トイレ・オブ・ザ・デッド ~織田信長と逝く本腸寺の変~ 作:ナオ3
机にしがみついて耐え忍ぶだけの『第一フェーズ・籠城戦』が終わり、自らの二本の足で立ち上がり、歩行振動に耐えながら男子トイレの個室まで踏破しなければならない『第二フェーズ・進撃戦』という名の、真の修羅場が幕を開けた。
(立たなきゃ……立たなきゃいけないんだ……ッ!)
俺は机の木製天板を掴んでいた両手の指先に、全体重の七割を預けた。
爪は血の気が完全に引いて白蝋のように変色し、繊維がミシミシと軋んだ悲鳴を上げる。
椅子から、わずかに腰を浮かす。
――その瞬間。
ズゥゥゥゥンッ……!!
下腹部の最深部にかかる重力のベクトルが、劇的な垂直落下運動を始めた。
座っていたことによって奇跡的なバランスで分散されていた内臓の質量が、一気に十センチほど下方――直腸の終端部へとドス黒い圧力となって叩きつけられたのだ。
(ぐ……っ! 吸って……吐いて……いや、吐きすぎるな! 横隔膜が緩めば腹圧が跳ね上がる……ッ!)
膝がガクガクと小刻みに痙攣する。
大腿四頭筋に乳酸が充満し、油圧ジャッキのようにミリ単位で両膝を伸ばしていく。
呼吸を極限まで浅く保ち、下半身の筋肉という筋肉をダイヤモンドの硬度にまで収縮させながら、俺はついに――両足で教室の床へと直立した。
立ち上がった。
第一の難関は突破した。
だが、本当の地獄はここからだ。
歩行運動。
人間が前に進むために不可欠な、足を交互に踏み出し、重心を移動させるという運動。
それはすなわち、一歩踏み出すたびに発生する上下の衝撃波(インパクト)を、疲弊しきった外肛門括約筋へダイレクトに叩きつける狂気の自殺行為に他ならない。
(頼む……もってくれよ、俺の城門……ッ!!)
俺は脂汗で濡れた奥歯をギリギリと噛み締め、右足を前方の寄木細工の床へと、ゆっくりと、恐る恐る踏み出した。
コツン。
上履きのゴム底が、床板に触れた。
まさに、その刹那であった。
『――くらえ九条猛うううううううッッッッ!!!!』
結腸の深淵、紅蓮の炎が立ち込める『本腸寺』の天守から、三面六臂の異形と化した明智光秀(便意)が、第四の逞しい腕に構えた長大な火縄銃の引き金を無慈悲に引き絞った。
ドガアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!
閃光。
硝煙。
直腸の内壁を至近距離から粉砕するような、物理的破壊力を伴った致死性の衝撃波。
今朝の激辛カレーに含まれていた過剰なカプサイシン粒子と、昼休みに流し込んだ極冷麦茶が化合して生成された、超高圧のバイオガス弾頭が、俺の肉体の内側を真正面から撃ち抜いたのだ。
(ぐ……っ、ぎゃあああああああああっっ!?!?)
脳天を焼き焦がすような衝撃。
腹膜の裏側を、真っ赤に熱した鉄の杭で力任せに抉り抜かれたような激痛が走る。
神経回路という神経回路が過負荷で焼き切れ、視界が真っ白に明滅した。
右足の爪先から頭蓋骨のてっぺんまで、全身の細胞が「今すぐ全てを外へ放り出せ」と狂乱のサイレンを鳴り響かせる。
だが――。
その突き抜ける激痛が脊髄を駆け抜けた瞬間、俺の意識の底に、ある強烈な記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
――あれは、一年前。 中学二年生
ヤクザの放った銃弾が、俺の下腹部を真正面から貫通した、あの瞬間の記憶。
肉を焼き裂き、腹膜を突き破り、骨を削りながら突き進む鉛の弾丸の、焼けるような熱さ。
内臓を掻き回され、視界が血の色に染まり、呼吸すら許されなかった、あの極限の致死性ショック――!
(懐かしい……っ!)
俺は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、プルプルと激しく痙攣する両膝に全体重を叩きつけて踏み止まった。
(懐かしい痛みだ……ッッ!!)
そうだ。
今、俺の大腸を内側から撃ち抜いているこの便意の火縄銃など、どれほど破壊力があろうとも、同じ『腹の激痛』の範疇に過ぎない!
