吸サイクルの乱れ、心拍数毎分百二十を突破。……さらに、下腹部を中心とする不自然極まりない微小筋肉の痙攣を確認)

 

 

瞬時にバイタルデータをスキャンしてくる結衣。

やはりこの娘の観察眼は、もはや生身の人間の領域を完全に逸脱している。

 

 

(……重大な内臓疾患、あるいは過去の銃創による腹腔内癒着の急性再発の可能性が極めて濃厚と判定。――直ちに八雲グループ専属の特別医療航空チームへ出動要請を送信。屋上ヘリポートへドクターヘリを急行させ、都内大学病院への緊急空輸シーケンスを開始する)

 

(やめろ結衣ィィィィィィィッッ!!!!)

 

 

俺は心の中で、机をひっくり返す勢いで絶叫した。

 

 

(ヘリを呼ぶな! 医療チームを動かすな! 大ごとにするんじゃねええええええええっ!! 俺は大丈夫だ! 本当に大丈夫だから!!)

 

 

必死の形相で通信回線越しに手を振る俺。

だが、その俺の必死の訴えに対し、結衣のセルリアンブルーの瞳は絶対零度の冷徹さを保ったまま、残酷極まりない数値を弾き返してきた。

 

 

(――『九条猛の大丈夫』。……過去の言行ログに基づく信用度判定、マイナス一〇〇〇パーセント)

 

(マイナス一〇〇〇パーセントォォォォォォォッッ!?!?)

 

 

薫の『大量殺人犯の供述以下』に続いて、今度はマイナス千パーセントの暴落評価!?

俺の「大丈夫」という言葉は、一体どんな破綻国家のデフォルト寸前ジャンク債券なんだよ!?

 

しかし、俺が脳内で血反吐を吐きながらツッコミを入れた、その直後であった。

結衣の無機質だったはずの双眸が、ふっと揺らいだ。

陶器のように滑らかだった白い頬が微かに強張り、長い金色の睫毛が、見る見るうちに涙の膜で濡れそぼっていく。

 

 

(……猛)

 

 

泣きそうになる結衣。

感情を失っていたはずのアンドロイドのような少女が、今にも壊れそうな子供のような顔をして、俺の横顔を見つめていた。

 

 

(お願いだから……嘘をつかないで……)

 

 

心臓を鷲掴みにされるような痛烈な感覚。 結衣のそんな悲痛な顔を見るのは――あの日以来、何度も見てきた表情だった。

 

自分の無茶のせいで、この小さな少女にどれほどのトラウマを植え付けてしまったのか。 その罪の重さは、俺自身が誰よりも痛烈に理解している。

 

だが!

 

今の九条猛は、古傷が痛んで死にかけている悲劇の主人公などでは断じてない!

ただ単に、激辛カレーのスパイスと冷たい麦茶に大腸を破壊され、教室のど真ん中で『う○こ』を死ぬ気で我慢しているだけの、哀れな中学生なのだ!

 

便意を必死に我慢しているだけの阿呆な理由で、こんな純粋な少女を本気で泣かせかけているなんて……!

情けねえ! 情けなさすぎて、こっちが血の涙を流して号泣したいわッ!!

 

脳内の本腸寺で、信長が深く嘆息し、紫煙を天へと吐き出した。

 

 

『……結衣とやらの感情は、貴様の手によってすっかりぐちゃぐちゃに解体されておるな。幼少より孤独に生き、家族と接する温もりも知らず、友もおらなんだあの純白の魂に対し……九条猛、貴様の存在は猛毒中の猛毒よ』

 

(だから、どうして俺が危険人物扱いなんだよ信長ァァァァァァッ!! 俺はただ仲良く家族ごっこしてただけだろ!!)

 

 

俺が脳内で信長と掴み合いを繰り広げていると、結衣の通信が、唐突に予期せぬ方向へと舵を切った。

 

 

(……猛)

 

(結衣……?)

 

(……今朝)

 

 

ピクリ、と俺の背筋が凍りついた。

 

 

(雅母さんの、激辛特製カレー)

 

(ギクゥゥゥゥゥッ!?)

 

 

心臓が跳ね上がった。

そうだ。結衣は今朝、九条家の食卓で、俺と一緒に朝食を囲んでいたのだ!

結衣自身は極度の猫舌かつ辛いものが苦手なため、雅母さんが特別に作った甘い卵焼きのサンドイッチを食べていたが――その目の前で、調子に乗って地獄の激辛カレーを大盛りで三杯平らげていた俺の姿を、彼女はバッチリと網膜に記録していたのだ!

 

 

(……猛、おかわり、たくさんしてた)

 

(ギ、ギクギクゥゥゥゥゥッッ!!)

 

 

冷汗が噴水のように吹き出す。

結衣の超天才頭脳が、俺のバイタル異常、発汗パターン、下腹部の微小振動、そして今朝の摂取栄養素データを、超並列演算で結合していく。

 

 

(激辛カプサイシン過剰摂取による消化管粘膜の急性炎症……および、昼休みに猛が自販機で冷たい麦茶を一気飲みしていた目撃証言ログとの照合完了)

 

(やめろ……ッ! 演算を止めるんだ結衣ッ!!)