もしも。
もしも俺に、銃弾に肉を貫かれたという地獄の経験がなかったとしたら。
俺はこの右足の一歩目を踏み出した瞬間に、教室のど真ん中で下半身から大爆発を引き起こし、社会的にも生物学的にも完全に絶命(お漏らし)していたに違いない!
過去のバイオレンスな修羅場の経験が、まさかこんな間抜け極まりない便意の防衛戦において、命を繋ぎ止める防弾チョッキとして機能するとは何の因果か!
生きている。俺の城門は、まだ辛うじて破られていない!
しかし、どれほど精神力で耐え抜こうとも、肉体にかかる物理的な負荷までは完全に打ち消せない。
あまりの激痛の質量に耐えかねて、俺の喉の奥から、カエルの潰れたような無様な悲鳴が漏れ出してしまった。
「ご、ごあ……っ!?」
空気の抜けたような、情けない絶叫。
その異様な音を聞き逃すはずのない人間が、すぐ真横にいた。
「ねえ、本当に大丈夫なの猛!?」
鈴の音を曇らせたような、切痛極まりない心配そうな声。
ハッと横を見れば、隣の席から立ち上がった八雲美琴が、陶器のように白い顔を蒼白に染め、黒檀の瞳に大粒の涙を滲ませてこちらを見上げていた。
両手を胸の前で固く握りしめ、小刻みに震わせている。
(ゴメン、美琴……っ! 本当にごめんなさい……っ!!)
俺は心の中で、両手を合わせて五体投地した。
(お前を心配させたくてこんな声を出したんじゃないんだよ! お前が今、純粋な善意と慈愛で心配してくれているこの男はな……ただ単に、朝の激辛カレーと昼の麦茶のせいで、猛烈にう○こを我慢しているだけなんだよおおおおっ!!)
「……っ」
美琴の痛ましい視線を受け止めながら、しかし、俺は一言の返事すら返すことができない。
返事が、出来ないのだ。
なぜなら、今の俺の身体構造において、「声帯を震わせる」という行為は、即座に死を意味するからだ。
声を出すためには、肺から空気を押し出さなければならない。
空気を押し出すためには、横隔膜を弛緩させなければならない。
そして、横隔膜がコンマ一秒でも緩めば、連動して下腹部の油圧バルブが外れ、喉から言葉ではなく断末魔の絶叫が飛び出すと同時に、後ろの門が木っ端微塵に吹き飛ぶ!
口を開くことすら許されない、完全なる沈黙の肉体牢獄。
すると、俺が苦悶のあまり沈黙したその隙を、便意の化身は見逃さなかった。
脳内の本腸寺で、火縄銃の煙を吹き散らした明智光秀が、三つの鬼面を歪めて嘲笑った。
『ちいッ! なんというしぶとい奴だ……! 火縄の一斉射撃を受けてなお城門を死守するか!』
光秀は第一の腕の金棒、第二の腕の十文字槍、そして第三の腕に握った波游ぎ兼光の刀身をギラリと輝かせた。
『なら直接切り刻んでやるわッ!! 内壁ごと八つ裂きにして門を開けてやるぞ小僧おおおおおッッ!!』
三面六臂の巨躯を揺らし、怒涛の勢いで直腸の防壁へと肉薄して近寄ろうとする光秀。
六本の武器が放つ殺気の嵐。もはや生身の筋力では防ぎようのない直接攻撃。
だが――その進撃の前に、突如として天を焦がす紅蓮の火柱が立ち昇った。
ボオオオオオオオオオオッッ!!
『やらせんよ、金柑頭』
立ち込める業火の中から悠然と現れたのは、黒漆塗りの南蛮甲冑に身を包んだ織田信長であった。
信長は獰猛な笑みを浮かべ、両の手の平を光秀へと突き出した。
その掌の中心から――ゴオオオオオッ! と、ドラゴンブレスのごとき超高熱の火炎が放射され、迫り来る光秀の足を強引に焼き止めたのだ。
(の、信長……!?)
俺は脳内で、目玉が飛び出るほどの衝撃を受けた。
(手から火を放った!? 手から火を出して光秀を止めたぞこの第六天魔王!?)
信長って、火属性なんだな。
……なんか、妙に納得。
本能寺の変で派手に燃え尽きた男だからな。
後世のゲームやアニメでも、織田信長というキャラクターは大抵、火炎属性か暗黒属性の使い手として描かれるのが定番だ。
燃え盛る炎の中で舞を舞い、手から火炎を乱射する姿が、これほど似合う戦国大名も他にいないだろう。変なところで納得がいってしまう自分が心底悔しい!
『信長ぁぁぁぁぁぁぁッッ!!』
炎に焼かれながら、光秀が怒りの咆哮を上げる。
『やかましいわ! 天下布武の覇道において、貴様ごときの便意の反乱など一歩たりとも通道させんわッ! 燃え盛る業火の味を思い出せぃッ!!』
ズドドドドドドッ! ボガアアアアンッ!!
脳内の本腸寺で、手から火炎を乱射する信長と、六本の腕で刃を振り回す光秀による、神話級の激しい戦いが繰り広げられる。
俺は今、ものすごい戦いを脳内で観ているわけだが――。
(気にする余裕は、これっぽっちもねえええええええええええええっっ!!!!)
自分の身体の中で起きている超常現象にツッコミを入れている暇など、コンマ一秒すら存在しないのだ!
「猛っ!?」
教室の前方から、椅子を蹴り飛ばすような勢いで高橋恵が駆け寄ってくる。
制服のスカートを翻し、切れ長の瞳を血走らせている。
「どうしたのだ、猛!? 顔色が尋常ではないぞ!」
左斜め後方からは、天草凛が竹刀袋を小脇に抱えたまま、武人の鋭い歩法で間合いを詰めてくる。
「猛ちゃん……!?」
窓際からは、三枝薫が普段のふんわりとした笑みを完全にかなぐり捨て、血相を変えて早足で迫る。
「猛……! バイタルデータ、完全に危険水域へ突入……!」
皐月結衣が青ざめた顔でタブレットを握りしめ、小走りで輪に加わる。
幼馴染カルテットが、瞬く間に俺の周囲を取り囲む。
それだけではない。
「おい、九条のやつ、マジでヤバくないか……?」
「保健委員、呼んでこようか!?」
「担架、誰か体育館から担架持ってきた方がいいんじゃないか!?」
教室中のクラスメイトたちも、とても心配している顔だ。
普段は気位の高い名門の令嬢や御曹司たちまでもが、純粋な善意と心配の表情を浮かべ、ワラワラと俺の周囲を取り囲み始めたのだ。
(ごめんな、みんな……っ!)
俺は冷や汗で視界を滲ませながら、心の底からクラスメイトたちに詫びた。
(う◯こを我慢してるだけやねん……!)
客観的に考えれば、奇跡のような光景であった。
過去にあれだけの大惨事――日本中の警察上層部や政界の大物たちの首を軒並み吹き飛ばすという、前代未聞のスキャンダルを巻き起こした俺なのだ。
普通の学校であれば、腫れ物に触るように孤立させられ、怯えられ、教室の隅で排斥されていても何一つ文句は言えない。
だが、この陽神学園の生徒たちは、俺を拒絶しないどころか、心から仲間として受け入れてくれたのだ。
そんなみんなには、感謝しかない。一生をかけても返しきれないほどの恩義がある。
そんな大切な友達だが――。
しかし!
今この瞬間、この空間に満ち満ちている純粋無垢な友情と善意は――!
(今は、俺を社会的に殺そうとする最凶最悪の敵なんじゃあああああああああっっっ!!!!)
触れるな! 話しかけるな! 頼むから俺に関わらないでくれ!
今の俺の肉体は、過熱した液体のニトログリセリンよりも遥かにヤバい超高圧危険物なのだ!
誰かの一言、誰かの指先が触れたその振動一つで、この教室は不可逆のバイオハザード地獄へと叩き落とされる!
そして――最悪の瞬間が訪れた。
「猛、保健室に行こ?」
美琴が、意を決したようにその可憐な両手を伸ばしてきた。
俺の腕を支え、自らの肩を貸そうとする、触れようとする美琴。
その白く細い指先が、俺のブレザーの袖口に触れようとした――まさに、その刹那!
『――避けろ猛ッッッッ!!!!』
脳内の本腸寺で、火炎を放ちながら信長が絶叫した。
バッ……!!
信長の声に反応し、俺の身体は咄嗟に動いていた。
美琴の差し伸べた手を――ボクサーのスウェーバックの如く、上体をわずかに後方へと反らすことで、完全に避けてしまったのだ。
スカッ、と空を切る美琴の手。
「え……?」
美琴の黒檀の瞳が、信じられないものを見たかのように大きく見開かれた。
その陶器のように白い頬から、スッと血の気が引いていく。
差し伸べた手を宙に浮かせたまま、ショックを受ける美琴。
彼女の表情に刻まれたのは、純粋な衝撃と、拒絶された悲哀であった。
俺はそんな美琴を無視して、廊下に出る。
機械仕掛けの人形のようなぎこちない足取りで、前扉をガラガラと開け放ち、教室の外へと飛び出したのだ。
あああああ……!