 

(導き出される結論。……猛、もしかして、今……)

 

(――通信は終わりだ! 以上ッッ!! 切断ッッッ!!!!)

 

 

俺は血相を変えて、精神の光ファイバーを力任せにブチ切り、結衣の射抜くような眼光から力任せに首を逸らした。

 

不味い。不味すぎる。

勘づかれたか!?

いや、完全にバレただろ今の推論プロセスは!

あああああああああああっ!! 妹みたいに可愛がってる同い年の少女に、「あいつ、教室でクソ漏らしそうになって耐えてるんだ」って真実を知られちまったのかあああああああああっっ!?

 

死にたい。

今すぐ教室の床が抜けて、地球の裏側のブラジルまで自由落下したい。

だが!

 

(いや……まだだ! まだ誤魔化せるッ!!)

 

俺は机を爪が割れるほどの力で握りしめ、必死に思考をポジティブに書き換えた。

まだ結衣は確証を得ていない! 「もしかして」の段階で通信を強制遮断したのだ!

このまま授業終了まで耐え抜き、チャイムが鳴った瞬間に男子トイレへ駆け込み、全てを安全に放出した後――何食わぬ顔で爽やかなイケメンスマイルを浮かべて教室に戻り、

『いやぁ、ちょっと腹筋の筋トレを極限までやってたら痙攣しちゃってさ!』

と爽やかに笑い飛ばせば、全ては完全犯罪として闇に葬ることができるはずだ!!

 

俺は奥歯を噛み締め、三面六臂の魔神・光秀の六つの武器による総攻撃に対し、魂の全質量を注ぎ込んで最終防衛門をガッチリとロックした。

 

その、瞬間であった。

 

 

キーン――コーン――カーン――コーン……。

 

 

静まり返っていた陽神学園の校舎に、第五限の終了を告げる、あまりにも美しく、あまりにも神々しいチャイムの音が鳴り響いた。

 

 

「……え~、では本日の講義はぁ、ここまでぇ……号令は結構ですよぉ……」

 

 

前方の教壇で、竹下先生がのんびりと教科書をパタリと閉じる。

周囲のクラスメイトたちが、まるで呪縛から解き放たれたかのように「ふう……」「やっと終わった……」と一斉に息を吐き出し、ハッカ油のティッシュを鼻から抜いたり、ウェアラブル端末の電源を切ったりし始めた。

 

終わった。

五限目が、終わったのだ。

 

 

「ふ……っ、く……っ!」

 

 

張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、全身から力が抜けそうになる。

だが!

俺は、弛緩しかけた外肛門括約筋を、間一髪のところで再び油圧ジャッキのようにギュウギュウに締め上げた。

 

 

(安堵するな……! ここで気を抜いたら、その瞬間に全てが終わるッ!!)

 

 

そうだ。

授業が終わったということは、ただの「第一フェーズ(籠城戦)」の終了を意味するに過ぎない。

真の地獄――最も危険で、最も決壊のリスクが高い「第二フェーズ(進撃戦)」の幕が、今まさに切って落とされたのだ!

 

立ち上がらなければならない。

椅子から腰を浮かせた瞬間、下腹部にかかる重力のベクトルが激変する。

そして、歩行運動。

一歩、また一歩と足を踏み出すたびに生じる上下の振動エネルギーは、疲弊しきった俺の括約筋を情け容赦なく破壊しにかかるだろう。

さらに、周囲の視線。

心配そうにこちらを見つめる美琴、怪しむ恵、過保護な凛、冷徹な薫、そして真相に迫りつつある結衣――彼女たちの追撃を振り切り、何食わぬ顔でこの教室を脱出し、廊下の彼方にある男子トイレの個室まで、辿り着かなければならないのだ!

 

立ち止まれば死。

走っても振動で死。

他人に話しかけられて返答のために腹圧が緩んでも死。

まさに、針の穴に糸を通すような、極限のサバイバルミッション!

 

その時。

脳内の本腸寺の天守で、紫煙を燻らせていた織田信長が、腰の太刀を一気に引き抜いた。

紅蓮の覇気が、俺の脊髄を灼熱のエネルギーで満たしていく。

信長は獰猛極まりない、天下の第六天魔王の笑みを顔いっぱいに広げ、天を突かんばかりの咆哮を上げた。

 

 

『うむ! これぞ貴様の桶狭間にして、関ヶ原の合戦じゃッッ!!』

 

 

信長の太刀が、男子トイレの方向を真っ直ぐに指し示す。

 

 

『一歩誤れば、全身う○こに塗れて社会的に爆死する敗軍の将! されど見事に城門を死守して個室へと滑り込めば、男の尊厳と初恋の天下を掴み取る覇王! いざ……征くぞ、九条猛ッッ!!』

 

 

背筋に熱い電流が駆け抜ける。

俺は机の天板からゆっくりと指を離し、奥歯を砕けんばかりに噛み締め、血走った両目をカッと見開いた。

 

 

(おうッ!!)

(ついてこいよ、信長ァァァァァァッッ!!!!)

 

 

九条猛、十五歳。

男の尊厳、初恋の命運、そして全人生を賭けた――人類史上最も過酷な進撃戦が、今、ここに幕を開けたのである――!




色んな創作があれど、明智光秀をこんな扱いしたのは僕だけでは?
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