廊下を歩きながら、胸が引き裂かれそうだった。
幼なじみとはいえ、なんて無礼な……!
心配してくれるみんなの想いを踏みにじって、本当に申し訳ない!
本当にごめんなさい! 万死に値する!
(許してほしい、ほんと少しでも緩めば爆発するんだ!!)
今の俺は、液体のニトログリセリンよりも遥かにヤバい危険物なんだよ!
ほんの一握りの振動、ほんの少しの脱力で、半径数メートルが吹き飛ぶのだ!
でも――う○こ我慢してるなんて知られたくない!
あの八雲美琴に、そして学園のみんなに、「九条猛は教室でウンコを漏らしそうになって逃げ出した」なんて知られるくらいなら、俺は冷酷無比な悪党として嫌われた方がまだ一億倍マシだ!
教室を出た。
目の前に広がっているのは、私立陽神学園が誇る白亜の廊下だ。
磨き抜かれた寄木細工の床板、高い天井、アーチ状の美しい窓から差し込む長閑な陽光。
普段は綺麗で広い廊下だが――今の俺には、完全に『関ヶ原』に見える。
血で血を洗う、東軍西軍数十万が激突し、死屍累々の山を築き上げる関ヶ原の戦場そのものだ。
一歩。
ズンッ。
二歩。
ドスッ。
足を前に運ぶたびに、頭蓋骨のてっぺんから爪先までを凄まじい衝撃波が駆け抜ける。
括約筋を極限まで締め上げているせいで、両膝を曲げることができない。
結果として、俺の歩行フォームは「腰を不自然に引いたまま、両足を棒のように真っ直ぐ突っ張って進む」という、奇怪極まりないゾンビのようなものになっていた。
さらに、その顔面。
噴き出す冷や汗で前髪は額にドロドロと張り付き、こめかみと首筋には紫色の太い血管がミミズのように浮き彫りになり、見開かれた両眼は充血して真っ赤に血走り、奥歯を噛み締めすぎて唇の端からは微かに血が滲んでいる。
その、この世の全ての怨嗟を煮詰めたような俺の顔を見た同級生達は、次々と悲鳴をあげる。
「ひいいい!!?」
「え、なに、あの顔!!?」
「こ、怖い……!」
「みんな逃げろお!!」
「九条が殺意を滾らせて歩いてるぞぉ!!」
「一体誰を殺そうとしてるんだ!?」
パニック映画の群衆のように、蜘蛛の子を散らす勢いで左右の壁際へと飛び退いていく生徒たち。
抱えていた教科書を取り落とす女子生徒、腰を抜かして床にへたり込む男子生徒、恐怖のあまりロッカーの中に飛び込んで鍵を閉める生徒までいた。
みんなが怯えてる。
どうやら俺は、相当おかしい顔をしてるようだ。
(ちゃうねん……ッ!!)
俺は脳内で、血の涙を流しながら必死の弁明を叫び散らした。
(ちゃうねんみんな! 誰も殺すつもりはないねん! 誰も恨んでへんねん!!)
確かに。
確かに去年、美琴たちを拉致しようとしたヤクザを斬り殺し、頭をチャカ(拳銃)で吹き飛ばした過去はあるけど!
あんな事は、もうしないよ……。
……美琴達に手出ししなければ。
今の俺が放っているこの凄まじい殺気の正体は、他者への憎悪などではない!
ただひたすらに、己の大腸内で暴れ狂う『排泄欲求』を力任せにねじ伏せるための、自己防衛のエネルギーなのだ!
すると、脳内の本腸寺から、信長の低く鋭い一喝が飛んできた。
『無視しろ、猛ッ!』
(の、信長……!?)
『今の貴様に、些事を気にする余裕など無い! 男子トイレはまだ先ぞッ!!』
(すまない、みんな……)
俺は心の中で全校生徒に深く謝罪しながら、次々と悲鳴をあげさせながらトイレに向かう。
一歩、また一歩。阿鼻叫喚の関ヶ原を、男の尊厳を賭けて突き進む!
だが、敵もさる者であった。
俺が廊下を突き進む背後から、結腸の防壁を突き破るような轟音が響き渡る。
『まてえええええ九条猛ううううう!!』
三面六臂の明智光秀とその軍勢が、鬼の形相で追いかけてくる。
今や数万に膨れ上がった便意の大軍勢。手にした六つの武器が、結腸の内壁を削り、激痛の火花を散らす。
このままでは、男子トイレの敷居を跨ぐ前に、背後から一刀両断にされて城門が決壊する!
その時であった。
『――通さんよ、光秀』
俺の魂の防衛ラインに仁王立ちした織田信長が、腰の太刀を一気に引き抜き、天に向かって刀身を掲げて叫んだ。
『来い、猿、狸ッ!!』
パチィィィィィィィンッッ!!
空間が裂け、信長が叫ぶと2人の男が現れる。
立ち込める金色の光の中から姿を現したのは――。
小柄で身軽、派手絢爛な黄金の陣羽織を羽織り、落ち着きなく眉を動かす男。豊臣秀吉。
そして、ずんぐりとした体躯に頑丈な甲冑を着込み、油断のならぬ重厚な光を瞳に宿した男。徳川家康。
戦国三英傑。
日本史上、天下の覇権を争い、そして継承していった三人の巨星が、いま奇跡の集結を果たしたのだ!
現れるや否や、秀吉が情けない声を上げて信長の陣羽織の裾に縋り付いた。
『信長様ぁ、貴方と一緒に戦場に出られるのは嬉しいのですが……あんなのと戦わされるのはあんまりですじゃあ!!』
秀吉が指差す先には、青藍色の肌で金色の蛇眼をギラつかせ、火炎を噴き散らしながら迫る三面六臂の光秀。
確かに、戦国時代の足軽や侍大将を相手にしてきた秀吉にとって、あれは完全に『神話の邪神』の領域である。
その隣で、家康も苦虫を百個すり潰したような渋面を作り、太い腕を組んで深く頷いた。
『信長殿、私も同意見です。我らは人間専門で、あやかしの部類は対象外ですぞ!』
二人の正論極まりない訴えに対し、第六天魔王は手にした太刀の峰で二人の頭を力任せに引っ叩いた。
ゴスッ! ガツンッ!
『うるせえ!!』
信長は額に青筋を浮かべて怒鳴り散らした。
『テメぇらは猿と狸なんだから同類じゃろうが!! 四の五の言わずに武器を取らんかボケどもがッ!!』
理不尽! 圧倒的理不尽!
あまりの無茶苦茶な暴論に、秀吉は涙目で頭を押さえながら嘆息した。
『この無茶苦茶な言い分、まさに信長様ですじゃあ……!』
家康もまた、懐かしむように小さく息を吐き出す。
『うむ、幼少の頃に戻った気分ですぞ……』
おお……!
俺は激痛で白目を剥きかけながら、脳内の光景に震え上がった。
おお、俺のために三英傑が勢揃いして明智光秀に立ち向かっている!!
信長、秀吉、家康。
日本の歴史を作った三人の英傑が、俺の尻の穴一つを守るためにスクラムを組んでくれているのだ!
なんという贅沢! なんという歴史の無駄遣い!
しかし――その感動は、次の瞬間に現出人たちの冷酷な眼差しによって粉々に打ち砕かれた。
秀吉と家康が、スッと首を巡らせ、戦況の元凶である俺――九条猛へと、非難するように見つめてきたのだ。
秀吉が、憐れみと嫌悪の入り混じった顔で呟く。
『光秀……いくらなんでも、あんなふうに扱うのはあんまりぞ? 信長様を裏切ったとはいえ、人として扱うべきではないのか?』
秀吉はビシッと俺を指差した。
『俺以上の人でなしよ、そなたは!!』
さらに家康も、重々しく首を横に振った。
『……我ら武士は、地獄に落ちるのはしょうがないが。あんな怪物にされるのは御免被る。……人としての情は無いのか?』
秀吉と家康が非難するように俺を見つめる。
あの、冷酷無比に天下を奪い取った天下の秀吉と家康にまで、真正面から『人でなし』『情け知らず』と非難される俺。
秀吉と家康に、畜生扱いされるのも、俺だけだろう。
歴史に名を残す二大覇王から、魂の底から軽蔑される十五歳の中学生が、日本の歴史の何処におるんじゃい!
だが、文句を言っている暇はない!
信長が太刀を一閃し、光秀の軍勢へと切っ先を向けた。
『行けい、猛!』
信長の号令が脳内に轟く。
その瞬間、光秀が六本の武器を振りかざし、怨念の炎を噴き上げながら突撃してきた。
『どけぇ信長ぁ!!』
三面六臂の光秀と、三英傑の防壁が激突する!
俺はその背中に守られながら、男子トイレの扉を目指して、魂の歩行を加速させた――!
✳これは、現代の青春ラブコメです。